1章-4話:セレンとネルア
「……ん。ネルア、何か見つけたの?」
それはアーロンたちの拠点から5万km離れた先。広大な闇を突き進む二機の索敵機———いや、可変機。そのコクピットだ。
二機は同型のようだが、片方は水色で片方はエメラルドグリーンのような鮮やかな緑色でカラーリングされている。
そしてそこから聞こえるのは二人の人間の話し声である。
「えぇ、前を見なよー。ほらほらっ!あそこあそこーっ!」
「……どれ?何も見えないんだけど。言葉じゃなくてデータを送ってよ」
聞こえてくるのはどちらも女性の———それも子供と思わしき幼い声。一方が弾んだ声ではしゃぐのと対照的にもう片方は淡々と低く静かな声をしている。一見油と水のようだが、噛み合わない主張に苛立ちを見せる様子はない。互いのアイデンティティを理解しているのだろう。
そして、"ネルア" と呼ばれた少女が緑色の機体の中で笑い声を上げた。
「あははっ!それは無理。感覚だからデータはなーい」
「……ここは戦場、余計な情報で気を揉ませないで」
「えぇ、じゃあセレンは何も感じないのー?この先からさぁ」
通信越しに溢れる甲高い声がコクピット内でガンガンと響く。反応を返すように "セレン" と呼ばれた少女は呆れた様子でため息をついた。
声のトーンからもわかる通り彼女の目線は冷たく、表情も常日頃から硬いようであまり大きな変化は感じられない。そんな性格を表すかのように彼女の機体は水色のカラーリングである。
「別に何も。長距離レーダーも反応ないし数万kmは離れてるでしょ?真空を通して何を感じられるのやら」
しかし、馬鹿にしたような言動の割に目は怒っていない。口元はむしろ若干和らいだようにも見える。
嫌味を言われたネルアの方も「えぇー」と軽いノリ。普段からこのような関係なのだろう。
「はぁ……。じゃあデータはいいから。ネルアは一体何を感じたの?」
「んー……。強敵の予感かなぁ」
二機は一列に並んで直進を続けており、ネルアはその進行先から目線を逸らさない。彼女の身開かれた目はまるで新しいオモチャを前にした子供のようである。
「進行方向からさー、なーんか妙な気配がするんだよね。すっごい強い気配が……これは二つあるのかな?」
ネルアは探るような口調で言葉を続けるが、それをセレンに尋ねられたところで分かるはずもないだろう。
「強い気配?……ふーん」
しかし、その言葉を受け取ったセレンもまたどこか含みのある反応を返している。この二人が何を考えているのか、側からは全く分からない。
しかし一つ推測するならば、ネルアは楽しそうでセレンは———どこか怒っているように見える。
データを送れないだの、感覚だの、散々電波を受け取っても冷静だったと言うのに、何かの地雷を踏んだ様子だ。
「あー、でも片方は能力が高いだけかな。人間としてのポテンシャルが高いのは……」
「……」
ネルアの弾む声に対してセレンは無言。
———彼女の動作には、何の前触れもなかった。
「あっちの人は良い勘をしてる。この距離から私たちのポテンシャルを———」
ネルアの声を遮ったのは、突然セレン機から発せられた閃光だった。機体の後部から伸びる2本のビーム光線が彼女目掛けて直進していたのである。
———この状況を解説するには、彼女たちの武装について説明する必要がある。
彼女たちが搭乗している可変機は現在戦闘機形態である。形状は一般的なジェット戦闘機を想定して貰えば良い。
戦闘機を思い浮かべれば、その後部には尾翼やエンジンがついていることが分かるだろう。そして現在セレン機が使用した武装は、このエンジン部分の近くに設置されている2門のビーム機銃なのだ。
このエンジン部分は人型形態の時には脚部に該当するブロックであり、それが折り畳まれる形で戦闘機のエンジンへと変形している。つまり、人型形態時には脚部の側面にそれぞれ1門の機銃が搭載されていると言うことである。
この武装の存在さえ把握していれば現在の状況は理解可能だろう。
———セレンが味方であるネルアに攻撃を行った最大の不可解ポイントはこれから明らかになる。
「おっとっと———」
先ほどは『閃光がネルアのお喋りを遮った』と記載したが、閃光が見えてようやく攻撃に気がつくようならばこの至近距離での回避は間に合わない。彼女はセレン機の機銃が照準を自分に向けたことにとっくに気がついており、射撃のタイミングを見計らって回避行動を取ったのである。
それも、機体を縦に90度回転させるだけの最小の動きによって加速度を殺さずに避けてみせた。少しでも回転角を間違えればビームに突っ込むことになると言うのに全く物怖じしていない。
