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古狼の背中

作者: アナベル・礼奈

 一、刀田という現代の侠客

 2020年。東京拘置所。

ある日に警務官がノックした。中には黒い短髪の大男が背を向けて胡坐をかいている。

「53番。面会だ。」

カチャカチャと音がして、大男は顔だけ振り向いた。整った顔立ちに鋭く強い眼力で、ガタイがいい。

「誰だ。」

「いつもの弁護士と、お前にとってはスペシャルゲストだな。」

大男は眉をひそめて房を出た。手錠をかけられ、紐を体に巻かれ警務官と共に歩く。

面会室に入ると、アクリル板越しに禿げた男の弁護士と、黒髪のオールバックで細く尖ったサングラスをかけた赤い細身のスーツの男がいた。

大男が憮然とした表情で正面に座った。

「兄弟。元気か?」

「兄者。定期的に来てくれんのはありがてぇが。俺らが、こうして面会しているだけでやばいんじゃねぇのか? その約束だったはずだ。ここじゃ早く出る為に、俺は模範囚で通してんだ。いくら俺が光栄会に破門された身だからって、サツにいらねぇ気を持たせたらどうする。10年が水の泡だ。」

赤いスーツの男がサングラスを取った。狐の様に細い目で、目元が微笑んでいる。

「安心しろよ、兄弟。サツもお巡りワンワンよろしく、俺達とオメェを嗅ぎまわってる。だが、所詮は縦割りのワンコロだ。俺達に明確な付き合いと共謀の証拠がねぇ限りは何も言えねぇし、うごけねぇ。ウチ単独の別件で逮捕状出したところで同じ事さ。オメェとの共謀の立証がねぇとな。不自由なワン公達だぜ。

 ともかく、10年の長いお勤め、本当にご苦労だった。本当に長かったな。オマエはヤクの売買で、正当防衛での殺人。判決はもっと重くてもおかしくなかった。俺たちが表裏からできるだけの事をして、破門されて、ここを出ても接触しねぇし、模範囚って事で、仮釈放も出る。俺達がお前発信の接近禁止命令に承諾すりゃあ尚の事だ。今日来たのもその為だ。改めて、更正し、俺達と関わらないし、俺達も関わらねぇ。」

「そうか。仮釈放の為のダメ押しって事だな。わかった。だが、教えてくれ。オヤジは元気か?」

赤いスーツの男は表情を曇らせた。大男が席を立ちあがった。

「まさか!」

「10年前から病気持ちだったろ? オヤジは会長として静かな生活を送っている。ほとんど車椅子生活で昔のように番はったりは、流石にできねぇけどな。だが、出たとしても、会う事はままならねぇぞ? 兄弟。

またここに戻ってきちまう。」

 大男は歯軋りをしたが、少しして口を開いた。

「そうか。オヤジが存命ならそれでいい。会いに行けなくてもな。」

「オメェのおかげだよ。兄弟。あの仕事を請けてくれたから、光栄会は存続できて龍牙を黙らせていられる。中国マフィアの中でも物わかりのいい連中だ。オメェを捨て駒にしたわけじゃねぇ。」

大男は無言で、弁護士の男に接近禁止命令を願い出る事にした。そして、警務官がおって書類を用意するとの事で房に戻された。房に戻った大男はため息をついた。

「兄者。杯を交わした兄弟だってのに、表ヅラは捨て駒にしといてよく言いやがる。俺は居所も先もなくして、仮釈放の先に何が待っているかもわかんねぇってのに。だが、オヤジが無事でいてくれてるんならそれでいい。俺から手紙をださねぇでおいてよかった。10年か・・・」


 ー10年前。

  2010年。東京、新宿。光栄会のとあるオフィスビル。

尖ったサングラスに黒のオールバック、赤いスーツの男と黒いスーツを着た大男が、事務所のソファーで対面している。狂咲光雄と刀田武彦だ。刀田が言う。

「兄者。オヤジのためっていうのかい?」

「あぁ。平井は俺達に刃向かった。うちのシマを狙ってる中国マフィアの龍牙と手を組みやがった。シャブの販路拡大に大枚叩いたんだろうな。組の金も使う気だ。

 あの馬鹿は、とっくに家族全員で中国に高飛びして、日本のサツとグルになって、任せていたマネーロンダリングも告発するってな。平井家がどこまで逃げても、俺らが龍牙と組んでぶっ殺して、日本に残る親族も皆殺しにできるっていうのがわかっちゃいねぇ。浅はかに中国人なんて信用しやがって。金さえ払えば何でもする連中だ。うちにとっては、オヤジの逆鱗に触れたらどうなるか。しっかりと教え込まネェとな。他へのみせしめにもなるぜ?」

「それで、俺に龍牙と取引を潰して、シャブもかっ攫うって事か? 確かに、平井は家族そろってどうしようもねぇ馬鹿の集まりだ。組の金に手を出して、俺達の情報を売ってをつぶし、龍牙にシャブのルートを作る事を条件に、媚売って本当に守ってもらえると思ってんなら、本当に救いようがねぇな。兄者の言うとおり、ケジメはつけねぇといけねぇ。

 でも兄者。いくら何でも、平井の娘は確か2人だったよな? カタギの女とガキじゃねぇか。こっちの世界に足突っ込ませるなんて、義侠も仁義もねぇぜ。それじゃ恐怖支配で、海外マフィアとやってる事がかわりゃしねぇ。オヤジの義侠と仁義に欠けるぜ。」

狂咲が怒って立ち上がり、大男も立ち上がった。狂咲が無言で、立っていた黒スーツの男のスネを思い切り蹴った。黒い短髪の大男は、表情をわずかに歪めたが、無言で立っていた。2人以外に派手なシャツを着た強面達が黙って見守っているが、内心ビクビクしていた。

 若頭の狂咲光雄と、狂咲と兄弟盃を交わした一番の弟分である刀田武彦のやり取りは、実質、光栄会のNo.2と3の争いだ。

「武彦ぉ!! オメェ、まだ、んな甘っちょれぇ事ぬかしやがんのか!? あぁ!?」

刀田は我慢して、続く狂咲の拳に耐えた。狂咲の拳は顔や体に打たれたが、刀田はびくともせず、数発目に狂咲の拳を握った。構成員達は目を合わせて黙っている。

「兄者。オヤジへの恩義がある俺にとっちゃ、今のやり方はやっぱ気に喰わねぇ。

 世の中進んできて、外国人のカチコミも多い。さっきも言ったが、だからって俺達も一緒になって、シャブやドラッグと武器と人間売って作った金で対抗しようってのか! 金がすべてになっちまったこの世の中に迎合しちまうってのか!兄弟!」

刀田の静かな表情に、狂咲は睨んだ。構成員は一触即発の状況に沈黙を続けたが、睨みあいに痺れを切らしたのか、狂咲が腰から拳銃を抜いた。刀田は微動だにしない。

「兄弟。何度言わせんだ。もうオヤジの時代じゃねぇ。お前には何度説明しても聞く耳もたねぇな。」

「あぁ。俺はオヤジの義侠、仁義に報いる為だけに生きている。変わっちまったのはオメェじゃねぇか!兄者!昔の兄者の志はいってぇどこに消えちまった!?」

刀田が狂咲の拳を振り払って、左拳で狂咲の顔面を殴った。狂咲のサングラスが飛び、狂咲はバランスを崩したが拳銃は向けたままだった。狂咲が唇から垂れる血を拭って刀田を睨んでいる。

「若頭!」

「テメェラは黙ってろ!!」

狂咲が2発床を撃って、止めに入った構成員を脅して止めた。

「兄弟。何度でもいう。今の時代、オヤジの義侠だけじゃヤクザ稼業もやっていけねぇ。

サツもあたりがどんどん厳しくなってきている上に、アメリカやロシアだけじゃねぇ。中国や韓国もここらで幅を利かせてきている。それに加えて、日本人だってIT化だの何だので、カタギだって金次第で俺達の真似事してやがる。オヤジの時代なんて比にならねぇ武装が進んでるんだ。対抗するにゃあ、金が要る。

もうとっくに、金が力の時代になってる。オメェみてぇな、昔かたぎのヤクザの義侠じゃ、限界がある。

 今の時代、オヤジを守る為にも力が必要だ。俺だってやりたくもねぇ事をやって動かなきゃいけねんだ。」

「何度も聞いたぜ。兄者。だがよ。俺は病にかかったオヤジをこの身1つでも守り抜いてみせる。オヤジのやり方でな!」

刀田と狂咲の間に誰も入り込めない。2人はしばらく睨み合い、狂咲が拳銃を降ろした。

「オヤジが特別なのは、オメェだけじゃねぇ。俺達みてぇな野良の一匹狼を拾ったオヤジの器のでかさは、この組の全員が知ってるんだ。ここで俺達がくたばっちまえばどうなる? 病気のオヤジを他の勢力から守りながら組の存続も考えなきゃいけねぇ!オメェみたいに理想や夢を追って守ってるだけじゃいけねぇんだよ!」

 刀田と狂咲の対立は、光栄会の中でも日を追う毎に深刻化していたのは末端の構成員までも知っていた。

経済ヤクザと義侠ヤクザの派閥に別れている状態。狂咲には、冷徹で商才があるから資金繰りは得意だった。刀田は、組長の皆沢権兵衛の侠気を体現する存在で光栄会にとってのカリスマだった。

光栄会の下部組織も含めて、その政争不安を繋ぎとめていたのが、組長の皆沢権兵衛だった。

 しばらく睨み合う2人。

「兄者。俺だって頭じゃわかっちゃいるんだ。金は必要だし、これからの時代を乗り切るにゃ、経済ヤクザになるのが大事な要素だ。

 だけどよ。俺らが拾われた、まだガキの頃から日本の極道は、義侠も仁義もねぇクソみてぇなヤクザに成り下がってきていた。オヤジは、そういう何でもかんでも金や暴力と恐怖で支配するのを嫌っていた。確かに古い考えだが、光栄会の信念を変えようとはしなかった。今の時代だからこそ、失われつつある、本物の義侠を大事にしなきゃならねぇんじゃねぇのか?」

「兄弟。俺だって本音はそう思うぜ。ヤクザは所詮ヤクザ。お天道様に顔向けできる稼業じゃねぇ。

パチモンのヤクザなんて、なおさら虫唾が走る。

 だがよ、絵に描いた餅じゃあ、腹は膨らまねぇ! 頼む。この通りだ。兄弟。」

 狂咲が拳銃を放り投げて、膝をつき、刀田に土下座した。周囲の構成員は驚いている。

「兄者・・・やめてくれ。」

「そういうわけにはいかねぇ。」

狂咲が顔を上げて、腰からドスを抜き、左手を広げて床に置いた。右手でドスを逆手に持ち上げた時は、刀田以外の人間が騒然とした。

 次の瞬間。刀田は狂咲の右手首を握ってとめていた。

「離せ!兄弟!」

「バカ野郎!!」

刀田が狂咲を右腕ごと持ち上げて、手首をひねり、ドスを床に落とした後、殴って狂咲を壁に叩きつけた。

構成員が数人「若頭!」と言って駆け寄った。

狂咲は構成員を振り払いながら、フラフラ立った。

「兄者!つめて済むもんじゃねぇだろ!兄者が光栄会の、オヤジの裏切り者だなんて思っちゃいねぇ!」

「ふふふ。そう思われても仕方ねぇよ。しっかし、久しぶりだな。オメェの拳。重くて効くぜ。」

刀田は、しっかり立って少し微笑む狂咲と視線を合わせた。狂咲の目はどこか哀しげで、寂しそうだった。

 刀田は思い出した。初めて皆沢権兵衛の緊急入院を知って、駆けつけた時だ。


 その時、病室にはベッドで寝ている皆沢と、そばに控えている狂咲と構成員達がいた。刀田が眠っている権兵衛に話しかけるも、狂咲が「さっき寝たところだ。兄弟。容態は安定したらしい。」と言って、刀田が一通りの説明を狂咲から聞いて、皆沢権兵衛を見ていた。

「兄弟。覚えてるか? オヤジに言われて、兄弟杯交わしたガキの頃からだけどよ。オヤジの前でいつまでも張り合ってる場合じゃねぇな。」

サングラスを外した時の、哀しげに、寂しげに微笑む狂咲の顔に、刀田は頷いて応えた。それを思い出した。


 事務所で倒れている狂咲の前で、刀田はため息をついて、目を瞑った。

「わかったよ。兄者。俺達もいい年のおっさんだ。ガキじゃねぇんだ。いつまでもオヤジの前で張り合ってる場合じゃねぇな。」

周囲の構成員が驚いて、狂咲は頭を下げた。

「すまねぇ。兄弟。長いお勤めになるだろうが、必ず最短になるように手配する。」


 -2020年。 東京拘置所内の刀田の房に話は戻る。

「兄者。ここを出た後のお勤めの方がきついぜ。オヤジに挨拶にもいけねぇなんてな。それも組の為か。」


 二、刀田の出所後と帰った場所

 「お世話になりました。」

 2020年 秋。

トレンチコートを着た刀田が東京拘置所の出口にいた。刑務官に頭を下げて、バッグを持っている。

「所長から言われた事を忘れないようにな。仮釈放である事を忘れるな? 事件を起こしたり、接近禁止命令を破れば、またここに戻ってくる事になる。光栄会とは接触するなよ? 10年で貯めた金で、ちゃんと更正して真っ当に暮らせ。」

「へぇ。勿論です。」


 刀田は、電車を乗り継いで、10年ぶりに一軒家の自宅に戻った。

こじんまりとした自宅を目の前に、しみじみ感じ、途中で買った煙草に火を点けて呟いた。雨戸も閉まり、外観は、まさに空き家だった。

「10年か。もう誰も待っちゃいねぇこの家に。」

刀田が、裁判にかかる前の警察の捜査中に、刑務所で預かっていた新しい鍵を見た。

 光栄会は、刀田の事件の後、警察の捜査中にまだローンがあった家と土地を買い取り、刀田を破門する前に、全ての名義と権利を弁護士を通して刀田に譲渡し、警備会社も刀田の名義で第三者の弁護士にセキュリティーをつけさせていた。刀田が出所するまで、安全を保障する為だった。

 だが、警察もヤクザも検察も、そんな馬鹿なわけはない。光栄会と刀田との裏の手続きを疑いながら行動していた。しかし、刀田の10年前の事件の訴訟に必要な情報をとり尽くした上に、その後名目上破門され、接触による明確な犯罪行為への関与の証拠がない元ヤクザの名義じゃあ手を出せない。

 だが、刀田は光栄会の元幹部の空き家に、他勢力、特に龍牙の人間が忍び込まないわけがないと思っていた。仕返しで、どうせ中は荒れ放題。そう思い、門扉を開けてドアに鍵を差し込んだ。これを回したらスイッチが入って爆弾が発動するかもしれない。だが、刀田は躊躇なく開けた。

 ドアを閉めて、かび臭い暗い家の中を歩く。靴を脱いで靴箱の上の定位置に鍵を置いて、ブレーカーが落ちているだろう家を考えて配電盤に向かおうとした時だった。廊下の電気がついた。刀田は咄嗟に身構えた。

「その靴脱ぎっぱなしの癖。昨日の今日で帰ってきたみたいな様子ね。もう10年も経つのに。」

 藤崎美鈴。離婚した刀田の元嫁だ。茶髪のボブで整った顔立ち、緑のカーディガンに、スキニージーンズ。刀田は驚くばかりだった。

「何で、オマエ。まさかずっと・・・?」

「まさか。勘違いも甚だしいわ。今でも忘れないわよ。

 10年前。アンタはアタシと、まだ1歳だった麗奈を放って消えた。オヤジの為だとか組の為だとか言ってアタシ達を捨てたんだよ? アンタにとってアタシ達はなんでもなかった。邪魔だから離婚を迫って、獄中でも会おうともしなかった。詳しい事情は狂咲さんから聞いて、離婚届に判を押したけど。一方的過ぎよ。いっつもアンタはそうだった。何が義侠よ。仁義よ。妻と娘も守れないくせに。」

刀田は視線を落として黙った。沈黙が続いた。

「すまねぇ。」

それしか言えなかった。だが、言いたかった。聞きたかった。

美鈴も麗奈も元気でやっているか。麗奈は今どうしているか。ヤクザの娘といわれたりイジメにあっていないか。

 だが、刀田は、自分にそんな資格なんてないと痛感していた。光栄会と関わりを持って欲しくない。

自分と関係を継続したら、必ず龍牙の構成員や周囲のヤクザから何をされるかわからない。弁明の余地もないから、刀田は勝手に離婚を求め、拘置所での面会も断り続けた。寧ろ、今さっき口をついた「まさか」なんて言葉の図々しさに、自分自身が愚かに思えた。

 足音がして、刀田が視線を戻した時、乾いた音が廊下に響いた。刀田は平手打ちに微動だにしなかったが、静かに美鈴を見た。

 静かな怒りの表情。10年前、美鈴もまだ23で子供を産んで大変だったのに、娘を任せて放った。一発殴るくらいは当然だ。父親づらも夫づらもできないと諦めた。

「じゃあね。麗奈はもう11なの。アンタの記憶なんてないわ。折角だから、このまま麗奈には会わないで。会おうともしないで。お金だって狂咲さんが、色々根回しして綺麗なお金をくれてるの。

アンタみたいな、少年院から、重さに限らない前科10を超えるヤクザが父親だなんて。知られたくもないわ。それを言いに来たのよ。やっと出てきたって聞いたから。」

 美鈴が刀田とすれ違って、靴箱から自分の靴を取り出して玄関にいる。

「待ってくれ。」

 美鈴はため息をついて、振り返る。刀田は90度に腰を曲げて頭を下げていた。

「お前の言う通りだ。俺は俺の事しか考えちゃいなかった。狂咲の兄者にもそう言われた。

 俺は本物の馬鹿だ。麗奈の父親づらも、オマエの元夫も名乗る資格なんてねぇ。

 だが、許されるなら教えてくれ。麗奈は元気なのか? 本当にそれだけだ。会おうとなんかしねぇ。」

美鈴は、ため息をついて間をおいた。

「元気よ。誰に似たのか、おてんばでね。学校でも男の子相手に喧嘩したり。アタシも先生に呼び出されたり、アタシを敵視する保護者もいるわ。シングルマザーだし。

 でも、アタシも麗奈も、悪い奴に引っかかったりはしない。いい意味で変わった友達がいるわ。」

「シングルマザー? オマエ、旦那はいねぇのか? 女手1人じゃ大変じゃねぇのか?」

驚いた刀田に、美鈴は腕を組んで呆れた顔をした。

「えぇ。大変よ。さっきも言ったけど、綺麗になったお金を狂咲さんが恵んでくれているから、生活や養育費には困らないわ。でも、新しい男を作ったり引っ掛ける暇もないくらいに育児が大変でね。あの子もどっかの馬鹿よりずっと賢い子だからホントに大変。じゃあね。」

美鈴はドアを開けて出て行った。

 刀田は、体から一気に力が抜けた気がして、その場に座り込んだ。美鈴が外から鍵をかける音がして、刀田は顔を上げて、自分の頬を流れるものを腕でふき取った。

 どっと疲れ、掃除されていた自室に戻り、状況を整理しながら横になったら寝てしまった。

夜になって起きて、家中の電気をつけ、電源が入っていた冷蔵庫を開けた。刀田が好みのつまみと酒が入っていた。その晩は、刀田はテレビをつけて、中身は全然入ってこなかったが、好みのビールを飲んで、リビングをウロウロして、写真立てを見て手に取った。自分と美鈴と産まれたての麗奈。

 房での沈黙の生活の中、何度でも思い出した光景。だが、少し離れたところに複数の写真立てがあった。

刀田は缶ビールを床に落とし、片手で口を抑えて涙した。

「み、美鈴。麗奈。」

美鈴と麗奈の写真が数枚あった。初めての幼稚園だろう。卒園式の看板が見える2人の姿。小学校の入学式。運動会や水泳大会の写真。狂咲が写っている写真もある。麗奈の成長が見る事ができた。

