リア充は想像上の生き物。きっとこんな感じなんだろうと思い描きながら書くこと
文学カフェなんて堅苦しい響きだと敬遠されるんじゃないかという当初の意見を覆し、教室内は大勢のお客さんが詰めかけていた。
「お待たせしました。アリスの森のハーブティーとベーカー街のエスプレッソです」
給仕エプロンでぎこちなくお茶をカップルにドリンクを提供する。やや動きづらいけれどお客さんから好評なので悪い気分はしなかった。
「きゃー! 先輩凄く似合ってますよ!」
黄色い声が響いた方を横目で確認すると、タキシード姿の小鹿野君に後輩の女子がスマホのレンズを向けていた。
ノリの良い彼は執事よろしく恭しく頭を下げるポーズを決めてそれに応えていた。
恥ずかしげもなくあんなポーズをとって、しかも様になってしまうんだからやっぱり小鹿野君はすごいなと思う。
喫茶店に改造した教室内には沢山の本が並べられている。
その全てはクラスのみんなが持ち寄った本だ。小説に漫画、図鑑に絵本まである。
私はこっそり霧谷先生の小説を持ってきてその中に忍ばせていた。しかし人気は漫画なのでまだ誰も読んでくれた様子はない。
小さな子供を連れた親子も多く、絵本も人気だ。絵本コーナーには動物たちの壁紙が貼られてあり、そこには美桜が描いたライオンじみた猫の絵もある。
その隣に寄り添うように立っているキリンは小鹿野君が描いたものだ。
『隣にキリンなんて描かれたらよりライオン感が出るじゃない!』と怒っていた美桜を思い出し、少し笑ってから寂しい気分になる。
忙しい時間帯が過ぎ、客の入りが緩やかになってから私と小鹿野君に呼び込みの仕事が申し付けられた。手作りの看板を持ち、ビラを配って客を集める仕事だ。
「この恰好で校内を歩かなきゃいけないの?」
給仕エプロンは可愛くて気に入ってるが、それはあくまで喫茶の中ならばの話だ。
いくら文化祭の最中とはいえ、こんな恰好で出歩くのは恥ずかしい。
「いいじゃん。若葉、すげー似合ってるよ」
他意はないであろう小鹿野君の言葉なのに、私は厚かましくも顔が熱くなった。
小鹿野君はノリノリで首から宣伝プラカードをぶら下げていた。店内では美桜が笑いながらお客さんの相手をしている。
「さ、行こうぜ」
小鹿野君はエスコートするように私の背中を柔らかく押した。
「面倒だなぁ」
こんな時必要以上に不機嫌な顔をしてしまう。素直じゃない性格が可愛くない。
内心小鹿野君と二人で文化祭を回れることにドキドキしていた。そんな風に浮かれてしまう自分も、ちょっと嫌だ。親友の彼氏なのになんでいつまでも思いを引き摺っちゃうんだろう。
普段は素っ気ない校内に様々な飾り付けが施され、まるで別の場所みたいだった。
風船を無数に壁に貼り付けた手作りアクセサリー屋さんや、おどろおどろしい絵を描いたどこかチープなお化け屋敷。
理科の実験を公開している理数系クラスからはほんのりと薬品の匂いが漂い、美術部の展示室からは油絵の具の香りが籠もっていた。
幾重の壁に跳ね返ったブラスバンド部の演奏が何だか心を弾ませてくれる。
そんな中でもタキシード男と給仕エプロン女の大正浪漫的な私達は目立ち、行き交う人たちから好奇の視線を向けられていた。
人から注目を浴びるのが苦手な私は終始俯き加減で、この罰ゲームのような時間を過ごしていた。
一方小鹿野君は愉しそうに次々とチラシを配って「三年二組で文学カフェやってます」と宣伝をしていた。
時おり知り合いやら後輩に写真をせがまれると快く応じる神対応を見せていた。私は男子に写真をお願いされてもたどたどしく断るという塩対応だ。
「もうチラシ配り終わっちゃったな」
あまりの早さに驚く。
私一人でしていたら文化祭が終わっても余らしていただろう枚数を僅か三十分足らずで小鹿野君は配り終えていた。
「じゃあ教室に戻ろう」
「えー? 真面目かよ。少しサボろうぜ」
小鹿野君は笑いながら肩を叩いてきた。
簡単に身体に触れてくるのは、なんとも思っていないことの証みたいで辛い。
「こんな格好のまま? 目立ちすぎでしょ」
「大丈夫だって」
そう言いながら小鹿野君は悪ふざけ気味に女装した男子を指差す。
「あんなのだっているんだぞ? 俺たちなんて大人しめのコーデだろ」
みんなが頑張っているときにサボるというのは罪悪感もあったけど、せっかくの文化祭なんだから自分たちも楽しみたいという気持ちもあった。
その気持ちに『小鹿野君と二人で』という要素が助太刀すると、もう完全に気持ちはサボる方に舵を切ってしまっていた。
「あのお化け屋敷に入ってみない?」
「ええー? 私ムリ。お化け屋敷とか凄い苦手で」
「そんなにビビるほどじゃないだろ。絶対そんな怖くないし」
強く否定してしまったことで余計に小鹿野君が面白がってしまったようだった。
「他のにしようよ。ほら、向こうでマジックショーとかやってるし」
「いいから、ほら行くよ」
手首を掴まれ、抵抗する力が抜けた。
それを私が諦めたと判断したのか、お化け屋敷へと引きずり込まれる。まだお化け屋敷に入る前なのに、私の心臓は激しくドキドキと鼓動してしまっていた。
窓に目張りをして光を遮り、段ボールを黒く塗った迷路の中は驚くほど暗かった。
