邪神の化身
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脳の空間定位が壊れたか………………。
俺は水だ。
脳内出血でも起こしたのだろうか……?
まあ、どうでもいい。
とにかく俺は今、水だ。
五感もなく………、前庭覚や体性感覚も全てない。
自身の基点がないから、空間として知覚できない。
つまり俺はただ揺蕩う水で、意識だけがある。
そんなもはや俺ではなくなった俺の傍に、もうひとつの心がある。
そして俺と同様、無くなりかけている。
けれどそれが嫌で、俺たちは互いに、何とかひとつになろうとしている。
やがてふたつの水は融和して、ひとつの水になるだろう。
思えば初めからこいつはずっといたんだ。
俺の中に。
お互い水となっては腹の内など筒抜けだ。
そう。こいつにとって俺は、またとない都合のいい器だった。
己が復活するための、魔力を持たない肉の器。
この世界に準拠しないスタンドアローンの生命体。
ようこそ。歓迎するよ。
俺だってこいつがいないと、そもそも詰んでるんだ。
俺たちは双方とも《名前》を持ち合わせていなかった。
それが問題だ。
この《名前》をどうにかしないといけない。なぜならこの世界では《名前》はとても重要な意味を持つからだ。
例え話をしよう。
世界が巨大なサーバーだと仮定して、そこに正式に繋がるためには認証コードがいる。《名前》というパスワードがなければネットワークに加われず、世界の恩恵を十全に享受できない仕組みだ。
かつてこの片割れの水には、力はあったが《名前》がなく、世界から『邪神』の扱いを受けていた。
この森に生まれた命たちも、須らく世界から『魔物』と見なされ、余さず淘汰される運命にあった。
だが邪神は必死でそれらに抵抗し、ダッタンとダッタンに生まれる子らを守り続けた。
やがて、免疫プログラムである勇者に滅ぼされるその日まで………………。
森の子たち。魔物たちはこのダッタンの森を何と呼んでいるか知っているか?
聖域だよ。
泣ける話だ。
さて。いっちょ気合入れて名乗ってやろうか。
所在のない俺なら新規登録する事が可能だ。
既存しない新たな存在を世界に知らしめる。
今日が俺の誕生日だ。
俺の名は、賛歌。
命を褒めたたえる喜びの歌。この森の、生きとし生ける全ての名も無き命を祝福して。
サンカ・ダッタン
それが俺の名前だ。
ふたつの水はそうしてひとつの存在を構築し、肉体に戻って空間知覚を獲得する。
もうここには名前を忘れた稀人も、名前のなかった邪神も存在しない………。
ここにいるのはこの俺。サンカ・ダッタン。
地球から来た邪神の化身だ。
俺は、目覚める………………。
「…ぁいっ………てええええええ!」
だがまだ筋肉痛は治っていなかった。
びっくりした。耐えきれないレベルではないものの、まだめちゃくちゃ痛い。何これまじで。何なんこれまじで。息を整えろ。呼吸法だ。ぅうううう………痛い。痛みにはラマーズ法。こんな時こそ知識チートだ。
ひっひっふー。ひっひっふー。
ん? 身動きが…あれ? ……縛られてるぞ! 固って! 糸?
ひっひっふー。ひっひっふー。
あんの………蜘蛛の仕業かっ! 糸でぐるぐる巻きじゃねえか! しかも石台にじかに寝かせやがって! 背中も痛いし超冷たい!
ひっひっふー。ひっひっふー。
ここは蜘蛛の住処か? 石造りの、祠か。……って俺の祠じゃねえか! 可愛いお花だらけになってて気付かなかった!
ひっひっふー。ひっひっふー。
ラマーズ法がまるで効いてないな。もっと一生懸命やろう。
ひっひっふー。ひっひっふー。ひっひっふー。
おい、あの棚の花からひょっこり顔を出している色鮮やかな虫…。見覚えがあるぞ。確か猛毒の………………?
ひっひっふー! ひっひっふー! ひっひっふー!
おい、よせ! 来るな! 思い出した! お前めちゃくちゃ毒持ってるヤツだろ! 寄るな! 考え直せ! 俺はお前らの…かみ…噛むな!
ひっひっふー! ひっひっふー! ひっひっふー!
ちょ…、やめ。……アッ!
ひっひっふー! ひっ……ひっふー…。
こんばんは。
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