1章-12話:オシリスの息吹
「ずっとね、あんたの———」
———対艦砲のごとき光線に貫かれ、彼女の機体は瞬時に融解した。その明るい声色は途切れ、断末魔すら残さない。
「アイシャーッ!!」
全身を用いてなお障壁にはなれないが、機体を穿つ過程でビームが拡散する。組み付いているアーロンへの精密狙撃だからこそ、このままではネルアにも流れ弾の飛んで来る可能性が出てきた。
「ちっ、巻き込まれる……!」
拡散程度の被弾で大ダメージを受けるとは思わないが、ネルアにとって危険を冒す必要性が全くないこともまた事実だ。
彼女がバックで射線から逃れようとすると、アーロンもまた動いた。
彼女の意識が逸れた隙を突いてリリース。同時にその機体を蹴り、反対側に飛び退く。直後に二人の間をビームが貫く形になり、彼らの距離が大きく開いた。
———そして次の瞬間には、ビームの下を掻い潜って彼女に接近する。黄金色を目眩しにして右腕一本で切り掛かった。
「貴様ッ……!」
彼の切り上げとネルアの切り下げがぶつかり合う。攻撃を仕掛けたのはアーロンだが、二の矢を放ったのはネルアの側だった。
彼女は切り結んでいる左腕を軸にして機体全体をぐるっと回転させて体を沈める。そして彼の機体を射程内に捉えるや否や、背後に振りかぶっていた右足を振り抜いた。
もちろんその足裏からはビームソードが生えている。
「クソッ!」
左腕によって右から力を加えられている状態で、左からの攻撃が飛んで来る。一見では分かり辛いかもしれないが、これは非常に対応が難しいコンビネーションである。
何せ斥力によって右には動きにくく、左に避ければ蹴撃の餌食になる。上下や背後に避けたとしても切り結んでいる左手が跳ね飛んでくるし、ネルアが自機を動かして攻撃を当ててくるだろう。
コクピット一点を狙った蹴撃ならば切り結んでいる右腕を軸にして機体を体勢移動させることで躱せるのだが、この軌道では無理だ。ネルアもそれくらい想定している。
「ちいッ」
ならばこそ、回避は罠でしかない。彼は自らの左足を振り上げてネルアの蹴り足を内側から押し留め、抑えている間に左下へとバックを試みる———が、続いて彼女の左足も動く。
左で切り結び、右から押し付け、左下から切り上げるのである。彼もまた右足で押さえつければ蹴りこそ封じられるが、内側から弾かないと機銃による射撃が飛んでくるだろう。
そのため、手首の飛んだ左腕を盾にしてその攻撃を防ぐのだった。
「くそッ、勝てないッ———!」
強引に左方向へ抜けてなんとか距離を取るが、左腕を犠牲にした結果として得られたのが一時凌ぎとは……。もはや戦いにすらなっていない。
そしてそんな理不尽を嘆く間も無く、彼は視界の端に水色の機体を捉えた。駆け付けてきたセレン機である。
「落ちろっ」
彼女の動きはレーダーと全方位カメラで捕捉していたため、ビームソードによる初撃は軽いバックステップで難なく躱すことが出来る。
しかし、同時に別方向から熱源が飛んできた。距離を取ったネルアが彼の回避先目掛けて機銃を撃ち込んだのである。
これは半身を傾けて対応すると、今度はさらに強烈な熱源が複数飛んで来た。彼女はすでにビームソードをしまい、拡散ビーム砲を手に取っているのだ。
「クソッ」
これを大きく上昇して回避すれば、セレンの方面から強力な熱源が発生。バックでビーム砲を躱せば、回避先を予測して機銃が飛んで来ている。しかもセレンのものだけじゃない。セレンとネルア、計4門による連続射撃が行手を遮る。
機銃によるワインダーに捕まれば、先ほどのミサイル群よろしくビーム砲で焼き払われてしまうだろう。
だからこそ一手先を読み、未来を予測して自らの動きを定めなければならない。
緑と青、そして黄金の入り乱れる戦場を彼は駆け続ける。
「緑と青の可変機、コンビネーション。あの時と同じ……ッ!」
その光景に当てられて忌まわしい記憶が蘇る。目の前で家族の乗っている船を焼かれた、あの記憶だ。
「こうやって、こうやって回避ばかりして仕留められなかったから。俺が、俺が不甲斐なかったからッ……!」
