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蜘蛛の名は。


 やけに捩れたセンネンボクが(もつ)れ合う自然のアーチを抜けると、(にわ)かに幻想的な世界が広がる。

 奥には小さな滝壺があり、水は一旦そこで澄んだ淵を作り、やがて緩やかな流れを生み川となる。

 川の周囲には彩り鮮やかな植物が生い茂り、大樹の木漏れ日と重なって、美しい原色のパノラマを織り成していた。


「綺麗だな………」


 せせらぎの音は耳に優しく、清流は(きらめ)く水面にいくつかの花びらを乗せて流れてゆく。その赤いひとひらを蜘蛛が摘み上げ、ひょいと口に入れた。


「これ、おいしいんです。甘いので」


 愛らしい仕草で、俺も食べるように促す。

 咀嚼するが、甘くはない。むしろ青臭くてまずい。なんとか平静を装って笑う。


「………おいしいね。蜘蛛はこれが好きなの…か?」


「………はい。………好きです」



 どことなくぎこちない空気が漂い、誤魔化すようにそそくさと川に入る。

 まじか。アレを美味いと認識してるのか……。蜘蛛と同じ食卓を囲むのは厳しいかもしれん。

 川の水は滑らかで冷たく心地よかった。変身の名残りで、皮膚が毳立(けばだ)っているのを(こそ)ぎ落とす。口も入念に(すす)ぎ、髪も洗い、大方さっぱりしたところで顔を上げると、蜘蛛が衣類と共に岸に置いていた腕時計をガン見している。


「気になる?」


「はい。これほど見事な腕輪は見たことがないので」


「腕輪か……。まあ腕輪でもあるけど。それは『時計』といって時間を知るための道具だよ」


「時間ですか?」


 岸に戻って衣類をガシガシ洗いながら、どう説明したものか考える。


「そう。あくまで俺がいた世界の時間を計る機械だから、この世界の時間とは違うかもしれない。その上でまあ簡単に説明すると………。蜘蛛、一日とか一年って分かる?」


「朝、昼、夜。で一日。風信子が枯れて、また咲くまでが一年なので」


 素直でいい答えだと思った。花が再び咲くまでが一年か。当たり前の事なのに、魔物が言うとやけに感慨深い。


「なるほど。なら、まず一日を朝昼夜としないで、こう考えてみて。昼の真ん中と夜の真ん中を境界にして二つに別けるんだ」


「二つに別ける………」


「そう。夜の真ん中から昼の真ん中までを午前。昼の真ん中から夜の真ん中までを午後とする。午前で十二時間、午後で十二時間、合わせて一日は二十四時間だ。時計はそれ一周で十二時間を計れる。円盤の縁に飾りが十二個あるだろう?」


「はい。……十二個あります」


「そうして区切られた十二個の飾りの、ひとつひとつの間に五つの小さな印がある」


「ありますね……すごく綺麗なので……」


 本気で興味を持ってるな。数も理解してるし。失礼だが思ったよりも頭がいい。六十進法を説明してみよう。


「五つの印が十二個あるから六十………」


「はい。六十数えてこの細くて長い針が一周するんですね」


 食い気味に答えてきた。まじか、めちゃくちゃ頭いいな。観察力もある。まさか掛け算もできるのか?


「…そ、そう。一瞬の時を印ひとつと考えて一秒とする。それが一周して、六十秒で一分。一分が六十進むと………」




 祠に戻って火を焚いて、衣類が乾くまでの間、俺は延々と時計の説明をした。

 蜘蛛の知能は舌を巻くレベルで、ゼロから時計の概念を学習するだけに(とど)まらず、機械式時計の中のカラクリにまで興味が及んだ。歯車などの仕組みについてもだいたい理解してしまったと言っていいだろう。

 そして話し合いながら判明した事がある。蜘蛛のこれほどの学習能力の裏には実はタネがあった。


 それはパス。精神感応(テレパシー)に似た機能だ。

 俺が蜘蛛と、朦朧(もうろう)とする意識の中で手を結んだ時、主従の(パス)が結ばれたらしい。

 それは一種の契約魔法で、曰くモンスターテイムというやつだ。これは元来人間が魔物を使役するために結ぶ術なのだが、俺の『助けてほしい』という気持ちと、蜘蛛の『助けたい』という気持ちが重なり、偶発的に成功してしまった様だ。まあ俺は半分人間だからな。

