炎の魔法使い
※クリス視点
私はナインチェット魔法兵団団長、クリス・ベーンだ。
出身はここ、ナインチェットではない。カイヤナ人の孤児だった私は、成人するまでをカイヤナ王国の戦闘奴隷育成施設で育った。
幼少期よりあらゆる格闘術を仕込まれ、剣や槍の腕だけでも、そこらの騎士には負けはしない。泥臭い無手の戦闘にも自信がある。私を呪文を唱えるだけの魔導士だと侮れば、そいつは手痛いしっぺ返しを食らうだろう。
蜘蛛の多脚の連撃を、愛刀の脇差で往なす。
脇差とは一尺(三十センチ)以上、二尺(六十センチ)未満の刀の事だが、我が愛刀『紫電』の刃渡りはほぼ二尺。本差しと言っても差し支えない長さがある。
これをナインチェットでは、小太刀と呼ぶ。小太刀の身幅はショートソードよりずっと細く、ゆえに刀身も軽量だ。片刃ではあるもののこういった室内戦闘では、その取り回しの良さで無類の強さを発揮する。
「へえ、魔法使いがやるじゃない。今は二脚だけど四脚ではどうかな?」
喋り方が違うぞ。ハナヒル語に慣れてきたのか、フレンドリーになっててかなりうざい。歩脚の攻撃が速さと手数を増す。いよいよ捌くのが難しくなってきた。
一撃一撃が鋭く重い。返す刀で傷を負わせている手応えはあるが、切断には至らない。
「チッ………」
「おうえん~…、オエエエエエ………」
きもい! 顎が外れたかと思う程大きく開いた口から、小さな蜘蛛がわらわらと這い出て来る。小さいと言っても手のひらサイズの女郎蜘蛛だ。田舎で見るでかい女郎蜘蛛の倍はある。
合間合間に、できるだけ小さな声で短縮呪文を呟く。
風魔法だ。微々たる風圧だが、子蜘蛛の行動を阻害し、歩脚の軌道を逸らすのに地味に役立つ。
「芸が細かいね。そよ風を吹かせるのがお上手。でもまさかそれだけ?」
厭味かよ、ナメやがって。
小太刀で歩脚を払い、風魔法を駆使しながら、狙っていたポジションにようやく辿り着く。
「私は炎の魔法使い、クリス・ベーン。黒焦げになれ! 螺旋焼夷弾!」
無詠唱からの火炎魔法を予めセットしておいた風魔法に乗せる。私の十八番だ。ただの炎ではないぞ。恩寵『粘着』の能力によって、一度引火した炎は延々と燃焼する。しつこくベトつく灼熱地獄を味わえ!
「ガアアアアアアッ!」
断末魔の叫び声を後にしながら、廊下へ転がる。まあ、あれで殺せるとは思っていないのだが、今ここで仕留める気はない。一度発動すればしばらくは止まらない『粘着』を使って廊下の壁をひた走る。逃走だ。
ここは地下の袋小路だ。一階の入り口を封鎖してしまえば、そう易々と外界へは出られまい。一旦やつをここに閉じ込めて、アナベル様か剣聖殿の到着を待つのが賢明だろう。
考えた矢先、何かに足を取られる。下手に『粘着』が効いているせいもあって、見事に転倒して、壁に身をしたたかに打ち付けた。
「ぐうっ………!」
思わず小太刀を手放してしまう。甲高い音を立てて刀が転がってゆく。まずい、一体なんだ? と思う間もなく乾いた笑い声が背後から迫る。
「カハハハハ………! すっごく良い術だったけど、残念。私に炎は効かないの」
「くっ………、足がっ! 糸かっ!」
振り向けば、スピノーザ導士の背中から生えた蜘蛛の多脚が、彼を宙吊りにしてゆっくりと迫ってくる。
その周囲を女郎蜘蛛が無数に飛び跳ね、見れば各々が、口から小さな火を噴いている。
スピノーザ導士がプルプルと奇妙な動きで顔を上げ、白目を剝いたまま喋る。
「私、火属性なの。相性が悪かったみたいね。ちょっと熱いのいくよ………」
いかん、魔法を使う気だ。逃げ………。
「お返しよ。スキル。ファイアブレス…」
※アナベル視点
不思議な魔力ねー。ううん、これは妖気かな?
クアナ砦に着いて、馬車を降りた途端に穏やかならぬこの妖気です。
捕虜だった調査隊のうち、幹部二人が戻って来たっていう話だけれどぉ………。うまく隠れんぼしてるみたいねぇ、でも私には分かるよー。これは多分ヘンなのを連れて来ちゃってるんじゃないかなぁ。
「長旅でお疲れのところ、大変失礼致します。お部屋を御用意しておりますので、そちらで休まれるのが良いかと愚考致します。さ、こちらへどうぞベル様」
「そっちにはまだ行かないかなー…。帰還した幹部がいるのは地下かしら?」
「はっ…。エーワ少尉は先だって辺境伯閣下の元へ発たれました。スピノーザ准尉は今もって砦におられます。外部との接触を極力控えるため、閣下の命により地下の尋問室に幽閉しております。今し方先に到着なされたベーン少佐が面会に赴かれたところです」
「ん…しょっと………」
このボンネット、嵩張って困るのよねぇ…。お気に入りのケープとも色味が合いませんし。
「これ持っててくださる? 剣聖とユーシャたちは?」
「はっ。未だ到着しておりません」
時計も外しておきましょうか。壊れるとイヤですし。
「これも。さて、その地下室への道順を口頭で教えてくださいますぅ? だいたいでよろしくてよ」
「はっ。あちらの門から西の塔の方へ。塔には入らずその手前、噴水のある庭に、見て分かる入り口が……、あれ?」
少しくらいなら飛べちゃうんです、わたくし。秘密ですよ?
ここら辺かなー。あ、あった。ドレスのスカートが邪魔ねぇ。はしたないですが、誰にも見られてませんしぃ、少し捲ってしまいましょうか。
まあ…、きちゃない入り口ですこと。ここも追加予算を出すべきかしら………。あれ? 妖気が解放されましたねー………。
あらー…、これはちょっとクリスには荷が重いかも?
久しぶりに走りますか。
「それじゃ、行きますよー、よーい、どんっ!」




