歯形
「伏してお願い申し上げます! 能のない醜女でありますがっ、腕っぷしだけには自信があります! おいらを何卒っ、お共の者に加えていただきたく存じます!」
ボロを纏った鬼が目の前で平伏していた。
横手の付いた鍵槍を頭上に捧げるように掲げ、額を地に突いている。
まさか女? 薄汚れた着物のような衣を羽織り、所々露出する肉体は傷塗れだ。捻じれた一本角を覆い隠すようにボサボサの髪が目立つ。掲げられた槍ばかりが美しい。
「下がれ無礼者」
コトが時代がかった調子で冷たく言い切る。無礼でも何でもないしょうに……。下がらなくていいし。これから戦士を見繕うとこなんだから……。
場所は狒々たちが飲んでいるらしい小料理屋さんの真ん前だ。
この子が大声を出すものだから何事かと、暖簾の向こうから前掛け姿のお姉さんが顔を出した。さっき茶室でお酒を注いでくれた女性だな。女将さんぽい。納得。
「ああ、女将さん。さっきはお酒ありがとうね。この子の事知ってる?」
「サンカ様、大変申し訳ございません。この汚れは『歯形』と皆に蔑まされている徒ら者にございます。幼い頃から乱暴で手が付けられず……、腕を噛んでは歯形を付けるものですから………」
「なるほどね。歯形。面白いね。なら君を《ハガタ》と呼ぼう」
伏したままのハガタの全身が一瞬輝いた。魔力が一気に膨れ上がり、捻じれ、光の螺旋となってハガタの身に絡まり、そしてゆっくりと収縮して体内に収まる。あ…、あれ? もしかして俺やらかしたか………?
女将さんが目をまん丸にして固まっていた。ゆっくり振り向くと、コトが梅干しを食べたみたいな酸っぱそうな顔をして俺を凝視している………。まずい。これはまずいかもしれないぞ…。こんな酸っぱい顔は見た事がない。
うっかり日本語で呼んでしまったからか? まさかテイムなしで名付けが出来てしまうとは………。
「お…、おお……、おおお………」
やばい…。こいつ感動している。なんかプルプル震えて喜んでいる。やめて…、ごめんってば。ハガタって名前なかなかひどいからっ!
「立て、ハガタ。まだ君の力を見ていない………」
取り繕おうとしてさらに余計なことを言ってしまったかもしれない!
ダメだ、ここから場を収める絵がまるで浮かばないぞ………。どうする?
おそるおそる、じわ………っと振り返ってコトを見る。よしっ! 真顔だ!
「コト。この子の力量も見たいし、そうだな。ネームドモンスターになったコトの力も知りたいかな………」
秘技。投げっぱなし。俺に魔物の力量なんて分かるか。まあ、本人は腕っぷしは自信あるって言うし、姉さんは手が付けられないって言う程だから強いでしょ。
「無礼者に、灸を据えるので………」
よし! やる気出したぞ! この子礼儀正しいと思うけどね!
「二人とも致命傷だけは絶対避けてね。戦士として使えるか見たいだけだから」
群衆が集まってくる。そりゃそうだわな。流れでこんな風になっちゃったけど、ちょっとワクワクするな。コトは俺の魔力で育ったアラクネだし、森を守って来た実績もある。簡単には負けないだろう。
「コト様。ご高名は存じ上げております。おいらと立ち合ってくださる事、心から感謝いたします」
槍を置き、ゆらりと立ち上がるハガタ。確かに醜い。大きな痣があり、妙に味のある顔だった。個性が強いとも言うべきか…。俺こういう顔逆に好きだわ。決して美人ではないものの、芯のある心根の真っ直ぐさが目に表れている。
「槍を拾って、殺す気でかかって来なさい。私は糸は使わないので」
「………おいらを見縊っておられるのでしょうか?」
「ハガタ。これからサンカさまを御守りする気概があるのなら、どんな敵にも手を抜いてはならないので」
君は手を抜く宣言しているけどね。あら始まったかな。唐突だね。ハガタは槍を構えてじりじり、コトも素手でじりじり……いや、じりじりしてない。ただぼうっと立ってる。
ハガタの姿がブレる。低姿勢で一気に踏み込んだようだ。踏み込んだその足で、器用に砂を撒き上げる。
目潰しか? だがコトには目がいっぱいある。俺が知ってるだけで四つあるが、多分もっとあるだろう。
ハガタは砂塵の向こうで回転しつつ加速し、まさかの角度から槍を突き出した。
「疾ッ………」
「………」
一瞬の見事な突きだった。もう合格でしょこれ。邪神の魔眼が勝手に作動して、俺の瞳孔がぐるぐる回っているのが自覚できる。じゃなかったら確実に見えてないね。人間には絶対捉えられない速さだ。
さらに見事と手を叩きたくなるのはコトの方だ。顔面を狙ったあの突きを紙一重でかわし、いつの間にか左手で槍を掴んでいる。
ハガタは力を込めているようだが、掴まれた槍は一ミリも動かない。
…さあどうする?
「なんやなんや! 何おもろい事しとるん?」
「ほほ、……喧嘩かのう?」
ハーピーと狒々が暖簾をくぐって出て来た。ちょ…、今いいとこなんだってば!




