1章-2話:ラーの日常
アルファラと青年の二人は、並び立って小惑星基地の中を滑っていた。
そして『Cafeteria』のネームプレートが掲げられた部屋に入ろうとすると、中から現れた屈強な男性と鉢合わせる。
「おお、アーロンにアルファラか」
その男は顔色の悪さと目の下に出来たクマによってかなり不機嫌そうに見えるのだが、どうやらそれはただ寝不足なだけらしい。一度顔を合わせれば、彼は彼女たち対して笑みを浮かべた。
「おはよう」
そして朗らかに挨拶をするのだが、それを受けたアルファラはさっと兄の背中に隠れてしまった。
人見知りな妹を横目で眺めつつ、彼は目の前の男と相対する。
「お疲れ様。聞いたよ、徹夜だって?」
「ああ。博士がどうしても今日って言うもんでな」
青年から仕事の話を振られると、彼は呆れの混じった笑いを浮かべながら自らの事情について溢した。そして、遠くを眺めるように目線を上げてポリポリと頬を掻く。
「全く、ロボティック・アーマーはそんなに好きじゃないんだがな……」
「おいおい、あんたの腕がここで一番なんだ。最後まで頼むよ」
青年から信頼を告げられると、さらに目線を横に逸らして恥ずかしそうにはにかんだ。
「……お前のために心血を注いだ一品だ。必ず、ホルス国を勝利に導いてくれよ」
そして照れ隠しのように捨て台詞を吐くと、RAの整備で鍛えられたであろう太い腕を控えめに振ってその場を後にするのだった。
「……ああ。一機のRAで戦局を覆してみせるさ」
その背中に対して青年も決意を返し、一人は笑顔で、一人は自信と心配の入り混じって複雑な笑みで、彼らは別れるのだった。
——そして、男が部屋から出て行くのに合わせて青年を中心としたローテーションで部屋の中へと移動していたアルファラが、背後から彼の袖を掴んだ。
「ああ、分かっているよアルファラ」
彼女に引き寄せられるようにして、彼もまた『Cafeteria』の敷居を跨ぐ。その内装は名前の通り食事スペースである。
床にはテーブルが雑然と並べられており、部屋の前方には宇宙食が保管された巨大な冷蔵庫と、宇宙食を温めたり水で戻すための器具が設置されている。
そして、受付のスタッフや発券機等のお金を払う要素が見当たらない。ここは絶界の秘密基地で盗人が侵入する可能性はないため、各々が必要に応じて好きな食事を取る形式なのである。
……ただし、もちろん暴飲暴食はNGだ。部屋の4隅には監視カメラがついており、あまりにも悪食が目立つと指導されることだろう。
「アルファラ、飲み物はどうする?」
「あ、水にします」
そして、そのような会話をしながら彼らが手に取ったのはパック入りの水であった。
この部屋の壁にはパック入りの水が並べてあり、部屋の一角には喫茶店のミルク置き場のようなコーナーが設けられている。そこには様々な色をした粉末がポーションカップに詰められて設置されていた。
これはパックの水に味をつける粉末である。無重力空間ではペットボトル等から飲料を分け合う行為が難しいため、基本は水で各自で味付けをするのである。
青年はその中から『Green Tea』と書かれたポーションカップを手に取ると、それをパックの所定の位置にくっつける。すると粉末が水の中に染み出し、お茶が出来上がる。
「よし、朝食は———」
飲料を調達したため冷蔵庫へと向かおうとするが、その最中にふとアルファラが足を止めた。
青年も釣られて彼女の視線を追えば———そこでは先客がお喋りをしているのだった。
「ドロセア姉様、30分遅刻ですよ!」
「ふぁふぁっふぇふっへ!」
「あらあら、急かさなくてもいいじゃない」
ガラ空きな食堂の中で、一つのテーブルを三人の女性が埋めていた。
三人は双子のようにそっくりと言うわけではないが、顔のパーツや雰囲気が少しずつ似通っている。姉妹なのだろう。
「ナイアス姉様は先に行かなくていいんですか?」
「ええ。私にはドロセアが食べ終わるまで見守る役目があるの」
「サボっているだけじゃないですか……」
3人の内、主に喋っているのは2人だ。末っ子と思われる中学生ほどの少女が元気よく話を振り、長女と思われる女性がそれを聞き流す。
