救いと巣食い
前回の小説を書いてから、焼く2ヶ月、少しずつ書いていった小説である。
異世界転生なんかは思いついた理想郷を思いのままに書いていれば需要があるだろうが、私はなぜこのタイプの小説を書こうと思っているのか、自分でも過去の自分に問いたい。
この世に神はいます。理由は、私が疫病神に取り憑かれているからです。
私は幼少期から、父親から暴行を受けながら生きてきました。私が生まれる際、母は衰弱し、死んだのです。
私が生まれたせいで母は死んだ、父はよくそういいます。
一週間、家で食事を一日も取らせてもらえず義務教育に明け暮れる日々、それが何週間。その頃は、学校の給食が唯一の救いでした。
幼少期の頃は思い出したくもありません。
人間というのは、自分さえ良ければそれで良いのです。
私の不幸に目を向けてはくれません。
しかし、私が思うに、それはまだ幸運な方なのです。
人間というのは、不幸に漬け込んだり、助長させて喰らう、「意地の悪い」だけでは済まされない、大悪党なのです。
神様は私への幸の与え方を間違っています。
深く根付いた人間不信の考えは、私の人生の中で、生き様を決定づけるほどに影響を及ぼしました。
親を振り切って、一人暮らしを初めたのは、高校生になってからのころでした。
何とか毎日を生き延びるために、頭だけは切れているので高校には受かることのできたのです。とはいっても、億劫な性格もあり、移動距離が短く勉強も多くしなくて済むように住処から近いだけで、町内でも普通の学校でした。
親から逃げられたのも、その時でした。
高校に受かったのを確認した日、あいつらの財布から札を全て自分の服に忍ばせました。
罪悪感など、微塵もありませんでした。
ろくな食事や受験料すら出さず、受験料は、「お前がやりたいんだろう」と言われ、全て私に払わせようとしてきました。
そんなやつらにかける慈悲は無い。復讐されないだけマシだと思ってほしい。その思いでいっぱいでした。
高校では、いきなり話しかけてくる物好きがいました。教室の角で、窓の外を暇つぶしに見ている時、話しかけてきた「柊」という男でした。
最初こそ、私の体目当てだと思って無視していたものの、それから話しかけられ続け、とうとう私は話し始めてしまったのです。
柊は私に様々なことを話しました。自分の住処、小学校の頃の思い出。
クスリともせずにその話を聞き流す(返事くらいはしていました)のですが、どうやら折れない性格らしく、話し終わるのはいつも休み時間の終わるチャイムが鳴る時なのです。
柊にも友達がいないようで、金・土曜日は遊びに誘ってきました。
たまたま柊と部活が同じだったので、部活がない日は私の後を追って私を背後から驚かすのが柊の趣味、癖のようでした。
そして結局ずっとついてくるので、私の住処、及びそれまでの道は柊にすっかり把握されました。
その頃私は「男は怖い、言うことを聞かないと何をしてくるかわからない」と思い込んでいて、(その頃高校内で不良グループが暴行等を行っているのも聞いたので、余計に男に対して恐怖の思想を持っていたのでしょう。)
断る口実も見つからないため、渋々誘われた遊びに毎回連れて行かれるのでした。
虫取りに連れて行かれたり、浜辺に連れて行かれたりと、子供らしいことをしようとしたり、また別のときは、一人肝試しに同伴させられたりと、好奇心旺盛なところも見られました。
ただ、柊なりの親切心からか、こちらが眺めているだけ、本を読んでその場にいるだけでも済みそうな場所にばかり連れて行ったのです。(とはいえ肝試しのときは足元も暗く本も読めなかったほど暗かったのですが。)
ここまで色々なところに連れて行かせられるにも関わらず、柊は、私に好意を持ってなさそうでした。
男が全て悪いわけではない。分かっています。分かっているのです。
しかし、男というだけで柊にいつまでも敵意を持っていました。
それでも私にどこに行きたいか一々聞いてくれ、私をどこかに連れて行ってくれる柊に、いつからか私は心を許しました。
返事の一つや二つができるようになったのです。
あまり大きな変化ではないと思われるかもしれません。
しかし、無言を貫いていた私にとって、それは小さく、大きな一歩でした。
「今日はどこに行く?」
「…なにか食べたい。」
私がそう答えたときの、あの柊の嬉しそうな顔は、いまでも忘れられません。
