蛇の病巣
密集していた魔物たちもある程度は散開したようで、今は各所で、勝手に飲めや歌えの宴会が繰り広げられている。まるで混雑したお花見会場の有様だ。
そんな喧騒の中で俺の朝食は進む。まずこの川魚が気に入った。塩なし。単純にそのまま焼いただけだと思われるが、これがうまい。
イワナかヤマメかその類であろう二十センチ程の川魚。模様が独特であるため、例の如くどちらでもないのだろうが、甘みがあって、身も柔らかくクセがない。
コレばっかり食ってるな。合間に謎の豆を食うか、そのまま三匹めに手を伸ばすか迷っている時、やたらと湿っぽい女性の声がした。
「お酌させておくんなまし」
怖! 気配なかったぞ………。
斜め後ろ、四時の方向から艶めかしい女の上半身がぬっと現れる。
もちろん裸だ。長くしっとりとした黒髪の隙間から、隠しきれない豊かな双丘がまろび出ている。これまで目にしてきた控えめなサイズとは違う圧倒的な存在感。
そしてHかIかという切実な疑問だけでも平常心が保てないというのに、潤んだ流し目で流し込まれるお色気情報に混乱をきたす。
「お、おう………」
と、俺は童貞時代にも匹敵する情けない返事をして、慌てて目の前にあったお椀を手に取る。何をどう焦ったのか、お椀を持つ手の形が、脚もないのにブランデーグラスを持つみたいになっていて、甚だ格好悪い。
「主さまがお戻りんならはって、蛇の一族も皆手を叩いて喜んどります。わっちら眷属の心は今も昔も変わらしまへん。これからも歩みを共にさせてくんなまし」
廓詞? しかも西の訛りが混じって……。凄まじい翻訳のされ方してるな。
ぎりぎり意味は分かるけど……。注がれた酒を一気に飲み干す。
ハァ…、この酒も美味いな。ミードかな? 甘酸っぱくて一瞬梅酒かと思ったが、蜂蜜の香りがする。炭酸で割ったらかなりイケそうだ。
「おいしいね、このお酒。……お、ありがとう」
「嬉しゅうござりんす…」
おかわりを注がれながら、お顔をじっくり拝見。なるほど和風美人だね。やっと出会えた日本顔。いいね。親近感が溢れちゃう。
ついでとばかりに下半身を確認………。お! 腰布がある! ひらひらした紫の帯だ。よく見れば紐もあるし、ビーズのような飾りも通してある。ようやく魔物が衣類を着用しているのを見れたぞ、これは感動だ!
え? その下はどうなってるって? そりゃ蛇ですよ蛇。ラミアだね。
「蛇。挨拶を終えたなら下がるので」
「せや! 早よどっかいけ生臭い! かみさんまだむしゃむしゃ食べとるやん!」
コトとハーピーが来た。ん~、なんかいっつも喧嘩腰なんだよな……。
「いんえ。主さまのお相手はわっちがしなんすえ。お二方こそ、ごゆるりとお休みなまし」
蛇が睨め返す。やれやれ。さっそく角が立ってきたよ。
「コト」
強めのアクセントで名を口にする。昨夜の一件もあるし、これで分かってくれるとありがたいが………。
「コト?」
蛇が俺を見る。またこのくだりか。この作業いちいち面倒だな。さっきの演説で話してしまえばよかった。
「俺には今名前がある。サンカという名だ。そして蜘蛛にも名前を与えた。それがコトだよ」
蛇の目の色が変わった。眼輪筋がわなわなと震え、頬から目尻にかけて鈍色の鱗が走る。髪は逆立ち、波打ち、噴き出した魔力と絡まって、陽炎のように揺らめき立つ。
「わっちらを御座なりんしてこん小娘が名をもろうたと……。名を………」
ぶつぶつ言いながら、蛇の身長がぐいぐい伸びてゆく。いや、蛇の下半身で上体を迫り上げているんだ。体高二メートル位に達した辺りでコトを見下す。
「懈いなりして粋がって、ええ? きさじなもんさね虫螻がぁ………」
怖! 気持ち温度下がってないか? すごい魔力だな、こりゃ強いわ。
んー…、ちょっと危険だな。また魔力を奪うか? いや待て、障りがあるぞ。
ん? ………何だこれ?
「下がれ。コト」
蛇の胴体に直接触れる。
「ひっ…、なっ?」
魔物の体内には魔力を司る中枢器官、『魔石』がある。
邪神の力はこの魔石に外部から干渉し、多大な影響を与える事ができる。ようは魔石の遠隔操作だ。
魔物を統べる邪神ならではの能力だな。昨夜の魔力の強制シャットダウンも、実はこの技を使った。
でだ。今しがた蛇にこれを使おうとしたところ、妙な障害を発見した。あー…、これは呪いの類かもしれないな。魔石の周囲にぐにゃぐにゃした糸状虫っぽいモノが蠢いている。
「大人しくしていろ」
「あ、あい、でありんす…」
蛇の腰を抱いて引き寄せる。ちょうど胸の谷間が目の前に来る位置で覗き込む。
「嫌っ…! サンカさま!」
「違うで蜘蛛! あれはおっぱい見てんとちゃうで! ほらかみさんの目がぐりんぐりんしとる! なんや魔眼を使うとるみたいや!」
分かるような分からないような解説セリフをありがとう、ハーピー。
確かにおっぱいは今見てない。むしろおっぱいが邪魔で呪詛が見えにくい。
「ぁあん♡」
モミモミと胸肉をずらして体内の魔石を凝視する。ついでにしっかりと乳の感触を味わった事は、ここでは伏せておこう。周囲でアンアンキャーキャー言ってるがとりあえずスルーだ。
魔物の魔石の位置はだいたい同じだ。心肺の程近くか、心臓と直結あるいは鳩尾付近だ。彼女の場合は直結タイプで心臓の真隣りだな。
完全に見えた。まるでフィラリアだ。無数の呪詛がうどん玉になってやがる。
フィラリアは嫌いだ。犬を飼っていた俺としては許せる存在ではない。
「君、これ。……毎日きついだろ?」
「はぁ…、はぁ…、あい。穢れに罹りんして、腹が痛てもどないもできんせん」
どうする? 切開して呪詛を摘出するか? そんな外科手術の真似事を、魔石を損傷せずにできるのか? 彼女の負担はどうなる? 女の子だし傷が残っても可哀そうだ。ん~、物騒な手段しか思いつかない。いやダメだ。ちゃんと浄化しないと後々まずい。
厄介だな。
………………どうする?
「蛇」
「はぁ…、あ、あい」
「痛くするかもしれないが、許してくれるか?」
「あぁ、痛く…してくんなんし」
「覚悟はいいか?」
「あい。主さまの、したいようにしておくんなんし…」
そう囁くと、蛇はその美しい双眸を閉じた。
蛇のモデルはヤマカガシです。
エロスのメタファとして廓詞を採用しました。
廓詞は難しく読むのも難解で、誰も得しない結果になっている気がします……。
さっそく後悔しておりますが、これも勉強だと思って頑張ります。




