1章-8話:兄と、妹と
「……本当に、行くのか」
博士の表情は暗い。本音としては引き止めたいのだが、度々基地を揺らす重い振動が予断を許さないことを告げていた。
「博士、転送まであと何分だ」
「8分30秒。……確かに、このままではダメだな」
その答えこそが、自分が打って出る理由だと。そう言わんばかりにアーロンは無言で部屋を出て行こうとするが、そんな彼に想定外の通信が届いた。
『アーロン!このままカタパごと壊されるくらいなら私が乗った方がいいよね!?』
それは、パイロットの戦死によってカタパルトに取り残されていたあの1機からの通信であった。
しかも通信先の声には聞き覚えがある。
芯が通っていて強さを感じる若い女の声。早朝に話し込んだあの声。
……そう。通信先にいるのは、アイシャだったのだ。
「アイシャ!?シェルターに隠れていろと!」
「はあ!?そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」
彼の静止を振り切ってアイシャは機体のエンジンをかける。その熱源反応を確認すると、彼はさらに厳しくその行為を押し留めた。
「一般人が戦闘に参加する必要なんてない!そうなった時点で、それはもう負けを意味しているんだ!」
「だからって、あれは私も手伝ったんだから!みんなが作り上げて、みんなが命を懸けて守っている物を……。それが壊されるのを黙って見ていられない……!」
この調子ではアイシャを止めることは出来そうにないし、押し問答だって時間の無駄だ。
こうなった以上仕方がない。彼はいち早く自分の機体に乗り込むために走り始める。
「わわっ、お兄さん!?」
しかし、扉を開けたところで同じく駆け込んできたアルファラとかち合った。彼女は宇宙服を着て研究所に来るように放送で召集を掛けられたのである。
「アルファラ……」
「?」
小首を傾げるアルファラに対してアーロンは苦しそうな表情を浮かべるが、同時に何かに納得したような様子も見せた。
「もう……。仕方がないか」
彼はアルファラに近づくと、自分の宇宙服からコードのような物を引っ張り出す。そしてそれを彼女の服に接続した。
「あわわ……。これはRAのデータですか?」
接続によってトランス・システムが作動。彼女の脳内にはアイシャのRAが備えるカメラ、レーダーの情報が一斉に送り込まれる。
「ああ。アイシャの機体に繋ぐからサポートをして欲しい」
「えっ」
はえー、とその光景を堪能していた彼女だったが。アイシャの名前が出てきた事に驚きの反応を返す。
「アイシャさん!?わ、私は何をすれば……」
「敵はその2機で、あとは味方だ。それは敵機の過去ログ映像。アイシャの生存に最適な行動を指示して欲しい」
RAの情報に加えて2機のデータも脳内に送信される。
彼女はそれらを精査しながら、モジモジと指をくっつけてアーロンの言葉を反芻する。
「『生存に最適な行動』。そ、それは、2機を撃破するか攻撃を回避するって事ですよね……?」
「ああ。生存第一、最も生存時間が伸びる手法を選び出して欲しい」
その言葉を受け取って彼女は再び情報を精査する。緊張はようやく落ち着いて来たようで、彼女は冷静に次の言葉を発した。
「この性能差でトランス・システムもないとなると……。青の機体はまだしも、緑の機体に対しては30秒も保たないと思いますよ?」
———それは無常な分析。淡々と事実を述べる無垢な瞳が彼を突き刺す。
「なら———。30秒、保たせてくれ」
アーロンは重い言葉を吐き出した。
……30秒は生き延びろ。そんなもの、生存第一でもなんでもないだろう。
しかし、彼の苦渋など微塵も分からない様子でアルファラは目を輝かせる。
「はい!最善手を選びますし、青の機体ならもう少し時間も延ばせるかもしれません!」
"友人を死地に送り、死ぬまでは全力でサポートをする"
破廉恥にしか思えないことを堂々と宣い、誇らしげに笑っている。そんな彼女をアーロンは手繰り寄せ———
「……アルファラ」
———そして、抱きしめた。
「お、お兄さん?」
彼女は突然のことにオドオドとするばかり。対するアーロンは神妙な面持ちで静かに声を続ける。
予断を許さないこの状況下ならばトランス・システムを用いて一瞬で情報を伝えた方が早いのだが、敢えてそれをしない。
「俺があの機体について話したこと、覚えているか?」
彼が指し示しているのは巨大なショーケースの中に入っているロボティック・アーマー、オシリスである。
「えぇ……?」
彼の質問を受けてアルファラのオドオドはキョトンとした物に変わる。そして、しばらく宙を仰いでから恥ずかしそうに笑った。
「えへへ、覚えてないです……」
彼女の無垢な笑い声を受けて、彼は抱き締める力をさらに強くする。そしてその声色は、彼女と相反するように苦しい物になる。
「あの機体はな。お互いを想い合い、愛し合う二人が乗ってこそ真の実力を発揮するんだ」
今は2250年だと言うのにまるで昭和の精神論のようなことを口にする。それに対してアルファラは小首を傾げるばかり。
「お互いを想い合う……?」
全く意味が分からないと言った反応である。
「……あっ!」
———しかし、やがて何かに気がついたようでパッとその顔を綻ばせた。
「それなら、私とお兄さんが乗ればいいんですね!」
「!」
それはとことんポジティブで、明るく、そして嬉しい言葉。
彼女の爛漫な笑みに照らされてアーロンもふっとその頬を緩める。
「……ああ、そうだな」
そしてまたすぐに表情を引き締め直すが、彼の声音は先ほどよりも柔らかいものになっていた。
「その気持ちは嬉しいよ。でも、アルファラにはもっと相応しい人がいるはずだから」
「えぇ……?お兄さんに、アイシャさんに、ララさん、博士。研究所の人もみんな好きですけど……やっぱりお兄さんが一番ですよ!」
アーロンの言っていることが理解できず引き下がろうとしないアルファラだが、そんな彼女の頭を彼は優しくポンポンと叩く。
「違う、これから出会うのさ。この戦争が終われば宇宙と地球が自由に繋がる日が来る。こんな辺鄙の狭苦しい研究室なんて飛び出して、たくさんの人と触れ合うんだ。そうすればきっと、お前の周りはお前を人間として愛する人で溢れるはずだから」
まるで、彼女の輝かしい未来を想像しているように。彼は穏やかな———そして、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「戦争を忘れて、RAの動かし方を忘れて、俺たちのことも忘れて。……幸せに生きるんだ」
そしてようやく体を離すと、ヘルメット越しに彼女の頭を撫でた。
不服を体現した彼女の表情はそれによって少しだけ緩んだのだった。
「……?忘れるだなんて、ないと思いますけど……」
そして、だからこそ、ただただ不思議そうに彼の言葉を反芻するのだった。