そして残った次女は急いで食事を口に詰め込み、水と共に流し込んでいた。
「おいおい。急いで飲み込んで気管に入れるなよ?」
無重力下では食べ物が自動的に落ちてこないため、誤嚥のリスクが重力下と比べて高い。
青年はそれを危惧するが、彼は目の前の女性たちの素性を知っている。彼女が根っからの無重力暮らしなことも知っているため、まあ大丈夫だろうと口出しはしなかった。
「んん……」
そんな彼女が、ふと不思議そうに首を傾げた。ストローを吸っているのにパックが凹んでいる様子がなく、恐らくは水が無くなったのだろう。
それを理解した彼女は手に持っていたパックを投げ捨てると、隣に置いてあった別のパックを口に咥えた。
「ああっ!特製のブレンドジュースが……」
……末っ子が悲嘆する横で、パックは勢いよく凹んで行く。しかし、そのお陰で食事を平らげることは出来たようだ。
「よしっ、ご馳走様」
……そして、手癖なのだろうか。
「姉様ぁっ!」
彼女が飲み掛けのパックを後方に投げ捨てると、末っ子は床を蹴ってそれを取りに向かうのだった。
「ナイアス姉、行こう!」
それに気がついていない彼女は職場へと直行しようとすると、今度は声を掛けられた長女がその腕を掴んだ。
「あらあら、そんなに急ぐこともないじゃない。ハードは終わっているし、最終フェーズなんて博士がソフトを頑張るだけじゃないの?」
……が、呼び止めたのは彼女の行いに対して説教をするためではない。『仕事に行きたくない!』と駄々を捏ねているのだ。
本当に急ぐ必要がないと思っているのならば、危険性の高い早食いをしている時に進言すれば良い話だ。ただただサボりたいのだろう。
「———ダメだよ」
そんな自堕落な誘いに対して、彼女は凛とした表情で言葉を返した。
「ここは技術こそ高いけど、人数がめっちゃ少なくて規格とダブルチェックが杜撰だからさ。致命的な噛み合いのミスが見つかって完成が数日後になる可能性なんてザラにあるんだよ」
———本質を突いた物言い。他人のジュースを強奪した人間のセリフとは思えない。
拾ったパックを吸いながら戻って来た末っ子は、上記のようなことを考えているようだが……。まあ悪気がないことは分かっているので水に流すことにした。
そして、次女の理性的な反論を聞いた長女は困ったように顎に手を当てた。
「うーん。でも、やっぱり肉体労働は体に響くのよね……」
「そう……。じゃあ、ナイアス姉は休んでいてよ!避難民の立場でここまで手伝ってくれただけ嬉しかったし、メンバーには私から伝えておくから」
次女の返事は本音を晒して来た長女を突き放すような言動にも取れるが、それは彼女なりの悪意のない本心だった。
「……ようやく自分に誇りが持てそうで、私は嬉しいんだ」
そう呟くと、彼女はどこか遠くを眺めるように目を細める。
「パパとママを殺した戦争兵器の開発なんて絶対にごめんだったし、こんな辺境に飛ばされた時はどうなるかと思っていたけれど。これがララやナイアス姉を助けて、巡り巡って私たちみたいな子供が増えるのを阻止してくれるんだから。……ようやく、生きて来た甲斐があったわ」
———自分の仕事に誇りを持っている。だからこそ働きたい。
それがネガティブな自己肯定感によって相対的に発生したものだったとしても、彼女は自分の役割に最後まで責任を持とうと考えていた。
しんみりとした自己語りが終わると、彼女は視点を目の前に戻す。そして、姉と妹の存在を確かめてうっとりと呟いた。
「それに、事の発端がアレとはいえこうやって姉妹全員で暮らせるなんてね。部屋に戻ればいつだって大好きな3人で笑い合えるなんて。毎日楽しくて、幸せよ」
「姉様……」
突然の告白を受け、末っ子は頬を赤らめてパックを机の上に置いた。
「ドロセア……」
そして長女は、とっくに大人になったはずの彼女のどこか幼さの残った表情を見て———
「……はぁ」
———根負けしたようにため息を吐くのだった。
「分かりました。私も一応は技術者ですからね。最後まで手伝いますよ」
「やった!ありがと、ナイアス姉!」
