守りたい明日
そそくさといなくなってしまった一行を眺めているとルーカスとアレンが話を始める。
「しかし、もう少し話がしたかったですね。」
「でも、アイナさんの知り合いとわかっただけでもよかったんじゃない。」
話を聞きながら、ふと、自分の手のひらを見ると親指のつけねの辺りに緩く弧を描いた小さな跡が二つついている。
無意識のうちに両手を握り混み、爪の跡がついたようだ。
その見慣れた跡をボーッと眺めていると、ようやく実感がわいてきた。
あいつ、本当にこっちの世界にいるんだ。
どうやって、こっちに来たんだろう。
本人もよくわかっていないようだったけど。
あいつがこっちにいると考えるだけで、お腹の辺りが不安になる。
「アイナは彼と何を話していたんですか?」
アレンに話しかけられたが、その質問に答えることはできなかった。
「……吐きそう。」
その一言を言うのが精一杯でその場にしゃがみこむ。
「え、大丈夫?」
ルーカスがすぐに同じようにしゃがみこみ、背中をさすってくれる。
だが、気分が悪いだけで本当に吐きそうな訳ではない。
いくらさすってくれても、なにかが出てくるわけではない。
それを私は知っている。
そして、一回はいてしまった方がスッキリすることも。
私は、右手の人差し指と中指を口のなかに突っ込もうとする。
しかし、自分のなかに冷静な部分があったらしい。
口の前に手を持ってきたところで手を止める。
誰も見ていない気分だったけど、近くに人がいるんだった。
人前で吐くなんて、どれだけ調子が悪くたって許されることじゃない。
ほら、忘れたの?遠足のバスで酔ったときだって、熱があってはいたときだってさんざんバカにされて、あだ名までつけられて、きらわれたじゃないか。
それを思いだしたため思い留まったのだ。
さりげなく、口元を覆うほうに切り替える。
私はよく、学校から家に帰るとトイレに駆け込み吐いていた。
だから、どうすれば吐けるのかを知っていた。
誰かに教えてもらったわけではなかったが、人差し指と中指を口に突っ込めばいいことを知っていた。
しかし、回数を重ねると二本の指のつけねのところに前歯が当たり、たこができはじめたのだ。
またまた見ていたテレビでそれが「吐きだこ」と呼ばれるものだと知った。
つまり、このたこをみられれば、日常的に吐いているということがばれてしまう。
だから、私は手が前歯に当たらないように注意しながら吐いたり、吐くのを我慢したりしていた。
誰も私のことなんて気に掛けていないから、気づかれることなんてないだろうとは思っていたが、用心に越したことはないと気を付けていた。
その我慢の経験が今回役に立つなんて思いもよらなかった。