1章-3話:最悪な事態
宇宙服を着た中年の男性が一人、彼らの間に割り込んできた。
「どうしたのさ、血相を変えて。最終シークエンスとやらで問題発生?」
「それが……」
肩をすくめる青年に対して男は口に手を添えて耳打ちをする。
「———なにっ」
———するとその瞬間、冗談めかして明るく振る舞っていた彼の態度が一変した。
「なんでそれをさっさと言わないの!悪い、ちょっと大事な用事が出来たから!」
妹たちにこそ明るく話しかける。しかし次の瞬間にはくるっとターンし、床を蹴って通路へと飛び出した。
その表情は暗く、宇宙服の男も慌ててそれを追う。
「緊急事態!RAの出動準備は!?」
「い、急がせています。しかし夜勤作業で眠っている者も多く……」
「サイレンとか鳴らせないわけ!?睡眠が取れても永眠しちゃワケないでしょ!」
無重力では体は直線的に動き、落ちることがない。青年は空中で体を丸めると器用に通路の壁に着地し———宇宙服の男は無様にも背中から激突して、双方壁に設置されているスロープをつかんだ。
移動しているスロープに従い、体が通路に沿って自然と動き出す。そして青年が壁に取り付けられているボタンを4連続タッチすると、その速度がぐんと上がった。
『スロープ速度が最大に設定されました。"研究所"までスロープが直通します。通路を利用されている方は衝突を回避するために拠点マップをご覧下さい』
備え付けられたスピーカーから無機質なアナウンスが流れ出し、その音声が掠れる程の猛スピードで青年と男は通路を飛び抜ける。
やがて『研究所』と名札の掛けられた金属扉が見えると、どうやらそこが終着地点なのだろう。スロープは減速を始めた。
「博士!飛び込むからドアを開けてくれ!」
しかし、せっかく安全を考慮して減速してくれていると言うのに青年はそれを良しとしなかった。
彼は手持ちのタブレット端末に向かって叫ぶと、向こうの返事を待たずにスロープから手を離して扉へと直進する。
激突する寸前に扉は内側へと開き、彼は吸い込まれるようにその中へと飛び込んだのだった。
———研究所。入口の簡素な鉄製扉とは裏腹に、その中に広がるのは広大な空間である。
白いフローリングはまさに研究所と呼ぶのに相応しい様相で、壁には様々な資料がファイリングされている。
部屋の中央には複数の巨大モニターが設置され、そこに映し出されているのは設計図のようなワイヤーフレームや何かの数値の羅列である。
そしてそれらを押し退けて真っ先に目に入るのが、床をくり抜いて直立する巨大な円柱のショーケースだろう。
それは、地球上では水族館にしか存在しないであろう巨大なショーケースだ。そして勿論、その内部にいるのは魚ではない。
そこにいるのは、一体の巨大なロボット———もといロボティック・アーマーなのである。
直径10mはあるショーケースですらその全身を収めることはできず、唯一その顔だけが収まって研究所の床から飛び出す格好になっている。近寄って下を覗けば、その全身とそれを収めている広大な空間が目に入るだろう。
その広い背中には、推進力と姿勢制御を可能にするための大量のスラスターが搭載されている。ずんぐりとした巨大な胸の中央には出っ張りがあり、それは上下に開閉するコクピットだ。その左右には巨大な肩がついており、その下にはこれまた巨大な腕が生えている。
顔と言い体と言い、大体は人間の身体を模している。唯一違う点と言えば、腰から下方向に掛けてスカートのような円錐のヒダが生えていることと、足が存在しないことくらいだろうか。
全身灰色のその機体は思わず『プロトタイプ』と呼びたくなる様相を呈しているが、それこそが戦況の過酷さと研究所の置かれている状況を示している。カラーリングに掛ける資金も人材も時間もここには存在しないのだ。
だが、塗装を除けば未完成のポイントは見当たらない。骨組みが剥き出しになっているような箇所は存在せず、小手やスカートに備え付けられた6門の2連装ビーム砲など、外付けの武装も満載されている。
その機体が機能を発揮するために必要な装備は全て完成している様子であった。
唯一気になる点を挙げるとすれば、それはロボットの胸から管が伸びていることだろうか。それはショーケースの前に置かれたコンピューターに繋がっており、コンピューターの画面には棒状のグラフと共にパーセンテージが表示されている。どうやら何かのデータをそのRAへと転送しているようである。
