決意の朝
「まだ燃えてるな………」
朝、絡新婦謹製の快適なハンモックから起き上がって見れば、一夜明けたというにも拘わらず、メラは依然として囂と燃え上がっていた。
炎の中心には、鮮やかな魔法の火を噴出し続ける、小柄な鳥人間のシルエットが蹲っている。目覚める気配は全くないが、余計な心配はいらないだろう。俺の勘が正しければ、めちゃくちゃカッコいい火の鳥が爆誕するはずだ。
そしてその不思議な火柱を囲うように、いつの間にか帰還していたハーピーたちが拠点のスペースを埋め尽くし、所狭しと身を寄せ合って眠っている。
皆揃っている様子を見ると、砦での戦果は悪くなかったのだと見て取れる。この子たちの空襲には人間たちも手を焼いたに違いない。この世界の文明がどれほどのものかは正直分からないが、おそらく中世に毛が生えたくらいのものだろうと高を括っている。俺の時計を見て腰を抜かしていたマルコ君の反応から見ても、それは間違いないだろう。
おそらく魔法が邪魔をしているんだ。
魔法なんていう便利なものがある限り、めんどくさい科学は敬遠されて当然だ。
魔法が中心となる文明。魔法の大家が幅を利かせ、その利権を守るために科学者たちは虐げられ、技術や機械の発達が遅れる。魔法の術理は紐解けても、経済的、あるいは物質的な文化が育たない。
俺が倒されたのはもうかれこれ五百年も前の話だぞ? あれから五世紀も経っているんだよ? 五世紀もの時間を与えてみろ、それこそ魔法のない地球なら、今頃科学の力で想像を絶する発展を遂げている事だろう。
幸か不幸かこの世界は、科学に於いてはこの五百年、まるで時が止められたかの如く進歩がない。戦争では未だに剣や槍を使っているそうじゃないか。黒色火薬を知ってるかどうかすら怪しい。いや絶対に知らないね。嬉しそうに魔法でドンパチやるのが好きなんだから………。
ああ、負ける気がしないな。
勇者という懸念材料はあるものの、この世界の人間に敗北する絵が浮かばない。
ハンモックの脇でスズが寝返りをうつ。
そういえば一緒に寝たんだっけな。
「おお、主さまおはよう………。なんじゃ、一緒に寝ておったのか。恥ずかしいの。狭うなかったかえ?」
「おはようスズ。スズは小さいからね。気にならなかったよ」
「気ならんと言われれば……、嬉しいような哀しいような。どっこいしょっと」
ハンモックからもぞもぞと這い出る仕草は幼い少女そのもだ。毛先の赤い黒髪を揺らし、薄い胸を反らして背伸びをする。小さなお尻からにゅるっと生えた蛇の尾さえなければ、誰が見ても人間だと頷くだろう。
赤銅色の蛇の目を瞬かせながら、あどけない笑顔で振り返るスズ。
「で、主さまは、妾を当てにしておるんかえ?」
「ん?」
「戦力としてじゃ。絆で朝から殺る気まんまんなんは知っておる」
「ああ…。それな」
小さな両手で、背伸びをしながら徐に俺の頬を挟む。やわやわとしばらく撫でた後にそっと手を離し、その指を割れた舌でなぞりながら、ぞっとする声音で少女は囁いた。
「主さまが愛おしい………。妾が勇者を滅してやろうぞ」
何とも言えない気持ちになって言葉に詰まる。この子たちを戦わせたくないのは本心だが、交渉が決裂した際には、そのまま戦闘に発展する確率が極めて高い。
「人間を殺すのは慣れておる。主さまがお隠れになられた後、いや主さまがおった頃から、この森を事実守ってきたのは誰か。なるほど蜘蛛は聖域を守りはしたが、考えてもみよ、どれだけの敵が聖域まで至るのか」
そうだな。むしろ聖域まで到達できるのは侵入者の極一部だ。ほとんどの人間が深層に至る前に命を落とす。
そういうことか。蛇の縄張りは、東の鬼と西の狒々のほぼ中間地点にある。
ナインチェットから来る者も、帝国側から来る者も、奥へ進むためには必ず蛇の尾を踏む形となる。
「ならばその嫌な仕事を矻矻とこなしてきたのは誰か。それは我ら蛇の一族じゃ。シノを見たであろ。あれほどの穢れをなぜ負うたか。長となるべきであったお白も倒れ、今日もその病に苦しんでおる」
蛇女。森で唯一、人間からそう呼ばれ、畏怖されてきたネームドモンスター。
彼女が今まで殺めてきた人間の中には、それこそ腕の立つ者も、別格の魔法使いもいただろう。庭の乱闘でも、この毒蛇を倒せずに多くの魔物が命を落とした。
スズは強いのだ。幼気な貌をしているが、その数百年に及び培われた戦闘技術を決して侮ってはならない。
「主さまよ。妾は主さまが愛おしい………。この心を如何様にして伝えようか…。主さまが望むのならば、妾はこの原野を人間共の屍で埋め尽くしてくれようぞ」
パスを通じて、スズの強烈な覚悟が伝わる。
この少女は、その命の、魂の全てを今ここに捧げようとしている。
この哀れな毒蛇の、報われなかった過去世が少し垣間見えた気がした。
森のためにただひたすら人間を殺し続けて、挙句ニンマという邪悪な名を受け、剰え森の仲間にも忌み嫌われた哀れな毒蛇。
殺し合ってはならない。
それは甘ったるい、平和な日本から持ち込んだ考えではない。
それは今こうして、小さなスズを抱きしめながら感じた事だ。
スズの柔らかな黒髪を撫でながら、俺は淡く揺れる朝の木漏れ日を見つめた。
この子たちを守りたい。
本当に、心からそう思う。
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