Bカップと邪神
「ぎりBカップだな……」
美しい女が小首を傾げる。
鮮やかな弧を描いた切れ長の瞳。きょとんと瞬きをすれば赤い虹彩に純白の睫毛が被さる。
白い柔肌を撫でるように流れる髪も銀髪だが、艶があり、老いた印象はどこにもない。髪はささやかだが丸みを帯びた胸にかかり、少女のような体躯と相まって、生々しい妖艶さが漂う。
ここだけ見ればたいへん綺麗な女性なのだが、下半身がいかつい。
お臍周りに産毛、鼠径部からは立派な白い体毛に覆われ、その両脇から悍ましい触肢がもじもじしている。
後ろに連なるボディに至っては完全に蜘蛛のそれであり、凶悪な多脚戦車が幼気な少女を支えている図式だ。
「立派になったな。蜘蛛」
懐かしい魔力だ。
かつて滅ぶ間際、ヒヤシンスの葉の上で震えていた小さな孔雀蜘蛛を思い出す。
無駄に散るのも芸がないと、残された魔力の残滓を与えた蜘蛛の子が、これほど立派なアラクネに育つとは………。
「うぇ…? かみさま……覚えて…いて? うれじい………のでぇえ」
「俺もまた会えて嬉しいよ蜘蛛。……まだ不安定でさ。しばらく一緒にいてくれると助かるんだが……」
「そんな、ずっと…お傍に、いざぜで…くだしゃいい………」
「ありがとう。面倒を掛けると思うけど、よろしく頼むよ」
眉毛かと思っていたが、あれも目だろうな。ちょうど眉くらいの位置に、十五度ないし二十度程度吊り上がった目がある。人間の目よりやや小さくて白目がない。まるで深紅のビー玉を埋め込んでいるかのようだ。
併せて四つの目を腫らして蜘蛛が泣く。
「泣くのもいいが、まずはこれを解いてくれるとありがたい……」
えぐえぐと咽び泣く蜘蛛に、全身雁字搦めにされた糸を解かせる。
「あと祠をお花畑にするのは大歓迎だが、虫を飼うのは堪えてくれ………」
糸から解放されて一息ついても、まだ身体がうまく動かない。
毒の後遺症じゃなく、俺の肉体が造り変えられたせいだ。おっさんのままこの森で生き抜くなんてやっぱムリだろ。納得の変身だ。けれどまあ、どう変化したのかも当然気にはなる。
蜘蛛が荷物を取りに行ってる隙に、こそっとスマホの自撮りモードを起動する。
平たく言えば二十歳位は若返ったな。髭もすっかりなくなって……生えてくんのかなこれ? 髭好きなんだが。まあいい。歯も新しく生え揃っててがっつりある。犬歯が目立つが一安心だ。
難を言えば瞳の色がキンキラ金なのがちょっとイタイな。こういうのはとっくに卒業したから少し恥ずかしい。
あとこの目の縁が太く黒ずんでいて、イヌ科の目元か、もしくは化粧を施しているようにも見える。肌も褐色がかっていてエキゾチックだ。うん、濃いな。
よろよろと立ち上がって、細く筋肉質になった全身をペタペタ触る。
急激な新陳代謝のせいか、少し匂う。所々脱皮したような跡がある。
凶悪な爪が末節骨の指節間関節の辺りから生えていて、金属のように硬く鋭い。注意しないと怪我しそうだ。……その他は人間とさほど変わらないな。パッと見、普通に中東風味のイケメンだ。まあ、見てくれより性能が大事だよ。ん? ………………性…能?
服を脱いですっぽんぽんになる。立派な邪神に声が出た。嬉しい。本当にこれが一番嬉しい! すごいぞ邪神!
全裸で限りない喜びを噛みしめていると蜘蛛が戻ってきた。
「キャッ♡」
ボストンバッグを肩掛けにし、丸めたレジャーシートを小脇に挟んだ蜘蛛が、俺の裸を見て「キャッ♡」ってした。なんというシュールな光景だろう。
ピクニックスタイルがこれほど似合わない生物が他にいるだろうか。あと人間の裸を見て、お前は何を感じてそうなるんだ? お前の生態は一体どうなっているんだ?
「恥ずかしい……のでぇえ」
嘘つけ。おまえもすっぽんぽんだろうが。己のむき出しのBカップを恥じらえ。
「蜘蛛、服を洗いたい。できるなら水浴びもしたい。近くできれいな水がある場所を教えてくれないか?」
「裏手の少し下ったところに沢があるので。案内できますが……、もう歩けるので?」
「少しふらつくが大丈夫だ。ゆっくり行こうか………」
今や蜘蛛の住処となっている俺の祠は崖の上にあった。
巨大な磐座を刳り抜いて作られたものだが、元の岩が大きくても室内はさして広くはない。十畳一間程度の……こじんまり。という表現でいい。
出入口周辺も蜘蛛の趣味であろう花壇で埋め尽くされている。祠内部もそうであったが、石ころや木片を糸で器用に纏め上げたプランターや棚は、センス良く卓越した技能を感じさせる。
「こっちです。少し急になっているので。………大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
裏手に周ると獣道があり、確かに急だが、何度も踏み固められたであろう地面は安定感があった。
時折心配そうに振り返りながら、静かに案内を務める蜘蛛の後姿を見ながら思う。
魔物の文化は不思議だ。
今の俺もそうだが、古代の魔法言語を口にし、高度な知能や感情を有する個体もいる。原始的であるものの必要に応じて道具も使えば、自然を利用する知恵もある。おそらく森の動植物の運用価値すら理解しているだろう。
けれど発展がない。知識があっても意欲的な文化の進歩はほぼなく、文明を開拓しない。
そこに森の生態系を破壊せず、頑なに守りたいという意思を感じる。まるでそうプログラムされているかのように………。
もし事実そうなのだとしたら……。魔物が繁栄するために森があるのではなく、森を守るために魔物が存在するという構図が透けて見えてくる。
獣道がさらに細くなり少し険しくなる。
チチチチ…と不穏な音を発しながら、藪の向こうから蛇に似た奇妙な生き物が顔を出した。
蛇のおかしな顔つきを見て笑う。はは…。藪蛇ってか……。そうだな。今闇雲に突くのはよそう。
まずは身綺麗にして、落ち着いてからゆっくり物事を見極めればいいさ。
「着いたので」