「す、すまねぇ。美鈴。兄者。何から何まで・・・。俺って奴は!」

刀田は写真立てを抱いて床にうずくまり、床を拳で何度も叩いた。

  

 三、刀田の10年ぶりの再会

 刀田が仮釈放になってから2ヶ月が経った。

もう40になって、腕っぷしとヤクザの経営学以外に得たもののない人生。しかも、全国放送で流れていた顔と名前。重罪の前科者に、しっかりした収入の再就職などすぐに決まるわけもない。

 就職にはかなり苦労した。如何な理由があっても、破門された者が誘惑に負けて、仮釈放中に光栄会に接触してしまい、拘置所に出戻りでは、仮釈放のない刑期が伸びる事にもなりかねない。

刀田は、自力で仕事を探す事に限界を感じ、弁護士の紹介で更正プログラムも含めた肉体労働の工場を紹介された。安月給だが仕事が無いよりは断然良い。

 だが、現実はそう甘くは無い。紹介先は社会からドロップアウトしたクズの集まりだった。上司は最悪のクズ。拘置所の刑務官に監視された作業の方が、断然、人間らしい扱いをされた。

 ある日、年下の上司、大西に叱咤された。

「刀田ぁ!!おめぇメジャーもわかんねぇのか?これはなんcmだ!?あぁん!?」

「18.5cmです。」

「ちーがーうーだろぉーー!?? テメェ義務教育うけてんのかよ。あぁん?いったよなぁ!?目盛りにねぇ値は四捨五入して大きめにとんだよぉ!! 脳みそ筋肉で老眼じゃわかんねぇだろが、18.5cmちょっと超えてんだろ!?そういう時は整数で四捨五入すんだよ!四・捨・五・入ぅぅ!!16だろぉ!?整数もわかんねぇかぁ? マジでつかえねぇなぁ!」

 刀田は何度見ても、大西の手元がズレているのをわかっていた。しかし、我慢を選ぶ。

周りの工員はヘラヘラ笑って、煙草を吸い、酒を飲みながら仕事のほとんどを刀島に任せて、スマホで遊んでいる。刀田の責められている姿を見て、「まじつかえねぇ~。うひひひ~!」と汚い面で気持ち悪い笑い声の坂本は、刀田を最初から大西と一緒になって人を馬鹿にして楽しむ人間のクズだ。

「目安のゼロ点がずれてますよ? それに、皆さん、毎日いつも就業中にお酒を飲んでいますが、危ないですよ?」

「あぁ!?きこえねー!? 元ヤクザで人殺しかなんか知らねぇけど、マジ使えねぇなぁ!!ここじゃ俺がルールなんだよぉ!!俺が飲んでいいっつったらそれがルールだ!!てめぇらみてぇな人間のクズ集めて働かせてやって、金まで恵んでやってんだぞ!? 身の程を考えろクズ!今日オマエの給料は日給で100円だなぁ!」

大西が喚き散らして、刀田に親指を下に向けて片足を少し上げた。刀田は睨んだ。

「あぁ? 何ガンつけてんだよ。わかんねぇか? ド・ゲ・ザ!土下座土下座土下座ぁ!!俺の靴ぺろぺろなめて言うべき事を言ったら最低賃金払ってやるよ。」

刀田は怒りを必死に抑えて、膝をついて頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。大西様。私はどうしようもない馬鹿でございます。お靴をなめさせて頂いてよろしいでしょうか?」

「そんなになめたいなら、なめさせてやるよ~。皆~。殺人犯の重罪人のぺろぺろしてるとこSNSにあげようぜぇ~。石橋ちゃ~~ん、俺をかっこよく撮ってよねぇ~。坂本も上島もションベンタイムだぜぇ?」

刀田が大西の安全靴をなめている動画を、石橋という女が撮影し、坂本と上島が刀田の頭に小便をかけ始めた。刀田は、こんなクズどもを殺すのは造作もない事だった。だが、ただただ耐えるしかなかった。その精神力を保つのは、麗奈と美鈴の為だけだった。

「へ!きったねぇし、臭せぇなぁ!帰れ帰れぇ!それ!」

大西の指示の元、周りから「かーえーれ!かーえーれ!」とコールが続く。刀田は静かに立って、「失礼します。」と言ってロッカールームに向かった。

 こんな事はもう一ヶ月になる。心を殺すしかない。

この日は、朝5時から刀田1人で工場の準備を始めて、まだ昼前だが現場を去った。1年は奴隷で、どこの誰だろうと耐えるしかない。また明日もこうか。

 服を脱いで簡易シャワールームの壁にかけ、シャワーの栓をまわすが、水が出ない。刀田は不思議に思ったその時だった。

「せーの!」

刀田が振り向くと、坂本と上島が、近くの建設現場にある簡易トイレの肥溜めから回収してきた糞尿をバケツに汲んで刀田にぶっかけた。2人ともゲラゲラ嗤っている。

「おまえなぁ~。オマエ如きが水使えるなんて100年早いわぁ~。何勘違いしとんねん。」

「マジっすよねぇ~。うひひひひ~!」

刀田は我慢している。

「その背中のスミ。そんなに糞尿まみれになったら、立派な狼も泣くわなぁ~。ホンマ使えん奴やわぁ~。今すぐトイプードルかチワワにでもかき変えときぃ。」

「えぇ~。ホントっすよねぇ~うひひひ~!ヤクザの駒としていいように利用されて、捨てられて、女もガキもご主人様も盗られて、なーんにもできねぇんだから。ゴミ袋が良いですよ。うひひひ~!」

 刀田がその言葉に反応して、2人に振り返った。上島と坂本は怯えて後ずさった。鬼の形相の刀田が歩む度に後ずさる。

「どういう意味だ。坂本」

上島は脱兎の如く逃げ出した。坂本は震えて動けないでいる。

刀田が坂本の襟を掴んで持ち上げた。「ひぃっ!!」と声を出して怯えている。

「何か知ってんのか? 女もガキもご主人様もってのはどういう意味なんだ? おい。」

静かにどすの効いた声で刀田が坂本を睨んで威圧する。

「く!詳しくはしらねぇよ! ただ、俺は、って言うか、皆しってるぜ!? オマエは光栄会の狂咲に捨てられてココに着たんだろ? 大西のクソ野郎が、京叉会の顧問弁護士の永見と話してるのを見て聞いた。オマエと光栄会は直接関係できねぇから、好きにサンドバッグにして良いって。永見だって、光栄会の弁護士の沢尻とは知り合いだし、あいつらが言ってたのは、藤崎も権兵衛も狂咲の手の中だ!邪魔者は排除するって!それしかしらねぇ!おめぇだってそうなんだろ!?」

刀田が足に生暖かいものを感じて視線を落とした。坂本が失禁して作業着から垂れ落ちていた。刀田はため息をついて、坂本の襟首を更に強く握った。

「兄者が? 美鈴と麗奈、オヤジをどうしてるってんだ!?」

「ひぃぃ!!か、勘弁してくれぇ!俺はそれしかしらねぇ! それに、こ、ここだって社会の末端の中の末端だぁ。オマエを紹介した弁護士の永見が窓口なだけだよ。それだけじゃねぇ。永見も沢尻も人間のゴミ処理専門の悪徳弁護士だぜ? 使いたい放題使って壊れたら捨てる。俺らの末路は使えなくなったら、殺人でも何でもさせて、尻尾きりで結局はムショに逆戻りだ!」

刀田は寝耳に水だった。坂本をシャワールームの壁に投げつけて、少し考えた。

「へ、へへ。離しちまったなぁ。今から大西に言いに行くぜ。オマエは終わりだ。組は違えど、ヤクザに間接的に接触して、仮釈の間に暴行恐喝したんだ。ムショ帰りだな。うひひひ~。頭がいいってのはこういう事を言うんだよ。」

坂本が自分の頭をつついて、足はガクガクしているが立ち上がった。刀田はため息をついて、掛けてあった作業着の上着を手にとり、ポケットからICレコーダーを取り出した。

「何言ってるんですか。坂本先輩。この会話ちゃんと録音されてるんですよ。初日から毎日毎日、勤務中も。もしもの為にね。アンタらが今まで何を続けてきたのか、しっかりな。これを出したらアンタらこそどうなるかな? 勿論、永見以外の弁護士にな。」

坂本はタダでも醜い表情が、壊れんばかりの変形を始めて歯軋りをしている。刀田はレコーダーを胸ポケットにしまい、上着を持ったままだ。

「さぁ。坂本先輩。お願いしますよ。お湯出してください。大西さんの言う通りとっとと帰りますから。こんな臭い状態じゃあ、カタギの皆さんに迷惑だ。」

刀田が歩み始め、坂本は迫り来る巨体に腰を抜かし、また体を振るわせ始めた。刀田がしゃがんで睨み、低いどすの効いた声で言った。

「たのんますよ。坂本先輩。」

坂本が這いながら配水管のところに向かった。刀田は作業着を汚したくなかったからシャワー室の壁にかけて、仁王立ちで坂本を見下ろしていた。坂本がやっと配水管のバルブを回して、刀田はシャワーからでる温水を浴びた。

「お、おまえ。タダじゃすまねぇぞ? 生きて帰れるとはおもうなよ!?」

「ふん。お気遣い感謝しますよ。自分の身は自分で守りますよ。正当防衛も認められねぇ世の中じゃねぇはずだしね。」

坂本がやっと立ち上がって逃げていく。刀田は小便や糞尿を洗い流してから、自分の背中を鏡で見た。

「オヤジからもらった双狼の片割れのスミ。これを汚されるのは誰でも、許しやしねぇ。殺したくなったのは久しぶりだったな。やれやれだ。

でも、兄者。まさかとは思うが。あのクズどもの言う事は本当なのか?」


 私服に着替えて、カバンを持ち、刀田は作業現場を出た。

バスで移動し家の近くで降りた。煙草に火をつけて家の前に着いた時だった。

「おい。おっさん。随分と兄貴に調子こいたようだな?あぁ?」

口や耳にピアスをした、ヤンキー以上、ヤクザの構成員未満がわらわらと10人はいたか。金属バットや包丁、バタフライナイフを持っている。刀田は鼻で嗤った。

「やれやれ。大西の部下か? それとも京叉会のきれっぱしか? 安い武装しかねぇ。だいぶアガリのすくねぇ奴の手のもんか。兄者の可能性はぜってぇねぇな。」

刀田がバッグを落として、首と拳を鳴らし、トレンチコートを脱いだ。

「るせぇよおっさ~~ん。俺達さぁ、ちょっとだけぶっこんでっから、たまにワケわかんなくなっちまうんだよ。でもさぁ、アンタ相手ならいいってさ。ICレコーダーと全財産置いて、尻尾巻いてそこの家に入ろうぜ? 土地と家の権利書も一緒~。俺達、いつキレッちまうかもしれねぇからさ。

古物を傷めるのは俺達エリートには似合わねぇし。」

 金髪の20代に見える男が胸の内ポケットを見せた。拳銃があった。刀田はそれを見て、また鼻で嗤った。

「ふふふ。安心したぜ。腐っても、兄者が幼稚園児にチャカ渡すなんてありえねぇ。京叉会の古いだけの性根が腐りきったクズで雑魚っていったら、榎本裕司あたりか? 自分より馬鹿とカスしかつかわねぇし、母数は多いから腐りきってたな。確か、10年前でも、アイツ自身が根性の底まで腐りきった、使えねぇ老害だったな。ろくなアガリも出さねぇくせに、えばり腐ってるとか。オメェらみてぇなバカの極みしか集まんねぇのは当然か。まぁいい。」

「あぁ? おっさ~ん。俺達ぃ介護職じゃねぇんだ。ちゃんとした言葉使わないと、俺達キレッちまうかもしれねぇよ? わかってるぅ~? 自分の立場ぁ。」

金髪の男がウィスキーのボトルに口をつけ、拳銃を抜いて、周りの男も武器を振りかざしていきり立っていた。刀田は深呼吸をして、筋肉に十分な力を入れた。

「チャカ込みでもいい。かかって来いよ。」

「ふふ!!ばぁ~か!!おっさんが俺達に手をだせねぇのは知ってんだよ。やったらムショ帰りってな?

大人しく俺達のサンドバックからの海の底ルートだ。何せ、俺達は健全な国民だからよぉ!?」

「馬鹿もココまで来ると嗤う気も失せるな。クソガキども。」

 刀田も、若い男達も振り向いた。

視線の先にオールバックの黒髪。大きなサングラスをかけた、スーツの長身の男がいた。

刀田の家の路地を塞ぐ様に、黒のワゴンが3台ずつ急停止し、中からスーツの男達が出てきた。

「須藤。オメェ。」

「安心してください。刀田さん。俺はとっくに光栄会を破門されました。こいつらは俺に、何より、刀田さんや皆沢組長について行く事を決めた馬鹿どもですよ。

 こんな社会の”し”の字もしらねぇガキどもに、刀田さんの拳は、もったいねぇにも程がある。」

「んだこのオヤジども!!オメェら!びびってねぇでたたんじまえ!!」

ヤンキーどもが須藤という男をはじめ、男達に喧嘩を始めた。

本来閑静な住宅街で混戦が始まり、須藤率いる集団は軽武装をした男達を、肉体だけで撃退していく。

「テメェら!」

銃を向けた金髪のピアス男。引き金を引こうとした瞬間、背後に気配を感じた。いつの間にか背後に刀田がいて、拳銃を怪力で握っていた。

「ひ、引けねぇ。何しやがった! 離せ!!」

「ふん。やっぱ雑魚の手下だな。こんな簡単な仕組みもわかんねぇとはな。昔懐かしいリボルバーでも、スライド式の自動拳銃でも、可動部を力で抑えりゃ撃てねぇのは、それこそ、幼稚園児でもわかる理屈だぜ。とにかくオメェらクズには興味がねぇ。」

刀田が拳銃を金髪男の手ごと握り、ひっくり返して地面に叩き付けた。刀田が強引に銃を取り上げて金髪男が悲鳴をあげた次の瞬間、須藤が革靴で金髪男の手首を踏み潰した。

「おやおや。カタギ? 昨今の善良な市民は拳銃持ってんのか? こりゃあ警察に届けなきゃなぁ。立派な銃刀法違反のブツだしな。刀田さん。」

須藤が手を出して、刀田は拳銃を放った。

「おい!引き上げろ!こいつは俺が始末をつける。その間隠しとけ!」

「はい!!」

須藤が拳銃を部下に渡して、部下達はぼこぼこにしたヤンキー達をワゴンに放り投げている。

「覚えてやがれよ!刀田ぁ!グラサン!!いつかぶっ殺す!!」

「できればな。」

須藤が言って、黒ワゴンが去っていき、須藤と刀田が残った。

「お久しぶりです。刀田さん。」

「須藤。久しぶりだな。破門されたとか言ってたけどどういうことだ? それに、この辺は閑静な住宅街だ。すぐに警察が来るだろう。」

「刀田さん。俺もとっくに狂咲の兄貴から破門された身です。刀田さんと違って、今は元ヤクザってだけの宙ぶらりんです。それに、この辺の物件は俺達の関係者の家です。サツなんて呼びませんよ。安心してください。」

刀田は何がなんだかわからなかった。

「積もる話もありやす。刀田さんがいなかった10年間。組長。いえ、現会長がどうしているかもお話させていただきたくて、ここに来ました。よろしければ、刀田さんのおうちに入れてもらえませんでしょうか? 不躾は承知の上です。」

須藤はサングラスを外して、膝に手を当てて頭を下げた。

「須藤。いいから入れ。頭のいいオメェの事だ。無策で来た訳じゃねぇんだろ? それに、破門だ何だ。兄者やオヤジの話も、色々ごちゃついてるし、中で話をしようや。」

「刀田さん。ありがとうございます!」

刀田と須藤が家に入っていった。


 リビングで須藤が、刀田に「好きに飲め」ともらったビールを飲んでいる。刀田は汚れた作業着と、私服を洗濯機に突っ込んで洗い直し、洗濯機のスタートボタンを押して、シャワーも浴び直した。

 須藤雄二。10年前は、刀田の派閥の舎弟で、若い衆の中でも実力者だった。

喧嘩と計算が立つ人材で、刀田がカリスマともてはやされていたとしたら、須藤は的確に補佐してくれる存在だった。年は少し離れているが、狂咲も欲しがる、将来の光栄会を背負って立つだろう人間だった。

 刀田はシャワーからあがり、着替えてリビングに行った。須藤が立って、90度に頭を下げた。

「もう足洗ったんだろ? そういうのはよせ。」

刀田が冷蔵庫から日本酒をとって、猪口を2つ、棚から取り出した。

「刀田さん。ありがとうございます。」

「いいから座れよ。俺も聞きてぇ事がある。オマエが立ってちゃ話づれぇ。」

「失礼しやす。」

 刀田が酒をついで、乾杯し、一気飲みをして、また注いだ。

「須藤。まずは、心から感謝する。俺が身動きとれねぇ中、あんなクズどもを片付けてくれて。すまない。ありがとうな。」

「刀田さん。そんな。俺は一般人として奴らと喧嘩しただけですよ。光栄会も京叉会も刀田さんも関係ない。そういう事にしといてくださいませんか。」

「京叉会の榎本か。身の程知らずの老害のクズのやりそうなこった。しかし、永見も含めて、光栄会の弁護も引き受けている沢尻と、さっきのアイツらが繋がってんのか?」

「えぇ。大西とか言う雑魚は知りませんが、あの会社、間違いなく京叉会の榎本裕司のシマですよ。榎本のクズ、何勘違いしてんのか、10年前も、権兵衛元組長が相手にしてねぇだけなのに、「光栄会が俺から逃げ回ってる」とか言いふらしてる脳がどこまでも腐った哀れな老害ですよ。

 調べたら、刀田さんにあそこを紹介した、永見って弁護士。予想外でしたが、確かに光栄会の弁護してる沢尻の知り合いでした。狂咲さんが知らねぇわけはないと思うんですが。」

刀田は微笑んで一気飲みして、また注いだ。

「気を使わず好きに飲め。

 それで、須藤。単刀直入に聞く。オメェ。光栄会を破門されたっつってたが、俺のせいなのか?」

須藤は一気飲みして、「失礼しやす」と言って手酌する。

「破門されたのは事実です。時期は、刀田さんがあの取引をぶっ潰して、裁判が始まった時からです。若頭の命令でした。表向きは、刀田さんについていくって聞かねぇ若造の処理。その実、若頭。いえ、狂咲さんは、刀田さんが破門されたと同時に、俺に刀田さんの補佐を命じました。あの人はいつも、俺なんかより先の先を読んでらっしゃる。」

「ふふ。兄者らしいな。俺の思い過ごしか。てっきり兄者を疑っちまった。あのクソ工場の連中の話を聞いてな。沢尻と京叉会。同じ弁護士の永見が京叉会の榎本とつながってたとは知らなかったぜ。あいつらが俺をあんな所にぶち込んだってのが、もしかして兄者も一枚かんでいるかもしれねぇって考えた時に、妙に癪に障っちまった。」

須藤は猪口を空けて、手酌し、スマホをいじった。

「俺だ。少し話したら行く。万全を期せよ?。あぁ。刀田さんの家だ。指示通りにしろ。」

須藤が電話を切り、また一杯空けて手酌した。刀田は須藤の言葉が気になった。

「どうした? やたらペースがはえぇな。こんなもんじゃたりねぇか?」

「いえ。滅相もありません。順序が変わっちまいましたが、紹介したい人がいます。

移動をお願いしたいんですが、その前に説明しておきてぇ事があります。」

「あぁ。なんだ?」

須藤が大きく息をついて、手を組んで、口を開いた。

「狂咲さんは、体が追いつかねぇ元組長を会長において、お飾りに長谷川さんを組長にした。あの人は年齢だけのバカ殿ですよ。その間に狂咲さんは、龍牙とも手を結んで、光栄会をでかくしている。名実共に光栄会の組長になるのも時間の問題です。でも、そのやり口は10年前の刀田さんの思いを踏みにじっています。元組長の義侠なんてこれっぽっちもねぇ。俺はそれが許せねぇ。」