———この部屋で気になる所はそれくらいだ。研究室の描写を終え、飛び込んできた青年に視点を戻そう。
彼は空中で器用に体を回転させると、足裏で床に着地。キーッとブレーキを掛けて停止する。
「おーっと危ない……」
静止し、ホッと胸を撫で下ろした刹那。彼を怒鳴り声が見舞った。
「アーロンっ!全く、お前は乱暴がすぎる……!」
声の方向を見遣れば、コンピューターの前にはしかめっ面をした老人が一人立っている。白衣を見に纏い丸眼鏡を掛けた小柄な姿は、『博士』と呼ぶのに相応しい様相だと言えるだろう。
「ったく、そんな小言を言っている場合じゃないだろう?」
彼———"アーロン"と呼ばれた青年が肩をすくめると、老人は軽くため息をつく。呆れた様子を隠す気はないが、アーロンの言葉にも一理あるとは思っているらしい。
博士は黙って視線をズラすと、部屋の中央に置かれているモニターの一つに目をやった。そこに表示されているのは索敵範囲が円で示される標準的なレーダースコープである。
レーダースコープに異常は見られない。大半は安全を示す黒色領域で、点々と存在する障害物の殆ども岩石だと判別されている。
しかし———レーダースコープの本当に端っこ。そこに点が二つある。
それは赤くターゲッティングされており『高速移動物体』の文字が付随されていた。
———つまるところ、敵影の可能性ありと言うことだ。アーロンが血相を変えて飛んできた理由がこれである。
「……」
味方機の可能性は?と疑問に思われるかも知れないが、捕捉される危険性のある索敵機を事前連絡なしで秘密基地目掛けて飛ばす訳が無い。単独の逃亡兵でもない限り確実に敵戦力である。
実際にレーダーを確認したことでアーロンの表情が一気に引き締まる。部屋に飛び込んだことに対する押し問答は終わり、老人も低い声で詳細を話し始めた。
「敵影は二つ。距離は5万km。レーダーの索敵限界域だ」
5万km。地球一周が4万kmのため、それよりも少し長い程度である。
赤い点はゆっくりと、しかし確実に動いている。そして、レーダースコープが更新される度にその点は段々と中心に近づいているのが分かった。それを見てアーロンは眉間に皺を寄せる。
「なんで、よりにもよってこのタイミングで……!」
「いつかは訪れる未来だった。それが今だったことに感謝しよう」
博士は目を伏せて仕方ないと言った表情を浮かべるが、アーロンは納得しない。モニターを睨みつけたまま言葉を続けた。
「敵機の速度は?形状測定もまだ終わらないのか」
「そう焦るな。推定速度は秒速10km、形状も今に出る」
秒速10km。つまり、それは一秒間に10km進むと言うこと。大気の存在する地球基準では信じられないほどの速度だが、真空で減衰のない宇宙空間においてはそれほど驚くことでもない。
そして秒速10kmが標準的な速度であるように、距離間5万kmも宇宙では十分なアドバンテージにならないのである。
「5000秒、1時間39分か……」
彼の呟きは小さいものだったが、それは部屋全体の緊張感を高める。
1時間39分。一見すればそこまで短いとも思えないかもしれないが、それは敵機の襲来に備えるまでの時間としてはあまりにも短い。
博士が手持ちの端末に指を走らせるとモニターに敵機到着までのカウントダウンが表示される。日常ではほとんど見ることのない”5000”という膨大なカウントダウン。それはゆっくりと、しかし確実な恐怖の訪れを表し、その場の人間の焦燥感を駆り立てる。
「うむ……。ほお、形状も出たな。どちらも同じ機体で、おそらく戦闘機タイプだ」
「偵察機だろうよ。近くに母艦も待機している可能性が高い」
彼はモニターに表示された敵機の外見を眺める。逆三角形のシルエット。地球でも良く見るジェット戦闘機の形状だ。
……そしてなぜだろうか。その大きさを示す数値に目線を向けると、彼は不審な点を見つけたように眉を顰めるのだった。
「この"全長15m"ってのは何かの間違いじゃないのか?こんなにデカいなんて見つけてくれって言っているようなものじゃないか」
「まだ初期情報だ。しかし、多少ズレはあっても君の不審を取り払うほどの誤差は出るまい」
「ふぅん」
何か思うところはあるようだが、不確定な情報から生じた疑問を吐き出すつもりはないらしい。
