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リシュエル1 魔導騎士リシュエル   作者: 五十嵐 綾子
10/26

   セゥルド~2

フィーナとお茶を楽しむ時間に、それとなく質問をしてみることにした。宮廷内の庭の、柱と屋根のある休憩所で椅子に掛け、茶と菓子を嗜みながら話をしていた。

「フィーナ、ご両親は元気?」

「はい。おかげさまで。セゥルド様?そろそろお部屋へ戻られた方がよいのではないかしら、午後は雨が降るとか聞きました」

「お宿下がりは、今度はいつ?」

「来月です。1週間」

「そうか、寂しくなるけど、ゆっくりしてきてね」

「ありがとう御座います」

 私はフィーナの実家の事もたいして知らなかった。ただ、11歳の時に子守として紹介された彼女がとても親切で楽しい人なので、ひたすら一緒に遊んだりしていただけだった。

 子供時代はよく一緒に追いかけっこをした。彼女は元気よく、日の光に金色の柔らかな髪をなびかせ、ふたりではしゃぎ回った。夜は綺麗な声で物語を読んでくれたり、手が汚れていれば手を洗ってくれたり、本当に優しく接してくれた。今、彼女は髪を結い、長いドレスを着て大人の女の人らしくしとやかに話す。

 いつまで経っても自分が年下なのが悔しかった。大人の男になりたい。フィーナを守って、フィーナの笑顔を見て幸せに暮らしたい。そんな気持ちが芽生え始めた。


 フィーナが宿下がりをした時に彼女の実家を訪ねた。

 私の命をどうこうしようと思う者もないだろうと思っていたので、剣を持って歩いていれば安全だから簡素な格好をし使用人の扉をくぐって1人で街へ出た。街へ出るのは初めての事では無かった。

 流石に人けの無い裏通りを歩き回るのは危険なので広い道を選んで歩いた。馬で行こうかとも思ったが、厩には番人がいて、見咎められるのもまずいから徒歩だった。

 城下街から出て少し行った所に彼女の家がある。

 彼女の実家

「こちら、カロン家と見受けしました。フィーナ嬢に会いたくて来ました」

「どちらさまでいらっしゃいますか?」

 私の恰好を見て、それなりに地位のある家の者だろう事を察したらしい使用人が丁寧に聞いて来た。

「セゥルドと伝えてもらえれば解ります」

「かしこまりました。こちらで少々お待ちください」

 ほんの少し待たされた後、慌てたように、先程の使用人を含め数人の使用人を従えて、家の主人であるフィーナの父らしき男が玄関に現れた。

「これはこれは、わざわざこのようなむさ苦しいところへおいで下さって。ささ、中へお入りください」

 人の良さそうな主人が挨拶を済ませると使用人達は雲の子を散らしたように立ち去った。突然の来客におもてなしの準備を始めたのだ。

「こちらは妻のリシアです。セゥルド様には、私共の娘が大変お世話になり」

「堅苦しい挨拶はいりません。立ち寄っただけで直に帰りますから、余分な気遣いなく」

「恐縮至極に御座います。娘は直に参りますので、お茶をお召し上がりください」

「頂きます」

 客間へ通されて茶を飲んでいると、質素だが品のあるドレス姿のフィーナが現れた。編み上げた金色の髪。自分より少し大人っぽい気がした。私は先ほどの使用人や彼女の父親の慌てぶりを思い出し、彼女に気を悪くされたくなくて、急に訪ねて来たのを詫びた。

「買い物に出て近くまで来たので、会いたくなってしまって、急でごめんなさい」

「とんてもありません。セゥルド様にわたくしを思い出して頂いただけでも有りがたいですわ。でも、あまり危険な事はなさらないでくださいませ」

「心配をかけてしまったかな。でも、危険な事はしていない」

「ですけど、お1人で。どうかお供の1人ぐらいはお付けください」

「わかった。次に何かの折があればそうします」

 フィーナとの間に距離を感じるもどかしい会話だった。いつもより敬語が多く一番話したいことは後回し。

 王宮での日常の彼女との会話は友達の様でも一向に構わなかったが、両親の前では嫁ぎ先は決まっていなくても年頃のお嬢さんで、私は14歳とは言っても男だったのだ。

 彼女の事をもっと知りたいから出向いたのだったけれど、これでは多くを知る事は出来ないと思って適当な会話をし、早々に帰る事にした。

「馳走でした」

 そう言って立ち上がった。

「もう、お帰りになられるのですか?」

 フィーナが聞いて来た。

「ええ、急にお邪魔して失礼しました」

 フィーナの近くに居たこの家の主人である、彼女の父親が

「ぜひ、またお越し頂けると光栄です。失礼かと存じますが、護衛の者を付けますのでお連れ下さい」

 社交辞令の挨拶をした。私が帰る事に少しホッとしている様だった。帰り道、私に何かあっては自分達の責任が問われるから護衛も付けてくれた。ひょっとすると、街に着いたら王宮から向かえが来ているかもしれない。きっと、報告しただろうから。