刀田が猪口を置いて立ち上がった。須藤の言葉に頭が混乱した。

「兄者が? オヤジを裏切ったってのか? それに龍牙と手を結んだ? 手打ちですんだんじゃねぇのか?」

「龍牙とのビジネス提携は本当です。俺だって、狂咲さんと刀田さんの対立を超えた間柄は知ってやす。そうは思いたくはありやせん。でも外から見る限り、狂咲さんは光栄会を我が物にする為に刀田さんを売って、あんな掃き溜めに追いやってるんじゃねぇかって思います。狂咲さんは、藤崎さん親子も洗浄した金を入れて、刀田さんに恩だけ売ってる形にして、刀田さんを黙らせてる。そんな風に見えてしかたねぇんです!」

須藤が杯を空けてまた飲む。

刀田は一口つけて、酒瓶をもってキッチンへ向かった。

「待ってろ。燗酒を入れてくる。」

「いや、刀田さんにそんなこと

「いいから黙って座ってろ。」

刀田に言葉を遮られ、須藤はその眼力に、ソファーに座った。

 刀田は大徳利2本に日本酒を入れて、電子レンジに入れてスイッチを押した。

刀田はその間考えていた。オヤジを含めた、狂咲に邪魔な勢力である俺達を排除し、その間に、見た目綺麗に、自分の地盤を磐石にする為に動いていたのか? だとしたら、10年前から計画していたというのも予測できる。

 チン!と鳴って、刀田は熱燗を取り出して、リビングに戻った。

「すいやせん。刀田さん。」

「いや。かまいやしねぇ。まずは飲んで落ち着け。」

刀田が熱燗を注いで飲んだ。須藤もそれに倣った。

「つまり、オメェは、兄者が最初から。10年も前から今の結果を望んでいたって言いてぇのか?」

「えぇ。今の狂咲さんはこうなる事を計画していた様にしか思えなくて。藤崎さん達だってそうなんですよ。刀田さんと離婚しちまってから、足しげく通って取り入って。麗奈お嬢さんが刀田さんを実の父親だって知らねぇ事をいい事に、行事には必ず出て、父親づらしてやがって。組員の中じゃ、その・・・」

「美鈴が手篭めにでもされたんじゃねぇかとでも言ってんのか?」

須藤は顔を上げ、「んな事は・・ただの噂です。」と言った。刀田は燗酒を空けて手酌した。

「おめぇ。相変わらず嘘が下手だな。須藤。組の人間の大体はそう思ってんだろ? 構いやしねぇ。」

須藤はきょとんとしていた。

「俺と兄者は兄弟だ。血が繋がってなくても俺にはわかる。そんな奴じゃねぇ。10年前のあん時。俺が止めなきゃ本気で指詰めてただろう。俺は信じてぇ。」

「刀田さん。」

その時だった。呼び鈴が鳴った。刀島は燗酒を飲んで立とうとした。

「俺が行きやす。」

 須藤がリビングを出て行く。刀田は燗酒を飲んで手酌した。もう1人増えるなら同じ酒でも用意しよう。刀田がキッチンに向かい、大徳利に酒を注いでレンジに入れた。猪口を用意して考えた。

 獄中でも今でも思いだす。狂咲とオヤジとの初めての出会い。


 刀田は、親に捨てられた孤児だった。

 施設に入るも、恵まれた肉体と天性の喧嘩の強さで、少年時代から過ちを繰り返した。齢16にして人生に絶望し、喧嘩と酒と煙草と女に明け暮れて、18の時に、ある事件から光栄会の構成員と揉め事を起こした。構成員を半殺しにする程の剛腕と、天性の喧嘩の強さは成長していた。だが、多勢に無勢。

 その中でも群を抜いて強かった少年。狂咲光雄。息を切らせ、殴り合い、歯が折れる。

その時から、刀田も、狂咲もシンパシーを感じていた。過程は違うかもしれないが、今いる自分の姿は、目の前の男と同じ。獣の様に殴り合い、傷つけあって、周囲の構成員もその光景の異様さに手を出せなかった。その喧嘩の終焉の始まりは、狂咲の右フックだった。かすった程度に感じた攻撃だったが、刀田はそれを食らうごとにパンチや蹴りの精度が落ちていく。狂咲に当たっても、繰り出した攻撃の衝撃の大きさに対し、自分の身体に来る反動から想定したダメージが小さいとわかる。おかしい。そう思いながらも力づくで攻撃する刀田。最後は狂咲の右ストレートだった。

 肉体のダメージは小さいが、ふらついた足で、刀田は前のめりに倒れた。構成員が刀田を捕らえて車に放り込む。刀田は死を覚悟した。

 連れて行かれた広い日本家屋。

警備の黒スーツの男達が開ける門を通り、構成員達が刀田を砂利の庭に放り投げる。構成員複数が刀田を座らせ、両腕を掴んだままだ。その中の1人が、母屋にあがり刀田の視界から消えた。

 まるで時代劇の裁きの場だった。「もう死ぬんだ」と開き直って刀田は頭がスッキリして、最後まで殴り合った狂咲を睨んだ。狂咲は構成員が渡したハンカチで顔の血を止めながら、狂犬の様に鋭い、殺気に満ちた顔をしている。刀田は口元だけ微笑んで言った。

「ありがとよ。あんちゃん。マジで強かった。冥土の土産に、名前聞かせてくれよ。」

周りの構成員が怒り、刀田に叫びながら殴る蹴るをした。刀田は、その最中でも狂咲を見ていた。

狂咲は、歩み寄ろうとした。構成員に止められたが、肩にかかった手を握って言った。

「俺さ指図すんじゃねぇ!」

狂咲の眼力と勢いに怯んだ構成員。狂咲は、刀田の横にしゃがんで言った。

「俺は、狂咲光雄。オメェみてぇな馬鹿力と喧嘩のセンスは見た事ねぇ。看板だけの腕っぷしじゃねぇ。俺と同じ、叩き上げの邪拳だな。」

「へへ。最後の最後で話が合うやつに出会えた。ありがとな。」

狂咲から殺気が消えて、2人はわかりあった。何百の言葉を交わすよりも、戦う事でわかり合えるシンパシー。刀田は目を瞑った。

「勝手に納得すんな。オメェの名は。」

刀田が目を開いて言った。

「刀田武彦。」

狂咲と刀田は視線を合わせていた。

「おやおや。話を聞いて来てみりゃあ、随分仲がいい事だな。」

刀田以外が、庭と接する廊下に向かい「お疲れ様です!!親父!!」と叫んで最敬礼をしている。

 刀田の視線の先には、紋付袴の白髪混じりの男と同世代だろう女がいた。

「ジャリぃ!!頭下げろ!!」

刀田が構成員に、強引に頭を砂利の庭に押し付けられた。紋付袴の男が、刀田と狂咲の顔を見て大笑いした。

「はっはっはっ!!狂咲。お前も手こずったか! このジャリ、なかなかの腕前みてぇだな? どうだった? 白国。」

「へぇ。俺らの中でもこのガキに簡単に勝てる奴はすくねぇかもしれやせん。狂咲相手にほぼ互角でした。最後の最後は狂咲の技術勝ちでしたが。」

「白国さん。俺はまだ本気じゃなかったですよ。」

狂咲が憮然として、腫れ始めた顔で言った。

「へ。へへへ。」

狂咲が振り返る。頭から血を流して、顔もぼこぼこの刀田が微笑んだ。

「ジャリぃ! 何笑ってんだぁ!うちの組なめ腐ってんのかぁ!? タマとるぞ!?」

構成員が刀田の頭をまた地面にぶつけた。だが、刀田は力ずくで顔を上げた。

「新井の兄さん。こいつはそんなもん、怖がっちゃいませんよ。ここにいる時点で死を決めている。実際、拳を交わした俺にはわかります。」

狂咲の言葉に、新井という男は黙った。刀田は権兵衛を睨み微笑んだ。

権兵衛が、狂咲と刀田を見て大笑いした。

「はっはっは!この捨て犬。体も口も威勢が良いのぅ。拾った野良犬が2匹になったか。なかなかの腕っ節だったそうだから、見るだけ見てみようと思ったが。おもしろいじゃぁねぇか。」

権兵衛が刀田に近づき、眉間をつついた。

「いいツラだ。だが、まだまだおめぇは伸びそうだな。そのままじゃあ、どっかでくたばる。

 小僧。おめぇに守るものはあるんか?」

「ねぇよ。どこでくたばったって、それまでだ。俺に親も兄弟もいねぇ。誰も悲しむ事はないんだ。」

「へっへっへ。木の股からうまれてきたわけでもねぇだろ。果たしてそうかな? オマエの瞳じゃ譲りそうにないのぅ。だが、オマエをぶちのめしたあの野良犬も、守るもんができて随分変わった。

 どうだい小僧。いっその事、アイツと兄弟杯を交わしてみねぇか? 俺がおめぇのオヤジになってやる。俺にとっちゃあ、馬鹿な野良犬2匹でも可愛いもんだ。守るもんがあっても、おめぇが変わんねぇならそこで死ね。俺はとめねぇよ。ふふふ。」


 -現在。刀田の家。

レンジで温めた燗酒を取り出し、刀田はリビングに向かった。須藤と部下が2人。リビングの入り口で待機していた。

「そいつらは? オマエの客か?」

「いえ。刀田さん。お酌に預かりながら大変申し訳ねぇんですが、御移動お願いできますか? 女将さんと花蓮さんがお待ちです。」

 刀田は驚きのあまり、徳利を落とした。すぐに須藤と部下2人は床に膝をついた。

「どういうこった。須藤。」

須藤は気まずそうに口を開いた。

「刀田さん。勿論、光栄会の人間と関わっちゃいけねぇのはわかってます。10年前とは場所を変えてますが、秘密の抜け技道がありやす。今は更にセキュリティーが厳しいんで、色々と面倒をおかけしますが。」

「んな事どうだっていい。女将さんとお嬢が? 俺に?」

「えぇ。絶対にかぎつけられねぇ様に準備してあります。俺とこいつは車で目的地に向かいます。刀田さんは、こっちのと最寄り駅に向かってください。そこから案内させます。」

刀田は須藤達3人をみて目を瞑った。

「わかった。じゃあ、俺達も別々に出たほうがいいな。俺は1人で行く。場所だけ伝えてくれりゃいい。」

「ですが、刀田さん。1人は危険です。さっき追っ払った連中が全員とは限りません。 売られた喧嘩だって証人無しに乱闘騒ぎを起こしちゃいけやせん。」

「俺からしねぇよ。さっき追っ払ったばかりで、兵隊差し向けられんのか? 榎本如きにそんな求心力はねぇ。クズの寄せ集めにしたって、相手にならねぇ。」

「そりゃそうですが、刀田さんに万が一の事があっちゃあいけません。あのクズどもは行き先のねぇ連中です。ここに帰ってきたら荒らされて、徒党を組んでくる事も考えられます。できれば、大事なもんを持ってください。」

「わかった。 だが、時間を少しくれ。身支度もある。その間にオマエらは先に行け。俺はタクシーで近くまでいくさ。どうせ、その密会場所もワンタイムで消すんだろ?」

「はい。よくお察しで。」

「外の事は殆ど知らねぇが、そのくらい情報が緻密でめんどくせぇ状況なんだろ? 今は。」

「そうですね。わかりやした。 じゃあ、こちらの住所の近くに来たらその番号にご連絡ください。すぐに人を行かせます。それじゃ。」

 須藤がメモを刀田に渡して、3人は刀田の家を去った。刀田は玄関まで見送って、ドアが閉まるのを見届けた。

 靴箱の上の写真立てを見て、美鈴と麗奈の写真を抱えて自室に戻った。こまごましたものをバッグに詰めて、考えていた。

「オヤジ。女将さん。お嬢。兄者…。」


 四、空白の10年

 刀田は、数時間だったが、酒を飲んで夕方を待っていた。考えが整い、バッグを持つ。

 刀田は家を出て、人通りの多い道に出た。

夕方の人混みは、追跡をまくのに容易く、なにか起きようものなら目立つから都合がいい。

 メモ紙を見て、新宿の近くでタクシーを降りた。

追跡の気配に気づき、10年前と変わらない見知った複雑な道を歩く。問題なく追跡を逃れて、刀田の背後から「探せ!探せぇ!!」と声がした。刀田は「バカのあまちゃんだな」と無言でほくそ笑み、歩き去った。

 須藤のメモの場所についた。

須藤が連れていた男が刀田を見て会釈した。

刀田はその男についていき、マンホールから地下に入っていく。刀田は、ところどころ知らない道をついていき、厳重なセキュリティを何個も通った。

マンホールを出ると、どこかのきれいなホテルの地下施設につき、男に案内された。

 最上階の黒服スーツの男達。

厳重な警備の中、刀田の視線の先に大きな扉と須藤が見えた。刀田が近づく。

「刀田さん。お待ちしておりやした。」

「あぁ。待たせた。 ここに来る途中、アイツラの仲間っぽいのがつけてきたが、ちゃんとまいた。」

「よかったです。女将さんとお嬢がお待ちです。」

刀田は少し緊張した。

秘密裏とはいえ、須藤を使って会わせる意味。刀田は、狂咲の意思確認の為の質問を反芻した。

 刀田と須藤が「失礼しやす!!」と言って、カードセキュリティを解除して部屋に入る。窓辺に2人の女。1人は黒の和服、1人はグレーの清潔な印象のスーツ姿。遮られない階下の街を見下ろしていた。

刀田がバッグを置いて、頭を下げた。

「女将さん。お嬢。 ご無沙汰しておりやす。」

2人が振り返る。2人ともグラス片手に立っていて、部下にカーテンを閉めさせた。

「刀田。久しぶりだね。お勤めとはいえ、元気そうで安心したよ。花蓮はわかるみたいだね。」

「当然です。女将さん。お嬢の御姿、いくら変わっても忘れるわけがありやせん。」

 和服の年老いた女は皆沢愛子。皆沢権兵衛の妻。

その娘の花蓮は刀田と10ほど離れている。

 花蓮は男女2人ずつの4兄妹の長女で、子供の頃から、ヤクザの娘だという事で、周りから浮いていた事を恨んでグレていた。花蓮が問題をおこす度に、刀田や狂咲が何度死地に赴いて助けた事か。

 刀田が逮捕された時には、大学の法学部に入学していた。刀田が驚いたのは、花蓮のスーツの弁護士バッチだった。弁護士になっていたとは意外だった。

「お嬢。まさか弁護士に? 変な野郎に目をつけられたりしてねぇですか?。」

「相変わらずね。刀田。アタシだってもうガキじゃないんだよ。いつまでも保護者ヅラしないで。

 そうだよ。アタシは法律を盾にいくらでも逃げていた悪党をよく知っている。そんな人達から一般市民を法の力で守ろうと思ったんだよ。他は知らないけどね。」

 皆沢家は4人は長男次男、次女もヤクザの世界に入ろうなんて思いもしなかった。権兵衛が、子供達には自由な生き方を選んで欲しいと考えていた。組の跡継ぎがいない事など関係ない。子供達にも組の子分達にも意思を強制させるつもりなんてなかった。

 古いヤクザからも新世代のヤクザからも、なめられておかしくない「弱腰だ、新宿の鬼と言われた名が泣く」など言われたが、権兵衛はそんなものどこ吹く風だった。

「刀田。食い物でも酒でも好きに頼んで座りな。須藤からは、オマエに伝えた内容を大筋聞いている。」

「はい。女将さん。」

刀田は愛子と花蓮が席につくまで立ち、無言でいた。

「刀田。早く座んな。でないと須藤が可愛そうだろう? 腹は減ってないのかい? アタシらはもう済んでるよ。酒も気にすんな。」

「女将さん。お嬢。失礼しやす。」

刀田と須藤が座り、黙っている。

愛子は刀田の好みの酒を部下に用意させる。

「さて。話をしようか。それとも酒が来てからがいいかい?」

愛子はグラスに冷酒が好きで、花蓮はワインを飲んでいる。

「滅相もございません。頂けるだけでもありがてぇ事です。礼儀は尽くさねぇといけません。」

「ふん。相変わらずの堅物だね。10年のお勤めに仮釈放だ。今夜は無礼講でいい。」

愛子が煙草をだすと構成員が火を点けた。

「では、女将さん。ひょっとしてですが、須藤が言ってた、永見じゃねぇ弁護士ってのは……」

「いや、違うよ。刀田。アタシじゃ、光栄会の人間って事にもなりかねない。アタシが直接、光栄会に依頼されていてもいなくてもね。

 アタシが仲立ちになるんだよ。今の職場を辞めるのに必要になる。アンタの事だ。どうせ見ず知らずの他人じゃ、変な気まわして本当の事言わないんだろ? あのクソ親父や母さん、狂咲じゃなくたって、アンタの事知ってる人なら想像に容易いさ。」

花蓮が答えてワインを飲んだ。

「お嬢。あの掃き溜めの実状と辞める理由になる証拠だったらありやす。あの野郎どもの、聞くに堪えねぇ嫌がらせの数々です。初日からとっときました。」

刀田がICレコーダーを胸元から出してテーブルに置いた。花蓮がICレコーダーを手に取り、再生しようとしている。

「お嬢。女将さんやお嬢には聞くに堪えねぇ、本当に腐った言葉ばかりです。お控えなさった方が気分を害さずにすみます。」

「ふん。まぁゴロツキくずれの言うこ事なんざどうでもいいけど、アンタもしたたかになったもんだねぇ。最近のムショじゃ、そんな更生プログラムもあんのかい?」

「いえ。女将さん。俺がシャバにいた時だってそんなもんはありませんでした。時代が日進月歩で進んでいる中、用心の為です。」

「そうかい。オマエも賢くなったもんだねぇ。狂咲の入れ知恵かと思ったよ。」

愛子が冷酒を飲んで、手酌した。光栄会の構成員達が刀田と須藤に酒を持ってきた。2人とも「いただきやす。」と言って、盃をあけた。

「女将さん。須藤の言った事が全て事実でも、兄者が俺を10年前から計画的にハメて、出てきたら排除して潰そうとしてるなんて思えねぇんです。兄者はそんな奴じゃねぇ。10年前、あのまま俺が意地張ってたら光栄会はぶっ潰されてたかもしれません。兄者は俺を使ってでも存続を願ったし、兄者はそれを実現した。ムショの面会で兄者から直接聞きやした。」

「まぁ、当たらずとも遠からずだ。狂咲はオマエを始末しようなんて思ってない。寧ろ逆だよ。」

「女将さん。それはいってぇどういう?」

愛子が冷酒を飲んでため息をつき、また注いだ。

「狂咲は10年前、龍牙相手に対等に渡り合おうとした。オマエが潰した龍牙とウチとの取引は、実際は裏取引があってね。お互いの組織の邪魔者を潰し合う事で、表面上対立している様に見えるが、お互いシノギの邪魔をしないどころか、恩を売ったのさ。

オマエに不自由を課す引き換えにね。ここまでだとオマエも虫酸が走るだろうけどさ。」

「いえ、女将さん。 兄者らしい上手い手ですよ。

一応は兄者の兄弟分の俺に汚れをさせて龍牙に恩を売る。お互いの邪魔者の排除だけじゃなく、日本での販路も見逃すって寸法じゃねぇですかね?」

愛子は冷酒を飲んで微笑んだ。

「わかってるじゃないか。そうだよ。お互いに潰す潰さないより、金で繋がりを得る事を狂咲は選んだ。その方が光栄会を発展させて、地位も確立できる。無駄に張り合って体力勝負なんてしないのさ。

あの時、意地張って龍牙と抗争でも起こして乗り切っても、弱ったウチに他が食いにかかるからね。

 今や、電子データ上のマネーゲームで勢力図が動く。デジタルで日本も荒稼ぎをしている連中が多いから、小さい拠点だけ持っておけばいいのさ。アタシらの時代とは大きく変わったもんだ。大きな箱を抱えていれば、それがプライドになってふんぞり返っていられるなんてのは時代遅れも甚だしいね。

 それが外人だって日本人と変わらないと思ったのはアタシも意外だったけどね。外国でもそういう古風なマフィアより経済マフィアが台頭するのが顕著になってきた。暴力は最終手段さ。

