天下無双・ダンス・布団
お母さんと新しいお父さんが再婚して出来た、新しいお兄ちゃんが死にました。
お兄ちゃんは会社員でした。遠くの出張先で突然しんでしまったそうです。
お兄ちゃんが出張へ行く前、家族みんなでご飯を食べている時、お兄ちゃんは、「□日から□□へ出張へ行く」と言いました。
それまでも出張はあって、同じような調子で言いましたが、お父さんはその時に限って、「□□には行かない約束」「誰かに代わってもらえ」と頑固に言い続けました。
家系的に悪縁があるから決して近寄ってはいけないと言っていました。
お兄ちゃんは、最初、驚いた感じで、「そんな昔の約束」「仕事だから」と嫌がっていましたが、最後には、渋々「分かった」と頷きました。
でも、こっそり行ったようでした。
連絡を受けたお父さんは、顔中をぐんにゃり歪めて、うずくまって、唸り声を上げて、ぶるぶる震えていました。
お母さんが寄り添って、肩を抱いて、助け起こした後、立ち上がったお父さんは、同じ人とは思えないくらい、怖い顔になっていました。
だから、お兄ちゃんのお通夜の日、「廊下でダンスをしている人が居る」とお母さんに言った時、聞き咎めたお父さんが、「□□を死なせない為に本家へ連れて行く」と言い出しても、お母さんは強く反対しませんでした。
死んだ人の魂を迎える為に、盆踊りをすると聞いた事がありました。だから、お兄ちゃんの魂を迎える為に、ダンスをしている人が居るんだと思って、お母さんに言いました。
でも、お父さんの説明では、そのダンスをしている人は、盆踊りとは違って、お兄ちゃんが出張先で見付かって、連れてきてしまった、お兄ちゃんを死なせたものなんだそうです。
元々お父さんとお兄ちゃんの家系に祟っていて、□□も家族になったので、目を付けられたかもしれないと、お母さんと話し合っていました。
それで、皆でお休みを取って、お父さんの本家に行きました。
お父さんの本家は、昔から、誰かからのお願いを聞いて、内緒で人を懲らしめたり、よい事ばかり起こるようにしたりして、富み栄えているそうです。
お父さんやお兄ちゃんは、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの時代よりもっと前から、そういう事をする為の力が殆どない分家で、長いあいだ本家と関わりがないそうです。
けれど、□□はダンスをしている人が見えたから、目を掛けてくれて、助けてもらえると思うと言っていました。
新幹線に乗って、電車に乗って、バスに乗って、本家の大きなお屋敷に着きました。
本家の小父さんと息子さんに挨拶をして、お父さんとお母さんが相談をする間、小母さんに庭で遊んでもらいました。
庭には、今はもう大人の息子さんが、小さい頃に遊んでいた、ブランコや、砂場や、小鳥の巣箱がありました。
植木の間の小道の向こうに、小さな家があって、それは土蔵だと小母さんが教えてくれました。
小父さんと息子さんと、お父さんとお母さんの話し合いが終わった後、その土蔵で1人でお泊りをすると言われました。
ダンスをしている人が、□□を探しているので、隠れて、見失わせる為に、土蔵で1人でお泊りしなければならないんだよと言う事でした。
お父さんが、お兄ちゃんが死んで怖くなってしまった顔を、頑張ってにっこりさせて、「□□は、ちょっと怖がりだからなぁ。1人でお泊りできるかなぁ」と、どうにかその気にさせようとしました。
お母さんが、□□とお父さんを心配しながら、でも、□□の為に、お父さんと本家の人達を疑って、居心地悪く、不安になっている顔で、少し小さくした声で、「嫌なら嫌で良いんだよ」と言いました。
本家の人達は、話は決まったのだから、早く準備を始めたそうでした。
「できるよ」と元気に答えました。
全員で晩ご飯を食べて、歯磨きをして、お母さんとお風呂に入って、白い浴衣を着せてもらって、土蔵にお泊りに行きました。
