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最大のトリックに勘付かれても素知らぬ顔でラストまで突っ切ること

 ひとまず食器や本をしまい、段ボールの数が半分くらい減ったところで休憩することになった。


「意外と荷物って多いものだよね」


 コンビニで買ってきたお茶をコップに注ぎ、小鹿野君に渡した。


「おお、さんきゅ。まあなんだかんだ荷物は増えるものだからなぁ」


 春なのに汗ばむ陽気で、小鹿野君は首にかけていたタオルで汗を拭った。


「小鹿野君に手伝って貰わなかったら日が暮れても終わらなかったよ。ありがとう」

「これくらい大したことないからお礼なんていいし」


 そう言って小鹿野君は笑っていたが、目の奥にはどこか物憂げさが沈んでいた。

 美桜の件を引きずっているのは、訊くまでもない。


 東京への引っ越しに親は付いてきてくれなかった。おばあちゃんの具合がよくないのが原因だった。

 すぐにどうなるものではないらしいけど、お世話がいるということでお父さんもお母さんも地元に残っている。


 私も引っ越しの時期をずらしたかったけれどそれは許されなかった。

 引っ越しの手配もあったし、何よりおばあちゃんが構わずに東京に行って欲しいと頼んできたからだ。

 孫の門出を自分の体調のせいで迷惑をかけたくないと思ったのだろう。

 おばあちゃんらしい優しさだ。

 お陰で、と言ったら悪いけれど、こうして小鹿野君に引っ越しを手伝ってもらえている。


「ちょっとお腹空いたしメシ食いに行こうぜ。この付近にいい店があるか下見を兼ねて」

「うん。いいね」


 動きやすいようにジーンズとトレーナーという垢抜けない恰好だけど、着替えるのは手間だからそのまま家を出る。

 私が越してきたこの街は近隣に大学が幾つかあるので学生の街として賑わっている。

 ちょっと汚れが目立つ定食屋の隣にはお洒落な看板を出しているイタリアンがあり、その前には揚げたてコロッケの香りを漂わせるお肉屋さんがあって、その隣はインド料理屋さんでそのまた隣はケータイショップと雑多な様相を呈している。


