著作権が怖いから歌詞は書けないくせにカラオケシーンは入れること
「でもいくらおばあちゃんが好きだからって、怒られてまで話をすることないんじゃない?」
なんとなく訊くと、彼女は少し寂しげに笑った。
「あたしの父親ってのが最悪でさ。あたしが小さい頃によそで女作って家を出て行っちゃったんだよね。それからは母親と二人で暮らしはじめたの」
阿久津さんは長雨をぼやく程度の嘆きで重い話をし始めた。なんて返していいのか分からず、僕は無言で阿久津さんの目を見た。
「ところが母親の方も困った人でさ。あたしが小学校三年生の時にやっぱり男を作って。それ自体はいいんだよ。離婚もしてるんだし。人生をやり直すのはいいことだと思う。でも再婚に邪魔だからって、あたしをおばあちゃんに押し付けたの。ヒドくない? それからはずっとおばあちゃんと二人暮らしだった」
「それは……なかなか大変だったね」
「でもまあ、そんな親に育てられるよりはマシだったんじゃないかな、多分」
『おばあちゃん子』と言われ、想像していたのとはずいぶん違った。精神的だけでなく、物理的にもおばあちゃん子だったわけだ。
「だからおばあちゃんと話をするのが好きなの。色んなこと教えてくれるし、優しいし。うちのおばあちゃんはもう死んじゃったからもう何も話すことは出来ないけど。でもよそのおばあちゃんとお話をしていると、なんか自分のおばあちゃん思い出してさ」
阿久津さんは静かに目を伏せ、過去を懐かしむように微かに口許を緩めた。
「先生は? 両親離婚してないの? おばあちゃんは元気?」
「まあ、一応両親は離婚してないよ。おばあちゃんは父方も母方も、もう死んじゃっているけど」
両親が喧嘩しているのはよく見たけれど、翌朝になるとすっかり仲直りをして、なんなら息子の前でボディタッチまでしていた。
今ならなんで仲直りしたのか理解できるが、あの頃は不思議でならなかった。
「そっか。両親が仲良しなのはいいね。実家には帰らないの?」
「そりゃ就職もせずフリーターして小説書いてるんだから、実家には帰りづらいよ」
「そうなの? 小説家なんてすごいのにね。でもまあ、親としては望んでいた将来と違うんだろうね」
カラオケのモニターでは見たこともないアイドルグループの新曲宣伝の映像が流れている。執刀医が一緒なのか、全員同じ顔に見えてしまうグループだった。
夢を目指して頑張る人は沢山いる。しかしその中で輝ける者はごくわずかだ。果たして僕はそのごく僅かの一人になれるのだろうか。
「本当は東京に住んだ方が出版社も近くていいんだろうけどね。家賃高いだろうし、引っ越し費用も馬鹿にならないから学生時代に住んでたとこに未だに住んでるってわけ」
「なるほどなぁ。でもそうやって夢に向かって頑張ってるんだね。えらいなぁ」
「全然えらくなんてないよ。むしろろくでもないと思うし」
夢を追っているだけで、ちっとも結果を出せていない。褒められるような生き方をしているとはとても思えなかった。
「そうかなぁ? あたし、頭バカだからよく分かんないけど、小説を書くのって大変でしょ? そんなことが出来るなんて、すごいと思うよ」
「小説が書けてもそれが本にならなきゃ意味ないし。さらに言えば出版したって売れなきゃ意味ないからね」
「意味なくなんてないよ。書けるだけでもすごいし。それに小説に賭けられるってとこがすごいなって思う」
「小説に賭ける?」
「うん。先生って頭のいい大学出てるでしょ。普通にいい会社だって入れたのに、それをしないで小説を書くことを選んだ。それってすごいって思う」
茶化しているわけではなく、本気でそう思っているような目をしていた。
少なくとも僕が小説を書いてると知っているどの友達よりも、真剣な顔をしてくれていた。
「逃げただけだよ。普通の人生の苦労から。結局は余計苦労してるけど」
「すぐそういうこと言う。そういうネガティブなところが先生の悪いところだよ。先生が普通の人生から逃げたっていうんだったら、普通の人生を選んだ人は夢から逃げたってことじゃない? 先生は才能もあって、チャンスもあって、そして逃げなかったってこと」
そんな発想は今までなかった。
色々と無理のある理論だとは思ったけれど、それを否定したところで自分の人生を否定するだけのような気がしたのでやめておいた。
「それに先生は頭いいのに全然えらそうじゃないでしょ。そういうところも好き。なんか頭いい人ってえらそうな人多いもん」
「僕は頭なんてよくないよ。むしろ馬鹿だと思うよ。馬鹿だから夢を諦めない」
「そういうとこ」
阿久津さんはそれで話を打ち切るようにリモコンを手に取り曲を入力する。
「そういうところ」というのはすぐネガティブになる短所なのか、頭いいのに偉そうにしない長所なのかは説明してくれなかった。
(夢から逃げなかった、か……)
その意味を考えながら流れ始めたイントロに耳を傾ける。
彼女は決して次回作について訊いてこない。そこもとても有り難く、好感が持てた。
大抵の友達は僕の既刊すら読んでないくせに「次回作はいつ?」と訊いてくる。
特に深い意味はないのかもしれない。
でも僕にはそれが当て擦りの嫌みにしか聞こえない時がある。
無駄なプレッシャーを与えてこない阿久津さんは付き合いやすい人だ。
どれも同じように聞こえる古びた歌謡曲のイントロを聴きながら、マイクを構える彼女の横顔に視線で感謝を送った。