 このパスは、互いの魔力が近しい性質であればあるほど深く結ばれるようで、言わずもがな俺と蜘蛛とは相性ぴったりだ。そうして限界まで深く繋がったパスが、二人の意思疎通を容易にしているという訳だ。


「結婚したので!」


「結婚はしてない」


 しかしこの世界の時間は一体どうなっているのか。今のところ時計とほぼズレなく過ごせているように思うが、地球時間とぴったりというのもおかしな話だ。そんな偶然があるだろうか。ヒッパルコスをこの世界に引っ張って来させたい。

 まず俺はここが地球だと考えていない。だが地球じゃないと言い切れない何かも感じている。現状、ファンタジー世界としてアバウトに割り切ってはいるものの、この世界はあらゆる面で地球に酷似している。


「したのでぇえ」


「いやしてない」


 だいたいこいつも蜘蛛だしな。蜘蛛は地球の虫だし、ヒヤシンスも地球の植物だ。どちらとも本物とはかなり様子は違うのだが………。可能性のひとつとして、ここがうんと未来の、あるいはうんと過去の地球であるという説も捨てきれない。一度ちゃんと星空を見て確認しないとな。


「………………」


「……時計が気に入ったみたいだから一本あげるよ」



 いじける蜘蛛に、ボストンバッグからハードケースを取り出して開いて見せる。綺麗に並べられた十本の腕時計の中からひとつを選び、俺の時計と時間を合わせて蜘蛛に手渡す。


「蜘蛛に似合うのはコレだな」


 ビンテージの二針の手巻時計で、スクウェアタイプのエレガントなやつだ。ユニセックスの小さめサイズで品がある。ベルトは美しいミラネーゼ。蜘蛛の細い手首にもフィットするだろう。


「わぁ………………」


 蜘蛛は満面の笑みだ。喜んどる喜んどる。


「一応俺のコレとお揃いだよ。同じブランド……、ブランドって説明難しいな。同じ気持ちの人たちが作ったって事」

 

 言葉を無くして感動している蜘蛛の腕に巻いてやる。

 やべえな。ビンテージ腕時計をするアラクネってしぶすぎるわ。地球の女子でも時計好きなんてごく少数だったからな、こんなに喜んでもらえるのが新鮮で、俺もすごく嬉しい。


「俺のいた世界で、二番目に古いブランドの時計だよ。もともと希少(レア)なものだけど、この世界ではそれ一本しか存在しないだろう。替えはきかないから大事にしてくれ。古い時計だから壊れやすい。激しい運動をする時はしないように。あと水に濡らすのも絶対にダメだ」


「ありがとぉ…かみざま……。うう嬉しいのでぇえ」


 泣き虫な蜘蛛だ。


「かみさまって呼ばれるのもしんどいな……。それにいつまでも蜘蛛って呼ぶのもあれだな。名前を決めよう」


 俺は実に軽い気持ちでそう言った。魔物が名前を持つという意味を深く考えずに…。


「今の俺には名前があるんだ。俺の名はサンカ・ダッタン。サンカと呼んでくれ。そして蜘蛛、君の名前は………………」


 蜘蛛がフリーズしてこちらを見ている。目を丸く見開いて、妙な表情だ。

 俺が賛歌だから歌がらみがいいかな。歌…、音楽…。蜘蛛と言えば糸。弦楽器。琴なんていいね。何か優雅だし……。



「君の名は琴。《コト》だ」



 蜘蛛は解毒作用のある花びらを、甘いと嘘をついてサンカに食べさせています。蜘蛛の味覚が壊滅的なのではありません。あとで蜘蛛視点としてこのシーンを回収したかったのですが、私の技術不足により回収する見込みがなさそうなので、ここに書いておきます。


 劇中、サンカの愛用している時計のモデルは、「FAVRE-LEUBA スカイチーフデイト40 黒文字盤」です。

 コトにあげたのは、同じFAVRE-LEUBAの、おそらく70年代のビンテージの手巻きスクウェアモデルです。ミラネーゼとケースが一体化しているタイプで、2針のグレー文字盤。プラ風防。

 …を参考にさせていただいております。

 Twitterで紹介しております。


次回木曜日更新です。

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