私は、柊に心を開き、確かな友情を感じました。
友達ができた。それだけで私は嬉しくてたまらなくなりました。
「ゲイン・ロス効果」「対比効果」というものを知っているでしょうか。
いわゆる「ギャップ」という心理現象です。
今まで無口であった私が喋り、表情に変化を見せ始め、柊は更に多くの頻度私を連れて出かけるようになりました。
その度に「私」は少しずつ普通の「人間」に戻り始めていたのでした。
「大きな幸せのあとには、大きな不運がやってくる。」
どこかの本で読んだことがあります。
しかし私は、そのことなどすっかり忘れていました。
何せ、親という存在に怯え、中学の頃、友達という言葉は顔すら見せなかったのです。
高校で初めて姿を現した友情の二文字。
離したくない、ずっと続いてほしい。そう私は思い、願いました。
たくさんの場所を巡りました。
近いところから、県の外までも。
私達は友達、そう思っていました。
日曜日のある夕暮れ時の砂浜、柊は私に、
「付き合ってください」
そう言いました。
今でもその言葉は忘れません。
その話を他人にすると、必ず「良かったね」。
そう言われます。
私はその人達の気持ちがわかりません。
私は柊に裏切られたのです。
私は永遠に、柊と「友達」でいれると思ったのです。
しかしそれは、水に浮いた泡のように儚く幻想となって消え散りました。
男女に友情など存在しなかったんだと、私は失望しました。
人生というのは、ほつれが起きた時、放置をしていると、大きな穴として私らを飲み込む存在です。
私は人間が信じられなくなれました。
私は無言で踵を返し、砂浜から走り去りました。
「待って!」
柊の声。それを無視して走る音。
彼は私を「女」として見ていたようでした。
「女」ではなく、「人間」としてみてほしかったのに。
涙を零しながら走る。
後方から砂を蹴る音がする。
逃げるように走る。
数秒、「あっ」という感嘆の言葉と、どさっと何かが倒れる音。
引き離すように走る。
気づけば部屋の中で布団の中で丸くうずくまり、得体のしれない恐怖から隠れるように毛布にくるまっていました。
全身の震える感覚が、私の心の中を代弁してくれていました。
唯一の希望を裏切られ、完全に人間不信になっていました。
男女の友情など、最初から存在しなかった。
ならば私は弄ばれていた?
どうどうと押し寄せる波は、私を鬱病にさせるまでには悩ませました。
2週間ほどの期間を経て、やっと再び高校に行きました。
しかし、それ以降柊はあまり学校に来なくなり、来たとて顔を合わせすらしませんでした。
お互いがお互いのことを嫌悪していました。
そしてお互いが自分自身のことを嫌悪していました。(私に会ったときの柊の顔色は、裏切られた瞬間の私のようでした。)
部活で顔を合わせるのが嫌で、私は文化部から運動部、陸上部に転部しました。
私は力も体も弱く、運動も人並みにすらできないほど非力だったのと、読書ばかりで運動をしていないということ、球技などはルールも分かっていないのも原因としてあります。辛いようなら幽霊部員になればいいとも思っていました。
そして最初の陸上部での活動。同性よりやはりというか、異性が多いようでした。
今思えば、なぜ異性から逃れるためにより多い異性のいる部活に入ったのかわかりません。
男の教員に、「まず一回はやってみなよ」と言われ、とりあえずストレッチをして、それから短距離走を何回か走らされました。
他の部員は友達と話せるほど余裕そうなのに、私はぜえぜえ息遣いを荒らげていたのが印象的だったのを覚えています。
やはりそこでも私は孤立していました。孤立というのは気持ちが楽なので、自分にとって孤立できるのはここに入ったメリットの一つでした。
しかし、そこに影が忍び寄ります。
「君、一人なの?」
眼鏡をかけた、大人しそうな背の高い1年生が私に話しかけました。
私は高校生のくせに背が低く、1・2年生と話す時でも首を少し上に傾けるほどでしたので、その一年生が、まるで恐ろしく見えたのです。
「は、はいっ…」
怯えているような声でそう言いました。
「…ああ、三年生だったんですか。なんかすみません、でも新入の人にこの部活のことを教えたいと思って。」
その男は自身のことを、月雪と名乗りました。
