第3章:隠された魔導書と祖母の遺言
別邸の書庫は、広さこそ本邸に及ばないものの、保管されている文献の質は群を抜いていた。古代語で綴られた魔導理論、禁術に関する研究書、そして一般には存在すら知られていない“魔力の源”に関する記録。エレノアは貪るようにそれらを読み続けた。
(なぜ、こんなにも多くの知識が封印されていたの……?)
ある晩、ひときわ古びた一冊の本が、ふと目に留まった。黒革で綴じられた分厚い魔導書。表紙には、かすれて読みにくいが、確かに“グランツ家の者以外、開封を禁ず”と古代語で記されていた。
「これ……鍵が必要なの?」
手をかざすと、魔導書は微かに輝いた。瞬間、部屋の空気が変わる。まるで誰かの気配が背後に現れたかのように――。
「ようやく会えたね、エレノア。待っていたわ」
驚きに振り返ると、そこにいたのは、亡き祖母――レナータ・グランツの幻影だった。
「お祖母様……?」
「これは幻よ。けれど、少しの間だけ、あなたに伝えなければならないことがある」
エレノアは声も出せず、その幻を見つめた。祖母の姿は生前と同じで、気品と威厳、そして深い優しさを湛えていた。
「あなたがこの魔導書を見つける日が来ると、私は信じていた。そして願っていた。私が果たせなかった使命を、あなたが受け継いでくれることを」
「使命……ですか?」
「そう。グランツ家は“創造の系譜”を受け継ぐ一族。だがそれは、王家にとって脅威だった。だから、私たちは表舞台から遠ざけられたのよ。けれど、あなたの中にはそれを超える“創造核”が目覚めている」
エレノアの胸に、熱いものが込み上げた。
(私はただの悪役令嬢なんかじゃない……)
「私は、何をすれば?」
「まずは“再構成の魔法”を習得しなさい。この世界の魔法体系は、既に腐りきっている。だが、あなたにはそれを書き換える力がある。これは復讐ではなく、再構築。新たな秩序の始まりよ」
幻影は微笑みながら、そっと手を伸ばす。触れることはできないはずなのに、なぜかぬくもりが伝わった。
「……どうか、誇りを持って生きなさい。愛しい私の孫よ」
その言葉を最後に、幻影は静かに消えた。空気は元に戻り、魔導書は自然と開いた。
* * *
その日から、エレノアは“再構成魔法”の修得に没頭した。これは既存の魔法の構造を解析し、自在に組み替える技術。簡単に言えば、“魔法を作り直す力”だった。
だが当然、それは途方もない労力と知識を要した。
「この詠唱式では、出力が不安定……なら、魔力の流路をこう修正して……」
彼女は何度も実験を繰り返した。時には爆発音と共に部屋が焦げ、時には力尽きて床に倒れ込むこともあった。
そんなある日の夕刻。研究に付き添っていたリディアが、湯を持ってきた。
「エレノア様、無理をなさらないでください。お身体が……」
「平気よ。……それより、見てリディア。今度はうまくいったの」
彼女が指を動かすと、空間に幾何学的な魔法陣が現れ、そこから花弁のような光がふわりと舞い落ちた。
「……綺麗……これが“再構成”の魔法……?」
「ええ。これはまだ試作段階だけど、既存の光魔法を自然干渉型に変換したの。魔法を“自然の言葉”で語り直したのよ」
エレノアの瞳は興奮に輝いていた。知識が血肉となり、自らの力に変わっていく感覚。それはかつて味わったことのない“創造する悦び”だった。
(これが、私の本当の力……)
* * *
日が落ち、部屋の灯りが一つまた一つと灯されていく。エレノアは窓辺に立ち、遠く王都の方向を見つめていた。
「お祖母様、私はきっと……この世界を変えてみせます。貴方の意思を継いで」
心の底から、そう誓った。
この瞬間、エレノア・グランツは“過去の悪役令嬢”を完全に脱ぎ捨て、新たな存在へと歩み始めたのだった。