エマヌエル号
僅かに妙な魔力を感じる。森の魔物の波動じゃない。とすると、アナベルさんの魔力という事になるが……。死んでいるのに魔力をどうこうできるものなのか? まあ五百歳を超える魔女だからな。謎の術式を体内に隠し持っている可能性も無きにしも非ず。とりあえず絡新婦が心配だ。不審に思いながらも、その気配を辿ってゆく。
どれ………。
『セックス!』
はあっ? な、なんだ…、なんなんだ今のは? 体内を覗こうとした瞬間、切羽詰まった女の声であぶない単語が聞こえたぞ!
「どうしたんですか? サンカさま………」
「い、いや………。なんでもない。空耳がしただけだ」
覗いておいて空耳も何もないけどな。も、もう一度………。気を取り直して再び魔眼を発動……。
『交尾! 交尾! サンカ様と交………………』
はい終わり。もうしません。もう二度としません。
今のは確実にアウトだ……。俺も近頃疲れが溜まってるのかもしれない。
仮に間違いじゃなかったとしても、尚更関わり合いになりたくない。もうこれでこの件は終わりだ………。
「何も………分からない」
俺は一言そう呟き、シュールストレミングの蓋を閉じるように、そっと死体の瞼を下した。
※コマンチ辺境伯視点
偉大なる帝国の最新技術の粋を集めて造り上げた半硬式飛行船、エマヌエル号。
帝国最南端都市アバカンと、カイヤナ王国北シンバリを隔てて横たわる氷の山脈ドルゲドル。登頂不可能と囁かれた死神の山脈を、人類史上初めて跨いだのがこのエマヌエル号である。
吾が半生を賭して、湯水の如く金を使いコネを使い、色目を使って完成させた、帝国の最高傑作にして虎の子の切り札である。
うむ。色目は少し言い過ぎた。そして褒めそやすのもここまでだ。
ミヨ式螺旋タービン三基を搭載し、優に全長百メートルを上回る超大型船であるにも関わらず、ここ操舵室は極端に狭い。狭いにも関わらず船員がひしめき合い、もう暑いのなんの………。なんなら後部の魔術師団が控えている艦砲デッキに、今すぐにでも避難したいくらいである。
「暑い!」
「辛抱なさってください閣下。前から乗りたい乗りたいっておっしゃっていたではありませんか」
「吾輩が求めておったのは、もっと優雅な空の旅である! このような男臭い蒸し風呂に浸かりたいなどと言うた覚えはない!」
「ま、まあまあ気を落ち着けて………。ほ、ほらあれをご覧ください! いよいよ死の森が見えてきましたよ! かぁーっ、壮観ですなあ!」
どこが壮観なのだこのバカチンめが。めちゃくちゃ眺めが悪いわ。部屋がこれ程激狭なんだから、視界が広いはずがなかろう。なーにが死の森だ。え? のっぺりした緑のもじゃもじゃにしか見えんのだよ。
「ほらほら閣下、あの森の手前にずらーっと魔物が並んで…並ん…、でえええ?」
「んん?」
けたたましい警報が船内に鳴り響く。ブースカピーと煩さすぎるだろうこの警告音。これでは指示を飛ばそうにも何も伝わらんのではないか?
「死の森に魔物の群れが展開しております!」
「………何匹いるんだ? とてつもない……、めちゃくちゃな数だ!」
「中央で煙が上がっている! 合図か? 剣聖殿はどこだ?」
「ええいやかましい! 警報を止めろ!」
言わんこっちゃない。クソうるさい警報に煽られて、早くも指揮が乱れておる。魔物の百や二百に狼狽えてどうする。こちらは天空におるのだ。地を這うだけの獣など物の数ではない。
「魔術師団に広範囲殲滅魔法の準備をさせろ! 剣聖を回収したら森ごと魔物共を焼き払うのだ!」
「閣下! 艦砲デッキより報告! 剣聖の…、首を、死体を確認したそうです!」
「バカなっ!」
「監視員及び、千里眼の能力者も口を揃えて間違いないと………!」
「アナベル・ベルはどうなったのだ? あのクソババアは生きておるのか?」
「若い女の死体はありますが、それらしい老女の姿はどこにもないとの事です!」
「クソがあああああ!」
あんの剣聖のクソ狸がっ! あのババアを仕留めるどころか己が死んでどうするのだ! しかもババアはいないだと? 綺麗にハメられておるではないかっ!
「無駄足だ! 退き帰せ!」
「はっ…。は?」
「撤退だ! 魔女に一杯食わされたわ! ここにはもう用はない!」
浮足立つ操舵室に、息つく間もなく凶報が走る。今度は何じゃバカチンがあっ!
「と、鳥人間です! 鳥の、鳥の魔物が接近中! 凄まじい速さでこちらへ迫ってきます!」
「はあ? 鳥人間?」
「相当な数の群れです! その数約五十! 先頭の鳥は赤く燃えています!」
もうしっちゃかめっちゃかである! 鳥人間だと気持ちの悪い! しかも燃えておるとは何事だ? まさか伝説の火の鳥だとでも言いたいのではあるまいな?
「なんて綺麗な魔物なんだ………。あ、あれは、あれは火の鳥だ………」
「本気か…? ちょ、ちょっと俺にもよく見せてくれ……、うわ、やべえ……」
くっ…、そんな会話をするでない。吾輩もちょっと見たくなるだろうが。おい、そこをどけ、邪魔だ。違う右じゃない、左にずれろ鬱陶しい。
「閣下………。大変申し上げにくいのですが、これは忌々しき事態であるかと………」
「どうした……申せ。おお…、誠に美しい鳥であるな………」
「この船は、水素で浮かんでおります故………」
「通り過ぎてしまった………。おいっ、あれを捕まえろ! さっきの火の鳥だ! 捕らえた者には白金貨をくれてやる!」
「その、大変燃え易うございます」
「…ん?」




