テュルーナス ~2
1話目の続きになります。1話が長いので2回に分けて投稿させて頂きました。
彼は振り返る事は無かった。彼の後ろ姿はどんどん遠ざかる。私は不安に駆られながら、強風に翻る漆黒の髪とマント姿の、彼の後ろ姿を見つめた。
「うぉおおおおおお!」
その叫び声はリシュエルのものだった。地獄のそこから響くように、低く大きく、大地を震撼させるかと思わせる程の迫力ある声、とても彼のものとは思えなかった。彼は一瞬にして空宙へと舞い上がり大地を踏みしめる。
中級クラスを出たばかりの私は、それまで戦場の実習経験はたったの5回、安全な所から見学するか3人から5人で行う魔術を手伝う程度だった。
リシュエルに、杖を持ってそこにいるようにと言われた私は、震えながら彼を見つめるしか出来なかった。
真紅の焔を身に纏い、敵を焼き尽くす彼の剣が一振り動くたびに、私の手の中の重たい杖が振動する。戦場での経験が浅く何も知らない私からは、次々と繰り出される、彼の強力な魔導の攻撃が多くの敵兵を倒して行く様が、まるで彼が世界を変えていくようにさえ見えた。
目に入る全てをただそのまま受け止めるしかなかった。それが魔術師になるための実践的な勉強をする。という事だと学校では教えられていた。私は只々その状況を見つめ、重い杖を両手で支えながら耐えた。
気が付くと戦いは終わっていた。
「はぁはぁ!」
彼が魔術を帯びた剣を一降りするごとに、私の体力が失われるのは感じてはいたが彼が戻ってきた時には、私はかなり消耗していたらしかった。、息を切らして、支え切れなくなった重い杖を地面に置いた。
「大丈夫ですか?」
「うっ!」
「おっと」
私はリシュエルの腕の中へと倒れこんでいた。
誰かの話し声が聞こえる。
「我が校の生徒、それもまだ中級部を卒業したばかりの子供を、そんなところへ連れて行くとは、前例がない!」
「前例などと、古いです。彼は特別な力を持っている。少々無理をさせたのは申し訳なかったですが、わたしも今回はいささか厳しかったので」
目を開くと、派手でない重厚な雰囲気の壁が見えた。校長室だった。
目の前を白い煙が通り過ぎる。
…リシュエル?
私は顔を動かして彼の声がする方向を見た。彼は黒い甲冑のままだったが、汚れを洗い流したのか、水分の滴る髪は艶やかに黒く、肩を流れ椅子の背もたれの後ろにあった。
驚いたのは、彼が細い葉巻を吸っていて、それを校長が大人しく認めていた事だった。
校内では禁煙だ。
「とにかく、テュルーナス・マルデが卒業するまで近づかないで頂きたい」
「それは…困りました。せめて、彼にお礼をしてから」
「まあその位はよいですが。どういうお礼ですか?」
「少しばかりのお小遣いです」
「他人からの金銭の受理は認めていません」
「では、彼が欲しいもので」
「本人の希望を聞いて、こちらで判断させて頂く」
「それで結構です」
彼が怪我もしていないらしく、普通に校長と話している姿にほっとして思わず声をかけた。
「リード!」
「失礼、大丈夫ですか?」
「うん」
「よかった」
彼の表情はとても柔らかで、安心し、なぜか思わず泣いてしまいそうだった。リシュエルが私の寝ている長椅子へと歩いてくる。
「リードは?何処も怪我しなかった?」
「ええ」
「よかった」
「お礼を言います。ありがとう。君のおかげでどんなに助かったか」
片方の膝を床に付き、目線を私に合わせる。優しい笑顔、鳥が歌うかの様な流れのある話し方。
「大変だったね。今日はゆっくり休むと良いよ」
彼の優しさにやっと、ホッとした途端、私と彼の会話を、少し不機嫌そうな校長先生の声が遮った。
「体はなんとも無いですから、心配しないように。気分が落ち着いたら退室しなさい」
「はい」
校長に言われ、ゆっくり起き上がり部屋を後にした。
校長室の外には指導の先生が待っていた。今回の事は口外しない様に言われた。
その後リシュエルは半年程、私の前に姿を現さず、彼にまた会うことは無いのだろうと思っていた。
ある学校が休み日、寮の庭の木陰でのんびり読書をしていた時だった。
一羽の白い小鳥が本の端に留まった。嘴には紙を咥えていた。私は急いで小鳥が本の上に落とした紙を広げた。