黙り込む彼に対して、先ほど敵機襲来の報告を知らせに来た宇宙服の男がオドオドと声を掛ける。
「そ、その。こちらからもアーマー隊を発進しますか?動ける者総出で発進の用意を進めていますが……」
「いや、まだ距離が開いている。この距離じゃあ索敵機程度のレーダーではこちらを発見出来ないはずだ。あくまで運悪く進行方向にここがあるだけだ」
彼らの拠点は、小惑星を改造した基地の表面に複数の大型レーダーを設置することで『超長距離』の索敵を可能にしている。
対して索敵機。特に戦闘も可能な大型索敵機の場合は、敵機やビーム等の熱源測定にレーダーを割り振って索敵距離は『長距離』に留めていることが多い。
そのため、現状相手の存在に気がついているのはこちらだけ。相手としてはただ真っ直ぐ進んでいるだけであり、その先に偶然この基地があると言うことである。
「引き返す可能性もある。こちらから存在を知らせてやる義理はないだろう」
そんな状態で敵を迎え撃つのは自分から相手に存在を知らせるようなものだ。例え発信隊による攻撃で索敵機を全て撃墜したところで近くには母艦がいるはず。発進隊が見つかった瞬間に100%母艦に報告が行くだろう。そうなれば足の遅い小惑星基地で艦艇から逃げ切れる訳が無い。
しかし、鈍足な小惑星基地を無理に動かして索敵機のルートから外れようとすれば減速が間に合わず人為的な移動があるとバレてしまうだろう。
かと言って索敵機の間合いに入ってしまえばそれこそ相手のレーダーに引っ掛かって絶対にバレてしまう。
「こっちから迎え撃つのはダメ。かと言って逃げることも不可能。待っていても確実にバレる……。じゃあ、どうすればいいんですか……!」
宇宙服の男は狼狽する。
この状況はまさに八方塞がり。何かの拍子に索敵機が引き返してくれるような、そんな奇跡を祈るしかないのだ。
「……博士、"そいつ"が発進できるのはいつになる」
しかし、発せられたアーロンの声には覇気があった。モニターから逸らされた視線が向いた先は、研究所で最も存在感を放つあのショーケース。その中にいるロボティック・アーマーである。
それに対していち早く反応したのは宇宙服の男だった。
「ま、まさか"オシリス"で出るつもりですか!?試し運転もせずに実戦なんて流石のあなたでも……!」
「戦うつもりはない。ただ、こいつだけに限るなら本国まで送り届けることは可能だろう?緊急避難用の輸送船かマスドライバー、若しくは単騎で離脱でもいい。手はいくらでもある」
———既にお分かりだとは思うが、ショーケースに入っているこのRAこそ小惑星基地ラーで開発されている最新型RAである。
ホルス国の最新型RA、『オシリス』
戦局を一機で覆すことを目的として開発された怪物。それが今、まさに完成しつつあるのである。
この小惑星基地はオシリスを完成させるためだけに存在していた。ならば、基地自身を捨て石にしてでもこれだけを守り切れば目的は果たされると言うことである。
アーロンは期待を込めた眼差しを博士に向けるが、それに対する悪い返事を想起させるように彼は目を逸らした。
「……だめだ。データの転送、構築に最低でも 2時間 掛かる。それまでこいつを動かす事はできない」
「うっ、そんなに……」
2時間。それはまさしく絶望的とも言える宣告だった。
なにしろ敵機がここに辿り着くまでに残り1時間40分だ。脱出の準備や作業の時間として40分は欲しかったため、アーロンとしてはどれだけ待てても1時間が限度だった。
しかしこれが現実。一切の猶予は与えられず、寧ろ間に合いすらしない。彼は思わず博士に聞き返してしまう。
「……本当に2時間かかるわけ?なんとか奴らの到着までに間に合わないの?」
「元から急いどるわっ。安全性を考慮してこれが限界!無茶してOSが滅茶苦茶になったらそれこそ本末転倒だろう」
聞くまでもなく分かっていた答え。つまり、敵機が襲来してデータ転送が終わるまでの20分の時間を最低でも稼ぐ必要があるのだ。
「……ああ、そうだな」
索敵機の足を止める手段など迎撃による実力行使しかない。到着前に逃げてしまうのが最善だったが、是非に及ばす。
———しかし、避けられない以上は全力を尽くす。
「……博士、防衛戦の指揮は俺に執らせてくれ」
「職業軍人はお前だけだ。異論はない」