 王都に入ると、思ったとおり城から迎えが来ていた。私は王位を継ぐ可能性が低いにも関わらず、王の子供という立場故に、何かあっては問題があるという面倒な自分の身の上に、いつもの事ながら内心苦笑いした。


 王宮に戻って数日経っても、フィーナに何を上げればいいのか決まらず悩んでいた。思い悩むあまり、この日はリードの授業もろくに頭に入って来ていなかった。

「お復習いはここまでにして、今日は魔術の基礎の考え方を…、あれ?どうしました?ご気分が優れないですか?」

「わからないんです」

「…。どこがですか?」

「いえ、授業ではなくて、フィーナに何をあげたらいいのか」

「ああ、その事でしたか」

「だって、私の立場で高価な物を女性に正式には上げられない。だから、お金を掛ける事はできない、何がいいのかずっと考えて」

「その調子です。必ず答えは見つかりますよ」

「リードは?あなただったら、どうするんです?」

「そうですねえ…、今日は授業など止めましょう。たまには庭でも散歩しましょうか」

  魔術室外の周辺はは涼しい木陰が多く、手入れされた下草の薄い緑の草の絨毯や、爽やかな風が塞いだ気分を和らげてくれた。

「例えばこの葉っぱ一枚でも、そこに落ちている鳥の羽根でもいいんです。気持ちが篭っていればそれで」

「そんなのでいいの?」

「ええ。大切なのは高価な物かどうかではなく、どれだけ相手を思ったか、という事ですから」

「でも、それじゃあ、気持ちが伝わらないかもしれない」

「いつか伝わればいいと思いますよ。その方が相手の心にも深く浸透するでしょう」

「だって、急いでいるんだ」

「急いておいでなのはよく分かります。しかし、それだけでは意味がありません。事はひとつひとつ、段階を踏んでこそ想いも通じるものです。恋愛以外でも同じです。わたしは以前、占いはあまりあてにならない。と申し上げた事がありました」

「そういえば、最初に会った時にそう言っていたな」

「占いというのは、殆どが統計学です。つまり、可能性を視差した物で、結果を生み出すのは強い思いや行動でしかないのです」

「強い思いと行動…」

「ええ、強い思いは希に奇跡を起こすと言われています。確かにごくたまにそういう事は起こります。それはどちらかと言うなら、占いではなく、(まじない)いの類に属します。一般には混同されやすいのですけれど、魔術と占いというのは少し違うものなのです。ですが、行動というものほど顕著に人を計れ、結果を出すものはありません。現に魔術師を志す者でも、魔術の才能を持っていようとも、書物を紐解き、思念を意のままに操る鍛錬や自然を使役する為の鍛錬などの、修行という行動を怠れば魔術師には成れないどころか、ただ才能を埋もれさせてしまうのですから」

「つまり、強い思いと行動が結果をもたらす。だから、段階を踏む事に意味があるという事か?」

「はい、その通りです。応援しています。焦ったらかえって失敗するかもしれないですから、ゆっくり考えてから行動して下さい」

 理解と強い思いと行動が大切だと聞かされた私は、また暫く考える事になった。


 そうこうするうちに、戦に参加する事に決まった。行かなくてはならなくなった。

 年齢的にもそろそろだろうと思っていたので、戦に出るのは特に驚く事でも無かった。

 父が私の生死を気にしてくれているとも思っていなかったので、それなりに覚悟は出来ていた。よっぽどの事が無い限り自分は大丈夫だと思う。大体、守られて終わるのだ。気をつけなくてはならないのは敵よりも味方だった。戦争のごたごたに紛れて反乱を考える者だっている。私を利用しようとする輩だって居るかもしれなかった。

