亀(のようなもの)に当たる
この恐怖は覚悟していた。………つもりだった。
亀が当たった。
大当たりだよ。
食あたりなんてレベルじゃない。毒だ。それもおそらく神経毒………。
身体中が隈なく痛い。びくびくと痙攣を伴う激しい筋肉痛。骨が軋み、筋が捻じ切れるような痛み。四肢を這う血管痛。ざらつく悪寒と異常な汗。呼吸不全。
トキシン系か?……分からん。専門家じゃない。とにかく落ち着け。這いずってサコッシュを求める。暗いな。どれくらい寝てたんだ。あった。ペンライトを咥えてサコッシュを漁る。舌も痺れてるな。
頼みの綱はこれだ。アスピリンを二錠とも嚙み砕いて飲み込む。
生きるか死ぬか………か。
紫色の闇に溶けつつある黄昏時の森を眺めて思う。ナメてた訳じゃないが……、ちょっとな。…甘かった。装備も良かったし。なんか南国調だし。生きるだけならイージーモードかなって。まさか一発目のメシから貧乏クジを引くなんてな。……あーいってぇな畜生。なんで亀食ったよ俺。あからさまに怪しい亀だったろうが。
……熱。出てるよなこれ。震えが止まらない。
吐き気を催す。けど今吐くのはまずい。我慢しろ。薬が効いてからだ。うっ!
「ゴエエエエェェェ………………!」
吐いた………発作的に吐いてしまった。
薬出ちゃった? 出てないセーフか! いや出てる! 血……っ歯じゃねえか、コレ?
マジかよおい……詰め物がある……俺の奥歯だ! ウソだろおい?
さらに血反吐を吐く。吐瀉物にばらばらと歯が混じっている。ショックで視界がチカチカする。激しい動悸と過呼吸が止まらない。
口に触れようとして震える手を………えっ? 爪が黒い? 爪が真っ黒だぞ! やばいやばい死ぬ!
「オーーールロォオオオオ!」
怖気に憑かれて叫ぶ。覚悟してたなんて嘘だ。思ってたんと違う。こんな死に方はきつい。死ぬのは嫌だ。死にたくない!
「イィィオオオルノオオオ!」
激痛に苛まれ七転八倒して踠く。変色した指先が宙を掻きむしる。
「イ………オー………………」
言葉にならない。歯が足りない。
本気でやばい。殺した亀に殺される。毒殺だ。
堪えていた負の感情が堰を切って溢れてくる。
訳も分からず家族と引き離されて、知らない土地で孤独に死ぬのか。家族、俺の家族。妻に会いたい。犬に会いたい。………白い……犬…?
限界まで見開いた眼球の端に白い幻影が過る。何かいる。白い何かが。
夕闇に、無数の小さな光の粒子が眩いて降る。万華鏡か、あるいは涙で滲んだ色ガラスのような幻想的な光の群れ。その向こう側から白い犬がやって来る。あれ? 犬飼ってたよな………俺。犬の名前が思い出せない。妻も、いたはずだ。妻の名前は………。違う。そもそも俺の名前は何だ? 俺は誰なんだ?
影を見上げる。でかい。犬じゃない。
蜘蛛か?
白い蜘蛛だ。それと白い女だ。蜘蛛に乗った女が、手を………………。
「イ……オールト(助けてくれ)………………」
薄れゆく意識に縋りつくように、俺はその白い手を掴んだ。
「アノールト(安心して)」
女はそう囁いて、俺の手を優しく握り返した。
※アラクネ視点
たいそう上機嫌のこの蜘蛛めは、竜王樹の葉が夜風に揺さぶられる音を聞いて、満天の星を仰ぎます。
藍色の空に散りばめられた、瞬く銀の砂の中で、ひときわ美しく輝く満月。
そして蜘蛛めはこう思うので。
間違いない。此の者は………いや、此の御方こそかみさまの化身。
遍く全ての森の魔物が乞うて已まなかったダッタンの主。
今はその瞼を閉じていますが、見たか蜘蛛よ。あの神の証たる黄金の眼を!
そして胸に掻き抱いた大切な主の顔に視線を落とし、愛しそうに四つの目を歪めます。
壮年の王の様だった男の顔は、現に精悍な若者の顔となって眠っておられる。
先程手を結んだ時、確かに繋がった主従の絆。
心と心が直結し、魔力の交錯する狂おしいこの感覚………。これが噂に聞く、結婚!
結婚しちゃったので!
パスを結んだ事によって粗方知り得たのは、主はどこか遠い異界から来た哀れな稀人。
稀人………、異世界人。これまで聞き齧った限りでは、その殆どは長く生きられないそうです。
稀人は異界から来る途中に、多くのものを失うそうで。それは心であったり記憶であったり、四肢であったり。もはや人と呼べない姿で来た者もいたそうで。
そうして何かが足りない状態の主の穴を埋めるように、かみさまの力がその空虚を満たしたのでしょう。そして二つの魂は一つに重なり………………。
嗚呼それは奇跡。正しく神話の復活劇。
習合一体と化し、心と体が転生する変身は、さぞ負担の大きい事でしょう。
この蜘蛛めが守るのです。主がこの蜘蛛めに庇護を求めたのです。
「イ・オールト(我を助けよ)」
初めての命令。その言葉が胸を焦がす。
蜘蛛めは誓う。永遠の御守りを。
その手の温もり。そしてその火照りを今も頬に感じながら。
次回夜更新です。
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