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「う……ぅう」
「もう……死にそう」
豪華な一等船室のベッドで、ハンナと二人、桶を抱える。
港を出て数日。王女一行を乗せた船とそれを守る護衛船の軍団は、順調に海を渡っていた。
海の守りは、精強と名高いアルドリア王国の海軍が務めている。
ここまでくれば故国の妨害も及ぶまいと、同乗している国の外交官が胸を撫で下ろしていた。
馬車旅を続けるもう一つの集団も、無事に国を出たらしい。
王女の婚姻を阻止しようとした過激派の企てから、漸く逃れることができた。
麗しの王女を他国に取られてたまるかと、血気にはやった若手の貴族たちが、徒党を組んで王女を誘拐しようと企てたのが、事の真相。
王女を攫い既成事実さえ作ってしまえば一石二鳥――
そんな政治も国際関係も無視した愚か者たちの無謀な企みは、そこそこ高位貴族の息子も加わっていたことから実現の可能性が出てしまったのだった。
当然そんな醜聞を表に出すことはできず、警護の全ては秘密裏に進める必要があった。
王女の影武者を作り、分けた経路それぞれの隊列を組み、嫁ぎ先の国と連絡を取る……筈が、ここで多少の行き違いがあり、私の乗る船の手配が遅れた。
随行の役人たちが青くなりながら王宮と連絡をとる中、いっそここで賊を誘い出そうという過激な意見が出た。
私の役目は、本物の王女から少しでも危険を減らすこと。
結果私は密かな護衛を山ほど付けて、町に繰り出すことになったのだ。
隣国から王女の出立を見届けるためにと、海軍の護衛隊よりも先にアルドリアに来ていたアドリアンが私を見つけたのは、本当に偶然だったらしい。
雑踏に転がった指輪は、アルドリア産出の宝石とセレノス王国特有の意匠を刻んだ特別製。
セレノスの王太子から婚約者に贈られた指輪を、アドリアンは見たことがあった。
見覚えのある指輪を手にした彼は、連絡の取れない王女一行の動向を探るために、私たちに近づいて――
ぐったりと寝そべる私に、桶を抱えたハンナがのそのそと近寄る。
「もうすぐでございますね……この苦行もあと少し」
「……そうね……」
「もう二度と……ええ、もう二度と船には乗るもんですか」
「私も……そう願いたいわ」
故国の土をもう踏めないのは、淋しいけれど――
ごろりと一つ寝返りを打って、小さな窓に目を向けた。
揺れる波の奥に、複数の船が見え隠れしている。
(あの船のどれかに……)
思いかけて、ぎゅっと目を閉じた。
たった半日。
出会いの印象は最悪で。
でもエスコートの手は優しく、打てば響くような会話が楽しくて――
襲撃後に再会した彼の態度は、貴人に対する臣下のそれに終始していた。
それが当たり前だと、分かってはいるけれど――
転々と寝返りを打つ私の耳に、鐘の音が届いた。
一定の間隔を置いて繰り返される連打に混じり、陸地が見えたと怒鳴り交わす声が続く。
「……もうすぐね」
「えぇ……えぇ」
――もうすぐ、私の旅が終わる。
***
ようやくたどり着いたアルドリアの王城は、セレノスのそれとは随分と違っていた。
小高い丘の上に築かれ、石組みの高い塀に囲まれたセレノスの城に比べ、アルドリアの城はどこまでも広い。
果てが見えないほど続く白い塀の中には、広大な敷地が広がっていた。
正門の奥に見える王城も白く輝き、中庭に設えた噴水から流れる水が、左右対称に幾何学模様を描く水路を満たしている。
王城は、居城である内郭と政務を行う外郭に別れ、それぞれが幾つもの建物とそれを結ぶ回廊で成り立っていた。
私たちの一行は正門を抜けた後、手続きのために一旦外郭に留められた。
与えられた離宮で一晩身を休めた後、身なりを整え王との謁見へと進む手筈となる。
久方ぶりのコルセットに胴を締められ、うめき声が漏れた。
はしたないと叱るハンナも、辛そうに久々のくびれを押さえている。
サテン地に刺繍とレースを施されたアルドリア様式のドレスは、この国では重くて暑すぎた。
支度を手伝ってくれる侍女たちのゆったりした衣装が羨ましい。
私たちを迎えに来たアドリアンも、正装に身を包んでいた。
精緻な刺繍の施されたチュニックと細身のズボン。
儀礼用の剣を帯びた深紅のサッシュ。
幅広のサッシュに縫いとられた金色の紋章が、彼の立ち位置を物語っている。
正装の私たちを見たアドリアンの目が一瞬眩しげに伏せられ、すぐに静謐な光を帯びた。
優雅な物腰で手を取られ、私は謁見の間へと足を運ぶ。
謁見の間には、すでに沢山の人が待っていた。
奥に設けられた演台には、豪華な椅子が並べられていた。
中央の玉座には国王が、その両側に王妃と王太子が並び、王子王女と続く。
そして、舞台の脇にはアルドリアの衣装を纏った一団が立っていた。
中央に立つ二人の少女が、私をちらりと見て、つんとすまし顔を整える。
私をエスコートするアドリアンの手が、アルドリアの一団を認めた瞬間固まった。
私は真面目な顔を取り繕いながら、静々と広間の中央に向かう。
「陛下。 陛下の忠実なる臣、アドリアン・モレッティが、アルドリア王国のマリアンヌ・ド・レーヌ第三王女をお連れいたしました」
礼を取るアドリアンにならい、私も深く礼をとる。
顔を上げよと声が掛かり目線を上げると、豊かな顎髭を蓄えた国王がこちらを見下ろしていた。
古風な儀礼服に身を包んだ国王は厳粛な表情を浮かべていたが、その黒い瞳だけがまるで少年のように輝いている。
国王は顎髭をしごくと、舞台の脇に目を向け、手振りで二人の少女を呼び寄せた。
「……はてさて、先日もこの国にアルドリアの使節団が訪れたのじゃが。 彼らの中に、我こそが第三王女と名乗る者が二人もおってな」
「な……っ!」
絶句するアドリアンの前で、そっくりなドレスを纏った少女二人が並ぶ。
私は舞台脇の進行役に目で合図を送ると、二人の側に進んだ。
三人並んで美しい礼容を取る――頭の角度も手足の動きも、まるで鏡合わせのように寸分違わず揃えられた仕草に、周囲から感嘆の息が漏れる。
――漸く私の役目が終わった。
短い沈黙の後、使節団の代表が進み出て、経緯を発表する。
アルドリア国で、王女の婚礼を妨害する動きがあったこと。
敵の目をごまかすために、王女の身代わりを立てたこと。
王女の身代わりは侍女から二人選抜し、一人は王女と別の道を辿り、もう片方は本物の王女と立場を入れ替えて二人で同じ行程を進んだこと――
王女を含む一行の中にも、裏切り者が出るかもしれないとの懸念から、今日この場に至るまで入れ替えの秘密は伏せられていた。
「して、本物のマリアンヌ王女は?」
髭をしごく国王の横で、王太子が身を乗り出す。
「私でございます」
私の隣から、可憐な声が上がる。
私ともう一人は一歩下がり、改めて深く――臣下の礼をとった。
壇上から足早に降りてきた王太子が、王女の手を取る。
手袋越しの口づけを受けた王女がにっこりと微笑み、室内が割れんばかりの拍手に包まれた。