 まぁ良いさ。ウチの人は、そういうのが気にいらねぇって、止めようとしたけど、時代の流れにゃ勝てないもんさね。流石にウチの人も狂咲に怒ったさ。「兄弟を売るんじゃねぇ!」ってね。

アタシだってそう思ったさ。でも、その時、狂咲は言ったよ。「兄弟にしかませられねぇ事もありやす」ってね。どういう意味かはすぐにわからなかったし、ウチの人がキレちまってね。アタシにゃ手が出せなかった。そっから先は話が長引いたよ。最終的にはウチの人も狂咲を信じて、アンタを巻き込んだ計画を条件付きで認めたのさ。」

愛子が冷酒に口をつけて、刀田が燗酒を飲んだ。

「兄者がそんな事を・・・。

 女将さん。あえて聞きやす。兄者はそういった計画で俺を巻き込んで光栄会を守った。確かに、俺やオヤジを排除するのが交渉事には都合が良いでしょう。納得もできます。

 それから今は、本当のところどうなってるんですかい。須藤の言うこ事を丸のまま信じたら、俺ら古い考えを排除して、自分の為に光栄会を今時の形に作りかえるのに俺達が邪魔だったとでも聞こえちまうんです。」

「そうだろうね。面倒事は嫌いだから結論からぱっと言いたいが、その前の段階の説明も必要だからね。長くなるから勘弁しておくれよ?」

愛子が煙草をくわえて、構成員が火を点けた。愛子がため息をついて、灰皿に灰を落とした。

「さっきも言った通り、狂咲は龍牙との全面抗争、対立を避けた。日本を戦場にした泥仕合になるのは見えていたからさ。オマエが被ってくれた事で、具体的な利益はあった。

 光栄会の利益は、裏切り者の平井一家の皆殺しでメンツを保ちつつ、シャブや武器の売買ルートの共有。

 龍牙の利益は、向こうで邪魔な幹部をあの取引の担当にしてけじめをつけさせて殺す事さ。

 オマエの言う通り、狂咲は、兄弟分を犠牲にする事でこっちも誠意と本気の度合いを見せた。しかも、外見上、保守の考えのオマエとその一派を排除するっていうていは一番わかりやすいし都合が良かった。ウチの人を巻き込んでもね。次期組長として組のトップに立って改革をする。そう見せたのさ。

龍牙も食いついて、龍牙にも同じ様な構造がある邪魔な幹部を排除する事で話がついて実行に移された。だが、狂咲はそんな事本気で企んじゃいなかったのさ。賢い男だよ。本当に。」

愛子が一服し、花蓮も須藤も酒を飲んで黙っている。

「兄者は本気で今の状況を望んじゃいなかったてぇのは。何をしてぇってんですか?」

「そんなもんの経緯は、アタシやウチの人じゃなくて本人に聞く事だね。

しかしまぁ、オマエも杓子定規だねぇ。ケツでも掘り合ってんじゃねぇかっていうくらい仲が良かったオマエでもわかんねぇか。回りくどい言い方はやめよう。

 今、狂咲は全部背負って死のうとすらしている。

狂咲はその決意を10年前にしていたんだよ。それもウチの人が激怒したよ。アンタも狂咲も失いたくないっていうのは本音だった。だけど、オマエと同じで言う事聞かない坊だからねぇ。ウチの人も最後には折れたのさ。」

「女将さん!兄者が死のうとしてるって、どういう事ですか!?」

刀田が猪口を置いて、内心の混乱と憤りを抑えながら静かな表情で愛子を真っ直ぐ見た。

「落ち着きな。刀田。年寄りの話は長くて悪いけどもさ。続きを話そう。

 狂咲は本音を表に出さない性格だし、頭も良いから順応して、龍牙だろうが誰だろうが負けはしない。寧ろ食ってやるって気持ちだった。ウチのやり方を守りながらね。そんな難しすぎる状況の打破を考えた。それに加えてあの坊の悪い癖さ。1人で何でもかんでも背負っちまって。

 光栄会をガラッと変えちまったが、組の体力を作り上げる事はできて、他のでかいばっかりの全国規模の極道とも、潰された極道とも違う、独自の体制をこの10年で作り上げた現状。並大抵な努力じゃなかった。光栄会の幹部から「極道じゃねぇ、邪道、外道だ」なんて言われる様な汚い事もいくらでもした。本心は、んな事したくねぇはずなのにね。

 やっと結論に至るが、狂咲は、そうやって作り上げた今の光栄会をアンタに引き継がせたいんだってさ。その話になって、ウチの人は逆に狂咲にお願いしたよ。「そんな事するな。オマエと武彦で光栄会を引っ張ってくれ。俺が全て背負ってくたばればいい。どうせ短い命だ」ってね。

 狂咲はそれを頑として受け入れなかった。「オヤジと刀田があっての光栄会の看板だ。兄弟をあんな目に合わせてひでぇめにあわせた冷酷非道。こんな事しかできなかった俺が償わなきゃいけねぇ。」ってね。須藤の破門もその為さ。狂咲が認める商才も義侠もある須藤に、光栄会の未来を託す為の破門だ。刀田は看板を背負い、須藤に補佐として自分の後を継がせるつもりなんだよ。

しっかり地盤を固めた状態で、オマエと須藤が光栄会に反逆して元の鞘に戻る。自分が死んで、お前達を光栄会を戻す。それがアイツの望みだ。」

愛子が話終えて、冷酒を飲んだ。

須藤が涙を流し「狂咲さん。」と呟いて涙を拭いている。刀田が立ち上がった。静かな怒りを内在しているのは、その場の誰しもがわかった。

「刀田。行こうってのかい? 狂咲の所に。」

「女将さん。俺が光栄会につながっちゃいけねぇのはわかってます。十分にです。ですが、兄弟が親の言う事きかねぇで泣かせるなんて、俺の背中が許しゃしません!」

その場にいる全員が刀田の言っている意味を理解した。

 刀田の背中には、崖で満月に吼える右向きの黒い狼。狂咲の背中には同じ構図で左向きの黒狼。刀田と狂咲は兄弟杯を交しただけじゃない。同じ黒狼の左右対称の入墨をしている。刀田と狂咲の固い絆の証であり、2人で1つ。片方が欠けてもいけない。間違いを起こしたら片方が助ける、鉄の掟。

花蓮が言った。

「刀田。やめなさい。法的に今アンタが光栄会と接触しちゃいけない事はアンタ自身わかってるって言ってるけど、感情で馬鹿な事しないで!

 アンタが狂咲に手を出したら、どんな真相や理由があっても端から見たら狂咲への仕返しよ!? 

それに、真相が知れたら、龍牙との繋がりも明らかになって10年前の犯行だって計画的犯行として扱われて、光栄会が警察や検察だって必ず動く。更に加えれば、狂咲の計画もアンタの10年が水の泡になってしまうのよ!?」

「お嬢。それでも俺はケジメをつけなきゃなりやせん。俺達は2人で1つなんです。兄者が嘘ついてまでやろうとしてる事も、とめなきゃいけねぇのは俺なんです。」

「何言ってるのよ刀田!ダメよ!言ったでしょ!? 法的にアンタは・・・

「花蓮。やめときな。」

花蓮の言葉を愛子が遮った。冷酒を飲んでため息をついた。

「刀田。アンタはそう言うと思ってた。さっきは悪い事言ったね。謝るよ。すまない。」

「やめてください女将さん。女将さんが言う事じゃありません。俺だって、今、兄者の考えや真相を知って面くらっちゃいます。

 ですけど、法律もクソも関係ありません。俺達には関係ねぇ。兄者の悪い癖だ。勝手に先走って勝手に決めちまう。一発ぶん殴ってやらねぇと、兄者は目が覚めやしませんよ。」

「刀田!!時代錯誤も甚だしいわ!あのクソ親父と同じじゃない!暴対法の改正も進んでいるし10年で更に更に厳しくなっている。法律も金も、暴力を超える圧倒的な力そのものよ!? そんな無茶苦茶な考えやめなさい!」

花蓮がワインを飲み干して、テーブルに置き、刀田を睨みつけている。刀田は微動だにせず、花蓮を見ていた。花蓮も刀田ならそういうだろう事はわかっていたが、なんとしても止めたかった。その為に自分は今ここにいると思っていた。

「花蓮。やめな。狂咲も狂咲だが、こいつもこいつさ。2人にしかわかり合えないものが存在すんだよ。

 やれやれ。ウチの人の言う事はこういう時に当たっちまうねぇ。昨日話した通りになっちまった。アタシもできれば花蓮の考える方向にしたかったんだけどね。」

刀田が目を見開いて愛子を見た。

「オヤジには、会う事はもうまかりなりませんか? 兄者からは御健勝と聞きましたが。」

「ふん。しぶといもんだよ。10年前に余命宣告されて、オマエが出てくるまではもたないだろうって言われてたのに、一応、頭もはっきりしてる。もうろくしたのか、ただのジジイになったのか、花蓮の娘も含めて孫にメロメロで困ったもんさね。貢ぎまくってだらしないったらありゃしないよ。外に女でも作ってる方が健康だよ。アンタの顔みりゃ、少しはシャキっとするだろうよ。

 ついてきな。この階の一番厳重な部屋に居る。管が体についてる車椅子だけどね。須藤もくるかい?」

「はい!!女将さん!!」

愛子と花蓮が立ち上がり、刀田と須藤もついていく。

刀田も須藤もポーカーフェイスだったが、皆沢権兵衛に会えるという思いで緊張していた。


 愛子と花蓮が同じフロアの厳重警備の部屋に着き、門番に指示をした。刀田も須藤も緊張して、最初になんていって言いかわからなかった。

重厚な扉が開いて、4人が入っていく。

「失礼しやす!!オヤジさん!!」

刀田と須藤が部屋に入る。窓際に車椅子に座った長い白髪の老人がいる。階下を見ている。

強面の老人が車椅子を操作して振り返り、酒を飲んだ。

「刀田。久しぶりだな。お勤めご苦労だった。」

権兵衛がテーブルに杯を置いてゆっくりと立ち上がろうとした。周りの構成員がカーテンを閉めて、権兵衛が立ち上がるのを助ける。それと同時に刀田が走りよって、権兵衛の体を支える。権兵衛は刀田の腕を触れて、優しい笑顔になった。

「オヤジさん。」

「この太い腕。相変わらずいいガタイしてやがる。聞いちゃいたが、間違っても、ムショで喧嘩なんてしちゃいねぇだろうな?」

「勿論です。仮出所から、京叉会の野郎どもの掃き溜めでも何もしちゃいません。オヤジこそ、御健勝で何よりです。オヤジのお体の事ばかり心配でなりやせんでした。」

「はっはっは。男同士で気持ちわりぃ事いうな。俺は大丈夫だ。鬼の権兵衛は殺しても死にやしねぇよ。だが、年にはかてねぇな。随分と老いぼれちまったもんだ。」

「何言ってるんですか、オヤジさん。」

刀田は膝を突いて、涙を流した。自分の命を拾い、ヤクザの世界でも応援してくれた権兵衛との思い出。辛く厳しい時も当然に腐るほどあったが、自分のオヤジはこの人しかいないと刀田は思い続けていた。

「泣いてんじゃねぇよ武彦。さぁ、酒でも飲もうぜ。愛子と花蓮、須藤からも色々話は聞いたようだな。ここのモニターで見て聞いていた。

 須藤。お前にも色々苦労をかけた。すまねぇな。光雄が描いた絵は俺が口を挟む必要のねぇくらい計算されたものだった。光雄の後釜に、光栄会の脳としてお前を据えたいって言うのも俺は納得したよ。」

「もったいない言葉です。組長。」

「ふふふ。そんなにかしこまるな。俺は会長という座にがいるが、隠居生活の老いぼれだ。愛子や子供達にも言われるぜ。孫煩悩なのは勝手だけど教育にわりぃってな。」

「父さん。話が長いよ。もっとマシな話をするんじゃないの?」

「おっといけねぇ。そうだったな。なんだか、久しぶりに権壱や浩二以外の息子に会った気分になっちまってな。つい気が緩んじまう。」

 権兵衛の手を刀田と須藤が引いて、ソファに座らせる。権兵衛も色々話して、3人で盛り上がっている様子を見て、花蓮はため息をついた。その間に愛子は酒と食べ物の準備をさせた。

「やれやれだわ。母さん。アタシや杏奈にも甘かったけど、刀田や須藤にもデレデレじゃない。権壱兄さんや浩二が見たら嫉妬するかもよ。」

「ふん。何を今更いってんのさ。あの子達はそこまで馬鹿じゃないよ。アイツはアンタ達にも甘々だったけど、子分だって実の息子同然に可愛いくて特別なのさ。困ってるはぐれ者を放っておけない。貧乏くじばっかり引いて、それでも愛するんだから。新宿の鬼、アイツの背中の般若が泣くってもんさね。そんなバカの義侠に惚れちまったアタシも馬鹿だったねぇ。人生やり直したいよ。」

愛子が煙草に火を点けて一息ふかした。花蓮はくすくす笑っている。

「母さんは相変わらず、父さんが好きなのね。母さんのお惚気も耳にタコよ?」

愛子が花蓮の笑みを「ふん。」と一蹴して、ソファに座る3人を見た。

「アンタこそ。ガキの頃から言ってたじゃないのさ。厄介事おこす度に、刀田にも狂咲にも本気で惚れててどうしようか迷ってるとか、わけわかんない少女マンガのヒロインこいてさ。本気で結婚まで考えてたあの頃のオマエが懐かしいね。

 覚えてるかい? 小学校の作文発表の時、将来の夢はお父さんの認める人のお嫁さんになるって。あの頃はまだ可愛かったね。」

花蓮は顔を真っ赤にして、愛子から視線を外した。

「そ、そんなの子供の頃の話じゃない! もう大人だし、旦那も子供もいるし。いつまでも本気にしてないわよ。」

「そお。なら良かったわ。大学で司法試験の勉強が大変だとか言いながら男を近づけなかったアンタだったから、婚期を逃したらどうしようかってアイツと話した事もあったわ。よかったよかった。」

「バ、バカじゃないの?」

花蓮がバッグを置いてキッチンに向かった。愛子は煙草をすって権兵衛の隣に腰をかけた。


 刀田、須藤、皆沢家の3人が乾杯して色々と話していた。

刀田にとっては、空白の10年を埋める話ばかりで時間はあっという間に過ぎた。

 権兵衛は光栄会の組長ではあるが、狂咲の計画通り、肝臓や肺の持病でサナトリウムにいるという。

背中の入墨のせいもあって特殊患者として扱われてはいるが、苦しみもほとんどなく退屈だとぼやく。昔のように鉄火場のスリルを味わいたいと言えば、愛子や花蓮が「バカいってるんじゃない」と相槌を打つ。刀田も須藤も昔話に花が咲いた。

 5人で色々話した後、場は少しの間の沈黙があった。刀田も須藤も酔いが回ってきたが意識ははっきりしていた。権兵衛は生き生きとして壊れた肝臓に酒を流し込んでいる。

刀田は口を開いた。

「オヤジ。これからの話を伺ってもいいですか?」

刀田の言葉で場が引き締まった。権兵衛が杯を置く。

「あぁ。光雄に会いてぇってな。オマエの気持ちはよーくわかる。野暮な事はいいたくねぇ。

だけどもよ、条件がある。武彦。おめぇ。光雄に会って、ぶん殴って、和解でもして元の鞘に事が終わると本気で思ってるのか?

 光雄は実利を求める為に犠牲にしたもんが多分にある。アイツが嫁の貰い手も隠し子も作らねぇのは、アイツの跡取りができちまえば、龍牙や他のヤクザにもつけいる隙ができちまうからだ。自分の身を賭して、オメェに光栄会を継いでもらって、それまで美鈴ちゃんや麗奈ちゃんも守った。もしオメェが、兄弟としてのケジメをつける為にオメェがぶん殴りたいだけで、理想を追い続けるんだったら納得できねぇ。光雄も苦しんでの決断だった。俺はそれを尊重してぇ。光雄の事も考えてやれや。」

権兵衛の言葉に刀田は黙った。

その状況を見ていた3人は口をつぐんで酒を飲んだ。権兵衛が腕を組んで刀田に睨みを利かせている中、刀田は口を開いた。

「オヤジ。覚えていやすか? 俺が安藤組の報復に対して、頭に血が上っちまって鉄砲玉みてぇに飛び出そうとした時、兄者が止めた事。」

「あぁ。覚えてるぜ。あん時オメェはまさに若気の至りだった。組の女や構成員をひでぇめに合わせた安藤組をぜってぇ許さねぇってな。俺にも刃向かった。光雄だけだったな。力づくでも最後まで止めたのは。」

「はい。俺は破門覚悟であいつらを許せなかった。親オヤジの為と思って先走ろうとした。あの時兄者は俺に対しても理解はしてくれたが、全力で止めた。そん時兄者が言ったんですよ。

 いくらオヤジや組の為でも、オマエが1人で背負い込んでどうなるもんでもねぇ。それでも行くなら俺をぶっ飛ばしてからにしろ。俺をぶっ飛ばして、オヤジに破門されてでも行くってんなら好きにしろ。俺は喜んでこの首を賭ける。その勇気はあんのか?

