面倒な時は都合のいい偶然を発生させればよい。一作品に五回くらいなら読者も許してくれる
キリストが早産しそうなほど、世の中では前倒しでクリスマスを祝うムードが広がっていた。年末の浮ついた空気が過熱するほど、ひねくれ者の僕は白けてしまう。
しかしそんな僕にも嬉しい知らせが届いたのは今年一番の寒さになった十二月初旬の夜だった。
藤代さんからのメールで遂に新作が社内会議に通ったことが知らされた。
「よっしゃっ!」
一人きりの部屋で思わず拳を握った。
最初にこの企画を上げてから既に半年、遂にこれで本格的に出版に向けて原稿に取り掛かることが出来る。
タイトルは『老人と竜~大魔導師さん、今朝はもうご飯食べましたよ~』に決まった。
ちょっとお年寄りをおちょくった題名に抵抗も覚えたが、タイトルはインパクトも大切だ。諦めるとこ、妥協するところもヒットを狙うためには仕方ない。
「さて、と」
このはさんに報せるためにメッセージを開いた。
新作が進展することをなによりも楽しみにしてくれ、応援してくれていた彼女には一番で伝えたい。
「今日は嬉しいニュースがあります」
タイプしながら声に出す。
最近このはさんにメールを送るときはいつもそうしていた。その方が語り掛けるような言葉遣いになるからだ。
一度も顔を合わせたことのない彼女とのやり取りも、もう半年にもなる。
姿形は分からなくても、その人柄や生活している環境は分かっているという不思議な間柄だ。
彼女の写真を元に綴る小説『日付のない日記』もゆっくりとだけど順調に更新を続けている。
僕の書いている物語が彼女の現実と合致しているのか、まるで見当違いなのかは分からない。でも少なくとも彼女はいつも楽しく読んでくれていると伝えてくれていた。
普段書かない現実世界の青春ストーリーだから最初は本当に手探りだったが、最近はだいぶ慣れてきた。
お陰で僕の作風や描写の幅も広がった気がする。
その影響は新作の『老人と竜』の方にも現れていて、リアリティのある世界観を構築できていた。
「編集者さんも『日付のない日記』を読んでくれていて好評です。でもこの先どうなるのかと訊かれて困ってます。だってそれはこのはさんの写真次第で、僕も知らないのだから」
文化祭が終わってから送られてくる写真も紅葉や受験勉強の参考書などが増えていた。彼女を取り巻く環境は分かるが、あまりドラマチックな展開はない。恐らく試験勉強で忙しいのだろう。
メッセージを送信してから仕事に行くために部屋のドアを開けると、勢いよく強い風が吹き付けてきた。
分厚いだけの安物のダッフルコートなど暴力的な寒気にはまるで無力で、外に出てわずか三秒で家に帰りたい里心がついてしまった。
空気中に薄氷が張っているような寒さの中、なんとかライフステージ鷹羽に着いた頃には、手の感覚が死んでしまっていた。
事務所に着いた僕がストーブで指先の解凍を行っていると阿久津さんが「おはよう」と僕の隣にやって来て、同じように手の平をストーブに翳した。
「あー、手がジンジンする。この季節の早番は地獄だよね」
「今日は阿久津さんがメインの調理だっけ?」
「うん。お昼は白身魚のフライとすき焼き煮っていう簡単な日だからね」
秋頃から始まった彼女の調理も段々板についてきて、今では簡単な献立のときは一人でメイン調理をしている。
やりたかった仕事を任され、阿久津さんはより一層気合いが入っていた。
きっと天国のおばあちゃんも喜んでいることだろう。
「んー?」
突然阿久津さんは顔を寄せて僕の目を覗き込む。その距離がちょっと近すぎてドキッとしてしまう。
「な、なに?」
「なんかいいことあったでしょ、先生」
「えっ」
いきなり言い当てられ動揺があからさまに表情にでてしまった。
「な、なんで分かったの?」
「勘だよ。ちょっと目がいつもより活き活きしてるし」
確か以前は落ち込んでいるのを言い当てられたこともあった。
惚けた感じの割に意外と勘が鋭いのか、それとも僕が何でもすぐに顔に出してしまうだけなのか。
「実は新作が出版社の会議を通ってね。本になるかもしれないんだ。とはいってもまだまだ先の話だけど」
「えー! すごい! じゃあお祝いしないと」
「まだこれから書くレベルだからお祝いは早いよ」
そう言って断ったが、阿久津さんは一歩も退いてくれず、さっそく今夜お祝いすることになってしまった。
早く原稿を書かなくてはいけないのだが、一日くらい喜びに浸るのも悪くない。
人付き合いが煩わしくて苦手だったのに、最近ではすっかり阿久津さんのペースに流されてしまうようになった。
でも僕を変えてくれた阿久津さんに、本当はちょっと感謝している。
一度家に帰って支度をしてから待ち合わせ場所に向かった。
指定された場所は駅前や繁華街から離れた、急な傾斜の坂道の上の交差点だった。
この辺りに阿久津さん行きつけの店があるのだろうか。しかし見るからに住宅街で居酒屋があるような雰囲気ではない。
海から吹いてくる風が坂道を駆け上がり、バケツで冷水をぶっかけるように僕の身体を冷やした。
「うー、寒すぎるだろ、ここ」
歩道から坂の下の景色を恨めしく見下ろす。
「えっ……」
真っ直ぐに伸びる下り坂。その先には住宅地が広がり、更に奥には港と海が見えていた。湾岸地区には背の高い赤と白のクレーンが二機立っている。
「あれっ!? この景色って」
間違いない。
それは以前このはさんから送られてきた写真の景色と同じだった。
晩夏の明るさと初冬の冷気が籠った寂しさの違いはあるが、構図は全く同じだった。
坂の頂上を見上げると、そこには高校がある。
「あそこがこのはさんの通うの高校……? 同じ街に住んでいたんだ」




