守護者
※アラクネ視点
偉大にして崇高なる………。
太古のかみさまの一柱である我が主が、この森でお隠れになられて早五百年。
その御業の残滓を一滴、この哀れな蜘蛛めにお零しになられたので。
以来、蜘蛛めが御守りのこの森。聖域ダッタン。
この蜘蛛めは祠から這い出で、紅風信子の夜露を弾きながら、月光が照らす青い森に四つの目を凝らす。
十重二十重にと張り巡らせた、糸の震えが森の異変を伝えてきます。
「魔力が流されている………」
ダッタン一帯に濃厚に満ちていたかみさまの力が、ゆっくりと何処かへ運ばれてゆくのを感じます。神秘の力の粒子は淡く発光してまっすぐに、あるいは水辺に揺蕩う夜光虫のようにユラユラと木々を縫い、朧気ながらも明確にどこかを目指している様で……。
蜘蛛めとしては御守りの心の疼くままに、これを追って確かめるので。なるたけ音を立てず、小鳥を狙う蝿虎の要領で駆け抜けます。
ざわめく木々も草花も、魔力を掠め取られてか、心做しか弱って見えます。虫共の動きも鈍く、大きな魔物も見当たりません。
辿り着いた先は、竜王樹の下で眠る人間の男。
「なんて無防備なので」
初めに抱いた印象はその豪胆さ。聖域とはいえ、人間には怪物と恐れられる我々のような存在が闊歩するこの森で、鎧もなく、肌掛け一枚で赤子の如くスヤスヤと眠るその有様。
あるいは馬鹿なので?……と疑うも、その周囲に収束するかみさまの気配がその考えを打ち消します。
「……ほんとうに人間?」
おそるおそる近づいて、男の顔を覗き見ます。
赤子どころか壮年のよう。人間の美醜など解しませんが、清潔そうな衣といい、それなりに高貴であろう者かと窺えます。
その証にこの腕輪。この男のしている腕輪はなかなかのもので。艶のある革で留められた銀色に輝く鋼。内側に細工の見事な丸い窓が組まれていて、中央には三本の棘が生えている。その内ひとつは驚くべき事にじりじりと動いているので。このような秘宝を身に着ける者は…そうね、だいたい王。此の者は人間の王かもしれません。
そして枕元に突き刺してある、これまた見事なナイフ。けれど短い。こんな頼りない牙で、一体この森で何から身を守れるというので?
「うぅっ………」
ふと聞こえた嗚咽。男の目元が僅かに濡れていました。まさか此の者は寝ながら泣いているので?
形容し難い、どこかほっこりとした気持ちを覚えて蜘蛛めは引下がることにしました。
しばし時を置いて見極めましょうか………。
「まあ………、いつでも殺せるので」
そう嘯いてゆっくりと口角を持ち上げ、この蜘蛛めは再び深い宵闇に溶けたのです。




