『なぜ草食動物は美味しいのか?』などの炎上必至の意見を提示してみる
藤代さんに企画書を送信してから三日後、彼女としては異例の早さでその返事が届いた。これだけ早い連絡ならばきっと色よい返事なのだろうと期待を胸にメールを確認する。
しかし内容は相変わらず言葉遣いだけ丁寧なダメ出しから始まっていた。
バディものとして若者と老婆では引きが弱い。
介護を裏のテーマにしているが、今のままでは中途半端な感じがする。
とはいえ逆に介護について詳細に書けば読者のウケは悪くなりそう。
各エピソードがありきたりでおざなりなのでもう少し掘り下げるべき。
簡単に言えばそんなことが書き連ねてあった。
打ちひしがれて読んでいたが、最後に一行だけ光明が差していた。
『色々指摘してしまいましたが、この企画にはとても可能性を感じます。編集会議にかけてみたいと思います。お時間が許せば一度プロットを作成して見せて頂けないでしょうか?』
ほんの少しだが、これまでよりは感触があった。
もっともそれは『お友達から始めましょう』と言われて振られた文言を真に受けて喜ぶようなものかもしれないけど。
返信の文面を考えながらひとまずグルフルのサイトにアクセスした。
『新着メッセージが1件あります』
通知の赤文字が躍っていた。近頃はこの通知を見ると安心してしまう。
差出人は案の定このはさんだった。
「またこのはさんが写真を送ってくれたんだ」
今日の写真は草の尖端に止まるトンボ、大きな楠木、坂の上から街を見下ろす景色、それと通学途中の高校生達だった。
秋の気配のお裾分けといったところだ。
『秋の気配
From:蒼山 このは
まだまだ暑い日が続きますけど最近は少しづつ秋の気配も感じますね。先生のお身体は大丈夫でしょうか?私は少し夏バテから気温の変化で風邪気味です。
新作の進捗状況はいかがでしょうか?愉しみにお待ちしております』
どうやらこのところの昼夜の寒暖差で風邪を引いてしまったようだ。
相変わらず写真についての説明は書かれていない。余計な先入観はなしに、あくまで写真から感じるものを書いて欲しいと言うことなのだろう。
それにしても新作を優先して欲しいと言っていたのに写真を送ってきたところを見ると、やはり自分がヒロインの作品も早く書いて欲しいということなのか。
どんな物語にしようかと改めて送られてきた写真を眺める。
「ん? これって」
通学途中の学生達の写真に意識が集中した。
恐らく夏休み明け最初の登校の風景なのだろう。生徒たちは疲れた顔をしながらもしきりになにかを話し合っているように見える。
制服はどこかで見たことがあるものにも思えたが、そもそも制服とはそういうものだ。
それより気になったのはこの写真のほぼ中心で歩いている陽に焼けた男子生徒だった。
少し背が高く、髪はこざっぱりと短くて清潔感を感じる。なんとなくこの写真は彼中心に撮影されているような気がしてならなかった。
小さすぎるので表情や顔立ちまではよく分からないが、なかなかのイケメンに見受けられる。
(これがこのはさんの片思いの人かな?)
なんとなくそんな予感がした。
理由なんてない。でも写真というのはその人の視線を表しているものだ。
この写真のフォーカスはこの男子に合っている。意識的か無意識かはわからないけれど。それはこのはさんの意識がそこに集中しているからだろう。
その直感が間違っているか当たっているかは問題じゃない。僕が彼女の物語を描くために必要な設定だ。
こうして一つひとつの断片的なシーンが集まって物語となって固まりだしてくる。
それは今までやったことがない、新しい手法だった。独自に編み出した健康法くらい怪しげで効果があるのか疑わしいものだ。
でも少なくとも僕は愉しんで小説が書けている。
『写真ありがとう
From:霧谷澪人
風邪大丈夫ですか? 無理せず安静にして下さいね。僕の方は大丈夫です。
今回も素敵な写真をありがとう!
高校の通学路なんて久し振りにまじまじと見ました。懐かしい!