小父さんと息子さんと、布団を持った小母さんと、お母さんとお父さんと一緒に、庭の小道を進みました。
月が出ていて、風が強くて、木や草がざぁざぁがさがさ鳴っていました。
小父さんが土蔵の扉を開けて、息子さんが扉を押さえて、小父さんがパチッとスイッチを押すと、小さな電球が点いて、暗い土蔵の中がちょっと見えました。
電球よりも、上の小さい窓から入っている月の光の方が明るかったです。
風が強くて、雲がびゅんびゅん流れるので、短い間に、すぐ暗くなったり、少し明るくなったりしていました。
「ここが今日お泊りする所だよ」と、小父さんに手招きされて、背中に手を当てられ、促されて、全員の先頭になって、土蔵の中を覗きました。
明るくなったり暗くなったりする月の光と、少し明るい電球の光の中に、古そうな棚とか箱とか、網とか籠とかがあって、広く開いている真ん中の床に、もう、お布団が敷いてあるのが見えました。
小母さんが持っているお布団じゃなくて、真っ白で、すごく軽そうな、小さめの敷き布団と掛け布団でした。
土蔵の真ん中の床の上に、ぴしっと、綺麗に敷いてありました。
掛け布団は、真ん中がふっくら膨らんでいて、中で、仰向けの小さな人が、ぐっすり寝ているようでした。
ちょんちょんと小父さんに急かされて、土蔵に入って靴を脱いで、床へ上がって、近付くと、お布団に仰向けに寝ている、小さな人の顔の上に、白い布が掛けられていました。
小さめの白い枕に、仰向けに乗せられた頭から、ふわふわの白く長い髪の毛が伸びて、床へ、ずらぁっと置かれていました。
顔に掛けられた白い布と、着せられている白い浴衣の、間から見える首の辺りが、しわしわかさかさに乾いて、硬そうに萎んでいました。
そんな風にしわしわかさかさで、布もお布団も小さな人も、全然、動かないので、此処に寝ている小さな人は、お布団の中に居る人は、死んじゃったお兄ちゃんみたいに、死んでいるんだと思いました。
自然に、ぎゅうっと爪先が丸まり、両方の手を握って、じっと見下ろしていると、小父さんが肩にぽんと手を置いて、「此処に寝ていらっしゃるのは、この広い世の中で比べるものがないほどすぐれていた、偉い□□様のお人形だよ」と言いました。
そんな風にすぐれている事を、天下無双って言うんだよと。
小母さんがてきぱき入って来て、もう敷いてあるお布団の隣に、持ってきたお布団をぴったりくっ付けて敷いて、「そうだよぉ。だからダンスをしている人なんか、ちっとも怖くないからね」と、励ますように言いました。
人形になんか思えなくて、此処に1人でお泊りなのと思って、入口で寄り添って立っているお母さんとお父さんを見ました。
2人の顔を見ましたが、特に驚いたり嫌がったりしていない、さっきと変わらない感じの、心配そうに見守る顔でした。
外の方が月の光が明るくて、土蔵の中は影になっていて、多分、滅多に誰も入れないような、本家の土蔵の中なので、2人は中に何があるのか、詳しく、どんな風なのか、あんまり見えていないし、強引に見ようとはしていないように感じました。
外で風がごうごうと吹いて、雲がぐんぐん流れて、木も草もがさんがさん鳴って、乾いた木と埃の臭いがして、少し寒かったです。
此処に1人でお泊りと思って、外の、広い明るい所に立っている、お母さんとお父さんを見たら、もう、足元のお布団を見られなくなって、すうっとお腹が冷たく重くなって、気持ちが悪くなって、声を出せなくなりました。
声を出せなくなったまま、小母さんが捲った掛け布団の中へ、小父さんに肩を押されて座らされて、「寝ちゃえばすぐに朝だから、ちょっとだけ我慢するんだよ」と、頭や肩を撫でられて、乾いた小さな人が寝ている、真っ白で軽そうなお布団の隣へ、仰向けに寝かされました。
目の、ほんの隅っこに、顔とおんなじ高さにある、隣の顔に掛けられた白い布が、全然うごかないでいるのが見えました。