そうと決まれば話は早く、2人は腕を組んで食堂を飛び出して行くのだった。
「……いってらっしゃい」
1人取り残された末っ子は、ちょっぴり疎外感を覚えたようにぼんやりとその背中を追う。
しかし、やがて目線を部屋の中へと戻し———
「あ、アルファラさ———!?」
———その目がアルファラと並び立つ青年を捉えた瞬間だった。
「た、大佐!敬礼っ!」
彼女は勢いよく立ち上がり、凛とした発声と共にビシッと背筋を伸ばして敬礼する。
その勢いでイスが揺れ、ガタンと音を立てた。
彼女の動きは上官と対面した軍人の対応としては完璧なのだが……。
「えーっと……」
……それを受けた青年は困ったように頬を掻いている。そして彼女も、一瞬でしまったと言う表情に変わった。
自らの間違いを察してはいるのだが、仮にでも敬礼をしてしまったため自分の意思で辞めることが出来ない。それを察した青年はすぐに助け船を出した。
「ララ、ここでは軍人仕草はいらないって言ったろ?」
「す、すみません!癖が抜けておりませんでした!」
彼が砕けてくれたお陰で、彼女もまた敬礼の体勢を崩すのだった。
しかし、なおもガチガチな彼女に対して彼は笑いかける。
「まっ、ララの気持ちも分かるよ。軍隊は規律が厳しいからねぇ。俺も上官に『手が曲がっている!』とかどやされたものさ。そうそう、敬礼が遅れると仲間内で責任の押し付け合いが始まって……」
そんな冗談を言いながら、軍隊の厳しいエピソードを披露して場を和ませようとするのだが……。やはり気まずいのか、どうにも話に乗ってこない。
このままでは埒が明かないと考えた彼は一旦その場を離れることにした。
「じゃ、俺は朝食をとって来るから!」
そして、飛び去る寸前にアルファラに耳打ちする。
「後は頼んだ!」
「えっ」
冷蔵庫まで着いていく気まんまんだった彼女は驚くが、どうやら末っ子とは元からそれなりに仲が良いらしい。
おずおずと、しかし自ら話題を切り出した。
「ドロセアさんにお水を飲まれちゃったようですし、もう一つ貰いに行きませんか?」
「……はい」
大佐の階級相手には素直になれない彼女も、アルファラの話題にはすぐに乗って来た。2人は手を繋ぎ、並び立って壁際へと飛ぶ。
「これ、実は水じゃないんです」
「えっと、オレンジジュースでしたっけ?」
「はい。オレンジジュースをベースにコーヒーと緑茶とプロテインを混ぜた特製ブレンドです」
「えっ」
素っ頓狂な声を上げるアルファラに対して、末っ子……もといララは自らのパックを突き出す。彼女はそれを受け取り、口に含んだ。
「わっ、なんか……。あまり美味しくないです」
「はい。この不味さが健康さなんです」
ララの語る不味さ=健康さ論を聞きながら、彼女たちはドリンクを調達して元の場所へと戻って来た。その最中にアルファラのパックにも特製ブレンドを注入する話が出たが、丁重に断ったようである。
そして、アーロンもまた食事を取って戻って来た。
「ジャーン!」
効果音を口ずさみながら、彼は箸をカチカチと慣らして見せる。
どうやら食事には、水で戻した豆ヒジキご飯と、練り物のセットを選んだようだ。
「Japanの和食は美味いからな。ついでに味噌スープも貰って来ようか?」
味噌汁も持って来て豪華な和食にしてやろうと言う考えがよぎったが、アルファラもララも断ったため、彼もまたこのメニューに落ち着いた。
彼がテーブルに腰を下ろすと、その対面に彼女たちが並んで座る。ララは目の前の食事と箸を見比べて、少し不思議そうに顎を引いた。
「日本食なんて久しぶりです。姉様は洋食しか選ばないので」
「……あっ!箸の使い方教えましょうか?」
ララの手に自分の手を被せ、箸の使い方をレクチャーしようとするアルファラ。
「流石に分かってますから」
「え、でもその握り方は違いますよ?」
「えっ」
戯れ合う2人を青年は微笑ましく眺める。
食事の開始は少し遅らせて、今はこの団欒を見守ろうと———。そう朧げに思っていた、そんな時だった。
「大変です!」
———宇宙服を着た男性が現れ、その団欒に割り込んだのだった。