第2章:すべてを失い、始まりを得る
断罪から一夜明け、エレノア・グランツの名はすでに王都中に広まっていた。かつては誰もが称賛し、恐れすら抱いた公爵令嬢。だが今は、好奇の視線と嘲笑の的だ。
学院の寮からの退去も、当然のように命じられた。彼女の私物は粗雑にまとめられ、馬車の荷台に積まれていた。
「……ひどいものね。まるで罪人扱い」
エレノアは一つ一つ荷物を見やりながら、皮肉な笑みを浮かべた。
「あの者たちは、今のうちだけですよ。いずれ後悔させてやりましょう」
そう言ったのは、傍らに控えるリディアだ。彼女だけは、エレノアに最後まで付き従った忠義の者。だが、それを当然とは思わず、エレノアは静かに彼女に目を向ける。
「リディア。あなたは自由よ。私に仕えていたことが仇になるかもしれないのだから、今なら離れてもいいわ」
「……ご冗談を。私の誇りは、エレノア様に仕えることです」
真っ直ぐに向けられるその言葉に、エレノアは小さく目を伏せた。胸の奥に、温かくも苦い感情が広がる。
(私は、何もかも失った。でも、それでも私を信じてくれる人がいる)
その事実が、どれほど彼女を救っているか、エレノア自身にもまだ理解できていなかった。
* * *
彼女が向かった先は、首都から離れた辺境の地にあるグランツ公爵家の別邸だった。表向きは「療養のための隠棲」。だが実際は、都からの事実上の追放である。
「懐かしいわね……ここに来るのは十年ぶりかしら」
別邸は小高い丘に建っており、周囲を囲む深い森と、遠くに見える山脈が静けさを漂わせていた。古びてはいるが、重厚で威厳ある造りは、グランツ家の誇りを今なお伝えていた。
彼女の心は、目に映る景色とは対照的に激しく燃えていた。
(前世の知識と、この身に宿る魔力……。私は、それを武器に世界を変えてみせる)
エレノアは書庫へと足を運ぶ。扉を開けると、そこには彼女の祖母――前代当主であり、伝説の宮廷魔導士として知られた女性の遺品が残されていた。
「ようやく、来たのね」
書架の奥から、不意に声が響いた。姿を現したのは一人の老婆。古びた黒衣を纏い、目元には深い皺が刻まれている。
「……あなたは?」
「私はグランツ家に仕えてきた魔導の記録係、《記録守》エフィだよ。エレノア様がこの地に来る日を、ずっと待っていた」
老婆の目は不思議と澄んでいた。懐かしさすら覚えるその眼差しに、エレノアは問い返した。
「なぜ私を?」
「あなたの中にある“特別な力”――それを見抜いた者がいたからさ。そしてその力は、今この国にとって最も必要なものになるだろう」
エレノアは無言で頷いた。前世の記憶が甦った今、自分の魔力の本質も理解しつつあった。彼女の魔力は“系統に属さない力”、いわば魔法の根源に最も近い存在。
それはかつて祖母が封印した、禁忌とされる“創造魔法”の片鱗だった。
「私に何ができるか、教えてもらえるかしら?」
「すべてはこの書庫の中にある。だが、読むには覚悟がいる。真実は、時に人を壊すものだ」
「構わない。もう壊れているから」
静かなその答えに、エフィは小さく目を細めた。
* * *
夜。ろうそくの灯りが揺れる中、エレノアは古文書に目を通していた。そこには魔法の根本理論、国家により隠蔽された魔力格差の構造、そしてグランツ家が追放された本当の理由が綴られていた。
「この国の支配層は、魔力格差を“血統”という名で正当化している。でも、本当は……意図的に平民から魔力の目覚めを奪っていたのね」
ページをめくるたび、彼女の中に確信が生まれていく。
(私は、私の力で、彼らに“真実”を見せてやる)
その夜、彼女は一睡もせず、知識を貪り続けた。学ぶこと、知ることこそが、何よりの武器になると理解していたからだ。
心の奥底で、微かな光が灯る。
(これは復讐ではない。革命だ。私が世界を変える)
そして、彼女は自らの誓いを込めて、祖母の古い杖を手に取った。
「ここから始めましょう。私の新しい物語を」
その声は、誰にも届かなくても、確かに世界へと響き始めていた。