毒ガスブレス
※ザック視点
魔物の少女が剣聖の放った煙玉をモロに浴びた。
灰色の煙が爆散し、辺り一面を覆い隠す。まずい…、あれは生物兵器だ。
「下がれチャナ! 毒ガスだ!」
「剣聖のアホボケェーッ!」
後退しないチャナを抱え、煙幕から離れる。邪神サイドに寄り添う格好になってしまうが、止むを得ない。
毒ガスは空気より重く、地を這いつつじわじわと広がってゆく。するとどうだ。一瞬時が止まったかのように煙が静止するや否や、まるで流れ出した水が逆流するが如く、スルスルと少女の元へと収束してゆく………。
「毒ガスを、……吸収した?」
「トテチテ・アータ」
魔法言語だが、独特の発音……。
「ティ・アディル・ベノム・フッセロナー・ハルヘス」
これは、訛りか? 訛っているのか? 一体何を喋っているんだ………。
「近寄るんじゃねえバケモンがあああ!」
ガッガッガッと連続する破裂音と硝煙の匂い。けたたましい咆哮を上げながら、機械仕掛けの巨大な義手が少女に向かって破壊の雨を降らせた。
弾倉が尽きるまで…、情け容赦なく…。あれだけ撃ちまくったにも関わらず…、弾が………………一切命中していない!
少女の顔や、その小さな胸の周囲で、無数の鉛弾が完全に静止している。
あり得ない……。何だ、何なんだこの光景は……。俺は一体何を見せられているんだ。
「フェロケン(これは石か)………?」
短い言葉なら辛うじて分かる………。彼女は空中の鉛弾に指先で触れて、これは石か? と呟いたのだ。
「エル・ヌォ・アータン(持ち主に還れ)」
持ち主に還れ。彼女は確かにそう言った。魔法言語で呟いたそれは、呪文であるのか、それともただの言葉なのか………。
最新兵器『銃』。僅かな魔法と火を生む砂を用い、誰にでも運用可能な恐るべき兵器を帝国は開発した。砲身から発射される非常に小さな弾は、目視で捉えられぬ速さで目標を貫く。
正直厄介な兵器だ。名のあるカイヤナ騎士が、一兵卒の帝国兵に、この『銃』を以って殺されるのを私は何度も目撃した。戦場のイロハを書き換えた脅威の存在。
その脅威を軽く上回るさらなる脅威が、今目の前にある。
持ち主に還れ。
その非常に短い、至極簡単な命令で、全ての鉛弾が逆送されてゆく………。
送られた時よりも更に速く。
「ガアアアアアッ!」
尋常ではないダメージを被る剣聖。
自慢の外装魔拳義手は、フルミスリル製であるにも関わらず、装甲が弾け飛んで粉々に散ってゆく。逆送された弾丸は、義手の合間の繋ぎ目を粉砕し、当たり所によっては跳弾して皮膚を削り、骨を貫き、肉を散らかした。
全身から赤い霧の如く血しぶきを上げ、崩れ落ちて膝を突く世界最強の剣士。
「かっ………はあぁ………………」
剣で戦うべきだった。心からそう思う。
神業と呼ばれる領域に達したその剣技ではなく、流行りの現代技術に頼ったのがあなたの最大の敗因だよ、剣聖………。
事の始まりと全く変わらない、ゆっくりとした歩調で、魔物の少女が目標に辿り着く。
肩を落とし、うな垂れた敗者の髪を無造作に掴み上げ、無理やり顔を起こす。
目が死んでいる………。もう終わりだ………。
力のないその下顎に、もう片方の手を添える少女。ゴキンと骨が鳴って、瀕死の男の口が限界まで開いた。
少女もまた、ゆっくりと小さな口を開いて、そっと互いの唇を寄せて囁いた。
「ベノムケイオス(毒ガスブレス)」
私は戦場を知っている…。
数多の殺戮を知っている…。
だが、未だかつてこれ程までに見るに堪えない死を目撃した事はない。
咥内に、直に吐かれた毒ガスブレスは、得も言われぬ悪臭を撒き散らしながら、形容し難い凄惨さで、注がれる口から下をぐちゃぐちゃにした。
※サンカ視点
あー、やっちまったな………。
まあしょうがないっちゃしょうがない。スズなりに最善を尽くしたと言える。
あのおっさんの撃った煙幕は、おそらく毒だ。スズが吸収してくれなかったら、なかなかの被害になっていただろう。
進化したスズは完璧な毒マスターになっている。さすが毒々蝮軍団のボスだな。あのブレスも最小限に留めたみたいだし。
しっかしあのおっさん、最悪の死に方したな………………。
冷たいようだが、ま、自業自得だな。同情はしないよ。敵にかける情けはない。
「主さま! この女じゃが!」
アナベルさんを抱き起しながら叫ぶスズ。
「ああ、連れて来てくれ!」
「あい。いや、すまなんだ! なんちゅうかその、事切れておる!」
あちゃー………。やっぱり死んじゃったか。心臓刺されてたしなぁ……。
「ベルベル、死んだの……?」
勇者が幼い声で訊いてくる。
「うん…。死んじゃったみたいだ。助けられなかったよ」
「いいよ…。しょうがないもん。でもボク、約束を守らないと………」
「ん? 約束?」
「うん。ベルベルが死んだら、ボクが邪神を殺すって約束したんだ」