 手柄を立てることよりも生き残り、今までの生活に戻れる様にすることが私の望だった。

 その前にフィーナに何か渡したい。何も思いつかなかったのでせめてフィーナの笑顔だけは見たかった。フィーナをお茶に誘った。

「先日、神殿で御武運をお祈りしてまいりました。これをお持ち下さいませ」

 何かあげようと思っていた私は、彼女に頂き物をしてしまった。

「いいのか?ありがとう」

 彼女の金色の髪の毛を編んで出来た紐に神殿で売っている太陽を模った飾りが付いていた。

「この飾りを女性の髪に縛って持っていると、運が良くなるそうですわ」

 彼女は私の為に少しだけ髪を切ったのだろう。


 そのことをリードに報告した。

「髪の毛ですか。女性の髪は強いからきっといいですよ」

「それで、決めました」

「はい?」

「無事戻って、打ち明けるって」

「うーん、性急ですねぇ」

「彼女が無事を祈ってくれたなら、それもプレゼントだって思って」

「そうですね。わたしもあなたが御無事であるようにと願っていますから」

「そうか。必ず戻ります」

「お待ちして申し上げております」


 戦に出て数日経った頃、鎧甲を装備した1人の戦士が常に私の側に居る事に気付いた。

 その者は口を開かなかったし、顔も見せない様に常に兜を被っていた。

 決して体が大きいとは言えない戦士は、いつも私の後ろに居て私を守っていた。

 何故かその戦士が側に居る事で、私は落ち着いていたし、全てがうまく行った。

 戦いは、予め、父と配下の者が準備させたものだったので何もせずとも勝ちは決まっていた。

 私の父は負ける戦をしない人だ。費用も臣下も全て父の采配で、私はただ、そこに居れば良かった。

 戦が終わる前に、略奪をさせたくなかった私は敵の大将に会うと決めた。降参するように頼みたかったのだ。

 誰もが私を止めたがっていた。

「誰か、共に来てくれる者は居ないのか?」

 私の言葉を遮る者は無く、かといって、後押しする者も無かった。1人で敵陣へと向かおうとした時、いつも私の側にいた鎧甲の戦士が膝を付いた。

「わたしをお連れ下さい」

「そなたは、何者だ」

 戦士は膝を付いたまま兜を脱ぎ、束ねていた黒く長い髪を解いた。

「わたしは交渉には向きませんが、お守りする事だけは約束します」

「リード?あなた、どうして此処に?」

 驚いてそう言葉を発した私に、リードは小さな声で答えた。

「すみません。心配だったので」

 言葉遣いはともかく、彼は決して私を直視しない遜った態度だった。

「どうして?危ないでしょう?」

 彼が小声で話すので、多分、周囲の人に自分の正体を知られたくないのだろうと思った私は、小声で彼に話しかけた。

「わたしは、戦場では戦士以外の何者でもありません。ですが、今回はあなた様を守ることに徹します」

「大丈夫?」

 私は彼を魔術の教師としてしか見ていなかったので、彼が戦士として強いかどうかは知らない。一応、彼に確認を取ったが、見たところ、かなり重そうな武器も防具も、平気な顔をしている。

「はい」

 私は彼の近くに行き体を屈めてさらに小声で話しかけた。

「リード、えっと苗字は?」

「名はいらないです。命令だけ下して」

 リードはそう言って、にこりと笑う、その笑顔はいつもの様に優しかった。

「私を守れ」

「御意」

 誰にも顔を見られたくないらしく、直に兜を付けた。誰も彼の顔を見る事は無かった。


 私とリードは、馬にまたがり、敵方の本拠地へと向かった。リードは国の旗と、話し合いの意志がある事を意味する旗を背に背負っていた。二種類の旗を背中に掲げ、鎧甲を纏い、馬に跨るリードに馬上で話しかけた。彼は自軍の拠点から遠ざかり人が見ていないのを確認して、兜を脱いだ。

「重くない?」

 彼と少しだけ話したかったので、馬の歩をゆっくり進めた。

「馬に重くないかって聞いた方がいいですよ」

「リードって戦士だったの?魔術の先生と思ったけど」

「急ぎませんか?話は後で出来ます」

「そうか。じゃ、行こう」

 後で話すというのは、私も彼も安全に帰れるという事だった。

「あちらへ着いたら、わたしを盾にしてください」

 リードはそう言うと、また兜をかぶり、私より前に馬をまわし、先を歩いた。


 敵の陣地では、あまりにも簡単に事が進んだ。リードはずっと私の盾となる為に私の前を歩いた。もっと言うなら、彼は矢も剣も通さない魔法を使っていたと思う。話し合いの合図の旗を掲げていたので誰も攻撃をして来なかった。相手は私を使者と思い内部へ招いた。リードは何故か誰の目にもはっきりと映っていながら、武器を身につけていても誰にも気付かれないらしく、一言も咎められなかった。どうやらそれも魔術の力らしかった。だったら、鎧兜を着る必要が無いのではないかと思ったが、どうやら魔法というのは私が思う程簡単な物でもないらしい。

