かみさまと一緒
※アラクネ視点
かみさまがすきだった。
かみさまはおおきなおおかみで、わたしはちいさなくもだった。
かみさまのおうちにひやしんすがさいた。
かみさまのおうちのひやしんすがわたしのおうち。
かみさまがまほうをくれて、いなくなった。
かみさまがまほうをくれて、わたしはさみしいをしった。
わたしはさみしいで、わたしはさみしいくもになった。
いつもひとりでさみしいだった。たべてもたべてもさみしいだった。
ひやしんすもなくなった。わたしのおうちもさみしいになった。
ヒヤシンスがまた咲いた。
それでもわたしは寂しかった。
ヒヤシンスは何度も散って、ヒヤシンスは何度も咲いた。
あるとき鬼がかみさまのお家にやってきた。
鬼はおいおい泣いて、どこかへ帰った。
鬼はそれから毎日、かみさまのお家に来るようになった。
なのでわたしは寂しくて、鬼とお話がしたくなった。
私の魔法は言葉を呼んだ。
言葉はやって来て、鬼とお話しができたので。
鬼の言葉がいろんな心をわたしに教えたので。
私は足を上げて踊ってみせた。
いつしか鬼は、来なくなったので。
ひとりで舞って踊ってみせた。
それでも鬼は、来なくなったので。
きっと森のどこかで、死んだので。
そうして私は大きくなり、ヒヤシンスに住めなくなった。
なのでかみさまの祠に住むことにした。
かみさまと蜘蛛はずっと一緒。
かみさまの金色の目を思い出したので。
祠から出ると、金色の月があったので。
あれはもう、紅風信子の花が、数えて百回も散った頃です。
人間が森にやって来たので。
果実を摘む程度なら見過ごしましたが、此の者共は喜々として魔物を殺すので。
それも食べるために殺すのではなく、皮を剥いだり、角を折ったり、盗むために殺すのです。
この時、私は初めて怒りを覚えました。かみさまの力がこの蜘蛛の身を駆け巡り、視界を深紅に染め上げました。憤怒の心の赴くままに、たくさんの人間を殺しました。何度も、何度も、それはもう嫌という程………。
時折人間の連れて来ていた、『犬』という生き物の骸から、やがて狼の魔物が生まれるようになりました。その姿はかみさまに似ていて、私は跳ねて喜びました。
けれど狼は大神にあらず。私の思いとはまるで違って、彼らは遣りたい放題なのです。
私はこのやんちゃな魔物を大人しくさせるため、地に落ちているものなら食べても良いと命じ、無益な殺生を禁じたのです。
困ったことが起きたのは、そんな私の課した掟のせいなので。
飢えた狼たちは、私が人間を殺せば「すわ地に落ちている」とわざとらしく宣い、その肉を食べ始めたのです。
人間の厄介な魔法使いの中には、体内に呪詛を隠し持つ者がいます。そのような肉を食べればどうなることか………。
狼たちは骨の髄まで呪いに蝕まれ、何時しか歪な人の容となり、獣人と化して森に溢れました。
そのうち獣人たちは、自らを森の覇者の一族と名乗り、各々もまた名乗りを上げ始め、ついにその牙を森の魔物に向けてきたのです。
名前を得たテフント族の強さは尋常ならざるものでした。
魔物を素手で引き千切るその膂力たるや……、さらに魔法。さらなる恩寵。魔物たちとテフント族の殺し合いは熾烈を極め、多くの大樹が倒れ、草木は焼かれ、花は踏まれ、川は愚か者の血で赤く染まりました。
それでも尚数多の古き猛者たちを先頭に、魔物たちは鼓舞奮闘して勝利を収め、テフント族も到頭その数を減らし、生き残った獣人共は皆森の外へと逃げ去ったのでした………………。
それからというもの、二度とこの様な乱があってはならぬと厳しい戒を敷き、森に強固な結界を施し、これを聖域とする運びとなったので。
鬼、狒々、蛇、蜘蛛、の知恵ある魔物を頭目に据えて、森を四つに別ちました。そしてかみさまの祠のある聖域を、この蜘蛛めが預かる次第となったので。
平穏な日々は続いたものの、森の被害は甚大で、呪詛と魔法の混濁した穢れに染まり、その根を完全に浄化する事は叶いませんでした。
生態系は狂ったままでありつつも緩やかに形を整え、草木が芽吹き、水が綺麗になるまで凡そ二百年を費やしたので。
今日もその穢れの名残りか、人頭の生えた毒亀なんぞが時折発生しますが、まあ可愛いものですね。
人の半身が生えてしまった、この蜘蛛めに較ぶれば。
さらに百年の安寧の時は続き、その間、性懲りもなくちらほらと人間が来る事もありましたが、概ね大事には至らず今の世を迎えます。
この蜘蛛めは相も変わらず祠にいて。
金の月を見上げてはかみさまを想う。
………そしてある夜、それは起こったので。
竜王樹の下で眠る男を見た時は驚きました。
どこから来たという痕跡もなく、只そこに現れたので。
この蜘蛛めの知る如何なる人間とも彼の様子は違っていて、剰えその身には、かみさまの力を宿していたので。
かみさまの力を秘める者なら、迂闊に殺める事は憚られます。まあこの蜘蛛めが手を下さずとも、すぐに死んでしまいそうな雰囲気でしたが………。
さっそく男は毒亀を食べたので。
ほらね。
もがき苦しむ彼を哀れに思い、いっそ一思いに介錯してやろうかと近づいた時、またしてもこの蜘蛛めを驚愕させるかみさまの力。
大樹を揺らし、地を震わせ、千里を駆けて森全体からうねり寄る魔力。
光が雨のように降り注ぎ、彼の心臓へと集まってゆく。これは、かみさまの意志です。彼を死なせまいとしているのです。
東の鬼の庭や、ここから最も遠い西の狒々の元にすら、この歓喜の波動は及んだに違いありません。
見覚えのある黄金の瞳で、彼は私の手を握る。
結ばれる。どんな糸よりも強い絆。
嗚呼、そうか。
彼は彼ではない、かみさまだ。
かみさまが帰ってきたんだ………。
帰ってきてくれた………。そうだ。
私はしっているので。
あのときも、ひやしんすはまたさいた。
私はもう、さみしくない。
かみさまと蜘蛛はずっと一緒。
ずっと、一緒なので。
森の境界及び聖域の区切りはひどく曖昧です。
「あの一本松からこっちが聖域ね~」くらいの感覚ですね。
魔物によっては森全体が聖域だと解釈している者もおりますし、知能の低い者に至ってはもう何一つ理解できていません。