お元気ですか?君にあの時のお礼をどうしてもしたくて、お手紙をさせていただきました。よかったら以前ローブを一緒に見た魔法具屋まで来てください。 リードより
手紙を読み終えた私は駆け出していた。彼に会いたい。自分が戦場で何をしたのか、彼は噂と全然違うけれど本当はどんな人なのか、聞きたいことはたくさんあった。
道具屋の前に行くとリードが静かに立っていた。長く黒い髪を後ろに束ね。薄手の濃い茶色のコートを着ている。
「リード!」
「元気そうですね」
「はい!お久しぶりです」
「このローブ、欲しいかなと思って、もうじき売れてしまうかもしれない」
彼は私が先日見ていた白いローブに目をやった。
「え?そうなの?」
「そう、君も少し背が伸びたでしょう。サイズも良さそうだし買いましょう」
「でも…そんな高価なものは」
「大丈夫、君が働いた取り分です。少しここで待っていて」
そう言うと彼は店の扉を押した。出てきた時は布の袋を持っていた。
「もらえないですよ」
「いいえ貰ってくれないと困ります。わたしの評判が落ちますから」
「でも」
「ちょっとお時間ありますか?」
「あるけど」
「では、なにか飲み物でもご馳走しましょう」
彼は私の答えを待たずに歩き出す。しばらく歩き、こぢんまりとした木造の小さな喫茶店に入り、彼が緑色のハーブのお茶を頼んだ。
「ねえ、リード」
「はい」
「あの時って何処だったの?どうやって行ったのかな」
私はずっと気になっていた自分が彼に連れて行かれた戦場の事を聞いた。
「くすくす」
彼は馬鹿にした風でなく、隠し事をしている女の子のように密やかに笑う。
「教えて。自分が何をしたのかぐらい知っていたい」
「まだ、早いです。独立してから考えた方が良い。この国の敵方についたわけでは無いので気にしなくて良いですよ」
「そんな…でも…」
「この店のお茶は美味しいですね」
そう言いながらリードが高価そうな陶器のカップを口に運び、一口だけ味わう。テーブルに置いて如何にもゆったりした時間を楽しむ風に息をついた。
「この店にして良かった」
そして、穏やかな微笑みを浮かべて呟く様に言った。この人が戦場で豹変してしまう事を思い出す。本当の事だったのか、それとも彼の術にかけられていたのかもわからない。
「どうして、ぼくだったんですか?」
「それは…」
困ったように少し目を伏せ、しかられた子供の様な顔して黙ってお茶を啜る彼は、どうしても人々に恐れられる戦士には見えなかった。彼の様子をみているうちに子供が大人に同情するというおかしな状態になっていた。
「えっと、言いたくないならいいです」
「ありがとう。思った通りの優しい子でよかった」
温かいお茶と甘いお菓子。彼との安らかな時間は短い様でも長い様でもあった。
「ところで、お友達は?どうしていますか?」
「友達?」
「中級の時に仲の良かった」
「ルゥナとラスター?」
「そう」
「元気みたい。高等部に入ってからたまにしか会えなくなったけど。ルゥナは神殿で修行してるし、ラスターはもう戦場に行ってる。ぼくはまだ学校で勉強だからなんか取り残された感じ」
「それはしかたありません。男の子の魔導士というのは修行に時間がかかります。巫女見習いや戦士を志す人と一緒にはならない。でもいつか、共に行動できるかもしれません。君は才能がありますから。優秀な魔導士になれるでしょうね」
「ほんとに?」
「ええ」
「そっか、頑張ろう」
「楽しみにしています」
数時間、他愛もない話をした。彼を目の前にすると、彼が本当はどんな人なのか、などはどうでもよくなっていた。
「そろそろ帰った方が良いですね」
「もうそんな時間?」
「さ、立って」
素直に立ち上がると、リシュエルがすぐに側に来て肩にローブをかけてくれた。
「わあ、肌触りが良い生地ですね」
「少し丈が長いですね。でも夕方は寒くなるので着て帰ると良いでしょう」
「ありがとう」
「当然の報酬です。帰りはお送りすることは出来ませんが、気をつけて帰ってくださいね」
彼は茶店の支払いを済ませると、あっという間に立ち去ってしまった。
それから、私は数年間、彼には会わなかったが、彼の「才能がある」と言う言葉を思い出し、それを励みに懸命に勉強をし、国立魔術研究所に所属した。