第1章:断罪の日、前世の記憶が蘇る
「エレノア・グランツ。お前との婚約を、ここに破棄する!」
その宣言が響いた瞬間、王立学院の大広間は凍りついたような静寂に包まれた。
空気は重く、貴族子弟たちの視線が一斉に彼女へと突き刺さる。壇上で宣言したのは、この国の第一王子、アレクシス・ラグランジェ。彼の隣には、つつましくも可憐な少女が立っていた。平民出身でありながら王子に見初められたという、最近話題の令嬢、ミリア・ノーブル。
エレノアは美しくも冷ややかな微笑みを浮かべていた。けれど、その心は静かに、そして激しく揺れていた。
(ああ、またこの場面……)
胸の奥に、ひどく懐かしい痛みが走る。断罪。罵倒。失墜。そして孤独。忘れていたはずの記憶が、断罪の言葉と共に鮮明に蘇る。
――前世の記憶。
かつて現代日本に生きていた一人の女。エレノアの前世、「斎藤美咲」は、人気乙女ゲーム『花と剣のロンド』をこよなく愛したプレイヤーだった。そして、今目の前で展開されている光景は、まさにそのゲームの“悪役令嬢断罪イベント”そのものだった。
(これ……ゲームのシナリオ通りじゃない……)
自分が転生した世界が、愛したゲームの世界であると気づいた時、エレノアの心には一つの感情が芽生えた。
「なるほど。……そういうことだったのね」
彼女の静かな呟きは、誰にも届かなかった。
* * *
「エレノア・グランツ、貴女はミリア嬢に対して嫉妬から陰湿ないじめを繰り返し、王家の名誉を傷つけた。よって本日をもって婚約は解消され、以後王宮への出入りも禁ずる」
断罪の声に続いて、貴族たちのざわめきが広がっていく。これまで彼女に従っていた取り巻きたちは目を逸らし、沈黙を守った。誰もが、落ちぶれた令嬢に関わることを恐れていた。
だが、エレノアは一歩も引かなかった。
「王太子殿下。私は、貴方の決定に従います。しかし、一つだけお伺いしたいことがございます」
その声は落ち着いていたが、確かな威厳を持っていた。会場の空気が再び凍る。
「……何だ?」
「私がミリア嬢を虐げたという、その“証拠”はお持ちですか?」
王子は言葉に詰まった。目の前のエレノアが、ゲームに登場した高慢で傲慢な令嬢とはまるで違っていたからだ。気品と理性を併せ持ち、何より恐ろしく“自信”に満ちている。
「証拠など、被害者の証言で十分だ!」
「それでは、私は一方的な証言のみで有罪とされたということになりますね。……いえ、構いません。今はこの茶番に付き合う気分ではありませんので」
静かに一礼し、エレノアは壇上から降りた。誰もが動けず、ただその背中を見送った。
* * *
寮へ戻る途中、エレノアは一人の人物に呼び止められた。
「……エレノア様」
現れたのは、彼女の専属メイドであり、幼少期から共に育ったリディアだった。
「どうして……何も言い返さなかったのです? 本当はあんなの嘘だって、みんな気づいているのに!」
リディアの声は震えていた。涙を滲ませ、主の名誉が奪われたことに怒りを感じているのが分かる。
エレノアは小さく笑った。
「いいのよ。私は“罪人”になる必要があるの。これから先の未来のためにね」
リディアは困惑した表情を浮かべたが、それ以上何も言えなかった。
(この世界の“本当の敵”は、あんな薄っぺらな王子や令嬢ではない……)
エレノアは、前世の記憶と共に、この世界がどれほど歪んでいるかを知っていた。貴族の横暴。魔法制度の不公平。平民への差別。
そして、それを正す力が、自分の中にあることも。
(私はもう“悪役令嬢”ではない。世界を変える革命の中心になる。それが、この命を得た意味――)
夜空の下、エレノアの瞳は凛と輝いていた。
「始めましょう、私の“ざまぁ”を」
そう呟いた声は、風に溶けて消えていった。