【cut-001】転移しました
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「また異世界モノですか!?」
私は、思わず大声を出してしまいました。
香月さんは、私らしからぬ大きな声に一瞬狼狽えた様子でしたが、すぐにいつもの、プロデューサーの顔に戻って、静かにうなづきました。
「三井さん、アニメは商売です。ビジネスなんですから、売れるモノを制作するのが、私たちのお仕事なのです」香月さんは、諭すように言いました。
私は、香月さんから手渡されたノベルの表紙に目を落としました。没個性な、どんなアニメにも出ているような男の子と、彼の周りをとりかこむ可愛らしい女の子たち。そのすべてに、既視感を覚えます。
私たちの会社、上荻アニメーションは、私が入社した六年前から、いわゆる「異世界転生アニメ」をひたすら作り続けてきました。はじめのうちは、憧れの業界で、ホンモノのアニメーションの制作に携われることが嬉しくて仕方ありませんでした。ですが、毎年のように、同じようなストーリー、同じようなキャラクター、同じようなクオリティの異世界アニメを作り続けることに、正直飽きてしまいました。
もちろん、それは私だけではありません。
☆
「……」
高崎さんは、大きな体躯を丸めて、私から受け取ったノベルの表紙をじっと見つめました。私は早速、高崎さんにキャラクターデザインをお願いするため、作画室の最奥で作業をしている高崎さんのもとにやってきたのでした。
「……」
「……」
高崎さんは、とても寡黙な方です。それに身体も大きく、体毛がモサモサと生えています。私は、きっと彼はヒグマの生まれ変わりなのだろうと、ひそかに思っています。
「高崎さん」
「……はい」高崎さんは、とても小さな声で応えました。
「今回も、キャラクターデザインをお願いいたします」
「……」
高崎さんは、机の端から原画用紙をすっと取り出し、没個性な男の子のラフスケッチを始めました。
「あ、ありがとうございます!」
高崎さんは、この会社で唯一のキャラクターデザイナーであり、総作画監督といわれるお仕事をされています。つまり、いつもいつも、同じようなアニメの絵を描き続けているわけで、そのストレスは私には推し量れないほどだと思います。
それでも、引き受けてくださる高崎さんの優しさに、設定制作の私はいつも甘えてしまうのでした。
「よろしくおねがいいたします」
私は、深く頭を下げました。
☆
制作室に戻ると、早川くんが、モグモグとハンバーガーを食べていました。
「またマックですか?」
「深夜の外回りといえば、青梅街道のマックで決まりっすよ!」
早川くんは、せわしなくコーラをチューと吸いました。
彼は、私の二年後輩で、制作進行のお仕事をしています。制作進行は、私も彼が入社するまで担当していましたが、その仕事内容を説明するのはとても大変です。原画の回収、原図入れ、色指定入れ、動画撒き……要するに、すごく忙しいお仕事なのです。
ぐう、と私のお腹が鳴りました。私はとっさに、お腹を両手でさすりました。
「ミカさんも、食います?」
早川くんが、もう一個のハンバーガーを私に差し出しました。
「大丈夫です」
本当は、いただきたくて仕方ないのですが、いまは深夜二時。こんな時間のハンバーガーは、すべて脂肪となって、私の腹部をムチムチにさせてしまいます。
「二人とも、早く帰ろうね」
香月さんが、バッグを持って立ち上がりました。
「私は明日、アフレコだから、これで」
香月さんはプロデューサーのお仕事をされています。プロデューサーというのは……ちょっと私にもわからないのですが、とにかくとても偉い人たちと難しい交渉をしているお仕事で、決して毎晩麻雀を打っているわけではないようです。
香月さんが、タイムカードを押した瞬間ーー
ドカン! と大きな衝撃が建物に走りました。
グラグラと波打つような振動に、思わずしゃがみこんでしまいました。
「地震!?」
「みんな、机の下に!」
ガチャン! ガチャン! とパソコンやモニターが床に落ちる中、わたしは這いつくばって、自分の机に潜り込もうとしました。
その瞬間、すぐそばのラックが、グラリと私に向かって倒れてきました。
ラックには、無造作に積み上げられた大量のカット袋。それらがいま、茶色の雪崩となって私に襲いかかってきます。
アニメ会社のみなさん、カット袋は整理整頓しておきましょうーー
私は死の淵で、強く、そう思ったのでした。
☆
「……ぃさん! 三井さん!」
遠くから、私を呼ぶ声が聞こえてきました。
「三井さん!」
ガッと体を揺さぶられ、私は目を覚ましました。
「ん……」
「よかった!」
動画マンの木田さんが、涙を浮かべながら、私の顔を覗き込んでいました。
「三井さん、死んじゃったかと思ったよぉ!」
私が体を起こすと、木田さんはギュッと私を抱きしめて、オイオイ泣き出しました。
「ご……ごめんなさい。ご心配かけて」
「ううん、良かったよぉ!」
あたりを見回すと、会社のみなさんが茫然と座り込んでいました。よかった、みんな無事だったんだ……そう思うと同時に、私はここが深夜の会社ではなく、青空の下、緑に茂った草地であることに気がつきました。
「ここは!?」
私は驚きのあまり、木田さんを振り払って立ち上がりました。
「わかんないっす」
早川くんが頭をかきながら、言いました。
「ハンバーガー、なくなっちゃったんすよ」
私は早川くんを無視して、足元の草を触りました。固く、しっかりとした感触。ぐっと力を込めると、ブチブチと土から抜けます。手についた、うっすらと緑の滴。
これが夢ではないことは、確かなように思えました。
「森があるっすよ」
早川くんが、指差す先を見ると、鬱蒼と木の生い茂った森がありました。
「行ってみましょう」
☆
森の木々は、クヌギともクスノキともつかない高木が、ほとんど等間隔に並んでいました。
「なんでしょう、この木」私は、そっと樹皮を撫でました。
「見たことあるような、ないような。不思議な感じだねぇ」
木田さんの言葉に、皆うんうんと頷きました。ヒグマの高崎さんも「……そうですね」と小さな声で同調しました。
「この既視感、なんだろうな」
演出の小野さんが、首を傾げました。
そのとき、美術監督の澤田さんが「あっ!」と大きな声を出しました。
「どうしました?」
澤田さんは、いつも震えている手をさらに震わせていました。
「いつもの……森だ」
「え?」
澤田さんの言葉の意味がわからず、皆ポカンとしてしまいました。
澤田さんは、震える声で、
「いつもの森だ」
と、再び言いました。
「いつもの森?」
皆、再びあたりの木々を見回しました。なぜか既視感のある、謎の木。奥は陽の光が届かないのか、ほとんど真っ暗で見えません。確かに、こんな風景を私も見たことがあるような。
その瞬間、皆が一斉に叫びました。
「いつもの森だ!」
設定番号【BG_001_01】。
そこは紛れもなく、私たちのアニメでいつも使っている【いつもの森】でした。