 兄者と俺はその日の夜、俺が拾われた時以来の大喧嘩をしました。今でも鮮明に覚えてます。

お互い誰もつけずに2人で満月の夜、埠頭で殴りあった。どのくらいだったか覚えてませんが、最後の最後は頭突きで倒れて朝になってた。俺は目を覚まして報復の連鎖を腹におさめた。

 今度は俺の番なんですよ。兄者が1人で何でも背負い込んでバカやろうとしてる。兄弟としてのケジメもありやすが、兄者が苦しんでいるなら尚の事です。兄者をぶっ飛ばして自分の理想を掲げたいんじゃないです。もうぶっ壊して解決とか、どっちがどっちの犠牲になるなんてのは心底嫌なんです。できるものなら全部守りてぇ。俺と兄者は2人で1つの双狼なんですよ。」

 話し終えた刀田の表情を見て、権兵衛は黙っていた。

花蓮が腰を浮かそうとした時、愛子が花蓮の膝に手を乗せて首を横に振った。

「双狼、あわせオオカミか。ふふふ。思いだすなぁ。オメェらに、対立しねぇあわせの彫りを提案した時の事だ。龍でいいのに、狼を選んだから”双狼”で”ソウロウ”だなんて不名誉な響きはやめとけって言ったのにくってかかってきたな。そんなふざけた覚悟じゃねぇ、一匹狼が二匹で一人前になるってな。

その気持ちに、未だに一点の曇りもねぇってことか。いい歳なのに甘ちゃんだな。2人とも。」

「はい。オヤジ。」

刀田の言葉に、権兵衛は杯を持って刀田に向けた。刀田は権兵衛に酌をして、ソファから降りて膝を突いて杯を権兵衛に差し出した。注がれた杯を持って、2人は交した。光栄会独特の上の許可をしめす行為だ。

「武彦。オメェがそこまで言うならやるだけやってくれ。オメェが光雄をどうにかしてくれるんじゃねぇかって期待半分、なまっちょろい事ぬかしたら止めるつもりだった。負けたぜ。武彦。」

「滅相もありやせん。オヤジ。」

刀田は正座のまま深々と頭を下げた。

「光雄を頼むぜ。武彦。俺は待ってる。」


 五、裏切りの月夜

 刀田はあるホテルに入り、ベッドに座った。

いい具合に酒も入って、眠かったが、頭の中を整理する為、煙草に火をつけて色々と思い出していた。

 数時間前の高級ホテルのこと。

刀田は権兵衛の許しを得て、狂咲と決着をつける事になった。光栄会でお膳立てをしてくれるという話。

最初は刀田が、独りでやりたいと断ったが、狂咲の今の立場を考えるとその方が情報の漏れもないとの事で、月下の決闘を納得した。数日の間に須藤が刀田に連絡を入れるとの事だった。

その間に花蓮は、早々にICレコーダーの情報を元に、弁護士として第三者を入れて刀田の会社に対する正当な休職届けを受理させる事になった。そこから京叉会の動きを封じ、刀田を全うな仕事に就ける様に取り計らうという。

 刀田は煙草を消して酒を飲んだがなかなか寝付けず、狂咲との決闘に向けて、筋トレを始めた。

「兄者。今度は俺の番だ。」


 翌朝。刀田はテレビをつけて驚いた。ニュースキャスターが火事の報道をしている。紛れもない、刀田の家だった。刀田はため息をついて冷蔵庫から酒を取り出した。

「本日未明、東京都新宿区の閑静な住宅街で火災の119番通報がありました。幸い、住人は不在であり、警備会社からの通報と近隣住民からの消防への通報が早く延焼は防がれたとの事ですが、放火の可能性があるとの事です。警視庁では、被害者宅の周囲の落書きも視野に入れて捜査を行うとの事です。」

刀田は酒を飲んで、自宅に書いてある落書きを見た。「しね馬鹿!」「コイツはヤクザ!」「早漏」「リアルクズの人生の堕ちこぼれ」などなどだった。刀田はため息をつくだけで、特段苛立ちもしなかった。

「あのクソ野郎どもか。しかし、須藤の連中に捕まってから随分早いな。大西達の仕業か? まぁどうでもいい。掃き溜めの中の肥溜めにいちいち腹立てる人間のほうが愚かだ。」

 刀田が缶ビールを飲んで情報番組を見ていると、スマホが鳴った。須藤だった。

「どうした。まさかもう段取りができたわけじゃねぇんだろ?」

「はい。ですが、刀田さん。おうちの事で、申し訳ございやせん。あの金髪の馬鹿どもをシメてから銃は取り上げて開放したらしいんですが。大西とか言うクズどもが勝手に動いたか知られたのか。」

「あぁ。報道で見ている。随分見苦しい事をやってくれるもんだな。まぁ。どうでもいい。俺の抜け殻しかねぇあの家だ。焼け落ちてもどうでもいい。美鈴も麗奈も兄者のおかげで大事なんだろ? それだけで十分だ。」

「しかし、刀田さん。ナメられっぱなしじゃ刀田さんのメンツってもんが。」

「昨日、オヤジや女将さん、お嬢とも話したじゃねぇか。俺にとっちゃヤクザとしてのメンツなんざクソ食らえなんだ。俺の目の前の大事な事は、兄者とのケジメだ。大事の前の、しかも俺にとってだけの小事なんてきにしねぇ。」

落ち着いた口調で淡々と話す刀田がビールを飲んだ。須藤の沈黙が刀田は気になった。

「わかりやした。でもあの金髪のふざけたチャカ坊や大西どもは許せません。」

「須藤。おめぇがどうしてもってんなら、俺はとめやしねぇ。だが、忘れんな。昨日の話もあんだろ。報復の連鎖は何も生まねぇ。泣き寝入りしろってんじゃねぇ。」

また須藤が沈黙した。刀田は真っ当な事を言ったつもりだった。

「わかりやした。変な気は起こしはしません。花蓮さんが動いて下さってる最中ですもんね。今後の情報を継続して入れやす。あのクズどもの情報も参考までに。」

「あぁ。須藤。頼んだ。」

 刀田は電話をきってビールを飲みながらベッドに座った。テレビを見ながら、刀田は藤崎美鈴と麗奈を思いだし、バッグから美鈴が残した写真を見つめていた。もしかしたら襲われたりしていないだろうか。別れた妻と愛娘。狂咲が守ってくれているから、京叉界の手下である大西達や殴り込みに来たクズレどもに簡単に手は出せないと信じた。

 だが、今さっき、須藤には、報復の連鎖は何も生まないと言いながら、いざ自分の大事なものが危機に晒されてしまえば、その時自分が何をしでかすか。刀田には自分を制御できる自信がなかった。

刀田は、自分の判断が見切り発車だったのではないかと、考えを巡らせた。


 昼前。自由にホテルを出るわけにもいかない刀田。

権兵衛の許可を得てからでないといけない。それに、権兵衛から渡されたダミーのスマホを使って、須藤のグループや光栄会の構成員に連絡する。刀田のスマホは盗聴やハッキングの可能性があるからだという。刀田は2本目のビールを飲んで鼻で嗤った。

「結局アナログが一番って事か。デジタルは、知識や経験が疎いオヤジの時代の人間からすりゃ、怖いもん以外のなにもんでもねぇからな。わかるぜ。」

刀田は連絡用のスマホで構成員に電話をした。

「無茶は承知で外を歩きたい。」

「少々お待ちを。」

電話がきれた。刀田はビールを飲んでため息をついた。テレビも昼前だと面白いものもない。カードを買って好きな映画でも番組でもAVでも観る事はできるが、特段観たいともおもわなかった。更に冷蔵庫の酒に手を出して、筋トレで体を仕上げていく。

構成員から電話がかかってきた。

「俺だ。早いな。」

「よぉ。兄弟。色々と生真面目に物事動かしてるみたいだな。オマエらしいぜ。」

刀田が酒を落とした。

「兄者。いいのか? いくらなんでもこの電話じゃ大胆じゃねぇかい?」

「そう気にすんなよ。オヤジからも女将さんからも聞いたぜ。オヤジさん達も、俺の計画をよくもベラベラと話してくれちまったもんだと思ったが、まぁいいさ。オマエに疑われたままで、俺があーだこーだ言っても簡単には信じねぇだろうって思ってた。そういう意味じゃ、手間が省けた。

 兄弟。俺と決着つけようってな?」

刀田は酒を飲んで、新しい缶ビールを開けた。

「あぁ。兄者。あの時みてぇにさ。

覚えてんだろ? 俺が安藤のところにカチコミに行こうとした時に兄者が止めた。そして、朝まで埠頭で殴りあったよな。兄者とガチで大喧嘩したのは俺が組に入って以来だった。」

「あぁ。そうだな。あの時の脳みそひっくりかえんじゃねぇかっていうくらいの衝撃。今でも忘れねぇぜ。オメェの石頭には弾丸でも耐えられんじゃねぇかって思ったぜ。」

「あぁ。兄者こそ。俺の石頭に対抗してあん時ゃ俺も脳みそ揺れて・・・」

刀田は腹を割って話し始めた狂咲に心を許しそうになった。

だが、刀田は自分の汗をかいた上半身を見て、大きくため息をついてビールに口をつけた。

「どうした兄弟。」

「わりぃ、兄者。調子こいちまった。全部知ってんなら話がはえぇだろ。今度は俺が兄者を止める。」

数秒、刀田の声に狂咲は黙った。刀田の耳にライターの火をつける音と吐息が聞こえた。

「兄弟。勘も感覚も鈍っちゃいねぇようだな。安心したぜ。」

「兄者相手に無策は馬鹿のやることだぜ。わざわざ連絡してきたってのはどういう事だい。」

狂咲の吐息に刀田は耳を澄ませて酒を飲んだ。

「兄弟。俺が聞いてねぇだけだと思うが、美鈴や麗奈ちゃんの事、何を聞いてる?」

「兄者が面倒見てくれてる。それしか知らねぇ。俺の手元に美鈴が残した写真がある。俺なんかより父親らしいいい写真だぜ。兄者は、光栄会の為に子供も女も持たずにいるらしいが。」

「へへ。そうか。それは事実だ。俺の事なんざどうでもいい。おめぇも余計な節介に、口がへらねぇのは相変わらずだな。

 しっかし、美鈴も麗奈ちゃんも、少なからず兄弟の代わりにとでも思った罪滅ぼしのつもりだったが、俺の出る幕なんかじゃなかったな。美鈴は胆の座った女だし、麗奈ちゃんも俺の事なんて不審者みてぇに見てくる。本命にはいくらやってもかなわねぇ。しっかりした親子だぜ。親子の絆ってのは、俺みてぇな親の愛をしらねぇパチモンじゃ変われねぇな。」

「兄者。美鈴は感謝してたぜ。この写真見ても、兄者に感謝の気持ちが見える。美鈴は心をひらかねぇ奴にこんな顔しねぇ。アイツは麗奈が俺に似たと言っていたが、アイツの血もしっかり引いてるな。

多分2人とも、兄者には、言いようもない恩を感じてるよ。本当に申し訳ねぇしありがてぇ。」

刀田が電話口から吐息を聞いて黙っていた。

「兄弟。俺らの話に戻そうか。

またあそこで決着つけようってのは俺も願ったり叶ったりだ。俺をぶっ殺してくれるのは兄弟、おめぇしかいねぇと思ってたところだ。今から体がうずく。でもな。俺も、自分で撒いた種の回収がつかなくてな。少し時間をくれ。須藤に詳細は伝えさせる。」

「兄者。ぶっ殺すなんて言うんじゃねぇ。オヤジや女将さん達からも聞いたんじゃねぇのか?」

「あぁ。だが、俺達がわかりあうのはいつも拳だった。ちげぇか? 俺の言葉を腐るほど並べるよりもな。俺達の仁義、俺達が守るもの。結果を出そうぜ。兄弟。」

刀田は少し黙って、酒を飲んで口を開いた。

「あぁ。わかってるぜ。兄者。オヤジも認めた決闘だ。俺はいつでもどうでも受ける。」

狂咲が間をおいて、口を開いた。

「オヤジの背中を見てきた俺達だ。命と義侠をを賭けてやろうぜ。」

「あぁ。兄者。」

刀田の言葉で電話がきれた。

刀田は残りの酒を一気飲みして、シャワーを浴びに行った。

バスタブに入って湯を浴び、頭と体を洗いながら、バスタブに満ちていく湯を見て刀田は思った。

「兄者。あの時、こんな気持ちで俺を止めようとしてたのか。本当に頭が下がるぜ。」


 数日の間、刀田は須藤の配下の男を通じて飲食をまかない、時期を待っていた。

ある日の昼、スマホに連絡があって、指定時刻にドアがノックされた、酒を飲んでいた刀田がドアを開けた。須藤の配下の男が、男女を連れていた。刀田は女の顔を見て頷いた。

 2人が刀田の部屋に入り、刀田はテーブルを2人に向けて、自分はベッドに座った。

「刀田。気にしないで良いわ。こっちの人は奥野さん。ウチの事務所で敏腕よ。反社でも犯罪者でも前科者でも、世間の報道の扇情なんて関係ない。法治国家での法的権利を遵守する立派な人よ。」

皆沢花蓮が紹介したロマンスグレーの男。名刺を刀田に渡した。

「奥野法明です。お見知りおきを。」

「刀田武彦です。こちらこそ。」

刀田達3人が席に着いた。花蓮は奥野に視線を送った。

「今回につきましては、刀田さんの御提出いただいたICレコーダーの録音データから、永見弁護士、沢尻弁護士共に、刀田さんが就労している、ハッピーカンパニーの内的実情を鑑みまして、完全に、パワハラ、セクハラが確認できます。特に、就労賃金、一部の人間への優遇、冷遇を左右するなどもっての他です。上島、坂本の糞尿を刀田さんにかけるなど悪質にも程があり、大西という人間の言動も、決して健全な企業活動ではありません。京叉会という反社会勢力の関与も裏づけが取れました。刀田さんは、刑務所から出た後の就職難で、永見弁護士に相談して善意で就労したわけですので、無論、こんな悪質企業への就労が認められません。」

奥野が敏腕振りを口にして、刀田は納得した。

「奥野先生。俺はバカなんで難しい理屈はわかりませんが、あの会社を消える算段がついたのならありがてぇ話です。」

奥野は厳しい目をしてから、一息ついて口を開いた。

「私の仕事ですから、お気遣いなく。寧ろ、皆沢さんからお話を頂いた時、こんなにも手回しがいいものかと思ったほどに完璧です。法曹は如何なる理由であっても、法治国家において、認められた権利を主調子、依頼人を守ります。どんな犯罪者でも自分の仕事を全うするのが私の宿命です。」

刀田は、奥野の柔和な表情の奥に感じるギラギラとした瞳を見て、ただの男じゃないと感じた。

「義を徹してお仕事を。昨今腐りきった世の中じゃ珍しい御仁ですね。」

「刀田。余計な事は言うんじゃないよ。」

花蓮の言葉に刀田は頭を下げた。

刀田はすぐに理解した。狂咲からの電話の時と同じだ。

一瞬の聞き心地のいい言葉にいちいち惑わされるな。花蓮はそういいたかったんだろうし、刀田自身も、自らを恥じた。

「すみません。ビジネスのお話ですものね。年は取りたくねぇ。10年ですっかり老け込んじまった。」

「いえ。お気になさらず。」

 その後、奥野と花蓮、刀田の間で打ち合わせが行われた。

内容は、奥野が直に手続きを行いハッピーカンパニーからの退職をこぎつける。その後は全うな職を探す手はずにした。それまでは絶対に、反社との接触はしない事を念押しされた。

刀田は理解し、奥野と花蓮に従った。

「刀田さん。仕事は必ず完遂します。ひどい職場に未練も何もないでしょうが、正式な退職まで、ここは堪え時です。短期は損気です。法治国家において権利の主張は無論、認められています。御安心を。」

奥野の言葉に、刀田は不思議に思い、花蓮を横目で見た。花蓮はただ小さく頷いた。

「わかりました。おねげぇします。」

「では、形式ですが、御納得いただけてからこちらにサインを。私に弁護、法的措置を一任をする同意書です。御懸念点があれば、皆沢さんにチェックいただいてからで構いません。刀田さんの事ですから。」

「あなたも生真面目な人なんですね。変な人なんかじゃない、信用できる。

わかりやした。一旦、俺のない知恵でも熟読して、判を押させていただきます。」

「お願いいたします。」

刀田は書類だけ受け取って、2人が持ってきたクリアファイルに入れた。

「では、私はこれで失礼いたします。」

奥野が椅子から立ち上がって会釈をして、部屋を出た行った。花蓮は残っていた。


 刀田と花蓮の間に少しの間、沈黙が在った。口を開いたのは花蓮だった。

「刀田。狂咲と本気でやりあうってね? 須藤から聞いたわ。気持ちは変わらないの?」

刀田が、なんと伝えればいいか考えて、やっと口を開いた。

「はい。お嬢。あの夜と、兄者との話でも同じです。兄者は自分の都合をつけてから、俺を待ってくれるって言いました。」

「本当に、くそ親父や母さんもいた時だって話を合わせていたけど、バカなんじゃないの? 何が義侠や仁義よ。アタシ達だって家族同然なのに、家族同士がどんなにかっこつけたって喧嘩して解決する事なんてないわ。」

刀田は、視線をそらす花蓮を見て、少しの間考えた。

「お嬢。その通りです。奇しくも、美鈴にも同じ事をいわれやした。何が義侠だ。組の為だって。自分の嫁や娘も守れないくせにって。」

「だったら! 刀田!」

「ですが、お嬢。俺達にゃあ、こんな生き方しかできねぇんです。頭でわかっちゃいても、心の底で理解できねぇ。金や名誉で買えるもんじゃねぇ。俺がオヤジの元でこの腕振るってたのだって、オヤジに仁義があったからです。兄者だって今でもそうです。」

花蓮は舌打ちして、刀田ン部屋の冷蔵庫に向かい、日本酒を取り出して飲んだ。

「お嬢。仕事中にはいけません。」

「保護者面はやめてっていったでしょ? アンタも狂咲もほんとにバカなんだから! あのクソ親父に洗脳されて変な思想植え付けられて。ヤクザはどこまでいったってヤクザでしかないのよ!?」

刀田はうつむいて、静かに立ち上がり花蓮に近づいた。花蓮は怯えまいと踏みとどまり、酒を飲んで眼力を強めた。だが、花蓮の酒を持つ手がつかまれ、日本酒の瓶が床に落ちた。

「は、はなしなさいよ!刀田!」

刀田は無言で花蓮の瞳を見ていた。

花蓮は顔を赤らめて、視線をそらした。刀田が離した花蓮の手首は、アザも残らないほどの痛みだった。

 花蓮は思い出した。刀田も狂咲も、どれだけ自分が傷ついても、いつも助けに来る時、花蓮を絶対に傷つけない様にしていた。その感触を花蓮は体で覚えていて、昔の感情が湧き出した。

「お嬢。お願いします。この通りです。」

刀田が90度腰から頭を下げた。花蓮は戸惑っている。

「お嬢。たしかに俺も兄者もヤクザは所詮ヤクザ。お天道様に顔向けできねぇ生き方です。

でも、守るものがあると、そんなちっぽけなもの、どうでも良くなる。それを教えてくれたのがオヤジです。俺も兄者もそれが生きがいになりやした。」

「だから!そんなことでアンタが!」

刀田が顔を上げて、花蓮に歩み寄る。

花蓮は一歩退いて、真っ赤な顔のまま刀田の顔を見ていた。真っ直ぐで純粋な瞳だった。

「お嬢。今の俺の目をみてくだせぇ。かたっぽは美鈴と麗奈に捧げた目。片方はオヤジ達、光栄会に捧げた目です。2つしかねぇ俺の目んたまじゃ、他に見るもんなんざありやしません。いつだって、その2つしか俺にはありません。未来も過去も、お嬢が詳しい常識も。」

刀田が見つめてくる静かで圧倒される視線に、花蓮は心臓が弾けるかと思う程に心音がバクバクした。

花蓮が視線をはずして大きくため息をついた。

「負けたわ。本当に。盛大にフラれたもんね。」

花蓮がベッドに座って、ショルダーバッグを置いた。

刀田は、花蓮の言葉に理解が及ばず、立ち尽くしている。

「どう転んだって、本命には勝てないわよね。

 狂咲も言ってた。藤崎さん達にアタシ程度が叶うもんか。アンタにも狂咲にも、一番になれなかった。アンタが今言った通り、アタシなんて眼中にはなかったのね。女としても、家族としても。悔しくて仕方ない。認めたくない自分に嘘をつくのももうやめないとね。見苦しいわ。光栄会を否定してでも、自分自身がね。」

「お嬢。何を・・・」

花蓮が視線を落として黙っている。刀田は黙って、言葉を探していた。

「アタシも母さんの血を引いてるのね。きっと。後腐れがあるのは嫌いなの。

 アタシは刀田も狂咲も本気で、好きで好きでたまらなかった。

母さんの言う通りよ。どっちつかずで少女マンガのヒロイン気取りのバカ女。冷静に考えたら、クソ親父って言って光栄会を否定しながら、光栄会の権力で男を選んだりしてきた。必ずどっちかがアタシに振り向く。そうに決まってるなんて。本当にバカよね。

 今だって、今の立場なら、法の力でアンタ達を黙らせるんじゃないか。そう思ってたけど、焼け石に水どころか、はなから相手にされてないなんて、今更うちのめされたわ。」

花蓮がため息をついてベッドに視線をおとす。刀田は沈黙している。

「刀田。今アタシを抱いてくれって言ったら、幻滅する? ころす?」

刀田は花蓮の言葉に振り回され、目を泳がせていた。

花蓮が悪戯な目でYシャツのネクタイを解き始めた。

刀田はすぐに動いて花蓮の手を握り、視線を逸らした。

「お嬢。お願いですからやめてくだせぇ。」

花蓮が、少しの間黙って、ネクタイを緩める手を止めた。

「痛いよ。刀田。」

「す、すいやせん!お嬢!」

花蓮は、放された痛くもない手首を観て振った。

「ごめんね! 忘れて。おふざけも戯言も挑発も、やりすぎたわ。アタシがクソ親父の権力をかさに着た最後の命令よ。忘れて頂戴。」

 花蓮が立って、ショルダーバッグを肩にかけて中にネクタイを入れた。

「刀田。アンタにも狂咲にもフラれた腹いせに言うわ。2人とも死なないで。」

刀田が見送る中、花蓮は部屋を出て行った。


 花蓮と奥野が出て行ってから、刀田は暇をもてあましていた。

花蓮の恋心については、刀田にとって寝耳に水だったが、「2人とも死なないで。」その言葉が何度も蘇る。夕方までずっと刀田は筋トレをして、シャワーを浴びて、狂咲との決闘に備えていた。