「もう無理! 真っ暗で何にも見えないよ」
「落ち着けって。大丈夫だから」
「ねぇ、やっぱり出ようよ。私本当にこういうの……きゃっ!?」
急に足許にスポンジのようなものが敷かれており、バランスを崩して転びかけた。
「大丈夫か?」
蹌踉けたところを、肩を掴んで支えられる。小鹿野君の手は大きくて、温かくて、力強かった。
「あ、ありがと」
真っ暗で本当によかった。絶対今、私は真っ赤な顔をしているだろうから。
「本当に怖がりなんだな。もうやめておくか?」
「ううん。大丈夫」
暗闇に紛れて、私は小鹿野君の腕を掴んでそっと寄り添った。その瞬間、小鹿野君もビクッと身体を動かした気がした。
「じゃあゆっくり行くから。コケないように気を付けろよ」
「うん。ありがとう」
くっついて歩くことについて、お互いなにも言及せずに進んでいく。
突然足首を掴まれて驚かされたり、ゾンビに追い掛けられ、そのたびに大声を上げて思わず小鹿野君にしがみついてしまった。
もちろんわざとじゃない。でも激しく美桜に申し訳ない気分になってしまった。
ようやく出口の明かりが見えたとき、私は小鹿野君の手を離して駆け出す。
「おいっ! 置いていくなよ」
慌てて小鹿野君が追い掛けてくる。
外に出た瞬間、陽の光が眩しくて目と瞑った。ドキドキしているのは怖かったからか、もっと別の理由なのかは考えたくなかった。
明るい廊下に出ると暗闇が創り出した幻想は解けていた。
「若葉、ビビりすぎだろ。超ウケる」
笑う小鹿野君を見て、自己嫌悪とか虚しさが溢れ出して泣きそうになる。
親友の彼氏に恋心を抱き、恐怖にかこつけて抱きつくとか本当に最低だ。ぐちゃぐちゃに歪んだ感情は、すべて私に向かって突き刺さってくる。
「だからお化け屋敷なんか嫌だったのにっ!」
私は小鹿野君を睨みつけ、そのまま走り去った。驚いて呼び止める彼の声が聞こえたけれど、無視して自分の教室まで走った。
「ちょっと若葉どうしたの? 何があったの?」
間の悪いことに休憩に入った美桜と鉢合わせてしまった。
「ううん。なんでもないよ」
「だって泣いてるじゃない! 智宏となんかあった?」
小鹿野君の名前を言われ、咄嗟に私はどんな顔をしてしまったのだろう。
「泣いてないし。なんにもないってば」
慌てて笑い、目を拭う。心配そうに見詰めてくれる美桜の顔を正視できなかった。
「わっ、すごいお客さん来てるじゃない! チラシ配布の効果があったのかな?」
私は驚いた振りをして教室内へと戻っていく。背中にはいつまでも美桜の視線を感じていた。
その後は文化祭を見て回る気力もなく、休憩も取らずにずっとウエイトレスの仕事をし続けた。
そのまま午後五時に文化祭が終了となり、後片付けが始まる。
みんなが笑いながら壁紙を剥がしたりゴミを纏めたりしていた。
男子の誰かが打ち上げにカラオケに行こうと言い、賛同の声がわっと沸き起こった。
ここにいる全員が一つのことを成し遂げた興奮と喜びに高揚している。
たった一人その空気に入り込めない私は、その光景を横目にみながらソッと教室を出た。
とにかく一人になりたくて、当てもなく校舎を歩いていた。
「若葉!」
「み、美桜……」
人気の少ない第二校舎を歩いていると、美桜と小鹿野君が走ってやって来た。
二人ともかなり深刻な顔をしている。
どさくさに紛れて抱きついたことがバレた、そう思った。
「ごめん!」
美桜は滑るように私の前にやって来て勢いよく頭を下げた。
「え? な、なに?」
「智宏が無理矢理お化け屋敷に誘ったんだって? ごめんね。ああいうの嫌いなのに」
「い、いや。それは」
「ごめんな、若葉。あんなに苦手だとは知らずに」
小鹿野君は心配そうな顔をして頭を下げた。
「もっとちゃんと謝りなさいよ! 若葉泣いてたんだからね!」
「それは違うの」
「本当に悪かった。文化祭で浮かれすぎてた。ごめん」
涙の本当の理由なんて知りもしない二人は申し訳なさそうに謝っていた。そんな姿を見せられると、今度こそ本当に泣いてしまいそうだった。
(違う。そうじゃないの。謝らないで。私はそんなにいい子じゃないから)
言えるわけない想いを何とか心に留め、顔の筋肉だけで笑った。
「美桜もあのお化け屋敷に行った?」
「ううん。行ってないけど」
「もうめちゃくちゃ怖かったんだから! いきなり大声出してお化けが飛び出してくるし、顔に水鉄砲で水かけられるし! やり過ぎって感じっ!」
身振り手振りを追加すると美桜はつられるように笑ってくれた。
「うわ、なにそれ? そんなの私でもビビるし!」
「ね、小鹿野君」
「そうなんだよ。マジでやり過ぎだった! 水かけられたときは俺もちょっとビビった」
小鹿野君は私に抱きつかれたことなんてなかったように、私の顔を見て笑った。
「智宏は普通にビビりでしょ」
「はあ? 違うし!」
「花火大会に行ったとき花火の音にビビってたくせに」
「あれはうるさかったから驚いただけだろ!」
私の知らない話がはじまり、少し端に避けて耳を閉じた。
二人の声は音として聞こえても心の中に入れない。
スマホを取り出し、祭りの後の校舎を写真に収めていた。