死の森の支配者
※ベムラー視点
何かが起きてる。
集落には異様な空気が満ち、魔物たちは落ち着きがなく慌ただしい。
この混乱の中、屋内でじっとしているのは我々くらいのものだろう。
出歩いて色々と確かめたい気持ちはあるが、何分俺たちは捕虜の立場だ。しかも人間とあっては、好き勝手にうろついて殺されても文句は言えない。
「うわっ、あれを見てください!」
窓際のバルテルが叫ぶ。
いい大人が寄って集って、小さな窓枠に身を擦りながら外の様子に目を凝らす。
魔物の死体だ………。
けっこうな数の亡骸が、次々と中央の広場に運び込まれている。
「辺境伯が我々を助けに来たのかも…」
バルテルが希望的観測を述べる。
「んな訳あるか」
「猿の魔物が多いね、ラミアの死体もある。ナインチェの軍がここの魔物をあんな風に屠れるとは到底思えない。きっと内乱か何かでしょうね」
マルコは冷静だ。いや諦観か。溜息をひとつ吐くと、気怠そうに石のテーブルに突っ伏した。
「言おうか言わまいか悩んだけど………」
「どうした?」
目の下にクマを作って、虚ろな目をしたマルコが続ける。
「八人殺されたあれ…。罠だったってさ」
「はい?」
「アラクネに聞いたんだ。どんな手口で攻撃したのか。見たんだろ? ベムラー、赤い糸で焼き切られたって」
「あ、ああ…」
「あれ、蠅虎が組んだ罠だって。罠、トラップだよ。姿が見えないのは当り前さ。ただの罠なんだから」
本気で言ってんのか? そうするとなにか?
俺たちは勝手にずかずかと森へ侵入して、勝手にトラップを踏んで、むざむざと八人も失った挙句、イモ引いて降参したってのか?
帝国軍人としてのプライドがズタズタになる。いやそれより仕組みが知りたい。あれがトラップだとして、どんなカラクリでどう発動しているのかを知りたい。
「あんな罠が無数にあるらしい。何百、何千とだ………。辺境伯が私たちを拾いに別動隊を組んだとしても、ここまで来れる可能性はゼロさ」
「でっかいのが来たよ! 何だろうあれ…?」
バルテルが驚く。見れば猿のような顔の、虎に似た巨大な生物が運ばれて来た。
相当でかい獣だ。ぐったりしていて、生きているのか死んでいるのか不明だが、体は半ば透明に透けていて、時々紫色の火花がパチパチと弾けている。
こりゃすごい。もしかして雷獣か? あの伝説の、本物の雷獣だとして、あれを狩ったやつがいるってことか……。おっかねえ……。
「マルコ、おいマルコ、あれ見ろ!」
「いや、もういい。もう何も見たくない」
病んじまってるな。躁鬱の鬱のターンだ。まあ分からんでもない。ここにいると頭がイカレそうになるからな。
再び窓の外に目をやると、ちょうどサンカさんたちが歩いて来るところだった。いつもの気さくな彼ではない。どう表現すべきか………。
アラクネとハーピーを侍らせ、ゆっくりと短い橋を渡る様は、どこか近寄り難い雰囲気が漂っている。鋭い視線は物悲し気な色を帯び、吹く風が彼の短い髪をさらさらと揺らしていた。
時々思う。
彼はどこから来たのだろう、と。あんな風な存在を俺は知らない。
数多の魔物を従え、死の森の支配者にして、現人神。……だが俺の知る王や神のイメージに悉く当てはまらない。
リアルだ。リアルなんだ。真実はいつも俺たちの想像を超える。ベムラー、よく見ろベムラー。あれが神だ。あれが神の、嘘偽りのない自然体の姿だ。しっかり心に焼き付けろ。こんな機会は多分二度とない。
「主さま………………」
一匹のラミアが現れて神の膝元に平伏す。共に庭に来た見覚えのあるラミアだ。
「シノ。ニンマは死んだ。次に目覚める時、彼女はスズとなる。君の憎しみの旅は終わったんだ」
「この御恩、生涯忘れは………」
「もういいシノ。今は亡くなった仲間たちを弔おう」
「………………」
ラミアの肩が戦慄く。ぼろぼろと涙を零しながら、震える唇で神の爪先に口づけをした。僅かな時間だったが、それは長く感じられるものだった。
唇を離すと、ラミアはそっと後ろへ下がった。
同様に現れた猿の魔物たちも平伏する。広場を埋め尽くす全ての魔物たちがそれに倣う。
何という光景だ………。真っ直ぐに立っている者は彼だけた。
彼は平伏す魔物と魔物の亡骸を前に、ゆっくりと手を翳す。黄金の魔力が、蛍のような光の粒子となって大気を舞う。魔力の蛍は、消えたり分裂したりを繰り返しながら、次第にその数を増やしてゆく。
この部屋の中にも、いくつかの蛍が入って来てふわふわと宙を彷徨う。その一つに指で触れると、雪のひとひらのようにふわりと消えた。
隣りでバルテルが顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽している。
「お前、なんで泣いてるんだ?」
「わっ…、分かりまてんっ!」
これを何と説明すればいいのだろうか。
光、光、とにかく光だ。いつしか小窓の向こうは金色一色の景色となり、もはや広場の様子がどうなってるのか窺い知れない。この感覚を何と呼ぼう………。『愛』か。母のような。父のような。あるいは別の何かのような。
ただ懐かしく、遠く、そして身を寄せる程近い。形容し難い不思議な感覚。
マルコが立ち上がり、複雑な表情でこちらを見ていた。歯を食いしばり、小刻みに震えている。
「やはりここに来てはいけなかったんだ………」
「マルコ………」
「私はもう…、元の私には戻れない。戻れるはずがない。こんな…、こんな世界を知ってしまって。ベムラー、私は亡命する。解放されたとしても、ここに残る!」
痛いくらい気持ちが伝わる。俺も妻や子がいなければそう考えたかもしれない。
どこの誰があの存在を邪神と呼んだのか。そしてここも、死の森などでは断じてない。
ここはもっと優しい、ここは神の統べる魔物の世界。
そして楽園。言うなれば、ここは聖域だ。
次回より新章〖邪神討伐〗が始まります。
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