 夜中の1時。

酒を飲んで寝そべってテレビを見ていた刀田がスマホを取った。

「もしもし。俺だ。」

「刀田さん。お疲れ様です。新島です。」

刀田の部屋を監視している須藤の配下の男だ。

「どうした。こんな夜中に。」

「須藤さんから連絡がありました。狂咲さんからの連絡だそうです。」

刀田は起き上がって耳を済ませた。

「兄者がどうした。まだ時期尚早だろ?」

「俺は伝言役です。申し訳ございませんが。狂咲さんから、須藤の兄貴に連絡があったそうです。急に会いたいって。それだけしか俺は聞いてません。」

刀田は不思議に思いながら、立ち上がった。

「わかった。新島。部屋の外か? 兄者は? 埠頭って事か?」

「準備は整ってます。落ち合う場所まで、俺達が警護します。」

刀田は歯痒い中、数秒して口を開いた。

「わかった。ここに来るまでの下水の通路か?」

「はい。お願いします。」

刀田は電話をきった。

どうせ汚れるが、狂咲との再会。身奇麗にして酒気も抜いておきたい。飲んじまったものは仕方ないと思い重いながら、体を洗う事にした。その間も、刀田は精神を磨ぎすまし、雑念を振り払った。

「兄者。今から行くぜ。」


 シャワーを浴びてからホテルのドアをノックした。

扉の外で声がして、ドアが開いた。

刀田が新島を確認して、部屋を出た。鍵を閉める刀田。次の瞬間、刀田の後頭部に衝撃が走った。

刀田がよろめきながら、振り返った視線の先に、新島が拳銃を持った姿が見えた。拳銃の底で殴られた事がわかった。その次の瞬間、また殴られた事を感じて、刀田の意識は飛んだ。


 嗅覚が一番早く反応した。

刀田は目を開けた。目の上のたんこぶ。綺麗に仕上げたスーツが血で汚れている。暗い地下室。刀田は木製の椅子に裏手で手錠をかけられて、足もロープで縛られていた。視界には、テーブルでカードゲームをしているごろつきが見えた。

ごろつき達が、刀田の覚醒に気づいた様で、席を立って怒号を上げた。

「古物ぅ~~!!! ご機嫌いかがぁ?!」

金髪のヤンキー。刀田の家に襲ってきた男だ。鼻や頬にガーゼがついている。他にも大西や上島、坂本もいた。刀田に近づいて、ツバを吐きかけ、罵詈雑言を浴びせてくる。刀田は聞くに堪えない事は聞き流しながら、状況を整理していた。自分がここにいるのは、狂咲の指示に従った須藤の指示のはずだった。

「なぁ~~?! きいてんのか?おっさん? 俺達に刃向かったらどうなるか。じっくり教えてからドラム管で海の底だなぁ。」

「大西さぁん。当然ですわぁ。ま、俺達に舐めた事したんだからイジメ抜きましょう? なんや、永見も敵に回したホンモノのバカやねんから。」

「マジですよねぇ~。うひひひ~~。」

 刀田は状況を冷静に分析した。

 その中で信じがたい。だが、厳然たる事実を信じたくはなかった。

その時、革靴が降りてくる足音が聞こえた。数人だ。刀田が見た先には3人の老人と、予想が的中した、信じたくない1人の人間がいた。

「光栄会も堕ちたもんだ。こうも簡単に尻尾出して出て来るバカがいるなんてな。」

「榎本さん。こんなの、きれっぱしのゴミですよ。まんまとこっちの罠にかかって。狂咲の方が賢かったって事ですよ。」

「永見さんの言う通りですよ。私も光栄会の弁護をしてますが、捨てられた奴の末路なんて希望持っちまって。本当に嗤える話です。」

榎本と永見、沢尻だった。大西やハッピーカンパニーの連中はニヤニヤして酒と煙草で刀田を見ていた。

「須藤。おめぇ。兄者をだまくらかしたのか?」

刀田の言葉に、須藤は無言でいた。

「古物~~。オメェ言葉に気をつけねぇと、イッチまうよ?」

金髪ピアスの男が拳銃を刀田の額につけてふんぞり返った。

「立花。やっちまえ。」

大西が煙草をふかして言った。それを止める様に、榎本が刀田に歩み寄って、葉巻の煙を吹きかけた。

「なぁ。光栄会のジャリィ。俺様にたてついたらこうなるってわかってるよな? 立花、大西。」

榎本が高笑いをして刀田に背を向けた。刀田は動けない中、須藤の裏切りを恨みながらも、覚悟を決めた。狂咲の手の内だったかもしれない。刀田は自分の甘さを恥じた。

大西や立花が刀田に拳銃を向けて、微笑んだ時だった。ガシャンと音が部屋に響いた。地下の部屋が須藤の配下達に閉ざされた。

「テ、テメェ!!須藤!!」

榎本の言葉に刀田は顔を上げた。須藤は鍵を持って、刀田の手錠と足を縛るロープを切った。

「刀田さん。おねげぇしやす。」

須藤の言葉に刀田は怒りを覚えたが、目の前の状態に尽力した。両手と肩の関節を鳴らして、上着を脱ぎ捨てた。ハッピーカンパニーと京叉会の人間が恐れ慄いた。

「や、やれぇ!!やっちまえ!おめぇらクズにいくらはたいたと思ってんだぁ!」

榎本の言葉に立花や大西達が睨み返し、永見と沢尻は腰が抜けて階段を駆け上がるも、須藤の配下に蹴落とされた。地下室のランバージャックデスマッチ。死ぬまで地下室からは逃げられず、リングに戻される。須藤が決めた、地下室のルールだ。

 京叉会とハッピーカンパニーの人間は刀田に襲い掛かった。

殴る蹴るの応酬。刀田は黙って1人ずつ片付けていく。立花や大西を含めた他構成員の拳銃のゲキテツを立てる音、凶器の動く音に、刀田は反応して動き続けた。金属バットを片手で受け止め、バタフライナイフや刃物を持って襲い掛かる男達には足で撃退する。

上島も坂本も、雑魚を刀田はぶちのめし、あしらいながら、刀田は須藤の動きが気になっていた。

須藤は大声で怒鳴る榎本や永見、沢尻が胸ぐらを掴んでも我関せず。じっと刀田を観ている。

「古物ぅ!!ザケンなぁ!!」

立花が発砲した。刀田は体の正面から受けて、一歩退いた。

「や、やったぜ!!ははは! おら!みんなで撃ち殺そうぜ!」

立花や大西が発砲する。その度に刀田は退き、数発後に倒れた。その様子を見て、どうにか地下室から逃げようとしていた榎本、永見、沢尻がきょとんとして、居住まいを正してゆっくり階段を下りた。

「ご苦労だったな。チャカ坊。大西。落とし前つけろ。」

「アイアイサーw」

榎本が指示を出して、立花が刀田の頭をめがけて引き金を引こうとした。

その時だった。刀田は起き上がり、須藤を除く地下室の全員を驚かせた。「おあぁ!!」と叫び、全身の筋肉を膨らませて、血を出しながら弾を体から弾き抜いた。

「やれやれだぜ。俺の体をぶち抜きたいんなら、そんなオモチャじゃねぇ、殺人用のチャカもってこい。俺の筋肉はそんなしょぼい鉛弾じゃ撃ち抜けねぇよ。」

刀田は肩を回して微笑んでいる。

「バ、バケモンじゃねぇか!? 銃がキカネェなんて。」

「立花とかいったか? 筋肉は俺の武器であり鎧だ。当たる時に瞬間的に鉄よりつえぇしなやかなものを作りだす。お前達みてぇに道具に自惚れて鈍りきった体じゃできねぇよな。」

刀田が弾き飛ばした弾丸を拾って、立花達に指で弾いて返した。立花がそれを振り払ったその瞬間、刀田は間合いをつめて、立花の腹を殴った。立花が気絶し、大西が恐れ慄いている中、刀田は大西の首を絞めて気絶させる。榎本、永見、沢尻はその様子を見て、須藤に掴みかかるのをやめ、失禁しながら、刀田の目前で土下座した。

「お願いします!!刀田様!!この事は全部あいつらが!!俺達は関係ありやせん!!」

榎本が涙して土下座している。榎本が指さす先には須藤達がいた。

「やれやれだな。テメェラらみてぇなクズは殺してぇ気分だが、実際になるとそんな気も失せるぜ。」

刀田は須藤を睨んだ。須藤やその周りが刀田を見ている。

 須藤がサングラスをとって、新島に「やれ。」と呟いた。

新島が、大西が落とした拳銃を拾い、榎本、永見、沢尻の頭を撃った。

3人の老人の死体を目の前に、刀田は口を開いた。

「新島ぁ!」

刀田の怒声に新島は目がすわっていて、銃口を刀田に向けてる。刀田は臆さずにいたが、須藤の足に反応した。須藤がおもむろに立花の拳銃を拾って、大西、上島、坂本、立花の頭を再度撃った。同時に、新島以外の須藤の配下がハッピーカンパニーや京叉会の構成員を撃ち殺し、完全にトドメをさしていく。

「須藤!!何してる!!無駄な殺しはやめろ!!」

刀田の怒りの形相に、須藤は無言で一瞥し、殺人を続けた。

「須藤!!テメェ!!」

刀田が須藤に歩み寄ると、新島が須藤の前に立って刀田に銃を向ける。刀田は立ち止まった。

「新島!そこをどけ!」

「どきませんよ。刀田さん。俺達は須藤の兄貴の意思に従ってます。こんなゴミども、兄貴の描いた絵図には無用の長物です。邪魔なだけです。」

「にいじまぁ!」

その瞬間だった。発砲音が2つ。新島の肩から突き抜けて刀田の左肩に命中した。刀田は想定外の銃撃に膝を落とした。肩を抑えて、刀田は新島と須藤をにらむ。

「どけ。新島。」

須藤が新島に命令して、拳銃を捨ててコートからタバコとライターを抜いて尻ポケットに入れ、脱ぎ捨てた。新島は右肩を押さえて、須藤の配下達と無言で2人を囲って見ている。


「どういうつもりだ。須藤。気でもふれたか!?」

須藤がYシャツも脱いで半裸の引き締まった上半身、背中を見せた。須藤の故郷、高知の土佐犬の入墨だ。上めざす人間が闘犬とはいえ、犬のスミを入れるなと、刀田がとめたのに入れたものだ。

「刀田さん。気でもふれちまったのは刀田さんの方じゃないですか? 狂咲さんに丸め込まれて、10年もくさいメシ喰わされて、狂咲さんの何が俺にねぇってんですか。」

須藤は静かな目で刀田を見ている。刀田は須藤の言葉に理解が追いつかなかった。

「須藤。オメェ、一体何を。」

「刀田さん。一服許してもらえますか? シメはつけなきゃいけねぇ。その前に、最後の贅沢を。」

須藤が尻ポケットから煙草とライターを取出し、刀田に見せた。

「好きにしろ。須藤。」

刀田は被弾した傷口から弾を抜いて須藤を見ている。須藤はタバコに火をつけながら、哀しい目をしていた。

「刀田さん。覚えていやすか? 刀田さんが光栄会に入ってから、俺が刀田さんの初めての舎弟になった。刀田さんの元でオヤジの義侠、仁義を学んで、俺にとっちゃあ何もなかった人生に光を見た。

 先日、刀田さんがオヤジ達に話していた安藤組のカチコミ未遂の時も俺は刀田さんを止められなかった。狂咲さんが動いてくれねぇと、刀田さんは納得してくれなかった。」

刀田は須藤の目を見ていた。哀しげに煙を吐いているその表情。

確かに、狂咲が止めた安藤組の一件の時に見た須藤の顔だった。刀田も覚えている。自分にとっての初めての舎弟で、自分にやたら懐いていた事も。須藤が何をいいだすかの予測ができる反面、止めたい。

「やめろ。須藤。テメェ、ここで死ぬ気か?」

須藤はチラッと刀田を見て、一息すって煙を吐いた。

「昔っからですね。刀田さんはいつもバカ正直で、オヤジや光栄会の事しか考えちゃいねぇ。でも、勘がよくて、結果を見ていた。わかった上で動こうとしてるのに、そんな時にいつもいたのは狂咲さんだった。

 刀田さん。アンタには、オヤジと狂咲さんがいればそれでよかった。俺なんかがどんなに努力しようってやっても、あの人に敵う事はねぇ。悔しいんすよ。憧れている人の、何の力にもなれねぇなんて。」

刀田は須藤を真正面から見て、仁王立ちした。須藤は一息すってタバコを落として踏み消した。

「須藤。やめておけ。おめぇは俺にも兄者にも勝てねぇ。勝つ必要すらねぇんだ。オメェがいなくて光栄会の未来を誰が背負うってんだ? 親父や兄者の意思も関係ねぇってか? いくら京叉会のクズどもだからって、ぶっ殺したりして、ただじゃすまねぇんだぞ?」

「刀田さん!そういうとこですよ!!」

須藤が憎しみの表情になった。刀田は黙った。

「そうやって、俺がいくらあがこうが、最後には刀田さんが家族みてぇに、親みてぇに被ってくださった。刀田さんはいつもそうだった。俺はアンタの前じゃいつまでもしみったれたクソガキでよかった。その例外はオヤジと狂咲さんだった。

 俺にはそんな人達がいなかった。だから狂咲さんが憎たらしくて仕方なかった。刀田さんの一番で揺るがない狂咲さん。刀田さんと狂咲さんの絆が特別だってわかっちゃいながら、やっぱり許せなかった。」

須藤の言葉に、刀田は目を瞑った。刀田にとっても予想外の言葉と想いの強さだった。

「俺は刀田さんや狂咲さんみてぇな器じゃねぇ。いくらオヤジに後継として認められても、俺が納得しません。それ以上の気持ちがある事すら許されねぇのが悔しくて。」

 刀田は目を開けて、周りを見てから、須藤に一歩ずつ歩み寄った。須藤は身構えて闘う気迫を見せた。だが、刀田はただただ静かに歩み寄ってくる。須藤は緊張した。

 パン!と乾いた音がした。

須藤がガードの上から食らった見えない平手打ちで顔が傾いた。反射的に刀田の顔を狙ったハイキック。刀田はガードして、須藤は距離をとった。

「須藤。悪かったな。俺もおめぇもやり方を間違えた。俺だって責任取る。侠客として、兄者の前におめぇとの落とし前をつけねぇとな!」

刀田が構えて、須藤が息を整えた。

漢同士の闘い。刀田は須藤の気持ちを汲んで、守るべき舎弟としてじゃない。1人の漢として拳で語る事を決めた。須藤も笑みを作っている。

「だが、須藤。やりあう前にテメェのとんでもねぇ勘違いと指摘しておいてやる。」

「・・・なんなんすか。刀田さん。」

「不意打ちなんざ無論しねぇ。一度周りを見渡してみろ。」

須藤は目だけで周囲を見た。須藤の配下達が黙って見ている。涙する者、拳を握って血を出している者もいた。須藤はハッとした。

「そうだ。賢いお前ならわかるはずだ。俺もオマエの扱いを間違えたが、今お前の周りにいる奴の誰もがお前の死なんざ求めちゃいねぇ。おめぇをぶっ飛ばしたら俺をタタミに来てもかまわねぇ。だけど俺と同じ失敗すんじゃねぇ。新島も他の野郎どもも、オマエに魂預けてここにいるんだろ。テメェがわかってやらなきゃ誰がわかってやんだ。須藤。」

須藤は配下達を見てから、視線を落として、刀田と視線を合わせなかった。

「同じ事を繰り返すな。わかったら俺や兄者を乗り越える為にかかって来い。全力で俺をぶちのめしに来い!!弟ぉ!」

刀田の言葉に須藤は顔を上げた。「弟」。須藤は刀田から初めてそう呼ばれた。

須藤は感動を抑えきれずに涙を流した。だが、ファイティングポーズをとって微笑んでいる。

「いい気だ。凛とした闘気があふれ出るみてぇだ。 さあ!!こい!!」

 怒声と共に須藤が刀田に殴りかかる。

新島達、須藤配下はただ見ていた。

はたから見たらひどい殴る蹴るを続ける喧嘩。ルールもない。刀田が殴り、須藤が蹴り返し、懐に入って殴り返す。2人とも退く事など考えずに殴り合う。

その様子は、まるで師匠と弟子の稽古の様で、純粋な対等の喧嘩だった。

2人の会話も時折聞こえる。

「どうした須藤!兄者の真似事じゃ通用しねぇぞ!?」

「へへ!刀田さん。俺の邪拳は狂咲さんのコピーだけじゃねぇ!」須藤が中国拳法とテコンドーを合わせた様な技を繰り出す。刀田は受け止める。

「やるじゃねぇか!須藤!」

「刀田さんの鋼の肉体と天才の格闘センスにゃ通じますかね!?」須藤が攻撃を続ける。

 新島達は、笑顔を浮かべさえしながら闘う2人に感じ入るものがあった。どっちが倒れてもおかしくない闘い。新島は刀田を乗り越えるために重ねてきた須藤の努力を間近で見てきて知っていた。何があっても、この2人の戦いを止めてはいけない。

新島は、ふと、京叉会の死体を見てから目をつむって考えた。そして決意した。


 刀田と須藤が体中が赤くなり、息を切らせている。

須藤が「おらぁ!!」と叫んで右ストレートを繰り出した瞬間、刀田は紙一重で避けて右アッパーを須藤の顎に当てた。須藤は漫画の様に体を浮かせて、数mとばされた。

刀田が息を切らせて、なかなか動かない須藤を見ていた。

「須藤。くたばっちゃいねぇはずだ。もっと立てぇ!俺を乗り越えて兄者に向かえ!」

刀田の言葉に、須藤の指先が反応した。

須藤が腕をビクつかせながら、ゆっくりと上半身を上げた。口から血を流し、刀田を見る須藤。

その表情は遺恨を感じさせない爽やかなものだった。

「兄さんっつっても良いですか? 刀田さん。」

須藤が頭を垂れて、胡坐をかく。 刀田は頷いた。

「あぁ。いったろ。オメェは弟だ、須藤。俺にとって初めての、本当の弟だぜ。杯なんざいらねぇ。」

須藤が息を切らせながら、涙を流した。

「へへ。兄さん。卑怯ですよ。

 兄さんに、弟って呼ばれて、初めて狂咲さんの偉大さ、権兵衛組長の偉大さを身に染みました。俺なんか、兄さんにとってのスタートラインにやっと立てたってだけじゃねぇですか。」

「須藤。ほざくんじゃねぇ。兄者以外、俺を拳と義侠で納得させたのはオメェだぜ。それがスタートなら今からもっと磨いて生きろ。オメェを慕ったあいつらの為にもな。」

刀田の言葉に、須藤が涙している。

 その時だった。カチャッと金属音がして刀田と須藤が振り向いた。新島だった。

新島が拳銃を自分の頭につけて言った。

「須藤さん。兄貴の生き様、覚悟。本当に御立派でした。

刀田さんも、兄貴も何にもしちゃいません。俺がこのクズども全員ぶっ殺した。兄貴の許可もなしに。そのケジメ、つけさせていただきやす。」

須藤が目を見開いて叫んだ。

「新島ぁ!!!やめろ!!やめやがれぇ!!」

次の瞬間、発砲音がして、新島が頭から血を流して倒れた。

須藤がフラフラの状態で駆け寄って、新島を抱きかかえた。他の須藤の配下達も駆け寄った。

「バカ野郎!!おい!!救急車だ!!今すぐだ!!」

須藤の言葉に配下の男達は躊躇した。須藤は怒り心頭でそばにいた男を殴った。しかし、その場にいる誰もが須藤の言う事を聞かなかった。

刀田が、須藤の肩を持ち上げて殴った。須藤は息を切らせながら頬に手を当てた。

「須藤。二度とこんな事を繰りかえすな。兄としての命令だ!!」

須藤が崩れた表情で、沈黙の後から、やっと頷いた。

「兄さん。本当に、すいやせんでした。」

須藤が頭を下げた。須藤は自分の愚かさを改めて知る事になって、新島の為にも、自分で死にたくもなった。新島の死体に須藤は泣き崩れるしかなく、刀田は自分のジャケットを拾いに、須藤に背を向けた。

