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主人公は鈍感。理由は考えるな。ただ『鈍感にすればいい』とだけ覚えておこう

 予想外の事実に鼓動が速まる。

 こんな偶然、あるだろうか。

 この広い日本で、たまたまネットで知り合ったファンが同じ街に住んでいる。もしかしたら知らないうちにどこかで擦れ違っていたかもしれない。


 それは偶然と呼ぶにはあまりにも作為的なものを感じさせられた。

 僕はもしかすると何か大きなことを見落としているのかもしれない。


「ごめん。お待たせ!」


 混乱が収まらないうちに阿久津さんがやって来た。

 チャコールグレーのダッフルコートにレインボーカラーのマフラーを巻いて上半身は防寒がしっかりしているのに、下半身はハーフパンツとターコイズブルーのタイツとやや寒そうだ。


「どうしたの、先生? びっくりした顔して」


 さすがに今回は勘が鋭くなくても僕の異変には気付けただろう。それくらい僕は唖然としていた。


「い、いや。寒くないの、その恰好で」


 驚いている本当の理由を話すわけにもいかず、違う理由で誤魔化した。


「タイツって結構温かいんだよ。先生も穿いてみたら?」

「遠慮しておくよ」


 阿久津さんは僕を連れて住宅外へと進んでいく。どこかの角からひょっこりとこのはさんが現れるんじゃないか。

 

 もっともたとえすれ違ったとしても顔も知らない僕は気付くことはない。

 それでも僕は行き交う人をじっと見てしまう。若い女性だけではなくお年寄りも、果てにはおじさんだろうがこのはさんなんじゃないかと勘繰ってしまっていた。


 いくつかの角を曲がると突然目の前に神社が現れた。なぜか鳥居が金色という不思議な神社の前を通り過ぎるとワンルームマンションがあり、その前で阿久津さんが立ち止まった。


「ここってもしかして」

「そ。あたしの家だよ。今日の祝賀会場はこちらになります」

「えっ」


 あっけらかんとした口調でそう言った。

 女子の部屋に上がる覚悟なんてまるでなく来てしまっていたので思わず固まってしまう。もはやこのはさんのことなんて頭から飛んでしまっていた。


「せっかく料理の腕を磨いたから先生にも食べてもらおうかなぁーって思って」


 彼女はオートロックを解除して中へ入っていく。

 あまり戸惑うと余計変な空気になってしまいそうだったので僕も黙ってそのあとに続いた。


「散らかっててごめんね」と前置きをされたが、阿久津さんの部屋はこざっぱりと片付けられていた。

 写真で見たこのはさんの部屋のような部屋の空気まで甘ったるそうな女子部屋ではなく、良くも悪くも無駄なものがない落ち着いた部屋だった。

 お洒落な人だからもう少し華やかな部屋なのかと思っていたから意外だ。


 職業病で、どうしても他人の部屋に来ると本棚を確認してしまう。

 ファッション雑誌と料理関係の本、あとは高校生の頃の教科書がほとんどで、小説は最上段にある僕の小説だけだった。


「せっかく来たんだからあとで本にサイン頂戴ね」


 料理を運びながら阿久津さんが茶化してくる。


「あ、ごめん。手伝うよ」

「いいから座ってて」


 次々と料理がテーブルに並べられる。鶏の唐揚げ、ポテトサラダ、ミートドリアとこの短時間の間にあれこれ作ってくれていた。


「こんなに? 仕事終わった後なのにごめんね」

「気にしないで。あたしは料理作るの好きなんだから。普段は施設の料理だからカロリー控え目だけど、今日は無視して高カロリーだよ」


 店に行くと思っていた僕は手土産の一つすら持ってきていなかった。なんだか申し訳ない。


「先生、飲めるんでしょ?」

「まあちょっとだけなら」


 アルコール度数が高めの缶チューハイを手渡され、それをコップに注いだ。


「それでは先生のお仕事の成功を祈って乾杯!」

「ありがとう」


 グラスをキンッと音を立てて合わせる。

 さっそくから揚げを頂くと、カリッと香ばしい衣の中から肉汁と油が飛び散る。


「あ、柔らかい」

「でしょー? 余熱で熱を通してるからね」


 瑞々しいまでにぶりっとしたお肉には生姜と醤油の味が、鶏の旨みを引き立てる塩梅で効いている。


「おおー。さすがは阿久津シェフ!」

「まぁね-!」


 阿久津さんは照れを隠すように大袈裟にVの字を広げたピースサインを向けて笑った。

 ドリアもポテトサラダも無駄に味が濃くなく、優しい味付けだった。それが阿久津さんらしくて美味しかった。


「今度の小説の『老人と竜』っておばあちゃん魔法使いのお話なんでしょ?」

「そう。引退してのんびり暮らすちょっとお茶目なおばあちゃん魔法使いと魔法が下手くそだけど優しい青年のお話」

「いいねー。絶対面白そう! 読むのが楽しみだなぁ」


 彼女はキウイサワーを入れたグラスを持ち、弛んだ笑顔を見せた。少し酔いが回ったのか、目の周りが赤く、ポーッとした雰囲気だった。


「まだ出版するためにはこれから何度も山を越えないといけないんだけどね」

「売れたらいいね」

「そうだね」


 阿久津さんは立てた膝の上に顎を乗せて僕を見る。


「もし売れたら、うちの職場は辞めるの?」

「どうかな。作家の収入なんて不安定だし。それに」

「それに?」


 阿久津さんはやや前のめりにグイっと顔を寄せてくる。


「今回の作品はあの職場で働いていたから浮かんだっていう側面もあるからね。だから作品のためにもすぐに辞めたりはしないと思う」


 レクリエーションで英さん達と交流した経験が作品に活かされている。そう思うと無駄な経験ではない。


「なるほど。先生は何から何まで、小説が一番だもんね」


 ちょっと呆れた口調で揶揄される。真面目に介護を考える阿久津さんからしてみればちょっと不純な動機だったかと反省した。


「もちろん小説のためだけに働いている訳じゃないよ。やり甲斐も感じてるし。ただ小説を書くってことは何事も経験が大切になるってだけで」

「ふうん。先生は恋愛小説とか書かないの?」

「恋愛? うーん。ああいうのってストーリー展開も大切だけど、共感を得るってことも大切だから。僕には難しいかな」


 『日付のない日記』を思い浮かべながら答える。このはさんはあの作品で共感を得てくれているのだろうか。


「なるほど。確かに先生には恋愛小説は向いてないのかもね」


 阿久津さんは呆れたように笑いながら食べ終えた皿を片付け始める。慌てて僕も自分の皿を流しへと運んだ。

 


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