忘れるはずがない。どちらも致命打を与えられないまま戦闘が長引いて、その末に疲労か何かで船をミサイルとでも誤認したのだろう。
突如、水色の機体から放たれた光線が船を貫いたのである。
「畜生ッ———!」
真空を通して伝わってきた断末魔が、今でも頭に響いている。
そして今、仇を前にして再び逃げ惑っている彼を憐れみ、侮蔑し、見放し、怒りを向けている。
「セレン!」
「うん、私がっ!」
射撃を仕掛けながら水色の機体が接近。右足を振りかぶる。対する彼は上体を倒して蹴り足の下に潜り込み、紙一重でそれを回避。
そして、回避しつつもカウンター。流れるような右のミドルキックをコクピットの側面に叩き込んだ。
「きゃっ!」
その一撃は確かにコクピットを捉えたが、反動によって彼の足にも陥没が生じる。機能に影響が少ない部分で攻撃は加えたが、もう一度同じ衝撃を掛ければ千切れてしまうだろう。
一騎討ちならばもう片方の足を蹴り込んで追撃を入れているところだが、その場に留まっているとネルアの攻撃が飛んでくる。
———そんな状況下に陥って、彼には二つの選択肢が示された。
「……ここが、潮時か?」
一つ目の選択肢はセレンに追撃を仕掛けると言うもの。
自機の被弾を考慮せずに攻めかかればそれなりの打撃を与えられるだろう。これまでの情報から得られた彼女の実力を思えば、上手くいけば撃破まで持ち込めるかもしれない。
しかし、重要なのはセレンを撃破してそれが何になるのかと言うことだ。
その後自分はネルアに撃墜され、彼女はオシリスを鹵獲するだろう。つまるところ作戦目的を放棄することになる。
そして二つ目の選択肢は作戦達成のために全力を尽くすことだ。
オシリス起動までは残り4分。作戦を達成したいのであれば、彼女を撃破するチャンスを捨てて最期まで逃げ続ける必要がある。
敵にダメージを与えて満足して死ぬのか。逃げ切れる保証などどこにもなく、無駄死にの可能性が高い後者の選択肢を取るのか。
「クソッ、俺は仇をッ———!」
目の前にいるのは家族の仇であり、散って行った仲間の仇であり、そしてアイシャの仇である。
理性は過去に囚われるなど無意味だと告げているが、人間は感情の動物だ。
……しかし、だからこそ冷静に考えなければならない。エースパイロットとして、命のバトンを受け取った者として取る行動は何か。"アルファラ"と言う未来を守るために取るべき行動は何か。
———そして彼が冷静に考えると言うことは、つまるところ作戦達成に注力する理由を探すと言うことである。
「……アイシャは、オシリスを守るために散ったんだ」
なぜ、アイシャは自分を庇ったのか。
彼女が自分などのために命を落としたとは考えたくなかった。ならば、なぜ自分を守ったのか。それは、あの機体を守るために自分の力が必要だと思ったからじゃないのか。
彼女は機体の開発に長く関わっていた。そして、共に開発を行っていた仲間がそれを守るために命を散らしていったのを目の当たりにしていた。
……ならば、自らもまたそのために命を賭すことを考えてもおかしくはない。
「民間人にそんな覚悟必要なかったんだッ……!」
怨嗟を叫ぶのは簡単だが、もう終わってしまったことである。
過去は変えられないが———その遺志を継ぐことは出来るのだ。
「———くそッ!!」
———だからこそ、セレンを見逃して退避した。自分の居た場所を貫いていくネルアの弾幕を睨みつけ、再び二機を相手取る。
残り時間はたった4分。されど秒に直せば240秒で、ミリ秒に直せば240000ミリ秒である。
———彼が決死の回避行動に移る中、小惑星基地ではアルファラの声がこだましていた。
「アイシャさん、そこにいたらビームに———!……あれ、アイシャさん?」
アイシャが撃墜された直後、アルファラは断絶された通信先へと必死に呼びかけていた。当然ながら返事は返らず、RAのシステム系統に目を向ければカメラやセンサーの反応も消えている。
