出陣
※衛兵視点
あれは何だ………………。
砦の物見櫓から原野を眺めて我が目を疑う。
死の森を背に地平を埋め尽くす魔物の群れ。
スタンピードなどという生易しいものではない。異形の群れは乱れもなく真横に展開し、あきらかに統制のとれた軍隊の体を成している。数百…、いや…、千にも届こうかという凄まじい数の魔物の軍団だ。
思わず尻もちをつくが、いや、腰を抜かしている場合ではない。目に滴る冷や汗を拭いながら、這いずって半鐘を鳴らす。鐘の音は四つ。警鐘だ。
カーーーン、カーーーン、カーーーン、カーーーン………。
「どうしたぁー! 何事だぁー!」
「魔物だ! 死の森から魔物が溢れている! 数が尋常じゃない! せ、千だ! 千体はいる!
「はあぁ? そんな事あるぅ? 見間違えたんじゃないだろうなぁ?」
「なっ…、ならここに来てお前も見てみろ!」
「見たい見たい」
しょうもない衛兵が興味半分で櫓に登ってくる。まあ、俺もしょうもない衛兵の一人なんだが。
ここのところ、正直言って隊の規律は乱れ気味だ。そもそもナインチェット国にとって、クアナ砦はさほど厳しい管轄区域ではない。ここに飛ばされる兵なんて、過去に何かやらかしたか訳アリか、もしくは定年の近い老兵、あるいは出来の悪いポンコツばかりだ。
魔物による空襲で、多くの駐屯兵が遣られて、士気はもうこれより下がない位に下がりに下がっている。俺だってそうだ。出来る事なら今すぐにでも辞表を出して田舎に帰りたい。報奨金なんていらねえ、誰だって命が大事なんだ。
「うっへぇ………。マジメかぁ、おぃ、えぇ? この世の終わりかぁ?」
しょうもない衛兵は目をまん丸にしてしょうもないコメントを呟く。
「だから言っただろ。おい、俺はもう一度警鐘を鳴らす。いや何度でもだ。お前は事務所に走ってベル様にこの事を伝えろ」
「了解…。あぁ、あれがもし動いてこっちに来たら真っ先にオレに教えろよぉ」
「なんでだよ」
「逃げるからに決まってんだろぉ」
はあ…。マジでポンコツだ。逃げれる訳がないだろ。馬車をかっぱらって上手く逃げられたとしても、逃亡兵の上、窃盗犯だ。二級戦犯だよ。まあでも、何か手は考えないとな…。やっぱ地下か。地下しかないよな。潜って隠れてやり過ごして、頃合いを見て顔を出そう。
ガニ股で走って行くパッとしない同僚の背を見ながら、俺はそんなしょうもない作戦を立てていた。
※ザック視点
夥しい数の魔物の軍隊が現れたと聞き、砦はまたしても浮足立っている。
相手が異形の怪物とはいえ、これはあくまでも知的生命体との会談であり、交渉だ。必要以上に恐れを抱く必要はない。
なぜ邪神があの数の魔物を揃えたのか。それは戦争の為ではない。威圧外交だ。もし本気で戦う気なら、魔物を横一列に並べたりなどはせず、然るべき陣形を組むはずだ。あれは明らかに数の脅威でこちらを威圧し、物事を有利に運びたい邪神のパフォーマンスであると推測できる。
「ザック、あれダメじゃない? ボクちっとも勝てる気がしないんだけど………」
「勝つ必要はない。話し合いをするだけだ」
門前の広間にアナベル様が現れる。意匠を凝らしたナインチェットの軍服に赤いケープを羽織っている。正装でもあり、戦闘可能な出で立ちだ。手にはピンク色の短い魔法の杖を携えている。
ナインチェットの国宝級アーティファクト『ララベルの杖』だ。
その背後から現れたのは剣聖ニコデンス。身の丈程もある巨大な外装魔拳義手を装備している。フルミスリルで制作された、高い防御力と魔法耐性を誇る義手だ。俊敏性は多少落ちるが、此度のような護衛には打ってつけの武装と言える。
物々しい面子ではあるが、所詮四対千。戦闘になれば秒ももたないだろう。生き残りの山岳部隊を連れて行く案もあったが、意味がないと結論付けられた。確かに意味がない。肉の壁にしたところで数秒稼げるか否かだ。
「剣聖かっけーっ! 何その、腕? でか! でっか!」
「かっけーだろう。高けえんだぞこのオモチャ。フルミスリルだぜ? カッチカチよ! こいつで邪神をゴツーンとくらぁ!」
「ゴツーン!」
巨大な義手をワキワキさせながら上機嫌の剣聖。この土壇場でその胆力。見習うべき心構えだ。私とでは潜り抜けて来た修羅場の数が違うのだろう。
「皆さん。馬は暴れそうなので徒歩で行きますよ。少し汗をかいちゃいそうですが、たまには運動も大切です」
「わーい! ピクニックだ!」
「ええ。そのつもりで気軽に臨みましょう。無事生還する事ができたなら、武勇伝には事欠かない人生が送れますわよ」
「武勇伝より銭をくれよババア…」
「はずみますって………」
さて。吉と出るか凶と出るか。とにかく生きて帰る事だ。私の目的はカイタリの解放。危ない橋を渡らずに、それを実現できるとは毛ほども思っちゃいない。
逃げるための仕掛けは一応用意してある。後は運に任せるのみ。なるようになるだろう。
春も終わり、やや強い陽が照付ける荒野に、はしゃぐ勇者の背を見つめながら、私は決して軽くはない一歩を踏み出した。




