春を忘れない 3
「え、じゃあ、私にとってのおじさん? てか、若っ!」
素直は目を丸くした。
「黙ってろ」
白夜は素直を一蹴し、晶の方へ向いた。
「いえ、私も神ではありませんから、分からないことはあります」
「たとえば」
「みなさんの心の中です」
「禅問答でもしかけられているのかな?」
晶はコーヒーの紙コップに口をつける。
「召し上がります?」
白夜は個包装されたチョコレートを渡した。
「これはどうも。濃いコーヒーによく合いそうだ」
「気をつけてくださいね」
「毒でも入ってるの?」
「いえ、そんな」
「じゃあ、睡眠薬?」
「私はそんな卑怯なまねはしません。でも、他の誰かはやるかもしれない」
「そう思う?」
「ええ、みなさんが邪魔なのは誰よりも篠山素直でしょうからね。親族とは疎遠。美玲氏には可愛がられていた。そして何よりこの純情さだ。懐柔もきかない」
「馬鹿にしてるの?」
素直が目をつりあげる。
「ほめて差し上げたつもりでしたが、何か?」
晶はくすくす笑った。
「さすがに殺すわけにはいかないでしょうが、相続の話し合いの場にいられるのも煩わしい」
「それなら眠らせておけ、と」
「あなたも彼女に眠っておいてもらいたい派ですか?」
「僕はぜんぜん。そんな野心や欲なんてないから」
晶は苦笑する。
「でも、素直ちゃんは少し眠った方がいいんじゃないかとは思うけどね。目が赤いし、疲れているみたいだし」
素直は慌てて自分の頬をたたく。
「悪い夢でも見たんでしょう」
「夢……、ね。惠理香義姉さんが一緒についていないのと何か関係があるのかな?」
素直、固まる。
白夜、素直を隠すように前へ出る。
「さあ、どうぞ。チョコレートが溶けるといけませんから、お早めに」
「何か気をつけないといけないことがあるんじゃなかったっけ」
晶はチョコレートの切り口を開けながら聞く。
「中にキャラメルが入っているんですよ。歯にひっつくかもしれないので。おいしいんですけどね」
「ほんとだ」
晶は口を動かしながら言った。
「家族みたいだね」
「え?」
「外側は柔らかくて甘いけれど、中まで入りこむとべたべたしていて嫌気がさす」
晶は無表情に言う。
「しかもなかなか離れられない」
白夜は微笑んだ。
「あなたは私たちの味方になってくれそうな気がします」
「気がするだけだよ。僕は誰の味方にもならない。強いて言うなら……」
「強いて言うなら?」
「僕は母さんの味方かな」
白夜は晶に向きなおった。
「それならあなたは私たちの味方です」
「僕は誰の味方でもない」
晶は二人に背中を向けて去った。
× ×
篠山邸の床の間は緊張感に包まれていた。
原稿を持って前に立つ昭夫を前に三十人ほどの親族が並ぶ。
昭夫はせき払いをして、型どおりのあいさつをはじめた。
「みなさん、今日は平日のお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。もうじき母、美玲の一周忌を迎えます。そのまえに財産の分与を親族全員で穏便に行い、母の霊を安らかに……」
白夜と素直はふすまを背に立っていた。
「何が穏便だよ。しらじらしい。上座に立ってる時点で力関係に差が生まれてくるじゃねえか。しかも親族全員とか言いながら排除している人間もいるし。素直、大声で文句言ってやれ。物投げてもいいぞ」
「投げません。今、大事な話をしてるんだから」
「腹の一つも立たないのかよ」
「立ちません。別に私のこと言われているわけじゃないでしょ?」
「ふうん、腹が立つほど人がいいんだな」
「あなたが怒ってどうするの?」
白夜はそっぽを向く。
昭夫が素直を横目に見た。素直は思わず目をそらす。
「今から母の遺言状を読み上げます。その内容にしたがって、これから親族で話し合いを行うわけですが、堅苦しいやりとりを私は好みません。亡き母の思い出を語り合いながら、ざっくばらんに話しましょう。喪服を着ている方もいらっしゃるようですが、お伝えしたとおりカジュアルな服装のままでかまいません。格好よりも心です。何よりただ一人、喪服を着ておられる方とそのお母様は母の通夜にも葬式にも来なかったのですから」
素直の全身が震えた。
「来れなかったんだもん!」
素直は叫んだ。
「お母さん、そのとき病気で入院してて、私はその看病してて、おばあちゃんの死に目にも会えなかった。そして何より亡くなった日も、お葬式が行われる日もぜんぜん誰からも教えられていない!」
一瞬で場が静まった。
「よせ、挑発に乗るな」
白夜は素直の肩を押さえた。
「何よ! あなたが怒れって言ったんじゃない!」
「戦略的に怒った態度をとるのと、感情的に怒るのは違う」
「素直ちゃん。落ち着いて。ほら、これでとりあえず涙を」
晶はハンカチを渡した。
昭夫が猫なで声を出しながら言う。
「素直ちゃん、今日お母さんはどうしたのかな? もう病気は治って退院しているはずだよね。姿が見えないけど、今はどこにいるのかな? まさか逃げたんじゃないだろうね。素直ちゃんを捨てて」
素直はうずくまって泣き出した。
「おい、おっさん。覚えておけよ」
白夜は指をさして昭夫をにらんだ。
「絶対にあんただけは許さねえ。最後に泣くのはあんただ!」
「ついに正体を隠さなくなったなチンピラ。弁護士だと? 大嘘こくなよ。絶対に化けの皮剥がしてやるから覚悟しておけ」
「化けの皮か。どんどん剥がしてもらおう。最後に何が出てきても知らないぜ」
昭夫と素直にらみ合う。
「あなた、時間ですから。とりあえずこれを……」
昭夫の妻が白い封筒を渡した。
昭夫は大げさな身振りを交えながら遺言状を広げた。