「通信断絶?全くアイシャさんっ、あんなところに飛び込むから……!」
———しかし、それが何に起因しているのかを彼女は理解できなかった。
彼女は視覚の情報を繋ぐと、コンピューターの傍らで作業を続けている博士に声をかける。
「博士、アイシャさんの反応がありません!宇宙に投げ出されたとしたら助けに行かないと!」
「……」
彼女の必死な訴えに対して博士はバツが悪そうに目線を逸らし、その先をショーケースの中に向ける。そして何やら思案し始めた。
単に彼女の言葉を黙殺した訳ではなく、それを受けて何かを考えているらしい。
「……そうだな。それなら、頼みたいことがある」
その言葉はアルファラに向けられたものだが、彼の目は彼女もアイシャ機も捉えてはいない。
その目に映っているのはショーケースの中のオシリスと、基地の周りを飛び回っているアーロン機の姿だけだった。
「オシリスに搭乗してくれ。データの転送が終わったらいち早く動かしてほしい。アルファラ、頼めるか?」
「はい!」
博士がショーケースに備え付けられた扉を開くと、彼女は床を蹴って勢いよく飛び出し、オシリスのコクピットへと一直線に飛んだ。
コクピットの中に収まれば背もたれを掴んで減速し、縦軸に一回転してコクピットシートに腰をつける。流れるように宇宙服から固定器具のチューブを引っ張り出して背もたれに差し込むと、コクピットの内部をざっと見渡した。
「コクピットは……。なんか、違う?」
オシリスのコクピットは少し特殊な形状をしている。
従来のトランス・システム型コクピットと比べた相違点の一つ目は、レバー等のマニュアル操作が一切存在しないことだ。宇宙服やパイロットスーツを着ていない、もしくは何らかの拍子でトランス・システムが停止すればこのRAは金属の棺桶と化すが、そんな有事を想定したシステムに割く予算はないと言うことだろう。
加えて全方位モニターを取り付ける予算もなかったようで、前方のモニターに一方向の映像が映し出されるのみである。
コクピットとしての機能は必要最低限———すら下回っているかもしれない。操作系統はトランス・システムを前提として、ハード面ではパイロットの乗り心地だけを追求したようなピーキーなコクピットである。
「それに、なんか大きいような……」
他にも、コスパを追求しまくっている割にはコクピットがヤケに大きい。もう一人乗れそう———と言うよりは、実際に彼女が座っている後ろにもう一つ座席がある。どうやら複座式のコクピットのようである。
突っ込みたい点は山のようにあるが、今の彼女にとってそんなことはどうでもよかった。
「アルファラ、聞こえているか?乗り心地は———」
「博士、早くアイシャさんを助けないと!」
博士がオシリスの通信を繋ぐと、アルファラは早口で捲し立てる。彼女が今思い浮かべているのはアイシャの救出だけである。
「……アイシャか」
アイシャが死んだことなど博士は当然分かっている。しかし———
「———ああ。アイシャとアーロンを助けに行って欲しいのは山々だが、あと4分待たないと動かんのだ」
「うっ、お兄さんも……!」
あえて語らずに、アーロンの名前も出してアルファラを焚き付けた。そして、アイシャの話題を遠ざけるように話を逸らす。
「アルファラ、トランス・システムを繋いで試運転を頼む」
「え?動かないんじゃ……」
口では博士の指示に意義を唱えるものの、早く動かせるのならばと言われるがままに宇宙服から端子を取り出し、コクピットシートのトランス・システムへと繋ぐ。
そして、脳内に流れ込んで来るインターフェースを眺めて彼女は首を捻った。
「OSの一部が未完成に思いますけど、動かしていいんですか?」
「ああ。操作系統の統合は終わっていないが、"オシリスシステム"との接続は関しては既に構築済みだ。そちらの試運転をして欲しい」
「オリシスシステム……。あぁ、なんか辞書Bに書いてありましたね!今日読んだところです」
あっ、これ辞書Bでやったところだ!でも具体的には忘れちゃった。
