物語が口を開いた
時はまだ自動車が金持ちの特権だった時代、所は……おそらく日本、のような国。
特権である車で送り迎えをされ、肌に触れる衣服は質がよく、絹の肌が荒れる心配もない。明堂院柘榴という女の家は、誰もが羨む上流階級であった。
いつも後ろをついて回る少女たちが、われさきにと声を上げた。
「おはようございます、明堂院さま」
「あら、ごきげんよう」
たおやかな黒髪をかきあげ、取り巻きの女に微笑みを返してやる。すると女たちは皆一様にほう、とため息をつき、うっとりと目を細めるのだ。
なかなか気分がいいが、しかしそれだけではない。柘榴は背中でじわじわと汗をかいていた。
なんの因果か、そのご令嬢こそが"俺"なのだ。
もとは有座九郎という名前だった男は、25年程度の短い人生にあっけなく幕をおろした。ろくに眠れていない状態で、駅のホームで足がもつれた、それだけだった。
寸前、今までのことが恐ろしい速さで頭の中を走っていく。
人生への後悔、両親の今後の心配、姉のこと──そういえば、姉さんから押し付けられたゲーム、クリアする前に失くしちゃったな──そんなどうでもいい所で、思考はぷつんと途切れたのだった。
「……ん、ぁ?」
上品さのかけらもない声で目を覚ます。
一瞬病院のベッドかとも思ったが、しかし病院に天蓋付きのベッドはないはずだ。カーテンから見える部屋は少し古臭いが美しい洋室で、まるで貴族の私室である。……ここはどこなのだろう。柔らかなシーツに体を預けていたい欲求を振りほどき、身を起こした。
頬を流れる黒髪に混乱する前に、ドアから女性の声がかかる。
「失礼いたします」
軽いノックののち、ガチャリとドアが開かれ思わず体をこわばらせてしまった。現代でならクラシカルなメイド喫茶で見るような……上品な装いの、メイドの女性。
彼女は俺の姿を認め、ほほえんだ。
「あら、柘榴様。今日はお早いですね」
「ざ、」
ざくろさま、とは?
人間本当にわけのわからないことになると、どうやら言葉に詰まるらしい。ざくろとは、俺が小さい頃姉に付けられたあだ名そのものだった。ありざくろうだから、ざくろ。
なぜ初対面の人間がそのあだ名を知っているのだろう、そもそも、その敬称は一体なんなんだ。
混乱する俺をよそに、メイドは体を起こしやすいように支えてくれた。
ほほえんで、語りかけてくる。
「柘榴様、今日は婚約者の四条晶様がお見えになる日です。身支度に、早すぎることはありませんわ」
こおりついた。