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特に興味を惹かれない職業を『お仕事小説』にすること

 ライフガーデン鷹羽の午前五時半は慌ただしい。

 六時から始まる朝食に向け、僕はコーヒーやサラダ、漬け物にヨーグルトの準備に追われていた。

 食事は洋食か和食の二種類から選べるシステムになっている。

 ちなみに朝は意外にも洋食の方が人気だ。年寄りは朝味噌汁とごはんというイメージだったが、ここに来てからそんなこともないのだと知った。


「あ、昨日の夜からハナフサさんが入院してるから洋食一つ減らしておいて」


 コック長の中西さんがそう指示してきた。

 元々東京でレストランを経営していたが、色んな事情があって故郷のこちらへ帰ってきた人だ。


「ハナフサさん? そんな方いましたっけ?」

「英語の英って一文字の人だよ。あれ一文字でハナフサって読むんだよ。先生、知らなかったの?」

「え、そうなんですか? ずっとエイさんだと思ってました」


 素直にそう答えると厨房が和やかな笑いに包まれた。

 色んな事情を抱えた人がここで働いているが、人間関係は悪くない。それがこの職場の一番いいところだ。


「だよねー。あたしもはじめエイさんって呼んでた。魚みたいな名前だなぁって」


 阿久津さんは笑いながら英さんの分のトレーを下げてくれる。

 施設の性質上、今日の英さんのように入院でキャンセルになることは頻繁にあった。

 もちろんそのままこの施設に戻ってこないという人も、中にはいる。


 そういう報せを受けたときは、いつもどういう顔をすればいいのか分からない。

 顔も知らない人であっても、毎日食事を提供していた人の他界というのは、やはり僅かの寂しさと痛みを覚えた。


 朝食の提供が終わるとわずかな休憩を挟み、すぐに朝食の洗い物と昼食の準備に取り掛かる。

 予め作っておいて昼に提供するという仕事なので、突発的な忙しさはない代わりに常に時間に追われる職場だ。

 朝食と昼食の間の少し落ち着いた時間帯、慌てた様子で介護スタッフのチーフがやって来た。


「すいません。ちょっと相談というか、お願いなんですけど」


 基本的に介護スタッフとレストランスタッフは仲がよくない。

 利用者第一に動く介護スタッフは厨房の職員を軽視する傾向にあり、それを不快に思う僕ら調理側はぶっきらぼうに対応する。


「なんでしょう?」


 責任者である中西さんが応対する。

 プライドの高い介護スタッフが僕たちに『お願い』なんて言葉を遣うのは珍しい。みんな作業をしつつ聴覚に意識を集中しているのが分かった。


「実は今週末の科学館と珈琲博物館の見学の件なんですけど」

「ゲストさんのレクリエーションイベントですね? それがどうしましたか?」

「実はうちの方の人手が足りなくて。出来れば二人ほどヘルプに来て貰えると助かるのですが」


 介護スタッフチーフが険しい表情で軽く頭を下げる。髪をキリッと結わえ上げた姿は彼女の性格を表すかのように屹然として遊びがない。


「そうですねぇ。その日は──」

「あたし行きます!」


 訊かれる前から勢いよく名乗り出たのは、もちろん阿久津さんだ。日頃このチーフに散々叱られているのに、まったく意に介した様子もない。鈍感なのか、度量が大きいのか、それとも単におばあちゃんと仲良くしたいという欲求が全てを凌駕しているのか。

 阿久津さんは患者さんからも評判がいいため、チーフも二つ返事で「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「あと一人か……」


 顎に手を当てながら中西さんは僕の顔を見る。嫌な予感しかしない。


「先生、その日は休みだよな?」

「はい、まあ、そうですけど」

「お願いできないかな? 特別手当ても出るだろうし」


 そう言って笑いながら介護チーフと僕を交互に見る。


「お願い出来ますでしょうか? もちろん介護的な仕事はなくて、車椅子の上げ下ろしとか、スロープの設置などの仕事だけですので」

「うーん。そうですねぇ」


 なんて言って断ろうかということだけを考えて頭を捻る。


「行こうよ、先生。利用者さんと触れ合うのも大切だよ」

「そうそう。それに基本ついて回るだけで楽だと思うよ?」


 阿久津さんだけでなく、中西さんも推してくる。介護スタッフチーフも僕に期待の視線を向けていた。

 せっかくの休みなのに面倒くさいが、仕事は簡単そうだし特別手当てというのも正直魅力だった。


「分かりました。やってみます」


 どんな経験も小説を書く上では糧になる。それが小説家のいいところだ。などと言い訳を心の中で付け足していた。



 科学館への施設見学はバスをチャーターして向かった。

 利用者さんの大半は参加しており、車中は賑やかだ。

 僕らスタッフは前の方の席に固まって座っているが、阿久津さんは当然のように利用者さんの隣に座って盛り上がっていた。


 普段は利用者さんと会話を禁じられている僕らだが、今日はレクリエーション参加ということで阿久津さんの暴走も見過ごしているようだ。


 阿久津さんは馴染みの人も多いようだったが、僕はその時初めて利用者さんの顔を見た。

 財界や政界を裏で操る金持ちのフィクサーというような悪そうな人はおらず、どこにでもいそうなちょっと品のいいおじいさんおばあさんで、なんだかちょっとだけ拍子抜けした。


