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リアンと名乗った男は、停泊している商船の持ち主だと明かした。
ここでの取り引きを終えて船に戻る途中、偶然指輪を拾ったのだと言う。
指輪の意匠が自国のものだったので持ち主にも興味が湧いた。
そう打ち明ける声は、最初の軽薄さが消えて親しみやすい。
「誰が聞いているか、分からないからな」
いかにもお忍びらしい女性を誘うには、あのやり方しか思いつかなかった――そう言って、照れくさそうに黒髪を掻く。
落とした指輪は、爪留めが緩んで石が外れそうになっていた。
リアンに紹介された宝飾店の職人は、拡大鏡で指輪を検分すると、
「これならば夜までには直せますよ」と受けあった。
その後もリアンは、修理を待つ間のアフターサービスだと言い訳し、街のガイドを買って出た。
取り引きで何度か来ていると言うだけあって、彼のガイドは板についていた。
案内された店はどこも雰囲気が良く、商品の値段を吹っ掛けられることもない。
貴族向けの宝飾店では、王都でも珍しい希少な真珠や珊瑚のアクセサリーが溜息を誘った。
それよりも廉価な品揃えの店には、真珠の母貝を磨いたアクセサリーがずらりと並び、購買欲をそそる。
職人街に足を伸ばし、屋台が軒を連ねる大広場で腹ごしらえ。
貝細工のアクセサリーや民芸品を土産に買い込み、香辛料の効いた揚げ菓子に舌鼓を打つ。
硬い殻を割り藁の芯で吸う果汁はほんのりと甘く、不思議な味わい。
通りかかった海岸では、旅装のドレスに身を包んだ女性が、男性のエスコートを受けながら歩いていた。
男性が差し掛ける日傘が、二人の上に優しい影を投げかけている。
二人の背を見送る私の目が、水平線を一撫でした――
***
案内の締めは、夕日が絶景だとリアンお勧めの場所に決まった。
町から少し離れた山の中腹、海を一望できる小高い丘は、草が刈られ簡素なベンチが並んでいた。
周りの観光客にならい、二人でベンチに腰を下ろす。
日差しが陰り、潮の匂いを乗せた風が、私の髪を揺らす。
「ふーん。 じゃあマリー嬢も、王女様目当てでこっちに来ていたのか」
「そういうこと。 肝心の行列は、人混みに隠れて馬の飾りくらいしか見られなかったけどね」
「そりゃ残念」
男がくつくつと笑う。
「今頃、王女様のご一行はどこを進んでいるのかしらね……」
「さぁな……」
ぐっと体を伸ばし弾みをつけて立ち上がると、リアンは私に手を差し伸べた。
素直に手を預けて立ち上がると、そのままリアンは私の胴に手を回し、ぐっと引き寄せた。
耳元に押し殺した囁きが届く。
「囲まれてる」
「……っ」
「心当たりは?」
「沢山。 あなたは?」
「数え切れん」
顔を隠した男たちが十数人、丘を目指して駆け上がって来た。
周囲のカップルたちが慌てたように立ち上がる。
覆面たちは、真っ直ぐに私の方に向かってきていた。
「くそ……っ、多いな」
悪態をつきながら、リアンがすらりと剣を抜く。
光る白刃を横目に、私も畳んだ傘の柄を引き、仕込んでいた細身の剣を抜いた。
目を剥く男の前で、ハンナも傘から刃を抜き放ち真っ直ぐに構える。
「はは……、やはり貴女は」
「口を閉じて。 今は黙って、私たちをお守りなさい」
ハンナの鋭い声に、リアンが顔を引き締める。
多少の心得はあるけれど、私の腕では自分の身を守るのが精一杯だ。
二人の影に身を隠し、汗で滑る剣の柄を握りしめる。
一番に駆け上がって来た覆面の賊が、無言のまま剣を振りかぶった。
リアンの剣がそれを受け止め、擦れる刃から火花が散る。
脇から迫った次の攻撃は、ハンナの剣が受け止めた。
金属同士が擦れる耳障りな音が、二合、三合と続く。
私は傘を盾代わりにして、身を守ることに徹していた。
三人に集中する覆面たちの後ろで、ベンチの観光客がじりじりと動く。
覆面たちが気づいた時には、観光客に変装していた騎士たちに包囲されていた。
騎士の構えた背丈ほどの棒が一人の足を捉えて引き倒す。
別の覆面を巻き込み倒れ込んだその上に、新たな棒が唸りをあげる。
鉤のついた棒が剣を絡め取り、胴を打つ。
逃げ出そうとした者も、放たれた投網に絡め取られた。
身構えた三人の前で、瞬く間に制圧が終わった。
覆面たちを引き立てていく騎士を見送る私たちの前に、数人の騎士が駆け寄ってきた。
遠目には分からなかったけれど、周りでカップルのふりをしていた者のうち数人は、女装した男性だった。
中から出てきた私自身の護衛が、ハンナと並んで後ろに控える。
長いかつらをむしり取った騎士隊の代表らしい男が、私の前に跪き深く礼をとった。
「国を彩る麗しき花、第三王女様にご挨拶申し上げます」
「頭を上げなさい」
尊大に応えると、代表は流れるように立ち上がった。
武人らしく厳つい顔に施された濃い化粧。
膝下丈のスカートから伸びる、逞しい足。
代表の背後に居並ぶ男たちの肩が震えているが、この中の半数も、上司と似たりよったりの女装姿だ。
淑女の仮面の下で頬肉を噛む私を困ったように見下ろしていた代表が、その横で立ち尽くすリアンに目を向けた。
「ところで、この男は?」
「……」
代表の問いかけには答えず、護衛の一人が懐から指輪を取り出した。
「船の登録に不正は見られず、指輪を預けた職人の身元もはっきりしておりました。
密かに指輪を複製する様子もなく、こうして無事に引き渡されました」
渡された指輪は、元の通り傷一つない。
「ただ、この者に関してだけは――」
護衛の目つきが鋭さを増す。
「船の持ち主は別におりました。
『リアン』と言う名の男についてはただ船の客と言うだけで、他は何も知らないと」
剣呑な視線をうけて、リアンはふっと微笑んだ。
その場に跪き、優雅に礼をとる。
「アルドリア王国の麗しき明星、マリアンヌ・ド・レーヌ王女殿下にご挨拶申し上げます」
「そなたの名は?」
「我が名はアドリアン・モレッティ。 セレノスのモレッティ公爵家の末弟にして、王太子に仕える者。
この度は王太子の命を受け、王女殿下のお迎えに参りました」
「そう」
私の目線を受け、アドリアンが立ち上がる。
刃を納めた日傘をハンナが私に差し掛け、護衛がすぐ後についた。
ハンナが騎士隊とアドリアンに向けて、威厳たっぷりに解散を告げると、奇妙な格好の一団はぴしりと揃った敬礼をして丘を下っていった。
騎士に囲まれて歩み去る背の高い黒髪を、傘の影から見送る。
潮の香りを含んだ海風が、私の背に強く吹き付けた。




