裏切り
※ニコデンス視点
「まず、この地に無断で侵入してしまった事を謝罪します。処女峰森林調査隊の件ですが………」
「許す」
邪神。このバケモンが、首が痛くなる程の強烈な魔力で魔法言語を使ってくれるおかげで助かるぜ。
おおよそ何をくっちゃべってんのか、俺にも分かる。
しっかしババアのやつ調子狂ってんな。完全にペースを乱されてらあ…、ったくだらしねえ。まさか演技でそうしてんのか? 狐と狸の化かし合いってか?
それとも本気でテンパってんのか…、ちゃんと見極めねえとな………。
「え? ゆ…、許すの?」
「許すよ。はい次」
「え、え、…えっと」
マジか。………マジだ。こいつまじで持ってかれてるぜ。
あー…、長かったなあ………。
このクソ魔女を絶対に殺すと誓ってから幾年か…。苦節、苦節だよ、苦節三十年か?
やっと、ようやっと隙を見せてくれたなぁ………。
「調子狂ってんな、アナベル。ババアらしくもねえ」
「ねえ、ベルベル」
いいぞユーシャ。そのまま話しかけろ………。
「この人、多分邪神じゃないよ? 聖剣が反応しないもの」
「え? 反応しない? うそ…」
何気なく背後を盗る。無防備な背中がそこにある。
普段ならえげつない魔法が幾重にも仕掛けられている背中だが、今は邪神の不興を買いたくないのか、がら空きだ。肩を慣らすフリをして、魔拳義手から抜いた手を脇差に置く。
絶好のチャンス。この瞬間を逃せば、俺はおそらく一生この魔女を殺せない。
「君、勇者なの? もしかして、君がチャナ・カーン?」
普通に刀を抜いた。速くもなく、遅くもなく、ごく自然に。
この場にいる何人も俺を気にしちゃいねえ。物事と物事の狭間の、完全なる無の位置に俺はいる。死角だ。
………いや、ただ一人、俺に感付いてるやつがいた。
邪神が侍らせている裸の少女だ。牙を剥き、冷酷な蛇の瞳孔で俺を追っている。
安心しな。おめえさんの主にはなんもしねえよ。だからちいとの間でいい、そこから動かないでくれ。
「そうだよ。ボクがユーシャ…」
刃がアナベルの背に潜り込む。予め、その肉を抉る定めであったかのように。
当たり前のように切っ先は心臓を貫通し、胸を引き裂いて再び陽光を浴びる。
「あ…」
「心臓を貫いた。毒も仕込んである。帝国の為に死んでくれやアナベル………」
「剣聖!」
叫ぶエモン殿を尻目に、胸から刀を生やしたアナベルを抱え込み、一気に後方へ離脱する。
さあて、こっからもう一仕事だ。いかにしてこの化け物の巣窟から逃げ切るか。義手に仕込んだスロットをスライドさせ、照明弾を改造した猛毒ガスの弾をセットする。
「ベルベルを刺したなあああああ!」
「来るなユーシャ! そいつを抑えろザック・エモン! 俺はカイヤナに手を出す気はねえ! 邪神もだ! そっから誰も動くんじゃねえ!」
空気が張り詰める。
静かだ。全てが静止している。アナベルの微かな呼吸音だけが聞こえる。
チッ…、しぶてえ魔女だ。まだ息があんのか……。だがもうすぐに事切れらぁ。
「スズ」
今、邪神が何か呟いたか………? 距離を置いたせいで聞き取りにくい。
「アナベルさんを取り返して」
唯一俺をマークしていた裸の少女がこちらへ歩いて来る………。まずいな。大方俺を殺せとでも命令されたか? 見てくれで侮る程俺もバカじゃねえ。ああ見えて相当おっかねえ魔物のはずだ。
ケツから尻尾が生えてんな………。爬虫類の尻尾か? 一体何の魔物だ?
畜生、辺境伯はまだか。
東の空をちらりと見やるが、影も形もねえ……。しょうがねえ、腹ぁ括るか!
ゆっくりと義手を上げ、少女に狙いを定める。ギミックが働き、前膊の先端から銃口が現れ、左腕を総じて一本の砲身と化す。
「警告だ。動くんじゃねえ………。近づいて来なきゃ何もしねえ…」
「セステノゥ・ラ・ナラン・ラコ(女を離せ、痴れ者が)」
何言ってやがんだ畜生! 魔法言語は分かんねえんだよ!
警告を無視して堂々と歩いて来やがる………。クソがっ!
砲身が揺れ、強烈な破裂音と共に煙玉が少女に直撃する。一瞬、フラついた様に見えたが、すぐに灰色の煙幕に覆われて姿が見えなくなる。
拡散範囲は狭いが、即効性の猛毒ガスだ。直撃を食らえば生命体である以上死は免れない。触れた場所から皮膚は爛れ、少しでも吸い込めば肺は腐る。神経は麻痺し……、瞬く間に…え?
煙が、晴れる………………。
「トテチテ・アータ(お前は阿呆か)」
嘘だ…、そんな馬鹿な! 何事もなかったように少女が歩いて来る………。
ガスも、拡散した様子がない…。掻き消したのか、吸い込んだのか………。
「ティ・アディル・ベノム・フッセロナー・ハルヘス(妾に毒が効くと思うてかこのバカタレが)」




