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『笑えないコメディは最高の悲劇である』という言葉を逆手に取る発想

 そして二日後、案の定僕は風邪をひいて病院に来ていた。

 ろくに食事もとらず、睡眠時間を削ってアイデアを捻り出しながらプロットを書いていたのがよくなかったのだろう。

これだけ風邪が流行しているというのに、不摂生な生活を送っていてかからない方がおかしかった。


 昨日の夜から熱が出て、頭がボーッとして寒気が止まらない。

 さすがにこれだけ悪化してしまうと頭も働かないし、書く気力も湧かなかった。急がば回れでひとまず風邪を治すのが先決だ。


 待合室は多くの人で混雑しており、僕は隅の方の席に追いやられていた。子供やサラリーマンの姿も少し見受けられるが、そのほとんどがお年寄りだった。

 『案外取材になるかも?』などと自分でも驚くくらい強かなことを思いながら、寒気で震える肩を抱いた。 


 僕のもらった番号札は868。いま内科の呼び出し用電光掲示板には124の数字が点灯している。

 まさか間に七百人いるわけではないだろうが、僕が呼ばれるのは遥か先と言うことは間違いなさそうだ。早くして欲しいと焦ったところで仕方ない。


 周りの患者さん達も静かに自分の順番が回ってくるのを待っていた。病気や病院というのは忙しない気持ちを鎮めさせる力がある。

 僕は暇を潰すために鞄を開けた。こんな状況で本を読んでも頭に入って来ないだろうからスマホを取り出す。

 普通にスマホを使用してゲームやらメッセージを送ってる人もいたが、僕にはそんな気力は残っていない。


弱々しいタップで画像ファイルを開ける。

 写真を撮る趣味のない僕の画像フォルダーには、このはさんから届いた画像で埋め尽くされていた。

 写真のやり取りを始めた八月は海辺の写真が多かった。

きっとこの頃は帰省か旅行で海辺にでもいたのだろう。

よく見るとその中の一枚に影のシルエットが映り込んでいる写真があった。麦わら帽子を被ってワンピースを着ているのが輪郭で分かる。


(シルエットで見る感じだと華奢な感じかな)


 九月に入ってからは通学路やら放課後の校舎らしき画像が増えている。

半年後に受験を控えて勉強にも忙しいのだろうが、放課後に買い物に行ったり、ファストフード店に立ち寄った写真も含まれていた。


 時おり登下校時の写真も見受けられる。その中にはあの片想いをしていると思われる色の黒くて背が高い彼の姿が確認出来るものも多い。

 やはり間違いない。彼がこのはさんの想いを寄せる人なのだろう。運動部に所属してて、引退してから髪を伸ばし始めた、そんな印象を受ける中途半端な髪型だ。


 一枚づつ見ていたときには気付かなかったが、こうして並べて俯瞰してみるとこのはさんの生活が見えてくる。

 文字がなく、日付も入ってない日記のように思えてきた。


『日付のない日記』


 案外いいタイトルかもしれない。

これをこのはさんの小説のタイトルにしよう。

 

そう、これは小説というより日記だ。プロットを立てたり、伏線を張ろうとしたり、写真の内容を必死にトレースしようとしたり、そう考えるからなかなか書けなかった。

 でもそうじゃない。

 大きな何かが起きない『蒼山このは』の日常を描けばいい。先の展開は作者の僕も知らない、行き当たりばったりなストーリーだ。


 別に書籍化を目指しているわけじゃない。ただこのはさんに向けただけの作品だ。

きっとそんな日常の描写が僕の新しい作風を得る力になるだろうし、なにより僕が愉しめそうだ。

 早速スマホのメモ機能を利用して物語を覚え書きを残そうとしたとき──


「あら、先生じゃありませんか?」


 不意に声を掛けられ(それもあまり人前で呼ばれたくない敬称で)、僕は思わずビクッとなってスマホを落としてしまった。


「あ、英さん」


 そこには介護の人に付き添われた英さんが立っていた。


「ごめんなさい。脅かしてしまったかしら?」

「いえ。僕の方こそ大袈裟に驚いてしまいすいません」


 スマホを拾いながら頭を下げる。


「風邪を引かれたんですか?」

「ええ。情けないことに。英さんも風邪ですか?」

「私は、まあ。定期検診みたいなもので。年寄りが病院に来るなんていつものことなんで気にしないでね」


 英さんが言葉を濁すと傍らにいた介護スタッフが「余計なことを訊くな」と言う目で僕を睨んで、英さんと共に病院の奥へと進んでいった。

 風邪ではなく、もっと他のなにかの検査なのだろうか。僕は英さんが何科の検察室の前に行くのか見ないように視線をスマホに戻す。

 しかし写真を見ても先ほどまではっきり見えていた物語はぼんやりと霞んでしまっていた。


 年を取れば何らかの病気であることが日常となるのだろうか。

 病と闘うのではなく、逆らわず生きていく。

 それは諦めや悲観ではなく、恭順なのかもしれない。

 僕は目を閉じ、病院内の活気のない喧騒に耳を傾けていた。



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