……と言った様相を呈していたアルファラだが、インターフェースを通じてオシリスシステムなるものに辿り着きはしたようである。
そして博士の言う通りに接続すると、膨大な———本当に膨大な、途轍もない量の情報が一気に彼女の脳内に流れ込んだ。
「わあっ……!」
まるで頭の中が塗りつぶされるような感覚。アイシャを想って焦りに包まれていた彼女の表情が一瞬で変化したように思われた。
「す、すごい数ですね……」
「全てのブロックを感じられるか?」
「はい。電磁石を切り替えて推進力にするんですね?」
……彼女だからこそ『塗りつぶされる』なんて表現で済んでいるが、オシリスシステムを繋ぐことで脳内に流れ込んでくる情報の数はあまりにも膨大だ。なおかつそれがリアルタイムで更新されるため、情報が頭の中を跳ね回っているような不快な感覚を覚える。
一般人にとっては、『頭の中に数億匹の羽虫を放たれるような』とした方が正しい表現かもしれない。
「曳航器具として本体の航路に合わせることが殆どだが、微調整や回避ではブロック自体の推進力も利用することになる。試しに……。そうだな、あそこの作業用RAまで "ナイルチューブ" を動かしてみてくれ」
「分かりました」
アルファラは無数の情報体から必要なものだけをピックアップし、それらとやりとりを交わす。そして博士の指示に従えるように自らもまた指示を飛ばすと、オシリスの機体に変化が現れた。
オシリスは足がなく、腰から下には巨大なスカートのようなパーツがついている。そしてそこから———
———まるで、蛇のようなナニかが伸び始めたのである。
「収納部分と発射器具の調整が難しい……」
博士の言葉に従うのならばこれがナイルチューブなのだろう。
色合いはワイヤーだが、その実態は半径5cm程度の無数の同一パーツが一直線にくっつくことで紐状になっている。末端には先端の尖った少し大きめのパーツがくっついており、蛇に喩えるならばあたかも頭を模しているように思える。
スケールは違うが、スカートから蛇を這い出させている姿はまるで蛇遣いのようである。
「先端はスラスター、他のブロックは磁場の調整で……っ!」
そして、彼女の指示によってチューブは本格的に動き始めた。
それは海中を滑るウミヘビのように滑らかに無重力空間を這う。そして道中の障害物を蛇のように曲がりくねって躱し、最短距離で目的地へとたどり着いた。
その動きを見て博士が驚きの声を上げる。
「完璧だ。次はその支柱に巻き付くように移動させてみてくれ」
「はい。進行方向に向けて、各ブロックの角度を調整……」
彼女が指示を飛ばせば末端のパーツが行先へと雁首を向け、ブロックが支柱の半径に合わせて角度を付けていく。
そしてあっという間に綺麗な円形、かつ等間隔で支柱に巻き付いたのだった。
「完璧だ。……しかし、練習の記憶がなくてもここまでやれるのか」
「はい!動かし方が分かったらあとは処理するだけですから」
博士の発する感嘆の声を受けながら、彼女は蛇をスカートの中へとしまう。そしてオシリスシステムを切った。
「ふぅ……」
オシリスシステムから思考を切り離すと、水面に顔を出したように頭の中がクリアになる。そして、頭の片隅に寄せておいた思考が顔を覗かせた。
「えっと、それで……」
「あと30秒だ!!」
———それで、何をするんでしたっけ。
意図的か、偶然か。思考を一刻前に戻そうとすると、まるでそれを遮るように博士の声が響いて来るのだった。
「30秒!アーロン、持ち堪えてくれよ……!」
「え、お兄さん?」
そして、オシリスのトランス・システムを通して複数の映像が送られてくる。それはアーロンが二機と交戦している様子を基地のカメラで中継している映像だ。彼らは凄まじい速度で宙間を飛び回っているため、定点カメラ以外でその姿を追うことが不可能なのである。
これはアーロンの闘士を見せて彼女を奮い立たせようとする博士の誘導なのだが———
「え?」
カメラに映し出されたアーロン機の姿を捉えて、彼女は絶句してしまうのだった。