最後の告白は手紙というのが鉄板。これマメな。
僕の名前が書かれた手紙は何の柄もないシンプルな封筒に収められていた。
「見ていいのかな?」
「もちろん。それは先生宛の手紙ですから。当然誰も読んでません」
糊付けされていない封筒を開け、手紙を取り出す。桜のイラストが右下に描かれた便箋からは薄らと花の香りがした。
そこには手書きでびっしりと文字が認められている。これまで画面上のフォントでしか見てこなかった『蒼山このは』さんの言葉が、肉筆で書かれていた。
達筆で水の流れのような、動きのある文字だった。
手書きの文字には時代が移り変わっても揺るがない価値と温もりが息づいている。
『霧谷澪人先生へ
これを読まれているということは、恐らく私はもうこの世にいないんですね。死者からの手紙なんて薄気味悪いものを送ってしまいすいません。
でも私はどうしても先生に謝りたかったのです。
既に孫の若葉からお聞きになっているかもしれませんが、先生とメッセージのやり取りをさせて頂いていたのは女子高校生ではなく、七十過ぎのおばあちゃんでした。申し訳ございません。
セブンティーンとセブンティーとでは雲泥の差がありますね。先生はこれからの人生でこれほど酷い年齢詐称と出遭うことはないかと思います。
なんて冗談で誤魔化してはいけませんね。
誠に申し訳ございませんでした。
何故こんな前代未聞で傍若無人な嘘をついたのかと説明をしたところで、すべては言い訳になってしまうかと思います。
ただこれだけは言わせて下さい。私は決して先生をからかったり貶めるために年齢を偽ってまでやり取りしてきたわけではありません。
先生のことをはじめて知ったのはライフステージ鷹羽の屋上で行った花火鑑賞会の夜でした。
『うちの施設に小説家の先生がいる』と阿久津さんから聞きました。
阿久津さんを叱らないで下さいね。あの人はとても優しく美しい心を持った真っ直ぐな人です。
花火を見て私が太宰治の『冬の花火』話なんてしたものだから、話題の一つとして教えて下さったのです。
さっそく私は先生の小説を購入して読ませて頂きました。
ファンタジー小説なんて生まれて初めてでしたから、最初は戸惑いましたがすぐにそんな気持ちも消えました。
なんというか、先生の小説は人を引き込む力を持ってます。
知らない人は入り込めないというものではなく、どんな人でも受け入れる。そんな力を持っているように思えました。
先生はインターネットでも小説をお書きになってると聞いていたので、そちらも読んでみたくなりました。しかし私は昭和生まれのおばあちゃんです。ワープロさえ上手に使えないのにパソコンやらインターネットなんて使えるはずもありません。
そこで孫娘の若葉を頼りました。
もう既に会われたかと思いますが、若葉は気立てのいい優しい子です。昔から私に懐いてくれ、あの子の笑顔に幾度救われたか分かりません。
事情を説明すると若葉はタブレット端末を用意してくれ、すぐ先生の小説を読めるようにしてくれました。
こんな薄っぺらい中にコンピュータが入っていて、世界と繋がることが出来るなんて便利ですね。年寄りじみたことを言わせてもらうと、長生きはしてみるものです。
私の若い頃では想像もつかなかった世界が、いま現実としてあります。こういったものを創る人たちには、きっと未来の形が見えていたのでしょうね。
閑話休題。とにかくそうして先生の小説が読めるようになりました。(若葉にも先生の小説を薦めたところ、とても面白かったと好評でした)
ネットで小説が読めるだけでなく、メッセージが送れるということを若葉から教わった私は、つい欲が出てファンレターを送ってしまいました。
名前は当然本名の『英菊枝』にしようとしたのですが、若葉に窘められてしまいました。ネットの世界ではプライバシーを守らなくてはいけないから本名を名乗ってはいけないらしいですね。
とはいっても私は七十年以上この名前で生きてきたので他の名前なんて思い付きもしません。
迷っていたら若葉が『蒼山このは』という名前を付けてくれました。
返事をいただいたときは驚きました。まさかそんな丁寧に対応していて頂けるなんて、夢にも思っていませんでしたから。
有頂天になってしまった私は、また先生にメッセージを送ってしまったのです。年甲斐もなく申し訳ありません。
やり取りを繰り返しているうちに、私はなんだか先生にメッセージを送っているときだけは『英菊枝』ではなく、本当に『蒼山このは』になれたような気がしました。