そんな彼女のコクピットにセレンの声が響き渡った。
「良かった。あなたの感覚が鈍っていないようで」
仲間に対して攻撃を行ったと言うのにその口調は全く乱れていない。いつの間にか怒りも冷めた様子である。
金色のビームが機体の側面を通り抜けていく光景を眺めながら、ネルアもまた笑って言葉を返した。
「側面避けじゃなくて全力回避してたらどうした?」
「2日は口聞かない」
「あはっ、厳しいー!」
……味方を攻撃するなんて軍法会議ものだし、明らかな離反行為としてその場で撃墜されてもおかしくない。
片や命を奪う寸前で、片や命を落とす寸前だったと言うのに。それを子供のじゃ合いのように語る彼女たちの神経は一般人から乖離していると言えるだろう。
「強化人間である私たちにとって、強敵とは同じ強化人間以外に存在し得ない。そうじゃないの?」
「えー!大人は子供より強くて、男は女よりも強い。そう言う物差しで使っただけだったのにぃ」
彼女たちはズルズルと痴話喧嘩を続ける。ネルアは言葉面こそ癇癪を起こしている様相だが、その声音は笑いを含んでいる。
しかしその目だけが笑っておらず、進行先を見据え続けていた。
「あの気配、どこかで感じたことがあるんだけどなぁ……」
彼女は独り言を零し、それを遮るようにレーダーに反応が現れるのだった。
「前方2万km、索敵限界距離に小惑星基地と思われる岩影を発見」
セレンが真っ先に情報を共有して母艦にも情報を送る。その情報はレーダーによってネルアも確認しており、セレンに対して喧嘩を吹っかけに行く。
「ほらぁっ、やっぱり進行方向にあったじゃん!謝りなよセレンー!」
「はいはい。この距離なら小惑星基地の索敵圏内だろうから、真面目に作戦行動に移るよ」
彼女の挑発を受け流してセレンは今後の作戦を母艦に仰ぐ。
『こちら07セレン、次の指示を仰ぎます』
『こちらオペレーター、先程の情報を受け取りました。特別隊長に通話を変わります』
しばらくして若い男の声が流れてきた。
『こちらムトエル・オーバン。先の情報は小惑星基地で間違いないとの解析結果が出た。おそらく例のマスドライバーの輸送先だろう』
『でしょうね。それよりもさっさと次の指示を出してください』
オペレーターに対しては真摯に対応していたセレンが、ムトエルと言う人物に変わった途端に口調を崩している。
通話先の男は若干の笑いを交えつつもすぐに返答を返した。
『失敬。君たちはそのまま直進して小惑星基地に攻撃を仕掛けて欲しい』
『それは2機で小惑星基地を落とせと言うことですか?』
『ああ。一帯の過去ログを探ったところ、1年前にその基地は存在していなかった。この短期間で君たちに対抗できるだけの武装を整えられるとは思えない』
『……分かりました』
少し不服そうだが、まあ了承しない程でもないと言った様子である。
『新兵器の開発が行われているとすれば中にプロトタイプが存在する可能性もありますが、それらは攻略の際に破壊しても構いませんか?』
『いや、出来る限り確保したい。また、重要な情報が保管されている可能性も加味して小惑星基地への直接の攻撃も控えてほしい。ホルス国に作り直しの猶予を与えるつもりはないが、得られる情報は我々の役に立つはずだ』
『分かりました。……壊さないように 言っておきます』
『……ありがとう。では、君たちの幸運を祈る』
そこで彼らの通信は終わった。その瞬間、それを予想したのかネルアがセレンに話しかけてきた。
「大尉はなんて?2機で蹴散らして来いって?」
その通り。まあ、それくらいは予想可能なのだろう。
「うん。あと、基地を直接攻撃するのは控えろって」
「ふぅん。防衛戦を押し付けられないのはまぁまぁ面倒臭いなぁ」
相手が守りたい物を盾にとって戦えれば戦闘は楽になる。こっちは好き放題攻撃できて相手に制約を押し付けられるのだから当然だ。
しかし、それを攻撃できないとなると両者の間にはアドバンテージが存在しない。寧ろ地の利を活かせる相手の方が有利である。
「それで作戦はどうする?あんな基地程度考えるまでもないかも知れないけど」
「あはっ!確かに雑魚敵ばっかだろうけど油断する必要もないよ」
セレンは冷静だ。背筋を伸ばし、腰を据えて目の前に注意を向けている。
対するネルアは弾んでいる声の中に棘のような警戒心が滲み出ている。彼女は身を乗り出し、目を見開いて行き先を凝視する。
まだ基地側に動きはない。
何も始まっていないのに、何かを感じ取っている。
「まあ、出てこないことには始まらないか。もう1万kmを切るのにまさか気がついていないなんてことは———」
———その瞬間だった。
「来る」
ネルアの発声を皮切りに、二人の雰囲気が変わった。