亀(のようなもの)を食らう
俺の足元を亀がゆっくりと歩いている。
亀の後ろを俺がゆっくりと追っている。
便宜上、俺は今コレを亀と呼んでいるが、おそらく亀ではない。
まずこいつはでかい。五十センチはあるだろう。頸部もしっかりしていて嘴も幅広く、堂々たる様で鎌首をもたげている。力強く伸びた足は大型の鱗に覆われていて、爪先がちびている。完全陸棲のリクガメだろう。
そしてこいつは全身が白い。目も赤いからアルビノ疑惑もあるのだが、問題はそこではない。
問題はこの甲羅だ。リクガメによくあるように甲羅は堆い。そしてその甲羅の上がさらに盛り上がっていて、あろうことか人の頭部を模している。
パッと見、生首が歩いている絵面だ。
生物の擬態というもをご存知だろうか。
例えば蛾なんかがその羽に、蛇にも見える模様を描き、鳥の攻撃から身を守ったりするというものだ。
この生首の場合も、変形した甲羅にそれらしい模様があって、結果として人の顔に見える。そういった標識的擬態ではないかと思われる。
出来の良くない似顔絵みたいなこの生首が、一体どのような敵、捕食者を欺こうとしているのか。
それは俺。すなわち人間だ。相当に胸糞が悪い。が、胸糞悪いがゆえに証明してしまっている。
こいつは食えるのだと。
食えると確信できるなら食うしかない。
決心してからの行動は早かった。
甲羅をしっかりと掴み、収納された頭の位置を狙ってナイフを突き刺す。躊躇はいけない。どのタイミングで死んでいるのかも分からないため、入念に何度も刺す。
亀の生き血を飲む奴もいるらしいが、俺は飲みたくないので普通に血抜きする。
シめるのは多分うまくいったが、この巨体を抱えて拠点に戻るのが難儀だ。もう若くない足腰に鞭打ちながら、えっちらおっちら担いで帰る。
今朝起こした焚火がまだ燻っている中を掘り、浅いがそれなりの穴を作る。焼石を撒き、亀を置いて土や灰を盛り、さらに上からまた燃やす。所謂土中焼きだ。昨今流行りの本格キャンパーたちが見たら激怒しそうな適当さだが、まあ熱は通るだろう。
焼き上がるまで待つ間に、帰る道中で見たセージに似た草を摘みに戻る。
ちぎって揉んで匂いを嗅ぐと、うん。セージだ。少し臭いがシソ科だしセーフだ、と己を洗脳し、完全にセージとしか思えなくなってから、十枚ほど頂戴する。イシクラゲのようなものも目にしたが、今回は採取せずに場所だけ記憶しておく。
灰を払い、ほくほくと仕上がった亀を引き摺り出す。甲羅は脆く炭化しており、思ったより簡単に剥離できた。
焦げた生首がひどくキモい。人面にも可食部があるのかもしれないが、もし…、もしもだ。万が一脳みそが入っていたら目も当てられないので甲羅はそっと捨て置き、本体の肉だけをいただく事にする。
上からパラパラとセージを散らして………。
『人面亀のワイルド焼き~セージを添えて~』
グロいってもんじゃないな。だが色々覚悟はできてる。いただきます。
「ん? イーボン!……うまいぞコレ」
イーボンって美味いって意味だったよな…もぐもぐ、どこのお国の言葉か忘れたけど…もぐもぐ。いやホント思ったよりイケる。
これあれだ、鶏に近いな。ちょっと匂うが甘みのあるターキーみたいな。セージも効いてて塩がなくてもめちゃくちゃおいしい。
思いがけない美味に舌鼓を打ちつつ、貴重なお茶をグイっといく。
肉だけでそこそこの量があったので、内臓という冒険は今回は避ける。が、まあ心臓は大丈夫だろう。糸状虫の類は………いないよな。
結果、ハートもコリコリしてうまかった。ビールが欲しい。
命を摂取するというのは本当に力が湧くものだ。
正しく生きる糧。生命の源だ。カロリーバーでは決して得られない、肉体の根源に訴えかけてくる喜び。ただ生きようとする原初のエネルギーが充足される感覚。満ちて足りる、というのはこういう事を指すのだろう。
などと御大層な事をつらつら考えながら俺はうんこ座りをしてる。食ったら出るんでね。
とはいえ不安がないかといえばもちろんある。
なにせ未知の動植物を食べたのだ。細菌や寄生虫、毒素など、危険性を上げればきりがない。だがどっちみち食わねば死ぬ。食っても死なないかもしれないが、食わなければ確実に死ぬんだ。
ああ、ティッシュがあって本当によかったよ。
入れて出すと眠くなる。
エチケット袋の口を結ぶ手に力が入らない。
次の命題として水場、できれば水に動きのある川を探す必要があるのだが、一旦忘れて眠ってしまおうか。ああ、………ひどく眠いな。
まだ日も高いが………。昼寝だ昼寝。
ふぁ…。
『エフォル(憎い)………………』
寝入りばな。夢現の間に声を聞く。
知らない言葉。美しい発音で、女とも男ともつかない透明感のある声………。
『ト・エフォル(憎き)………アベル(勇者)………』
はて。俺はこの言葉の意味が分かるらしい。
これは、入眠時幻覚か………。
荒れた原野を染める赤い夕陽。
逆光を背に揺らめいて立ちはだかる黒い影。
朧げな影の姿は御伽噺の騎士にも似て、そして血塗れだ。これが勇者か………。
一枚一枚、閉じた瞼に現れては消えてゆく、リアルな映像の紙芝居。
意味があるようでない。あったとしてもどうせ後で覚えていない類のもの。
青い瞳。剣。火花。チャンチャンバラバラ飛び散る血潮。
「おっかない………なぁ…」
残酷な悪夢に………………。
半ば他人事のように呟いて、俺は睡魔の底に沈んでいった。