公募などに落ちても「完全にカテエラでした」で八割方押し通せる。
完成した原稿を送ってから僅か二時間後、藤代さんから電話がかかってきた。もちろん第一声は「これはどういうことですか!」という怒声だった。
「すいません」
「すいませんじゃないですよ。この原稿、以前提出してもらったプロットと全然違うじゃないですか」
普段は怒っていても声色を変えない藤代さんが、珍しく尖った声を放っていた。
これは相当怒ってそうだ。
「プロットで頂いていたものは伝説の魔法使いと劣等生魔法使いが力を合わせて魔王と戦う話でしたよね?」
「はい。その通りです」
「じゃあ魔王はどこ行ったんですか? 伝説の剣は? 双頭の火竜は? 呪われた古城は? 十五万字読んでまったく登場する気配がなかったんですけど?」
「えっと、すいません。内容を変更しました」
「なんでなんの連絡もなしにそんなことしたんですか! あの内容で会議を通したんですよ!?」
一か八かでさらりと答えてみたが、やはり逆効果だった。
提出したプロットを無視して、僕が提出した原稿は劣等生少年と偉大な魔法使いおばあちゃんの日常を描いた話がメインだ。
激しいバトルも、悪の魔王も、焼かれる村も出て来ない。
それは英さんに言われたプロットに縛られすぎないという助言が元で思い付いた行動だった。
もちろんそんな勝手なことは本来許されない。しかし煮詰まってしまった僕にはそれしか手がなかった。
「やっぱりマズいですよね。すいませんでした」
しょぼくれて謝ると受話器の向こうから「はぁ」という盛大なため息が聞こえた。
「そりゃマズいですよ。ただプロットと違うだけならいいですけど」
「と言いますと?」
「これはこれですごく面白いから、マズいんですよ」
藤代さんは不服そうにそう唸った。
「え?」
「面白くなかったらちゃんとプロット通りに書いてくださいってお伝えすれば終わりです。けどこの小説は、頂いていたプロットのものよりもずっと面白いんです」
「えっと、それは、その」
予想外の展開で頭の整理が追いつかない。あちこちのアプリを開いて処理落ちしたスマホのように、僕の思考は潤滑さを失っていた。
「むしろこのストーリーこそが、私が最初に望んでいたものなんだって、読んだ後に気付かされました。こんな原稿出されたら、もう一度社内会議と押し直さなきゃいけないじゃないですか。もう」
「えっ、それって……あ、ありがとうございます!」
思わず喜びで声を震わせてしまった。
「なに喜んでるんですか。私の苦労も考えて下さいよ、もうっ」
受話器の向こうで藤代さんが唇を尖らせて笑っている姿が脳裏に浮かんだ。
「すいませんがよろしくお願い致します」
「はい。こんな素敵な作品、絶対に世に出さなきゃもったいないですからね」
小説に真摯な藤代さんらしい言葉だった。
「ところで先生はなんでこんな作品を思い付いたんですか?」
「それは『日付のない日記』のお陰です」
「日付のない日記って、先生がグルフルにアップしている女子高生の物語ですか?」
「そうです。あの作品を通して、僕は何でもない穏やかな日常を綴る面白さに気付かされたんです」
ささやかなエピソード、ちょっとした謎解き、そしてなんの波乱もないストーリー。
あの作品を書いたことで、そんな小説もありなんだということを学べた。
老魔法使いと若者の交流を中心に描かれる取るに足らない物語というのは、そんなきっかけで生まれた。
「なるほど。あの作品が先生の作風を変えた悪の根源なんですね」
藤代さんは妙に嬉しそうに悪態をついた。
「どんな偉大な魔法使いだって老いには敵わないと思うんです。それと向き合いながら生きるというテーマと大冒険というのは親和性が薄い。そう気付いたんです」
「なるほど」
「退屈で、起伏がなく、驚きもなく、だけど愛おしい日常。僕はあの『日付のない日記』を書くことで、そんな世界を学びました」
ここ数カ月で僕の身に起きたことは、バラバラの出来事のようで実は全て繋がっていた。まるで導かれたような、そんな不思議な縁を感じていた。
「ここまで素晴らしい作品を創って頂いたんですから、私の方も社内会議を頑張らせて貰います」
「よろしくお願いします」
「で、『日付のない日記』はこの後どうなるんです?」
「ですからそれは内緒です」
しれっと訊いてきたが、それは教えられない。だってそれは僕だって知らない物語なのだから。
それにここしばらくこのはさんからの写真も来ていない。
受験が忙しいのだろう。
でもそうではない何かが起こっているのかもかもしれないという不安もある。
最後の頃のに送られてきたメッセージは暗いものが多かったし、写真も意味深なものが多かった。
一方的にやり取りを打ち切るような、いい加減で自分勝手な人ではないと思っていたが、かなりショックなことがあったのかもしれない。もう二度と、自分の物語なんて読みたくないような、辛い出来事が。
もしかするともう二度とメッセージも写真も届かないのかもしれない。
そうなればあの物語は永久に未完のままになる。でもそれはあの何も起こらない物語に相応しい終わり方なのかもしれない。