 目的地の科学館はライフガーデン鷹羽から車で二十分程度なのですぐに到着した。

 僕は真っ先にバスを降りて受付を済ませ、入場券をみんなに配っていく。


「さすが先生、仕事が早いねー」


 阿久津さんは利用者のおばあさんに寄り添い、手を取りながらバスの階段を下りてくる。さすがおばあさんと長年暮らしてきただけあって、かなり慣れた様子だった。


「先生、こんにちは」


 おばあさんは僕を見てニコニコと笑う。


「せ、先生って。僕はただの料理スタッフで」

「本を出されてるんでしょ? だったら先生ですよ」


 阿久津さんが教えたのだろう。ジロッと睨んだが、彼女は知らん顔してわざとらしく首を傾げた。


「この方は英さん。今日のレクリエーションが楽しみで入院から抜け出してきたんですって」

「あ、英さんでしたか。お身体はもう大丈夫なんですか?」

「ええ。レクリエーションに行きたくてすっかり元気になりました」


 先日名前を読み間違えたハナフサさんだ。

 にっこり微笑む姿は品がいい。きっと若い頃はとても美人だったのだろう。大きな瞳や美しいカーブの鼻筋を見てそんなことを思った。

 自分のおばあさんに似ているのだろうか、阿久津さんは特に英さんに懐いている様子だった。



 科学館は子供だけでなく大人も楽しめるような工夫が凝らしてある。

 視覚の盲点を衝いた騙し絵的な模型や、宇宙の神秘などを説明するコーナーを見て、利用者さんたちは子供のようにはしゃいでいた。

 子供の頃に習ったことを思い出したり、最新の科学について知識が得られたりと、知的好奇心が刺激される。


「暗いので足許に気を付けて下さいね」


 薄暗がりの宇宙コーナーで僕は英さんの手を取り歩いていた。

 大半の人は既にここを過ぎて先に行ってしまっている。集団から遅れても、英さんは一つひとつを丁寧に興味深そうに見て回っていた。


「先生は厨房で働いてらっしゃるんですよね」

「そうです。阿久津さんと一緒です」

「いつも美味しい料理をありがとうございます」

「こちらこそ喜んで頂けて光栄です。ってまあ、僕が作ってるわけじゃないんですけど」


 料理人の矜持を持つほど烏滸(おこ)がましくはないが、調理に関わる端くれとして美味しいと言われればやはり嬉しかった。


「なにせこの年でしょ。出掛けたくてもすぐ疲れてしまうし、楽しみと言ったら食べることと施設のお友達とお喋りをすることくらいで」

「英さんはまだまだお元気じゃないですか」


 慣用句みたいな言葉を口にして、心の中が少しもやっとする。

 『まだまだお元気』という言葉には憐れみや見下す色が滲んでいる気がした。


「先生はどんな小説を書いているんですか?」

「僕の書いている小説は、なんというか……英さんが読まれるようなものじゃなくて。まぁいえば、子供向けの、小説です」

「まあ。素晴らしいですね」

「え? そうですか?」

「だって最近の若い人は本を読まないんでしょ? その若い人に向けた作品なんて、とても素晴らしいことだわ」


 英さんは曇りのない笑みを浮かべてそう言った。


「でも深い意味なんて籠められてないし、文章だって馬鹿みたいな言葉ばっかですし」

「それでいいのよ。小難しいことを言うのが偉いわけじゃない。そう思わない?」


 僕の小説に寄せられたレビューには、そうは書かれていなかった。。

 素人の文章。

 薄っぺらい内容。

 ありきたりな上にご都合主義。

 そんな風に扱きおろされていた。


「若い人が本を読まなくなったのには色んな理由があるのかもしれない。でも一番の理由はきっと面白くないからだと私は思うわ」

「そうでしょうか? 娯楽の多様性とか、漫画やアプリゲームの手軽さとか、色々あると思いますけど」


 それも僕の言葉じゃない。

 世の中に溢れている『誰か』の言葉だ。

 そして自分の本が売れなかった責任を背負わせた言葉でもある。


「ゲームとかマンガとか、そういうものより面白ければ、みんな小説を選ぶでしょ? 選ばないということは、つまらないからだと私は思うの。文学的だとか、思想的に優れてるとか、そんなことばっかり言っていると、これからもっと小説は売れなくなるわ」


 英さんは僕の目を見てそう断言した。

 そんなに強い語気じゃなかったのに、その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。

 それはきっと『他の誰か』じゃなく『英さんの言葉』だからだ。


 気付くと間もなくプラネタリウム鑑賞の時間だった。英さんのところにも介護スタッフがやって来て、移動を促してきた。


「若い人に愉しんでもらう作品を書くと言うことは、とても素敵なことだと私は思いますよ」


 英さんはそう言い残し、プラネタリウムへと入っていった。

 僕の頭の中には、しばらく英さんの言葉が残像のように焼き付いていた。


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