月雪は、私に部活のことを、ゆっくりと話しかけてきました。
月雪は柊の物量で押し切るような話ではなく、一つの話にしっかりとした落ちのつく話をしてくれ、私も少し笑いそうになったこともあるほど、話が上手かった人間でした。
しかし、笑った姿は見せずに無言を、提案には、「大丈夫」の一言を貫きました。
部活の最中は何度も短距離走を走る内容のものでした。
短距離走を走っては月雪が話しかける、というのを繰り返していました。
部活の時間も半分ほど過ぎ、月雪に話され続けるのも悪いと思ったからか、いつしか私は、読んだことのある本の中で面白かった本のあらすじなんかを話すようになりました。
江戸川乱歩の「人間椅子」なんかのあらすじを話すと、「面白いですね、先輩は物知りなんですね。」と言われ、なんだか少し誇らしかったのです。
またこれも、芽生えた友情なのだろうか。
しかし、月雪は今日出会ったばかりで、恋心が芽生えるようには思いません。
しかしどうしても、確信が持てず、私は問いました。
「私達って、友達だよね…?」
「え?ああ、もちろんですよ。」
にこやかに微笑みながら月雪は言いました。
久しぶりに自分の読んだ本のことを話せるのが楽しくて、部活が終わるまで話し続けました。
そして帰り道、住処に向かって歩いていると、後ろから月雪の声で「おい」という言葉が聞こえ、それと同時に肩を叩かれます。
振り向くと、眼鏡を外していて、後ろに2人をつれた、私の知っている「月雪」ではなくなった月雪がそこにいました。
私はそこで思い出しました。この高校内に不良のグループがいたことを。私は願いました、彼らがそうでないことを。
私は2人に、体と両手を掴まれ、月雪の手で口を塞がれました。
裏路地に連れて行かれる私の体。
手首同士を結束バンドで縛られた私の両手。
黒い瞳がこちらを捉えているカメラ。
夕暮れ時の薄暗い路地裏のゴミ捨て場。
塞ぐ手の代わりに私の口内に詰められたハンカチ。
全てが恐怖の対象でした。
偽りの友情と拷問のような苦痛を与えられ、30分の時間と人間に対する信用を奪われました。
高校を卒業した今でも、それを思い出します。
私は大学に行かず、私は小説家の職に付き、18歳を迎えた。
小説家と言っても大したものではない。
担当者の幸葉という男が一人つき、小説の添削や展開の相談の相手をしてくれます。
仕事仲間というだけです。
しかし私は未だに怖いのです。
またいつこの関係が壊れるのだろうか?
何度も小説を書き直してやっとたどり着いたこの状況を維持したいのに、また柊のように。
「男」という存在が、存在自体が、私の心の奥に幽閉していた「あの日」の記憶を想起させ、私に語りかける。
嗚呼、信頼は罪なりや?
私のこの経験に同意する人はいない。
「友達以上恋人未満」という言葉は、私にとっては世の中の人間の勘違いによって生まれた言葉だ。
なぜ世の男女が友情より恋人が上だと思っているのか。
誰に聞いても、まともに相手をされない。
女にすら共感されず、世の中から私はいつしか変わり者扱いされていった。
独特な感性と評価されることはあっても、同感されることは無かった。
その感性によって先述の通り小説家として生かされている。
私はある週刊雑誌で小説の連載をしていて、半年ほどこの仕事で働いている。
暗くなった頃、来週分の文章を書き終える。
私が椅子に座りながらのけ反り、伸びていると、幸葉が後ろから声をかけた。
「何?」
幸葉のほうを向き返し、私は問う。
幸葉は、神妙な表情をして私に言う。
「あなたの仕事にひたむきな姿に惚れました」
心の壊れる音のする。
「僕と、付き合ってください。」
それ以来、私の筆は止まったままだ。
世の中は絶望に溢れている。
救いのない人生、脱出するために登った蜘蛛の糸。
登りきって手に入れた今の環境、それ自体が私の心の巣であり人生の救い。
しかし、相手の「恋」という心が私の巣を喰らう。
敵は味方である。
「救い」の中から「救い」を喰われる。
思い詰めた私は再び筆を握った。
救われないのはこの手の小説の基本だとおもっている。
そればかりか、起と承で不穏な空気を漂わせ、転でバッドエンドに向かっているのに結でグッドエンド、ハッピーエンドに終わる物語があまり好きではないのだ。
次に書く小説は別のものが題材になる。ぜひとも楽しみに待っていてほしい。