 彼は私の前を歩き、武装を外す事もないまま敵将の前に立ち膝さえも折らず、兜を脱いだ。

「おまえは…」 

 敵将はリードの顔を見てあからさまに驚いた様子で言った。

「お久しぶりです」

 敵将は苦い笑いを見せた後、諦めた様に言った。

「マグワス。そなたが居ては事が運ばぬ訳だ」

「すみません」

「煙草はいるか?」

「いただきます」

 リードは煙草に火をつけた。リードの指先から焔が灯り白い煙が上がる。

「それで?そなたの要求は」

「いえ、わたしはただの護衛で、こちらの方が交渉をなさいます」

「解った。聞こう」

「その前にお人払いをお願いします」

 部屋に人がいなくなると、敵の将軍と、リードは少し緊張感を解いた。

「本当に久しぶりだな。歳を取らぬのも相変わらずらしいな。若く美しいままだ」

「わたしも、お会いしたかったです」

「嘘を付くな。おまえならいつでも私に会いに来られた筈」

「歳月というのは、直に過ぎるものですね。あれから確か…」

「24年だ。長かった。もう忘れたと思っていたが、いきなり現れるとは」

「すみません。今回は貴方の為にでなく、こちらの方の為に」

「ただの使者でないという事だろう。そなたが守る程なら」

「はい。王子です」

「そなたの新しい(あるじ)と言う訳だな」

「はい。今は」

 リードは私のほうへ向き直り、跪いた。

「セゥルド様。この方は将軍ザイル様です」

「貴方様が第一王子のセゥルド様ですか。お若くしてこの者を味方につけたとは、なかなか。貴方様のお話を伺いましょう」

「ありがとうございます」


 交渉を終え、味方の陣営に戻る途中ふたりきりの時にちょっと聞いてみた。

「ねえ、リード、煙草はちょっと似合わないと思うけど」

「そうですか?」

「美味しいの?」

「苦いだけです。でも、社交術として、お茶やお酒を嗜む程度には必要な時もありますけどね」


 王城へ戻ると私の初陣の勝を祝い大賑わいになるだろう事は解っていた。宮殿内での酒宴の席でリードを見かけなかった。

宴会の間のリードが座っていない空席に料理だけが運ばれてきた。

 宴が適当に盛り上がったところで退室した。私がいたら皆が気を使う。退室したその足でリードを探した。彼は多分魔術室の中だ。

「あれ?いらっしゃい。宴の席はもういいのですか?」

 リードは魔術の実験でもしていたのか、一瞬、別の世界から来たみたいにぼんやりとした顔をした。

「リード」

「はい」

「あなたっていったい何歳?」

「さあ、数えた事がないので」

「だって、この間の交渉の時の会話から考えると、50歳以上の計算になるけど」

「まあ。わたしの年齢の事は以前年寄と言ったでしょ。それより、セゥルド様?何かもっていらっしゃった?」

「あっ、うん、宴会の食事」

「わざわざ持ってきて頂かなくても、言っていただければ取りに伺ったのに。でも、丁度お腹が空いてきたのでいただきます。セゥルド様は?」

「私は食べてきたから」

「じゃあ、どうしようかな」

「食べて」

「はい、ありがとうございます。では、遠慮なく頂きますね」

「机がいっぱいだね。片付ける?」

「いえ。持ってきます。手伝わなくていいですよ」

 彼が私に解るように魔術を使うのを初めて見た。リードが右手を開き、部屋の隅の机を指さす。丸いテーブルがゆっくり近づいてくる。

「動いてる…」

「実は種も仕掛けもあるんですけどね」

 テーブルが部屋の真ん中辺りで止まった。

「上にその食事を置いて下さい」

 リードが椅子を持ってくる。椅子も魔術で動かさない所がよく解らないけど、あんまり披露したくないらしい。持ってきた料理を包みごと置いて開くとトレイの上に所狭しと皿に盛られた食事が乗っていた。リードはいただききますと言ってからゆっくり食べ始めた。私も椅子を持ってきて向い側に座り話をした。