「兄さん。おねげぇします。狂咲さんのところに向かってください。兄さんにとっては万全じゃないでしょうが。俺が足引っ張った。死んでも償いやす。」

刀田はジャケットを拾ったまま、ズカズカと須藤に歩み寄って、須藤の顎を蹴り上げた。

須藤は、横転しながら、刀田の顔を見上げた。

「何度言わせりゃ気が済むんだバカ野郎!二度と、自分が死ぬなんていうんじゃねぇ。テメェが望む道に生きた漢を無碍にするんじゃねぇ!!」

刀田の言いたい続く言葉を、須藤は察した。

「・・・兄さん。狂咲さんは約束の場所で、今夜待ってやす。お気をつけて。」

須藤がフラフラと立ち上がって、両手を膝に置いて頭を下げた。須藤の配下達も倣った。

「わかった。だがな、須藤。間違っても新島の気持ちは踏みにじるな。んな事したら俺が地獄の底まで追いかけてテメェを破門ついでに無間地獄に叩き込んでやる。閻魔相手でもな。」

 刀田がジャケットを羽織って地下部屋を出て行く。

「おめえら。新島を丁重に弔ってくれ。光栄会も京叉会も関係ねぇ。全部俺がやった事だ。いいな。」

須藤の配下達は、無言で新島の死体を運び始める。京叉会関連の人間は二の次だった。

「兄さん。御健勝でおねげぇしやす。」


 六、月下の埠頭

 須藤が刀田と闘っている時間だと、狂咲は腕時計を見て思った。

狂咲は半裸で、累々と積みあがった外国人の屍の上に腰掛けてタバコを吸っていた。

「兄弟。奇しくもいい月の夜だ。あの時以来だな。」

「失礼しやす!!」

まだ若い狂咲の部下が話しかけた。狂咲は振り返って「あぁ?」と応えた。龍牙の幹部相手に大立ち回りをして、掃除中の光栄会の幹部は手が塞がっていた。

「狂咲さん。刀田が須藤に勝って、こっちに向かってくるそうです。」

 狂咲は冷たい目で構成員を見た。

構成員はその瞳の静かさと、言い知れぬ恐怖に怯えた。漣が聞こえているせいもあってか、大津波の前のたった1人の人間の気分になった。

狂咲がタバコを吐き捨てて、赤いジャケットを持って屍の山を降りて自動小銃を放り投げた。

若い構成員がそれを受け取って狂咲に怯えている。

「オメェ。今なんつった?」

構成員は受け取った自動小銃を震える腕でしっかり握った。

「と、刀田が。」

狂咲が構成員と間合いをつめて、胸ぐらを掴んだ。

「ジャリ。兄弟を呼び捨てにしたのか? 須藤の事も。年数だけで勝手に出世したのかテメェは?」

「も、申し訳ありません!組長!」

狂咲が構成員を殴りとばした。戻ってきた白国がその場を見ていた。

「組長だ? 誰がだよ。もういっぺん言ってみろ。」

「すすすみません!狂咲さん。時期組長の刀田が!」

指揮をする仕事を終えた白国が、その光景を見て吐き捨てる様に視線をそむけた。

「そうか。何に対してもわからねぇし、とにかく申し訳ありませんか。撃ってみろよ。ジャリ。そうしたらお前の言う組長の座なんて、オメェにくれてやる。」

構成員が恐怖のあまり、自動小銃のトリガーを握った。その瞬間、タタタタ!!という発砲音と共に構成員が顔面を押さえられてコンクリートに叩きつけられた。白国は構成員の暴れた腕の先にいたが、全弾をするりと避けた。狂咲は足で構成員の手を踏みつぶし、構成員は悲鳴をあげた。

「うるせぇな。興味もねぇ。冥土の土産に教えておいてやる。

俺や兄弟、アイツに関する事を軽々しく言うな。同じ無間地獄に堕ちても、閻魔に賄賂でも送って、いの一番にテメェを殺してもらう。」

狂咲が構成員の顔面を殴る。何度も何度も。「しゅ、しゅいや」と声に出した構成員の顔を殴り続けた。

構成員の顔が原形をとどめない状態になった時、白国が言った。

「光雄。やりすぎじゃねぇか?」

狂咲は血まみれの両手と足を見て「へへ。」と微笑んで、新しくタバコに火を点けた。

白国は、騒ぎに駆けつけた構成員に、死体を海に放り込ませて片付けさせた。海を臨む埠頭。狂咲が口を開いた。

「白国の兄者。いつもすいやせん。面倒ばっかりかけて。この龍牙の件も。」

狂咲は慣れた様子で言う。白国も「何を今更。」と言って、狂咲が殺した龍牙の構成員の死体も片付けさせた。

「光雄。この件は、平井の奴らを殺したって嘘こいた龍牙の落とし前で手打ちだ。どうせテメェの事だ。こんな事になるのも想定済みだったろ? この手打ちはすんなりといい条件で終わらせた。

ウチと龍牙で問題もおきねぇで、寧ろ向こうのバカの先走りで泡食ってる。

 オメェにとっては、須藤の提案も含めて問題抱えてる中で、お人よしにも程があるだろ。刀田はオメェを殺しにかかってくるだろう。本当に良いのか? 光雄。」

 刀田が須藤とケジメをつけている間、龍牙とのケジメをつけていた狂咲。狂咲は最後の光栄会とのケジメをつける為にタバコをふかして白国に言った。

「白国の兄者。繰り返しますが、本当に、昔っから俺のワガママ聞いてくださって、本当にありがとうございやす。こんな帽子の置き場。いくら下げても価値なんてねぇのはわかっちゃいますが。」

狂咲はタバコを踏み消して、白国に土下座した。白国は黙って見ていた。

「やめろ。光雄。嫌味ったらしいぜ。数日前だって、オメェの言う事だから聞いてやってんだ。

いつだって、舎弟のくせに胸くそわりぃその態度。だが、同時に感服する。テメェの生き様。どんだけムカついても、テメェの先が見たくなる。不思議な奴だぜオメェはよ。」

 白国はシャツを引きちぎって半裸になった。白国の背中に彫られた入墨。権兵衛の入墨と対をなす角の般若。狂咲は十分にその意味を知っていた。数日前のことを思い出した


 -数日前、狂咲は栄会の白国の事務所に赴き、話をつけていた。

白国はその時、権兵衛が狂咲の計画の全貌を刀田に話している事を知っていた。

「白国の兄貴。俺はガキの頃から、兄貴や親父にお世話になりっぱなしでした。申し訳ねぇです。

今回の事も含めて、いつまでも光栄会におんぶに抱っこじゃ仕方ねぇです。俺につけられるケジメはつけてぇ。そう思って相談に参りやした。」

白国は頭を下げる狂咲を目の前にして、煙草に火をつけて、酒を飲んだ。

「相談もクソもねぇだろ。オメェがオジキに無断でそれを決めるわけがねぇ。俺の立場も頭超えて根回ししておいて、どの口でほざきやがる。何度教育してもなおらねぇ悪タレがよ。」

「兄貴。申し訳ございやせん。」

狂咲はまた頭を下げた。

「いつもの事だ。気にすんな。

龍牙とのケジメのつける手打ちにしろ、刀田とのケジメにしろいい。

だが、あの娘とはどうすんだ。オメェに取っちゃたった一人の肉親のようなもんだろ? 遺していくってのか?」

白国の言葉に、狂咲は頭を上げた、静かで哀しい目をしている。狂咲がポケットからブローチを取り出して眺めていた。子供が作った雑なつくり細工。赤、黄、緑、蒼の幸せのクローバーが飾り。

白国はその様子を見て黙った。

「えぇ。兄貴。アイツも俺もまだ死にきっちゃいねぇ。燃え尽きちゃいねぇんですよ。

先に逝っちまっただろう2人もそうだけど、俺達2人になっちまっても、アイツも俺も自分の人生に刃向かい続ける事しかできねぇ。不器用もんです。アイツも納得してやす。

 でも、オヤジや兄貴、兄弟に支えられた恩義ばかりだ。いつまでも光栄会のおんぶに抱っこじゃケジメがつかねぇし、つけなきゃいけねぇ義侠と仁義がある。それを失っちまったら何にもならねぇ。そこは譲らねぇんですよ。」

「光雄。オメェらの生き様は俺達だって何も言いたかねぇ。俺達が口だす筋もねぇからな。わかった。全部オメェの好きにしろ。子供同然のオメェらに、今更、オヤジだって何もいわねぇよ。

体がうごかねぇオヤジの代わりが俺でわりぃな。」

「滅相もございやせん。兄貴。」

白国は鼻で嗤った。


 -川崎コンテナターミナルの埠頭。

狂咲が赤いスーツを放って白国に向かった。

「全力で来い!! 光雄ぉ!!」

「御教授。お願いしやす!! 白国の兄者!!」


 -新宿の地下室から出た刀田。

タクシーの中で「横浜。川崎港コンテナターミナル。入り口はどこでもいい。とにかく早くとばしてくれ。」刀田は息を切らせて、時計を見ながら焦った。後期高齢者の運転者は、顔がアザだらけの刀田に目を泳がせていたが、乗車拒否をできずに、しぶしぶ従った。

 刀田にとっては金などどうでもいい。

いち早く決闘の場所に向かう事を考えた。「須藤の言葉を信じれば、狂咲が待っているはずだ。それだけは守らなきゃならない。」刀田はそれだけを考えていた。

 ふと、刀田のスマホに着信が着た。美鈴だった。直ぐに出た。

「もしもし。俺だ。一体どうした。こんな時間に。」

「虫の知らせかしらね。なんだか、アンタがろくでもない事に巻き込まれてる時、気になるの。なんか変な事になってない?」

刀田はタクシーの中でため息をついた。

「女の勘ってのはすげぇもんだな。その真っ最中だ。」

刀田の言葉に大きなため息が聞こえた。

「はぁ。本当にバカなんだから。アンタはいつも、いつまでもそうよね。勝手にして。胸騒ぎついでに聞いておきたいわ。アンタにとって愛は何? どうせオヤジとか組とか言うだろうけど。」

刀田は美鈴の言葉に眉をひそめたが、直ぐに答えた。

「どういうこった。今更、哲学か?」

電話口から美鈴のため息をまた聞いた。

「そんな面倒な役に立たないものどうでもいいのよ。これから狂咲さんと決闘なんでしょ? 須藤さんから聞いたわ。今さっき、須藤さんはアンタにボロクソにされたってね。」

「ふん。須藤がそんな事まで? 確かに俺の家を守ってくれたあいつだ。お前との繋がりあって当然だな。あいつや京叉会のガキ、古狸に結構やられたぜ。穴も開いちまってる。」

「そんな事聞いてないわ。そんなボロボロでみ・・いや、狂咲さんと闘えるの?」

刀田は美鈴の言葉に眉をひそめたが、直ぐに答えた。

「やるしかねぇ。兄者にはそれだけ尽くさねぇといけねぇ恩義も仁義もある。」

「そう。せいぜい死なない様にね。アンタが死んだら、麗奈には父親だって伝えてあげるわ。」

「そうか。お前らしいな。」

刀田が、電話がきれた事を確認した。スマホをポケットにしまって刀田は息を整えた。


 2時間はかかっただろうか。

刀田は運転手に財布の現金全てを渡して「釣りはいい」と言い、「お客さん、困ります!」と言ったが、刀田は問答無用で出た。

 思い出の埠頭。

配置や道は変わっていたが、潮風と冬の乾いた空気が当時の雰囲気を思いだす。自分の血の臭いが鼻腔をくすぐり、当時の決闘を思いだす。

 刀田は長い時間の間、様々考えていた。

狂咲との出会い、繋がり。光栄会の人間との、苦しかった時も楽しかった時の思い出。狂咲の紹介で知り合い、結婚までした藤崎美鈴。麗奈の誕生。10年の勤め。

 それら全てを懸けて、これから狂咲と立ち向かう。

 刀田は気になった。

自分の血の臭いじゃない。他人の血の臭いと、コロン。中国製の独特の臭い。それに加えて火薬の臭い。

「兄者。まさか!!」

思い出せる範囲の道と、火薬と血の臭いを頼りに刀田は走り始める。

大きな扉の隙間からこぼれる明かりを見て、刀田は両手で開けた。目の前の光景に刀田は驚いた。

血の海と散らばる薬莢。複数の死体。龍牙のバッジをつけた構成員と日本人だ。

 半裸で、肩で息をしながら酒を飲んでいる黒狼のスミの背中の男が立っている。刀田の視界には、白国が血を流して倒れているのが見えた。

「兄者ぁぁ!!!」

刀田の怒号に、狂咲が振り向いて、飲んでいた日本酒の瓶を放り投げた。全身アザだらけの狂咲。

「兄者!!いってぇ何を!!?」

刀田が白国に駆け寄ろうとし、狂咲が片手を広げて止めた。

「兄弟。もう必要ねぇ。」

「兄者!!必要ねぇってどういうこったぁ!!」

激怒する刀田に、狂咲は静かに血まみれの手を見せた。

「そうか。そういう事かよ。兄者。」

刀田はジャケットを脱いで、同じアザだらけの狂咲と対峙した。

「兄弟。お互いボロボロだなぁ。須藤も強くなったもんだ。」

「兄者。龍牙ならまだしも、白国の兄貴も手にかけたのか? だったら俺は本当に許さねぇぞ。」

「あぁ。兄弟。俺達がケジメをつける時はそうでねぇといけねぇな。」

刀田が殴りかかると、狂咲が流麗な動きで刀田の視界から消えて、刀田はスネに衝撃を感じた。

狂咲がバックステップして息を整える。刀田はスネを押さえて立った。

「思いだすなぁ。兄者。10年前のあの時もこんな痛みだった。」

狂咲は微笑んでステップを踏んでいる。刀田がまた殴りかかる。同じ様に避ける狂咲だが、刀田が更に一歩進んで狂咲の頭を掴む。狂咲は驚いたが、刀田は力づくで引き寄せて頭突きをする。狂咲は脳が揺らされてふらつきそうになったが、刀田の手首を掴んで顎を蹴り上げ、怯んだ隙に殴って拳を解いて距離をとる。刀田はツバを吐いて口を拭う。

「兄弟。オメェの格闘センスにゃ本当に嫉妬するぜ。瞬時に学んで上回ってきやがる。いつだってよ。」

「兄者ぁ!」

2人で殴りあう時間が続いた。

 狂咲のテクニックは刀田の各部位を捉えながら、刀田は自分の肉体を理解したパワーで押し通る。2人の戦い方は特徴的で、相手を理解しながら圧倒する技量とパワー。痴子の喧嘩にある、テクニックに溺れる馬鹿者や勢いだけの猪馬鹿ではない。本当に秀でた相手同士では相手が誰であろうと関係ない。そんな高等格闘技と言っていい。2人は自分達の闘いの中にのめりこんでいく。刹那が何分にも感じる世界。

お互いが息を切らせて視線をギラつかせている。

「兄者ぁ。殴り合ってもわかんねぇぜ。龍牙と何があったかわからねぇ。でも、白国の兄貴までなんで手にかけやがった。」

狂咲は息を切らせながら、血が混じったツバを吐く。刀田を睨む。

「兄弟。オヤジの兄弟分の白国の兄貴を越えなきゃ、俺はオメェに光栄会の継を譲る事もできねぇ。オメェと須藤で新しくこの組をつなげるためなんだよ。」

「兄者ぁ!!オヤジや女将さん、花蓮のお嬢とも話したけどよ。俺は光栄会を何が何でも継ぎたいとはいってねぇ!その前に兄者とのケジメをつけねぇといけねぇ!先走ってんじゃねぇよ!!いつもいつも!」

狂咲は息を整えて、静かに口を拭った。その時だった。

「相変わらずだな。武彦。」


 刀田が振り返って声の主を見た。白国。腕を立ててむくっと起き上がり、胡坐をかいた。

狂咲は視線を逸らしてため息をついた。

「白国の・・・兄貴。御無事で?」

「無事もクソもあるか。人を勝手に殺すんじゃねぇよ。ま、狸寝入りはしてたけどよ。」

白国が膝を叩いて、狂咲が投げた煙草とライターを受け取り火を点けた。刀田はまだ状況を理解できていなかった。白国が煙草をふかして刀田を見据えた。

「武彦、光雄。うつ伏せでチラ見だったけどよ、相変わらずオメェらの喧嘩は超一流だな。観ててたぎるもんがあるぜ。それにオメェのいう事。慎重さというか、不器用さも相変わらずだな。

 俺はオヤジと一緒に、光雄の計画に乗った。俺が最後の試金石だって煽てられても木になんざのぼりゃしねぇよ。単純におもしれぇから、俺は乗った。

光雄は、さっきほざいてた事をオメェが真っ白に信じて、殴り殺してくれる事を望んだみてぇだが、お人よしのお芝居にも飽きた。茶番崩して悪いな。光雄。」

狂咲は無言でうつむき、刀田は純粋な少年の様な目で白国を見ている。

「白国さん。」

「刀田。んな顔すんじゃねぇ。俺は見届けに来た。光雄にわたすもんは渡した。ここのな。

 いいじゃねぇか。魅せてくれよ。テメェラの喧嘩をよ!喧嘩は派手とか地味じゃねぇ!ココだ!ココ!!」

白国が自分の胸を親指で叩いた。

白国の言葉に反応して、白国の背中の大扉から光栄会の構成員が出てきた。

 狂咲と刀田を誘う様に、埠頭の海岸沿いにつながる大扉が開かれた。

「さぁ。俺達に魅せてくれよ。今でも活きる俺達の、光栄会の義侠をよぉ!!」

白国が立ち上がり、構成員にコートを渡され、羽織り仁王立ちした。

 狂咲と刀田が舞台に向かい、扉の前で刀田が、歩きながら顔を向けずに狂咲に拳を出した。狂咲は歩きながら拳を静かに合わせた。


 刀田と狂咲。

月下の双狼。最早、言葉など要らない。お互いのファイティングポーズを見て月下の決闘が始まる。

 刀田も狂咲も怒号を上げて取っ組み合いをする。刀田が体格、パワーで有利。

狂咲は負けじと対抗して、刀田が踏み込んだ瞬間を狙いすまして右腕に飛びついて三角締めで取った。全身で刀田の豪腕を締め上げていく。刀田の右腕の関節が悲鳴をあげながら、狂咲を振り回してドラム缶に当てる。狂咲はそれでも離さない。刀田は右腕を捨てるつもりで、右腕の筋肉を最大に膨らませて狂咲の腕を振りほどいた。激痛で刀田はスウェイしたが、狂咲は距離をつめて乱打してくる。

 刀田は防御を考えなかった。靭帯が伸びたのか、使い物にならなくなった右腕を肉の盾にして体捌きで狂咲の乱打を押し切り、体当たりをしながら左腕の一撃を繰りだす機会を待っている。

狂咲のハイキックが迫り来る。狂咲の攻撃の先を刀田は読んでいた。肩だけで上げた右腕。関節攻撃でも動きを乱す攻撃も関係ない捨てた右腕をひたすらに盾として活かし、刀田は左腕を繰り出そうとした。

 刀田は気づくのが遅かった。狂咲は乱打の中に刀田の腹や胸に急所を打っていた。頭がふらっとして顎を打たれた。刀田が膝を落とそうとしたが狂咲が倒れる事を許さない。膝蹴りも拳も速い。刀田の頑丈さがなければとっくに倒れている。だが、刀田は左腕を振って怒号を上げる。気合で狂咲の勢いを弾いて、左ストレートを狂咲の胸に打ち込む。狂咲が1m程後ずさって、血の混じったツバを吐いた。


 2人の闘いに、白国の若い構成員の面々が黙って生唾を飲んだ。古い人間は懐かしむ様に状況を見ている。

「こ、これが。伝説の双狼の闘い・・・」

「あぁ。滅多にみれねぇぞ。あいつ等は俺もオヤジも惚れこんだ、稀に見る、狂った狼だ。目に焼き付けとけ。俺らの世界。いつからか、金で買えるチャカやヒカリモンで黙らせるつまんねぇ時代になってきた。でも、あいつ等はそうじゃねぇ。古くせぇ狼のまんまだ。まだわけぇってのによ。あのガキどもはよ。」

