砦の反逆者
※バルテル視点
『あちゃー、なにこのやっかいなまほう。ぜんぜんうごけないよ………』
『大丈夫ですか、じょろうぐもさん? しかし困りましたね……。あのお婆さんはアナベル・ベル様と言って、ナインチェで一番凄い魔法使いなんですよ』
じょろうぐもさんに体を奪われてしまって、気が付けば団長とチャンバラ。起き抜けに団長お得意のドリル・ナパームを撃ち込まれた時は、さすがに天に召されるのかと思いましたよ。
でもじょろうぐもさんも火属性の精霊さんだったようで、火炎魔法は効果なし。いやぁ、お強い。しかし次なるお相手はあの伝説の魔女アナベル・ベル様。しかもややこしい魔法をかけられて全く身動きできない。いやはや、これはもしかしたら詰んでしまったかもしれませんね………。
「珍しいー。妖怪じゃないですかぁ?」
『ごめんねー。たぶんあのひとにころされるうんめいだったみたいだけど、かいひできないみたい』
『死相の件ですな。納得したくないけど、納得しちゃうなあ。あのお婆さんは狂気の魔女なんて呼ばれてましてね。口封じとか何とかで、本当に殺される予定だったかもしれないです』
『わたしをしんじてくれるの?』
『そりゃ、信じますよ。今は心が繋がってるんですから』
『うふふ♡』
「アラクネといい、こんな妖の者まで生息してらっしゃるんなんて、ホントに怖い森ね」
ふむ。時間停止に似せた魔法みたいですが、カラクリが違いますね。超高密度の魔力で理を塞いでいる格好でしょうか。例えば、雨は上から下に降る。そういう当たり前の理を、魔力によって強引に塞ぎ止めるやり方………………。
『あ、しってるかもそれ。きのうサンカさまがつかったやつだ』
『ご存知なんですか?』
『うん。きのうらんとうさわぎがあって、サンカさまがそれをとめちゃったのよ。すごかったなあ。さすがにあれはどうにもできないけど、これちっちゃいからいけちゃうかも』
『何とかなりそうですか?』
『うん、いけるいける。わたしがうごいたらまほうつかえる?』
『どんな?』
『なんでもいい、はでなの』
『頑張ってみます。ここは地下で水分豊富ですしね』
※クリス視点
「助かりました。アナベル様………」
「気を抜いたらだめよー。死の森の魔物は普通じゃないからー」
普通じゃない……、どころじゃない。とんでもない化け物だ。このレベルの魔物がわんさかいるとしたら、とてもじゃないが人類の敵う相手じゃないぞ。邪神討伐なんて本気で考えているのか?
剣聖殿やユーシャがいたとしても、軍も総動員してやっとの話だ。アナベル様はピクニックがどうとかおっしゃっていたが、これはそんな次元にはない。
とにかく私はごめんだ。今はっきりとそう思う。
『粘着』が消失している。クールタイムでしばらく恩寵は使えないが、アナベル様が来てくれたならひとまずは安心か………。だが油断はできない。マントの埃を払って、紫電を拾う。
「カハハハ。勝ったつもりかな? アナベル・ベル。このしわくちゃ婆あ、やーいやーい」
喋った。しかも想像を絶する恐ろしい悪口だ。心ある人間なら仮に思いついたとしても、決して採用しないであろう幼稚な文句で罵っている。本物のお婆ちゃんに対してしわくちゃ婆あなどと………。見ればアナベル様の顔が歪み、地獄の形相でわなわなと震えていた。
「やれるもんなら………、やってみろバーカ!」
甲高い炸裂音がして、スピノーザ導士が仰け反った。背中から生えた多脚がガサガサと暴れ回り、凄まじい速さで後退してゆく。
金縛りを解いたのか!
その瞬間、スピノーザ導士の目に光が戻ったのを私は見逃さなかった。彼の意識が戻ったのか? ぶつぶつと呪文を唱えながら、その指が次々と印を結んでゆく。
「まさか……?」
貴様グルだったのか! バルテル・スピノーザ!
スピノーザ導士のおっさん声で、はっきりと詠唱が終わる。
「穿て。氷牙百釘」
彼の得意魔法だ。夥しい数の氷塊が次々と現れ、礫と化して飛んで来る。こんな狭い廊下でそれを使うのか? 崩落して共倒れになるぞ!
「逃がさないですよー。捩れろー」
アナベル様の一言で景色が歪み、空間が捻じ曲がる。角度を変えられ、行き場を失った氷塊たちは、そこら中の壁や床に激突して砕け散った。
間髪を入れず、スピノーザ導士が舞い戻り、氷塊でダメージを負った天井を歩脚でめちゃくちゃに掘削する。まずい! 上に逃げる気だ!
追おうとした矢先、アナベル様に強引に背中を掴まれる。
「息を止めてー…」
何だ? 息?
「ファイアブレス!」
視界を高熱の火炎が埋め尽くす。眩しい。とてつもない光量だ。
アナベル様に抱かれながら、己が結界の内にいるのを自覚した。また助けられたのか……。今のは本気でやばかった……。まともに食らっていたならば今頃黒焦げの焼死体だ。
気を抜くな。まだ息をしてはいけない。今ここは炭素で充満している。冷静に、冷静に努めなければならない。そして粘り強く。あの化け物を必ず仕留めるんだ。
炎が去った後、やつは忽然と姿を消していた。天井にぽっかりと空いた穴。
そこから冷たい空気が流れ込んで来ると共に、柔らかな午後の陽光が零れた。