隣のお布団に寝ていらっしゃる、この世で比べるものがないほどすぐれていた、天下無双の□□様が、きっと守ってくれるから。
ダンスをしている人なんか、ちっとも怖くないからね。
小父さんと小母さんに、代わる代わる勇気付けられて、瞬きもしないで、暗くなったり明るくなったりする、太い木の柱の組まれた、土蔵の天井を見詰めていました。
蜘蛛の巣に積もった埃が舞い降りて、目の中に入りそうと思って、小父さんと小母さんの足音が遠くなって、靴を履く音がして、扉が閉まっていく音がして、入口から入っていた月の光の線が、天井で段々ほそくなっていきました。
お腹が冷たくて重くて、吐きそうに気持ちが悪くて、待って待ってと叫びたいのに、心臓だけどきどきしていました。
握り締めた両手と爪先が冷や汗を掻いて、痺れて、ぎしぎし奥歯を噛み締める音の向こうに、お母さんとお父さんの、「□□おやすみ」「明日の朝あけに来るからね」を聞きました。
扉が閉まった少し後、隣で、どたどた、さっ、さぁーと、音がしました。
隣に、ダンスをしている人が、
床を上をのたうち回って、びくびく飛んだり跳ねたりして、床を掻いたり蹴ったり、仰け反ったり、丸まったり、喉の辺りを掻き毟ったり、頭を振り乱したりして、激しいダンスをしている人が居ました。
隣のお布団で寝ている、この世で比べるものがないほどすぐれていた□□様の上を、どたばた転げ回って、体ごとぶつかって、まるで殴ったり蹴ったりしているようでした。
お兄ちゃんのお通夜で見た時は、明るいセレモニーホールの、広い廊下の、奥の方で、ちょっと見掛けただけだったので、ダンスをしていると思いましたが、それは違ったようでした。
真っ赤になった、青黒くなった、緑っぽい紫色になった、ぱんぱんに膨らんだ、凄い量の汗に濡れた顔が、強張って、真剣な表情を浮かべて、目がきらきらして、泣いていて、赤い涎と泡を垂らしていて、内緒で懲らしめられた、色んな人達が一つになって、今も苦しんでいるようでした。
自分が寝ているお布団の上で、こんなに滅茶苦茶をされているのに、隣のお布団に寝ていらっしゃる、天下無双の□□様は、全然うごきませんでした。
この世で比べるものがないほどすぐれていたけれど、もう、この世のものじゃないから、昔、内緒で懲らしめた、この、ダンスをしている人に、何も出来ないんだと思いました。
どたばた、怖くて、気持ちが悪くて、声を出せず、目も閉じられなくて、ダンスをする体の残像を、目の隅っこで見詰めていたら、突然、指の先っぽが、ばちんと開いたままの目に当たりました。
それが凄くすごく痛くて、漸く大声で叫んで、跳び起きて、痛い目を擦って扉に行きました。
どれほど泣いて騒いだか、覚えていません。
びゅうびゅう吹く風の音と、どたばたダンスをする音に、消されてしまわないように、「ダンスをしている人が居る」「もう見付かって付いて来てる」と、ぎゃあぎゃあ泣き叫び続けて、両手足を振り回して扉を叩き、疲れて、床の上に転がって、のたうち回って、びくびく跳ねて、仰け反ったり、丸まったり、頭を振り乱したりして、
良くもこれ程の苦しみを、素知らぬ振りを決め込んで、一体なんの謂れがあって、己このまま済ますものかと、
風が止み、太陽が昇って、「頑張ったね」「もう大丈夫」と開けてもらった扉から勢いよく躍り出た後は、やっと解き放たれた喜びに、笑いが止まらなくなって、見える半分が真っ赤になっても、悪い気はしませんでした。
その時に、ご縁が出来て、お父さんが言っていた通り、ダンスをしている人が見えたから、目を掛けてくれて、助けてもらえて、今は、家族勢揃いで、本家のお屋敷に住んでいます。
ダンスをしている人の所為で、天下無双の□□様の、再来と言われていますが、本当は、お布団に寝ているだけの、ちっとも動かない人よりは、この世の中だけじゃなくて、この世じゃない所でだって、ずっと、すぐれていると思います。
終.