「セゥルド様、思い人への告白は?もうなさったのですか?」

「いえ。まだまだです」

「どうして?」

「一人前の男になってからって思って」

「良い心がけです」


 その後、何度か戦場に赴いた。常にリードが居て、こんなに簡単でいいのかと思う程、事が運んだ。いつの間にか弟に何かあったら、私が王になると思われるようになっていて、王宮の片隅の何時でも抜け出せる場所からだんだん奥へと住まいを移動させられていた。

 リードはというと、人前に出る事を嫌い、戦地ではいつも鎧甲で姿を隠し後に付いてきていた。

 ある時、戦場から帰った私は酷く落ち込んでいた。理由はフィーナが嫁に行ってしまったからだった。

「リード、あなたは知っていたんですか?」

「噂は…、でも、本当だったとは…。」

「何とかならないのかな」

「…」

 彼は黙り込んでしまった。何か考えているらしかったが、私には何も言ってはくれなかった。

 数日後の午後、彼がとても急いだ様子で私の食卓に訪れたので、すぐに人払いをした。彼は王宮でも人目を避ける方だったからだ。

「はー。間に合った」

 小さな包みを持ったリードが、ホッとした様子で言った。彼が落ち着かない様子を見た事が無かったので、どうしたのかと心配した。

「リード?どうしたんですか?」

「焼き菓子を持ってきました」

「ん?」

 焼き菓子の為に息を切らして来たのは何か理由があるのだろうが、それが何なのかすぐには言ってくれないらしい。

「どうしても、食べていただきたくて」

「なんでまた焼き菓子ですか?」

「まあ、食べて下さい」

「はい」

 彼が紙に包まれた焼き菓子を机の上に置く。包みを開くと、飾り気がない如何にも家庭的な不揃いな形をした焼き菓子が甘い香りをたてていた。一口食べた。

「味は如何ですか?」

「んー、結構甘めですね。柑橘系の香りがする。この味は多分宮中で作った物では無さそうだけど…」

「ええ、あるご婦人に頼んで作っていただいたので」

「誰に?」

「ラスター・バエル氏の奥様」

「え?」

 口の中一杯に柑橘系の甘酸っぱい香が広がり涙が流れた。リードは黙って私を見守った。

「改めて、どうですか?」

「やさしい…味」

「沢山、泣いておいてください。合わせたい人がいます」

 言われなくても既に頬も手も、涙でいっぱいだった。

 いつまでも泣くのもみっともないので、ほどほどにして、接見用の小部屋に向かった。人に合わせたいと言われたのだし早く用事を終わらせたかった。

 私の後を付いてきたリードは部屋に入ると、一人の騎士の横に立った。騎士は跪いて私を向かえた。私は部屋の奥にある椅子へ腰を掛け、リードの言葉を待った。

「これからは、この者が命を投げ出しても、殿下をお守りいたします」

「で?名は」

「騎士。ラスター」

「…ラスター・バエル?」

 さっきはフィーナのことで頭が一杯だった。この国でその名を知らぬ者は無かった。名高い騎士。この人がいれば軍は必ず勝つとか。

「ラスター、セゥルド王子を頼みましたよ」

 と、リードが言った。ラスターは直ぐに

「はい」

 と答えた。私はまだ少し、戸惑っていた。

「まって、いきなり…。いや、ラスター、立って下さい」

 私はフィーナの夫がどのような男なのか確かめたかった。立ち上がった男は静かで強い目をしていた。

「いかがです?フィーナの旦那様は?」

「ええ。良い目ですね」

「よく覚えていらっしゃった、人を見る時はまず目からと」

「ラスター・バエル、私の護衛を宜しくお願いします」

「お言葉、しかと承りました」

室内で暫くリードと話をしたが、これからリードは忙しくなるので、護衛として自分の代わりに信頼できる人間を紹介したのだと言った。

「あなたはご自分で判断して、ただ信じればいい。必要とあれば、わたしが人材を準備します。その為に出かけなくてはなりません。どうかお許しを」


 騎士バエルはとても頼りになる人望の厚い心がけのよい青年で、なるほど彼の様な騎士になら、フィーナが恋をしても不思議は無かった。私は彼女を幸せにするには、まだまだ世間を知らず、人の心を知らず、至らなかったのだと、バエルを見るにつけ思う。だから、私はこのバエル夫妻の為にも、賢い主人になる事を心がけた。それこそがフィーナを幸せにする為に私に与えられた事だと思った。


リードはフィーナの事は何も言わずに立ち去った。暫く会わなかったが、彼は何もかも見通していたのかもしれない。

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