別の誰かになるなんて、もちろん生まれて初めてのことでした。
人はどんどん欲張りになっていく、なんて大袈裟な一人称を使うのは厚かましいですが、次第に私は先生の書く現代小説が読んでみたくなりました。きっと先生はそれを書く力もお有りだと確信もしてました。
すいません。
長い手紙なので何日にも分けて書いております。ここまで書いた内容を読み、自分のあまりの厚顔さに恥ずかしくなりました。でも思ったままのことなので、このまま直さずに続けさせて貰います。
先生に現代小説のアイデアがないとのことでしたので、勝手に写真を送らせてもらいました。お題を与えられて創作をするという遊びを女学生時代にこっそりしていたことを思い出して、試しにさせて貰ったことでした。
でも私が撮る写真だと老人の退屈な毎日しか描けないので、写真は若葉に撮影してもらうことにしました。それに併せて、私は女子高校生という、厚かましいにもほどがある年齢詐称をしてしまったというわけです。
送った後にずいぶん失礼なことをしてしまったと恥じ入りましたが、先生は期待以上の短編小説を書き上げて下さいました。
悪いのは私です。若葉をどうか赦してやって下さい。
あの子は老い先短い年寄りのいたずらに付き合わされただけなのです。
科学館のレクリエーションで実際に先生とお会いして、優しくて聡明そうな方だと感じました。先生はきっと、作家として大成されます。私はそう信じております。
大変なこともあるかと思いますが、決して夢を諦めずに自分の信じた道を歩んで下さい。
私が生きた時代は、生きることに精一杯すぎた気がします。
幼少期はその日食べるものにも苦労するような世界でした。とにかく息つく暇もなく働き、休むことも、贅沢することも、なんだか悪いことのように生きてきました。
私は二十歳で乾物屋を営む主人と結婚したのですが、二人で一心不乱に働きました。たまたま運良く仕事は上手くいき、好景気にも浮き足立つことなく、コツコツとやってくることが出来ました。
途中東京オリンピックや大阪万博などもありました。
また同じようにそれらが開催されると聞いて、なんだかぐるっと一周回ってきたような不思議な気分にもなります。
主人が二年前に他界し、私も子供たちに迷惑をかけないようにライフステージ鷹羽に入居しました。
あそこに入って、ようやく私は肩の荷が下りたような気がします。でもいざ自分の時間を持つと、果たして何をしていいのやら迷ってしまいました。
必死に生きてきた私たちの人生が間違いだったとは言いません。
あの頃はとにかく社会全体がそういう空気だったのです。豊かさを求め、便利さを求め、安全を求め。
でも今の時代はもう充分に便利で豊かで安全です。
これ以上便利さや豊かさを求めあくせくするより、創り上げた便利な世界を謳歌する時代なのかもしれないと思うのです。
『満足する』ということは、『求め、創造する』ことより、実はずっと難しいことなのかもしれません。
今はもう昭和はおろか、平成も終わって令和です。なにも息切れするほど必死で生きるだけが人生ではないと私は思います。満足を覚え、幸せを見付けて生きる時代です。
先生は自分の信じる道を生きて下さい。
まだまだ先生にお伝えしたいことは尽きませんが、このところ体調が優れずお手紙を書くことも難しくなってきました。年が明けてからろくにメッセージも送れず、申し訳ありません。
こんなおばあちゃんに人生最後の生きる喜びを』
手紙はそこから先、読むことが出来ないほど文字が歪んでいた。
必死に読もうとしたけれど、視界が滲んでしまい余計に読めなくなってくる。
落ちる涙で手紙を濡らしてしまわないように、僕は震える手で手紙を握り締めていた。
「そんな……僕はまだ、英さんにありがとうも伝えられていないのにっ」
悔しくて、辛くて、全身の筋肉が引き攣りそうなほど強張っていた。
恥も外聞もなく、僕は声を上げて泣いた。
「先生はもう既におばあちゃんに感謝を伝えてます」
若葉さんが僕の手を取り、真っ直ぐに見詰めてきた。
「大好きな先生の小説の、ヒロインにしてもらったんですから。それ以上の感謝の示し方はありません。必ず書き上げてやって下さい。おばあちゃんのためにも」
「はい。必ず書きあげます」
なぜだか若葉さんが英さんに見え、僕は深く頭を下げてそう誓う。
これが『偉大な魔法使い』がこの世を去った春の出来事だ。