ヒロインが誰なのか分からなくすること(または電子書籍の印税は期待しないこと)
『感動しました!
From:蒼山このは
『君の残り香』読ませて頂きました!自分が登場する小説が読めるなんて本当に素敵!
ましてや自分の好きな作家さんの作品に出られるなんて夢のようです!
内容もとても素敵でした。その場に立っているかのような臨場感ある描写や、細やかな心の動きを捉えた表現も素晴らしかったです。
先生はやっぱりファンタジーだけじゃなくて文芸小説も上手だと思いました!これからも応援しております!』
興奮が文章からも伝わってくる熱いメッセージだった。
ちょっと青臭すぎる短編小説だと思ったけれど、現金なものでこうして褒められるとまんざらでもない気分になる。
乗せられやすい性格なのは、自覚がある。
『ありがとう!
From:霧谷澪人
喜んで貰えてよかったです。僕に文芸なんてかけるのかなって思っていたけど、実際に書いてみて面白かったです。まあ文芸の真似事程度ですけど。
まだまだ未熟で全然駄目だとは思いますけど、これからは文芸作品も書いていこうと思います。新しい可能性を見出して貰い、ありがとうございました。
写真を見て小説を書くのは意外と面白かったです』
ファンの女の子にいい顔するために始めたのは事実だが、やってみてその面白さに気付いたのもまた事実だ。
いつになるかわからないが、いつかは文芸作品も書いてみたい。そんなことを素直に感じていた。
翌日、仕事用メールアドレスに藤代さんからメールが届いていた。
前回のプロット没メールの返信をしていないことを思い出す。こんな短期間に立て続けに藤代さんからメールが届くというのは異例のことだ。
「なんだろう?」
もしかして一度没にしたプロットを再検討してくれたのだろうか。慌てふためく藤代さんが脳裏に浮かぶ。
『先生、こんな素晴らしいプロットを没にしてしまい、大変失礼しました! まだ他社に話を持っていってないですよね? 是非私に担当させてください!』
そんな淡い期待を抱きながらメール内容を確認した。
『電子書籍売り上げにつきましてご連絡させていただきます』
出だしの一行で高揚が引いていった。その金額を見て更に心が萎えた。
電子書籍の印税はそれで生活が出来るような、びっくりする金額ではない。臨時で貰えたら嬉しいが、仕事と呼ぶにはあまりに虚しい。そんな金額だった。
でも僕の目と心を惹きつける内容は結びの数行に書かれていた。
『新しい企画書やプロットもお待ちしております。先生は書ける幅も広いと思いますので、一度思い切ってまったく違うタイプのものを検討されるのも面白いかもしれません。
先生の新しい側面も出していきましょう。』
「全くタイプの違うもの、か」
そう言われて真っ先に思いついたのは昨日書いた『君の残り香』だった。
しかしあれは短編だし、話に広がりもない。それに文芸作品として商業レベルに達しているとはとても思えないお粗末なものだ。
だけど考え方は間違ってないのかもしれない。
今までファンタジーが舞台のライトノベルばかり書いてきたが、新たなタイプのものを書いてみるのも悪くないだろう。
とはいえ、それがどんなものなのか今はまったく思い付きもしなかった。
────
──
「おおっ。すごい。本当に私の写真を元に小説を書いてくれたんだ」
Group fruitにアップされた『君の残り香』を読み、思わず声を上げてしまった。
ひまわり畑と砂浜の写真でここまで想像を膨らませられるなんてさすがは小説家の先生だ。ちょっと罪悪感もあったが、楽しんで書いてくれているようなのでほっとする。
この調子でもっとたくさん文芸作品も書いてもらおう。
そんなことを企みながら私はもう一度冒頭から『君の残り香』を読み直していた。
————
——
「先生って今日このあと予定ある?」
仕事上がりに阿久津さんが手櫛で髪を梳きながら問い掛けてきた。
「いや、別に」
「じゃあよかったらカラオケいかない?」
阿久津さんはマイクを握るジェスチャーで微笑む。
「いい。遠慮しとく」
「そう言わないで。割引券あるし奢ってあげるから行こうよ」
「僕はあんまり最近の歌とか知らないし」
音楽の趣味がかけ離れた人とカラオケに行くというのは、僕にとって拷問に近い。
いきなりアニソンとか歌い出したら、彼女のように流行に敏感そうな人はドン引きだろう。
そんなお互い拷問のような時間を過ごすのは建設的ではない。
「いいじゃん。私も知らないよ、最近の歌なんて。それよりもここのハニートースト美味しいよ。アイスやら生クリームやらチョコレートソースをどちゃっと乗せちゃっててさ」
「へぇ」
甘い物が大好きな僕はその口説き文句に落とされて結局カラオケに同行してしまった。
考えてみればこの職場の人とどこかに出掛けるのはこれがはじめてだった。
阿久津さんは部屋に入るなり次々と曲を入れていった。歌いたくなかった僕としては好都合だ。
食パン一斤をくり抜いて作ったハニートーストを食べながら適当に拍手を送っていた。
表面をカリッと焼き上げたパンにたっぷりのハチミツをかけ、粉砂糖をまぶした上品な甘さだ。
トッピングされたアイスクリームが溶け出すとまた違った味わいも楽しめる。うちの施設では到底出すことが出来ないカロリーの塊のようなスイーツだ。
「先生も歌いなよ」
立て続けに五曲歌ったあと、阿久津さんがマイクを無理矢理握らせてくる。
「僕はいいよ。ていうか阿久津さん歌うまいね」
「そう? ありがと」
「でもなんか選曲がかなり古いよね。昭和って感じのばかり」
彼女が歌うのは今では素人のど自慢大会でしか聴かないような曲ばかりだった。最近の歌を知らないというのは嘘や謙遜ではなかったようだ。
「まーね。あたし、『おばあちゃん子』だったし。こういうの聞いて育ったんだ」
「あー、それで利用者のおばあちゃんと仲良さそうに話とかしてるんだ」
「おばあちゃんと話すのが好きなんだ。でも話してるとすぐに介護スタッフに注意されるからなー」
阿久津さんは不服さを表すようにストローでウーロン茶をちゅーっと吸い上げる。
「それは仕方ないって。高級老人ホームってそういうものだから」
「まぁね」と笑った阿久津さんはフォークでハニートーストを突き挿して口に運ぶ。
食べ方も変に気取った様子がないけど、下品な感じもしない。大らかな彼女の性格を表しているかのようだった。
ちょっと見た目で敬遠しすぎていたのかもしれないな、と反省する。
「でもさ。うちの施設の利用者さんも若い人と話すと楽しいとか言ってくれるし。ちょっと堅苦しすぎるよね」
「まあね」
それは僕もちょっと感じていた。
就業規則には──
『清掃、調理のスタッフは利用者と会話をしない』
『介護スタッフも利用者と個人的な会話などをしてはいけない』
『施設内であったことを外部に話してはいけない』
などと定められている。
詐欺やら色んな物騒な事件が起きる世の中だから仕方ないのだろうが、ちょっと行きすぎの感も否めない。
利用者が明るく暮らせることより、トラブルが起こらないことを一番に考えたような規則だ。
このご時世、どこもそんなものなのだろうが、自分で自分の生活を息苦しくしているような気がしないでもない。