僕にもこんな時期があったなぁ…(遠い目)
おかげでちょっとアイデアが浮かびました。
これからも無理のない程度でいいんで写真を下さい!』
翌朝出勤すると阿久津さんが仕事前からマスクをしていた。
「おはよう。風邪引いた?」
「うん。なんか明け方とか急に寒くなったでしょ。全裸で寝てたら風邪引いたみたいで」
「ぜ、全裸っ!?」
中学生男子のように動揺してしまう僕の反応を阿久津さんはニヤニヤと観察している。
「やらしいこと想像したでしょ。えっち」
「し、してないよ!」
「全裸は嘘。ちゃんとパンツとタンクトップは着ていたし。温めてくれるような人は隣にいなかったけど」
小悪魔的に笑いながら僕の肩を叩いてくる。風邪をひいているのに元気な人だ。
「大丈夫? 無理しないでね」
「先生は大丈夫なの?」
「僕? うんまあ。おかげさまで」
「羨ましい。うつしてやる!」
阿久津さんはマスクをしたままコホコホとわざとらしく咳をしてきた。
急に冷え込む朝が続いたからか、入居者にも風邪の人が増えた。そのため食事も粥食の人が多かった。お粥は僕が担当するのでやや忙しい。
料理なんてここに来るまで作ったことがなかったが、今は手慣れたものだ。
残りご飯を一度洗い、ぬめりを取ってから米と同量の水を入れてコンロにかける。沸騰したら火を弱めてトロトロとしてきたら火を止める。上澄みにある重湯を掬い、それからしばらく米に水を吸わせたら完成だ。
決して美味しいものではないが、食欲のない人にはありがたいものだろう。
喜んでくれる姿を想像しながら、それを茶碗によそって保温ケースの中へとしまった。
「いいなぁ。先生の特製お粥」
「特製って。そんな大したものじゃないし。ちょっと多めに作ったから昼食に阿久津さんも食べたら?」
「いいの? やった」
お粥を食べるのにそんなに喜ぶ人ははじめて見た。相変わらず阿久津さんは陽気な人だ。
家に帰り、仕事用のメールを確認すると藤代さんからの返信が届いていた。
プロット提出の件についてのお礼だったが、その文面はなんだか今ひとつ反応がよくなかった。
『プロットありがとうございます。ひとまずこれを元に編集会議にかけてみます。欲を言えばもう少し踏み込んだ内容や人間関係が欲しいところです。ただアイデアは悪くないと思うので編集長の目を惹くとは思います。』
「もう一歩踏み込む、か」
はっきりとした意味は分からない。でも朧気に言わんとすることは理解した。
もっとリアリティを持たせ、登場人物に魂を込めろという意味だろう。
僕は今日お粥を作ったことを思い出していた。
年を取れば食べるものも変わっていく。歯が弱かったり、消化が悪くなったり、味覚が変わったり。年を取ればそんな変化も出て来る。
ただ年寄りと記号のように設定するのではなく、それをこの新作にもアイデアとして落とし込んでみよう。
薬草を入れて作ったお粥や、トロトロになるまで煮込んだシチュー、根菜類のお惣菜。ファンタジーの世界でのお年寄りメニューのアイデアが次々と浮かんでくる。
そういえばファンタジーの世界ではお肉というものはどういうものを食べているのだろう?
牛や豚がいるというのはちょっと違和感がある。けれどドラゴンなどの肉食竜を食べるというのもおかしい。
現実世界でトラやライオンを食べないように、やはりファンタジーの世界での食肉は草食獣なのだろう。
一日だけレクリエーションに参加しただけなのに、次々とアイデアが生まれていく。
やはりどんなことも小説を書くことに無駄な経験などない。
僕はすぐさま『申し訳ありませんがプロットを出し直させて下さい』とメールを送った。
編集会議は来週だとのことだ。それまでに最高のプロットを作らなくてはならない。
いまは睡眠時間を削ってでも、最高のものを創るべきだ。