 新しいものと古いものがなんの境目もなく軒を並べ、カラオケでもレンタルショップでもコンビニでもラーメン屋でも、とにかく学生に必要なものは全て揃っていた。


「なんかテンション上がるね。今日からここが私の街なんだ」

「新しい暮らしが始まるって感じがするよな」


 無理矢理テンションを上げてみたものの、小鹿野君は上辺で笑うだけだった。

 結局私たちは古くから続いてそうなガラスの引き戸のお蕎麦屋さんに入り、私はざる蕎麦、小鹿野君は天丼を頼んだ。


「やっぱり東京は物価が高いね」


 注文を終えた後、私は小声で小鹿野君にそう伝えた。


「高校のみんなは元気かな?」


 小鹿野君は私の話なんてまるで聞こえてなかったかのように無関係なことを口にした。

 何気ない口調で訊いてきたが、私から美桜のことについて聞き出したいのは一目瞭然だった。

 私は湯飲みのお茶を一口飲み、ため息の代わりに静かに深く息を吸った。


「なんで美桜と別れちゃったの?」


 小鹿野君はピクッとまぶたを震わせ、下手くそな作り笑いを浮かべた。


「遠距離なんて美桜を苦しめるだけだろ。悲しませたくなかったからだよ」

「苦しめる? 悲しませる?」


 怒るとか悲しむとかを通り越して、吹き出してしまった。

 それは散々苦しんだ私に向けた趣味の悪すぎるブラックジョークにさえ聞こえた。

 笑ったのを不謹慎に思われたのか、小鹿野君はちょっとムッとした顔になった。


「やっぱりなんにも分かってないね、小鹿野君は」

「なんだよその言い方。仕方ないだろ。それに俺はフラれたようなもんだから」

「本気でそんなこと言ってるの?」


 怒りがいきなり沸点に達した。

 何に対して自分が怒っているのかは分からない。


 美桜の気持ちをまったく理解してない小鹿野君に対して怒っているのかもしれないし、余計なことをしようとしている自分に対して怒っているのかもしれない。


「美桜は東京に行かないでくれって俺に言ったんだ。でも俺は断った。会えないなんて無理だって言われてさ。それでも無理矢理縛り付ける資格なんて、俺にはないだろ」

「なにそれ? それが優しさのつもり?」

「別に優しさだとは思っていない」


 小鹿野君は唇をギュッと真一文に引き、私を真っ直ぐに見詰めてきた。


「本当に」


 言葉が途中でつっかえて、不自然な間が空く。

 一度大きく息を吸って、途中で切れた言葉をもう一度吐き出す。


「本当に美桜が別れたかったと思ってるの?」

「それは……」

「縛り付ける資格? なにそれ? そんなもの小鹿野君にはないよ。結び付く努力をする責任があるんだよ」


 喋りながらどんどん私は興奮してしまっていた。

 何かが憑依したかのように饒舌になる。

 もしかしたら『日付のない日記』のこのはちゃんが憑依したのかもしれない。


「ちゃんと美桜を受け止めてあげててよ。美桜だって馬鹿じゃない。仕方ないことくらい分かってるんだよ。でも、それでも、彼氏が遠くに行っちゃうのは寂しいんだよ。寂しいからついわがままを言って困らせちゃうの!」


 小鹿野君は俯き、大きな身体を萎ませるように肩を竦めていた。


「変な優しさは、やめてよ」


 入学して間もなくに怪我をして困った私を助けてくれた小鹿野君の姿を思い出し、目の奥が熱くなった。


「今でもお互いに好きなのに別れるなんておかしいよ! 遠く離れたから別れるの? そんなの変だよ。好きなんだったら遠距離だって関係ないでしょ」

「ごめん。そうだよな」


 顔を上げた小鹿野君は悔しそうに笑っていた。


「本当は不安で、怖くなって逃げたかったのかもしれない。離れ離れになったら、いつか美桜の気持ちが冷めるかもしれないって。お互い傷つけ合いながら別れるなら、その前に別れた方が幸せかもって」


 瞳を震わせる小鹿野君を見ながら頷くと、なんとか堪えていた涙がぽろりと剥がれるように零れ落ちた。


「でもそんなの、おかしいよな。壊れるのが怖いから壊れる前に壊すなんて、そんなことありえない。馬鹿だ、俺。若葉の言うとおりだ。好きなのに別れるなんて、そんなの間違ってるな。ありがとう」


 小鹿野君が深々と頭を下げた瞬間、天丼とざる蕎麦が運ばれてきた。

 なにやってるんだろう。せっかくこのままいけば私が小鹿野君と付き合うことだって出来たのかもしれないのに。


 でもこれでよかったんだ。


 髪の伸びた小鹿野君を眺めながらそんなことを思っていた。

 小鹿野君は短い髪の方が似合っている。でもそれは教えてあげない。かっこ悪くなって美桜にフラれればいい。ちょっとした私の意地悪だ。


「ほら早く食べよう。冷めちゃうよ」

「若葉はざる蕎麦だから既に冷えてるだろ」

「そういう細かいこと言う人、好きじゃない」


 白けたように目を細めて睨むと小鹿野君は快活に笑った。


「あ、これ美味しい。やっぱり東京はそばが美味しいんだね」


 別に地元とそうは変わらない味なのに大袈裟に褒めたのは、泣き崩れてしまいそうな自分を鼓舞するためだった。


「ごめん。俺、今すぐ美桜に電話する」

「ちょっと。店の中で電話とかやめてよね」


 スマホを取り出した小鹿野君にぴしゃりと言い放った。目の前で電話されるなんて残酷な拷問に堪えられるとはとても思えなかったから。


「じゃあ外でかけてくる」

「行ってらー」


 手を振りながら見送る。

 ガラスの引き戸の向こうで、小鹿野君が電話しているのが見えた。

 緊張した顔から必死に謝る顔に変わり、スマホを片手にペコペコと頭を下げている。

 しばらくそれが続いてから、小鹿野君は笑顔に変わる。

 電話をしながら身振り手振りを加えるのは小鹿野君らしいと思った。


 やっぱりイタリアンにすべきだった。

 あの店ならドアが木製だから電話をする小鹿野君を見ずに済んだのに。


 電話は長引いているようで、小鹿野君が注文した天丼は湯気も消えて久しい。

 いい加減冷めてきた天丼の頂で衣を纏った海老天を箸で摘まみ躊躇なく齧り付く。

 サクッとした歯触りの衣と絶妙な火の通りのぷりっとした海老が美味しい。

 私の失恋は、甲殻類の味がした。 



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