アーロンの返答に応じると、博士は踵を返してコンピューターに注力した。一分一秒でも早くデータ転送を終わらせると言う意思表示だろう。
そして、敵機到着のカウントダウンの下にデータ転送完了までのカウントダウンも表示される。
それを確認すると、アーロンもまた意識を切り替えるのだった。
「索敵機の基本索敵距離とカタパルトの射出可能速度。戦闘行動に支障が出ない最低距離は……」
彼はレーダーを眺め、脳内では収まりきらない情報を呟きながら逡巡する。しかし、それは本当に一瞬のことだった。
1秒でも時間が惜しい状況下で、一瞬で全ての道筋を立てて見せる。
「———よし、全体指示をするから内部放送を頼む」
アーロンの指示に合わせて宇宙服の男がタブレットを操作する。準備完了を見計らって彼は言葉を発するのだった。
「対物レーダーが索敵機と思わしき敵影を確認!我々はこれより、”オシリス”の防衛任務を開始する!」
彼が叫び、宇宙服の男はその旨を要約して内部放送として流す。敵影の存在は報告されていたが、そこに具体的な戦闘指示まで飛んで来たことで基地内部の緊張感が一気に高まる。
何せこの基地に存在している人間はその殆どが研究者なのだ。それなのに防衛任務に参加しろと言うのは、"時間を稼げ"。もっと言えば———"盾になれ"と言われているのと同義である。
「7000kmが待機ラインだ!敵機がこれを超えてこちらに接近する場合は直ちに防衛隊を発進し、索敵機を迎撃する!ロボティック・アーマー発進準備!ビームコーティングを急げ!カタパルトの角度調整も忘れるな!そして——」
そこで、何かを迷うように一旦言葉を区切る。しかし今は逡巡する時間すらない。彼はすぐに言葉を続けた。
「——0番デッキ。俺の機体も発進準備をしておいてくれ」
「0番デッキ発進準備……え?」
それまでは指示をその通りに伝えていた宇宙服の男が、そこで思わず尋ね返す。
「あ、あなたが出るんですか!?じゃあオシリスは誰が動かすんですか!」
「あくまで保険だ。相手の実力は未知数だが、もしあんた達で時間稼ぎが出来ないようなら俺が出るしかないだろう」
アーロンの返答に対して男はブンブンと手を横に振り、笑顔を取り繕ってみせる。
「何の何の、相手はたったの2機です!それに対してこちらは18機!時間稼ぎどころか迎撃して見せますよ」
18対2。9倍の戦力で負ける訳がないだろうと言った様子だが、対照的にアーロンの表情は暗い。
「旧世代機とはいえ数が揃えばそれなりの力にはなる。そうだ、勝てるはずなんだ」
彼はレーダーに映し出された敵影を眺めながらぼそっとつぶやいた。
「……相手が、規格外でなければな」
「それはどう言う……」
宇宙服の男はアーロンの言葉の真意を問うが、それを遮るように彼は話題を変えるのだった。
「発進準備を進めている間にこっちは戦術会議だ。やるぞ!」
アーロンは周りに呼びかけつつ、手持ちのタブレットを起動させて一つのアプリケーションを開く。それは地球連合の戦闘兵器———特にロボティック・アーマーが大量に載っているデータベースのようだ。様々機体について、その武装や出力など機体の特徴が記載されている。
しかし、付随しているRAの画像はその多くがイラストで、機体によっては抜けている項目も見受けられる。恐らくは戦場で得られたデータを宇宙連合側がまとめたもので、地球側の製作した公的なデータではないのだろう。
彼は検索タブを開くと、一瞬だけ視線を上げて目の前のモニターに映っている敵機の外観を見据えた。
「……この機影は、見覚えがあるんだ」
そして、検索タブに『可変機』打ち込む。検索結果で表示された機体とモニターを見比べ、彼の目が鋭くなった。
「やはり、か」
そんな彼の元に手の空いている研究員が集まる。5000と表示されていたカウントダウンは気が付けば残り4800を指していた。
敵機襲来まで、あと1時間20分。
「敵機の予想はついた。これを見てくれ、おそらくは最新式の可変機だ。こいつとは一度だけ戦ったことがある。最大の特徴は———」
焦燥感に身を焦がす中で最悪の事態に向けた戦略会議が始まる。
一切のミスも予断も許されない戦闘準備。
『最新機のために盾になれ』と言う要求を呑み込まざるを得ない状況。
僅かな時間に釣り合わぬ命を賭ける選択。そして———
「あーあ、見つけちゃったぁ」
———その裏で、笑う影があった。