白国が煙草をふかして狂気じみた悦楽の笑顔で観ている。

狂咲と刀田は殴りあい続ける。狂咲も刀田の重い拳に体力を削られながら、打撃を繰りだす。

お互いの動きが鈍くなっていくのは、当の本人は勿論、外野もわかる。

だが、2人は嬉々として続けている。ヘロヘロになりながらもお互いの一撃一撃に応酬している。

白国の若い構成員が呟いた。

「白国さん。いくらなんでも、狂咲さんや刀田さん。もう良いんじゃねぇんですか?」

白国がジロッとその構成員を睨み、構成員は眼力に怯えた。

「糸山ァ!! アタシの頭飛び越えて意見すんな!」

「山崎。構いやしねぇ。

 ジャリ。糸山っつったか? オメェみたいなオカマのアマちゃんとはチゲェ。奴らはな。今の御時勢のクソくだらねぇ、頑張りました、皆で一等賞なんてアイツらが許さねぇよ。

 時代じゃねぇ。ココだ。あいつらの魂がそう言ってんだ。オメェらの常識で、あいつら食い止められんなら言いにいけ。俺も山崎も止めはしねぇ。」

白国の言葉に、糸山は目を泳がせた。直属の女上司の山崎、白国、刀田と狂咲。言葉が見つからなかった。

「お、俺は、その

「だったら黙って見てろ。クソジャリ。」

 その言葉に見守るだれもが言葉を失った。


 夜が白み始めた頃。

刀田も狂咲も立っていた。息を荒らし、腕や足にガタが来て、目をぎらつかせている。

 白国や山崎がチラッと視線を逸らした先に、須藤とその構成員達がいた。白国達も須藤達もお互いに沈黙を守り2人の闘いを見守っていた。

「兄者ぁぁ!!」

「兄弟!!」

刀田と狂咲が最後の力を振り絞って拳を繰りだす。

クロスカウンターでお互いが気絶寸前のダメージ。2人は気合だけで立っていて、拳を引いた。

 2人とも、顔を上げるだけで精一杯だった。

視線が合って、お互い小さい声で笑った。

「兄弟。あの時はアッパーで俺が勝ったが、今度はそうはいかねぇか。」

「兄者。同じ轍を踏んじゃあ、兄者に失礼ってもんだぜ。」

2人が1分くらいだろうか。微笑みあって、膝から崩れ落ちた。

「刀田さん!!」

須藤が構成員に助けられながら近づこうとした。

「須藤!!!やめろ!!」

白国が一喝して場は収まった。誰もが2人に近づこうとしない。それを白国が許さなかった。

 狂咲が口を開いた。

「兄弟。負けたぜ。オメェのゴキブリ並みのしぶとさにはよ。」

刀田が少しだけ視線を上げて、狂咲がフラフラと立ち上がろうとしている姿を見た。

「兄者。やめてくれ。俺の悪あがきだ。兄者が死にたがりなら、俺だってそうだぜ。」

刀田がガクガクさせながら膝を立てる。狂咲も視線を合わせる。

「へへ。死にたがりか。いてぇ言葉だな。だが、オメェの言うとおりだ。

なんでも勝手に動いて、小賢しさだけで周りが何も言わなかったから、良いと思っちまった。

そのツケはでかかった。10年前に兄弟のオメェを使った事が最悪だった。それを背負って、いっそオメェに殺されたかった。それすらオメェにはばれちまう。」

「兄者。臭いメシ喰ったから言いてぇ。世の中捨てたもんじゃねぇ。いや、捨てられねぇ。

 俺にとっちゃ、兄者やオヤジ、美鈴も麗奈もいてくれたから維持できた。なかったら何が何でも死にたかったさ。

兄者がいてくれたおかげで、生きる希望を見出せたんだぜ?」

 狂咲は、刀田を見て、小さく頷いて、ポケットからクローバーのブローチを出した。狂先が微笑んでため息をついて言った。

「生きる希望か。

 兄弟。折り入って頼みがある。散々迷惑かけたのに、どの面下げてって思うだろうが、この通りだ。」

狂咲が土下座して、刀田が「兄者!」と言ってフラフラ歩み寄った。狂咲は頭を上げずに言った。

「これから言う事は全て本当だ。だが、誰も恨まねぇでくれ。頼む。背中のスミにもオメェにも言えなかった事実だ。そっから先は俺の命なんざ好きにしてくれ。」

 刀田は困惑し、白国は煙草を地面に落とし、ひねり潰して、溜息をついた。

「兄者。何言ってやがんだ?」


 七、孤児のシンパシー

 都内のマンション。

夕方に女がテレビを見ていた。

「お伝えします。今日未明、川崎コンテナターミナルにおいて、大勢の遺体が確認されました。速報です。神奈川県警の報道では、指定暴力団、光栄会と海外マフィアの関与が疑われおり……」

女が画面を冷たい表情で眺めていた。

女が立ち上がり、固定電話が置いてあるテーブルの引き出しを開けた。

4色のクローバーのネックレス。

「みっちゃん。」

女はネックレスを握って、目を瞑った。

「ただいまー!!」

少女の声に、女はネックレスを尻ポケットにしまって玄関に向かった。

「麗奈? おかえり。ちゃんと手洗いうが……」

女の視界に入った2人。

包帯だらけの刀田とランドセルを背負った藤崎麗奈。

藤崎美鈴が黙った。

「麗奈。その人は誰?」

美鈴が冷たい目で刀田を睨む。麗奈はきょとんとして美鈴を見ている。

「ママの知り合いなんでしょ? トーダさんだよ? 光雄オジちゃんがママと友達だって。光雄オジちゃんは忙しいからって、さっき家の前で帰っちゃったけど。」

麗奈の言葉に、美鈴と刀田は黙り、美鈴は鋭い目でいたままだった。

「ママ顔怖い。」

麗奈の言葉に、美鈴は反応して笑顔を作った。

「そんな事ないわよ。刀田さんでしょ? もちろん知ってるわ。 麗奈? ちゃんと手洗いうがいしてお部屋に行きなさい。 ママは刀田さんとお話するから。」

「うん!わかった! キレイキレイしたらおやつ食べていい?」

「夕ご飯前でしょ? ママ買い物忘れたから刀田さんと行くわ。1人で留守番できる? お菓子は許さないからね?」

「はぁーい。今日のご飯なに?」

「ハンバーグよ? 刀田さんと昔話もあるから少し遅くなるかも。」

美鈴が刀田にガンつけて、刀田は黙った。

「うん!わかった! 麗奈お菓子食べない!」

 刀田が見ている中、美鈴と麗奈は母娘の会話をして、麗奈は部屋に向かい、美鈴は玄関とリビングの扉を締めた。

 美鈴が振り返り、刀田を睨んで歩み寄った。

「何のつもりよ? あの子に会うなって言ったでしょ? 狂咲さんもグルなわけ?」

刀田は目をつむって口を開いた。

「まずは安心したぜ。しっかり母親なんだな。麗奈にも会えて嬉しかった。」

乾いた音が廊下に響いた。

刀田が顔を背けて黙っていた。

「どの面下げて来たのよ。クソ野郎。狂咲さんまで巻き込んで。」

「美鈴。全部兄者から聞いた。役者の兄者には騙されたぜ。オメェと兄者、オヤジや白国の兄さんの事もな。」

美鈴が刀田を睨んで、時間を置いてからため息をついた。

「そう。みっちゃんも白国さんも、権兵衛さんもか。相変わらず、みっちゃんはお節介なのね。」

美鈴は尻ポケットから、4色のクローバーのネックレスを取り出して首にかけた。

「それが、兄者達との友情の証か。よく思い出したら、オメェいつもそれを大事にしてたな。兄者やオメェ達の

「黙れ。場所を変えましょう。みっちゃんは来るの?」

美鈴が刀田の言葉を遮って、睨んでいる。

「兄者はこねぇ。話は外でって事だろ?」

「当たり前じゃない。コート持ってくるから外で待ってて。」

美鈴がそう言って、「わかった。」と、刀田は言った。


 刀田は部屋の外で待っていると、本当に少しの時間で美鈴が出てきた。施錠をして、「いきましょう。」とだけ言って美鈴が歩き出す。刀田はそれについて行った。

 美鈴のマンションから程ない場所の大手イタリアンレストラン。美鈴と刀田は入って、席についた。それまで、2人は一切口をきかなかった。

怪我人の刀田に店員は気を遣ったが、美鈴は無視していた。

「酒でも飲むの?」

美鈴の言葉に、刀田は少し躊躇ったが、頷いた。

「馬鹿じゃないの? 麗奈の嗅覚は警察犬並みよ。嫌われても良いなら好きにしなさいよ。」

刀田は微笑んで、自分の分の食事と酒をタッチパネルで頼んだ。

美鈴はドリンクバーの紅茶を2人分テーブルに持ってきた。

 会話の糸口が難しいまま、テーブルに食事とデカンタのワインが運ばれてきた。冷菜ばかりを頼んだ美鈴、肉や炭水化物を頼んだ刀田。刀田はワインを口につけて黙っていた。

「で? みっちゃんはなんて?」

刀田はワインを置いて、深々と頭を下げた。

「ちょっと、やめてよ。人目もあるのに。」

美鈴がいやそうにしたが刀田は言った。

「兄者から聞いた。俺はオメェの事なんもわかってなかったんだな。本当にすまねぇ。」

美鈴が視線を外して、紅茶に口をつけた。


 -狂咲から聞いた美鈴、白国、権兵衛の話。刀田も狂咲からやっと聞いた内容だった。

 狂咲と美鈴、他に2人の孤児がいた。

特殊な孤児院で、暴れ者も、親に捨てられた者、虐待の被害者、海外からの人身売買で売られてきた不法就労者もいたという。その孤児院自体が、刀田が居たハッピーカンパニーの様な、ヤクザのフロント企業で、裏社会の肥溜めだった。

 孤児院のほとんどは、お互いに興味もないまま、愛情に飢える事すら贅沢であり、勘違いも甚だしい。

金と暴力と搾取。子供や社会的弱者に課せられた現実は筆舌に堪えない。

 そんな、耐えるしかない苛酷な環境の中で、狂咲と藤崎、マイラナス、劉邦は同じグループで過ごしていた。いつか良心的な里親が来るなんて妄想はありえない。この掃き溜めから更にクズの組織に売買されるだけ。

 だが、4人は「生きる希望」を夢見ていた。

家族という暖かい妄想にすがる事。何も夢のない、日本にいるというだけで、人権も何もない掃き溜めからの脱却と、愛への渇望。それを信じて、孤児院の庭の隅にあった四つ葉のクローバー。それをシンボルに、4人はそれに願いを託し、手先が器用な劉邦に任せて、思い思いのアクセサリーを作った。

「こんな底辺から脱却して、愛と夢を実現しよう。」

それが4人の誓いだった。


 マイラナス、劉邦と孤児院をでていくが、狂咲や藤崎に聞こえてきた結果は、母国への犯罪者としての強制送還で、その先は想像に容易い。

 狂咲と藤崎は日本人だというだけでそんな措置がなかったが、孤児院で理不尽な仕打ちに耐えて待った。

その転機が、孤児院が光栄会に買い取られた事だった。

 皆沢権兵衛と白国は、フォー・リバティーという、対立組織に喧嘩してまで、孤児院を看過できずに2人を拾った。狂咲も藤崎も、皆沢権兵衛と白国には命を懸けた恩義を感じていて、狂咲が光栄会に尽力した理由でもあった。


 -イタリアンレストラン。

刀田は口を開いた。

「美鈴。オメェは俺なんかよりひでぇ目に合い続けた。兄者は、妹分のオメェまでも幸せになってほしくて、命削って、俺なんかにオメェを任せようとした。知らなかった。知らされてなかったとはいえ、悪かった。」

美鈴は紅茶を飲んで、鼻で嗤った。

「みっちゃんは、本当にお人好し。

 アタシはみっちゃんのお嫁さんになりたかったのに。アンタなんてあてがわれて。

今回の事も、アタシがみっちゃんにわがまま言ったの。みっちゃんの弟分でも、みっちゃんのお嫁さんにしてくれなかったツケを頂戴って。アタシが憎ければ、殺したければ殺して。」

「んな事、するわけも、できるわけもねぇ。」

「子供がいるから?」

刀田はワインに口をつけて黙った。美鈴は紅茶を飲んで冷たい眼差しだった。

「昨日の電話。美鈴。兄者の事を思っての事だったのか?」

「当然よ。みっちゃんに死んで欲しくなかった。形はどうあれ、あの地獄からやっと生き残った、たった2人だもん。みっちゃんや権兵衛さん、白国さんが守ってくれなかったら、アタシなんて今どこで死体になってるかって言うくらいだもの。アンタなんて、死んでもどうでもいい。本気でそう思ってた。」

「・・・そうか。悪かった。」

刀田は左手でスマホを取り出して、操作を始めた。美鈴が眉をひそめる。

「何してるのよ。」

美鈴が冷菜に手をつけながら言う。

「兄者からだ。オメェは俺の言う事なんてテコでもきかねぇだろう。その時に使ってくれってさ。」

刀田がスマホを静かに置いて、美鈴はフォークを止めた。

「レイ。これを聞いてる時は、兄弟も困ったって事だろうな。」

その言葉に、美鈴はフォークを落とした。刀田は視線を落とした。

「レイ。頑なに人の言う事きかねぇのは俺達4人誰もそうだったよな。

マイラや劉の兄さんも、俺もそうだった。学がねぇんだ。英語なんざ勿論、俺達以外、お互い持っているわけわかんねぇ言葉じゃ通じねぇ。ジェスチャーと瞳で分かり合うしかなかった。

 俺達は権兵衛のオヤジと白国の兄貴に拾われた。オメェは刃向かったのを覚えてるか? 意地でも、マイラや劉兄さん達を待つって意固地になってよ。

 あん時、俺は必死にお前を守りたかった。家族って言えるオメェだけはなんとしてもな。約束のクローバーにかけてよ。

 権兵衛のオヤジも白国さんもわかってくれた。俺がオメェを兄弟に任せようとしたのも、周りにいた、そんな誰の瞳も信じられたからだった。恨むなら俺を恨んでくれ。兄弟をあてがって、オメェには地獄よりはなんぼもマシな、オヤジの元でくっついてから、離縁されてカタギになって欲しかった。そこまでは、俺が言えなかった。」

 美鈴がテーブルを叩いて立ち上がり、刀田のスマホを握った。周りの客席がざわめいている。刀田は目を瞑って静かにしていた。

「バカじゃないの? みっちゃん。ホントに。人の気も知らないで。」

刀田がワインを飲んで耳をそばだてていた。狂咲の声だ。

「レイ。俺なんか捨てろ。兄弟、刀田武彦は、間違いなく俺の弟だ。妹のオメェと子供がいるんだ。

聞いたぜ? 俺や須藤も言ってねぇのに、出所した兄弟の家を世話してくれてたんだってな。

俺は、そんな、おめぇの心根の優しさを、兄さん達と同じくらいわかってる。愛に飢えた、自分と同じ様な人間は作りたくない。身を挺してでも守りたい。妹として誇らしいぜ。

 訳あって、俺は兄弟の仁義で生き延びる事になった。わりぃ。」

刀田のスマホが再生を終えた。

「何なのよ。こんなクソみたいな!」

美鈴が顔を上げた時だった。刀田は立っていて、美鈴は光景を疑った。

 イタリアンレストランの客全員が立ち上がり、美鈴を見ている。

カチ、カチ。松葉杖をつく音がする。美鈴はスマホを落として涙した。

「みっちゃん・・・」

美鈴が狂咲を目視したとほぼ同時に、車椅子に座る権兵衛、それをおす白国。皆沢愛子や花蓮、須藤も視認した。生の狂咲の声に美鈴は反応した。

「レイ。俺達は新しい家族だ。兄弟だけじゃねぇ、オヤジも女将さんも白国さん、須藤もが繋げてくれた家族だぜ。認めてくれねぇか? それが俺の最後のお願いだ。」

美鈴が周囲を見て、涙を抑えられずに、溢れるものをひたすら拭った。

「なによ、みっちゃん。フラッシュモブのつもりなの?」

美鈴が泣き声を抑えながら涙を拭う。花蓮は美鈴を支えて、愛子は煙草に火を点けて顔を背けた。

「そんなクソくだらねぇ事しねぇよ。

 意固地になるんじゃねぇ。俺もお前も卒業だ。マイラ、劉の兄さんも望んでるはずだぜ。この生きる希望によ。肩の荷おろすのも勇気だぜ? とっくに麗奈への愛情で受け入れてるじゃねぇか。レイ。」

美鈴の涙腺が決壊し、その場にへたり込んだ。


 エピローグ

 新宿のとある広い敷地。

大門に停まった黒塗りのベンツから、紋付袴の男が出てくる。

大門が開くと、無言で強面の黒スーツの男達が本殿まで連なっている。

 本殿に控える車椅子の白髪の男と女。

紋付袴の男が許可を得て、頭を下げる。

「須藤雄二。お前を皆沢権兵衛から、正式に、第十四代、光栄会組長の督を譲る。

異言が在れば申し立てよ。異論なければ、血の盟約において、血判状をそこに記せ。」

皆沢権兵衛が言って、須藤が深々と頭を下げた。

「謹んで、うけさせていただきます。私、須藤雄二は・・・」

須藤が口上を述べ、血判する様子を、まだ傷が癒えない狂咲も刀田も見ていた。

 光栄会の継取りは須藤と、権兵衛の家族は勿論、白国、狂咲、刀田も打ち合わせていた。

権兵衛は会長の座にありながら、白国が後見人。狂咲は顧問として光栄会に残る事になった。


 光栄会の式典が進む中、刀田は抜け出して、外に出た。そこには花蓮と、山上という弁護士がいた。

刀田はネクタイを外して煙草に火をつけた。

「刀田。客観的に見たら、あなたは使われ続けてたのに。いいの? 本当に。」

花蓮も煙草に火を点けて、話を合わせた。

「お嬢。これでよかったんですよ。法律はしらねぇが、兄者も須藤も、腹くくった仲だ。まだお勤めがありますから。お嬢が御用意くださったその恩義。何にも代えちゃいけません。」

刀田が見た先に、普段着の藤崎美鈴と麗奈がいた。

 麗奈が「おじさーん!!」と言って駆け寄ってくる。

刀田が煙草を捨てて、飛び掛ってくる麗奈を抱きかかえた。

「おじさん!なんだか大好き!!ママも光雄おじさんも大好きだけど!初めて会った時から!」

「おいおい。麗奈ちゃん。変な勘違いはいけねぇぜ? 俺は美鈴さんと麗奈ちゃんの助っ人なんだからよ。」

「そんな事ないもん!! 麗奈の勘はいっつも当たるんだもん!」

麗奈の言葉に、麗奈の養父として法的手続きを済ませた花蓮も山上も、美鈴も涙した。

「そうか。麗奈ちゃん。おじさんはお前とお母さんの為なら、死ぬまで働いて稼ぐからな!」

「死んじゃヤダ!おじさん!! 光雄おじちゃん達とママといいこ、いいこしなきゃ、メッ!!」

麗奈が刀田の鼻に人差し指をあてて、刀田は微笑んだ。

「かなわねぇな。お姫様。よし!じゃあ、お母さんといこうか。」


 刀田と藤崎母娘が去る背中を見て、皆沢花蓮が煙草を道に落としてヒールで潰した。

「皆沢弁護士。かなりの豪腕が必要な案件ですが、本当に私たちだけで?」

花蓮はすっきりした顔で空にため息をついて言った。

「どんな意味でも、まけっぱなしは大嫌いなの。懸けられた思いはちゃんとかえす。依頼人の要望に応えるのが、私達弁護士の仕事でしょ?」

 颯爽と、迷いなく歩く花蓮の後ろ姿を見ながら、山上はいそいそとついて行った。


 -了。

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