19.人狼の集落
一週間前、私は生まれて初めて自分の顔を見た。
何も映らなかった、死ぬまでこのままだと思っていたこの両目。別にどうでもよかった。それが当たり前だったから。
でも、この両目が光を捉えたそのとき、黒一色の世界が虹色に変わった。普通の人にとっては当たり前のこと、私にとっては初めての体験。でも、これからは私の中でも当たり前になる。そう考えると胸が高鳴る。
今日は何処に行こうかな。目が見える様になって、森の中を散歩するのが楽しみになった。レイやシャーリーからはまだ心配されてるけど、ちょっとは信用して欲しいな。
森を歩くと、ウサギやリスみたいな可愛い動物に出会えるし、綺麗な花も咲いている。本当に目が見える様になって良かった。目に映るもの全てが新鮮で、まだ見た目と名前が一致しない物もあるけど、それはそれで知る楽しみがある。
昨日はこの当たりまでだったかな?今日はもうちょっと奥まで行ってみよっと。そう言えばジークの家ってどの辺なんだろ?遊びに行きたいな。
ガサガサッと茂みを掻く音がする。何だろ?現れたのは茶色い毛の大きな動物だった。四つん這いでこちらを見る目は優しそうな雰囲気を出していた。えーっと、この動物は・・・。こちらが少し考えている内にその動物は立ち上がり、威嚇をしてきた。出会った瞬間とは違い、恐ろしい印象を受ける。そして、鋭い爪の生えた右腕が私に襲い掛かって来た。
「きゃっ!」
とっさに後ろへ尻餅をつき回避する。しかし、まだ向こうには攻撃の意思があるのかこちらを睨んだままだ。逃げなきゃ。でも腰が抜けてしまって動けない。ガタガタと震えているとまた次の攻撃がやってくる。
「セシル!」
私と動物の間に青と灰色を混ぜたような毛を纏う人が割って入り、攻撃を受け止めた。先程まで攻撃的だった動物は彼に気付くと直ぐ様大人しくなった。そして彼はこちらを振り返る。
「あぶねぇぞセシル、森にはこいつみてぇなやつも居るんだ。あれ、そういや何でセシルがここに居るんだ?」
「その声って、もしかしてジーク?狼男って聞いてたけど、こんな感じだったんだ。」
目が見える様になって初めて会うジーク。まじまじと彼を見るとシュッとした顔に引き締まった身体をしておりカッコ良く感じる。それよりも、身体中のモコモコした毛の感触を味わいたいなという思いが大きくなり、最後にはそちらに意識が行ってしまった。
「ん、セシルまさか目が見えてるのか?」
「うん、実はそうなんだ。えっとね・・・。」
ジークに事情を説明する。すると、「そいつは良かった。」と笑って喜んでくれた。それから、私一人の時にまた危険な目にあってはいけないとジークも散歩に付き合ってくれることになった。
「そうだジーク、ジークの家に行ってもいい?」
「ん、俺んちか?そうだなぁ嫁が何て言うかなぁ?」
「えっ!よ、嫁って、ジーク結婚してたの?」
「あれ、言ってなかったっけ?一応結婚したのは一昨年だ。」
そうだったんだ。話を聞くと結婚した人は幼馴染みらしく、周りからは早く結婚しなよと会う度に言われてたほど結婚前から一緒に居たんだとか。子供はまだ作る気は無いらしいけど、ジークならいいお父さんになりそうだな。
「じゃあ、あんまりお邪魔しちゃ不味いかな。」
「いや、俺は構わねぇよ。嫁にもセシル達の話はしてるし、大丈夫だと思うんだけど。急に人を連れてくると怒る時があるからさ。ちょいとそこが気になっただけ。」
そっか、確かにそういうのは分かるな。どうしようかと迷っていると、ジークは「来いよ、何とかなるさ。」と手を引いてくれた。
ジークの家は更にロッジから離れた所にあった。十分くらい歩いただろうか、そこには彼の家だけではなく、他の人狼も住んでおり、一つの集落となっていた。建物は木造で森と融和した印象を受け、近代的なものがあまり無い。集落の中を歩く私を皆物珍しそうな目で見てくるけど、敵意は無さそうだ。
ジークの家はその集落の一番奥にあった。この集落の長の人はのものと思われる家の直ぐ隣に、他の一般の家と変わらない大きさの家があり、それがジークの家だった。私は一旦家の前で待ち、「ただいま。」と彼は家に入った。すると奥から「お帰りなさいあなた。」と彼の奥さんらしき人の優しそうな声が聞こえた。
暫く彼が奥さんと話をして、「いいぞ。」とこちらに向けた声がした。家の中に入ると、彼とその隣にもう一人人狼の女性が居た。整っていて、艶やかな毛並みと円らな瞳をしたその人こそが彼の奥さんだった。
「初めまして、貴女がセシルさんですね。私、シュイって言います。夫共々よろしくお願いしますね。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
話をしてみるとシュイさんは、大人しくて優しい印象を受ける。
話の中でシュイさんから二人の馴れ初めを聞いてみた。二人は同い年で、親も仲が良かった関係で、生まれてからほとんど一緒に過ごしてたらしい。特に意識する訳でも無く、もうずっと家族の様に感じてたんだとか。そんな中、年頃になった二人にあんまり結婚の意識が無かったのを周りが焚き付けて、煩わしく感じながらも、二人も「じゃ、結婚しよっか。」となったらしい。今の二人の雰囲気も良いし、幸せそうだ。なんだか羨ましいな。
「セシルさんはどうなんですか?夫から聞いたんですが、レイさんといい雰囲気なんですよね?」
「えっ、何で!?もうジーク!」
私が取り乱していると、ジークがニヤニヤしていた。
「何でって言われても、二人とも意識しあってるみてぇだし、バレバレだろ。」
そ、そうだったのか~。少し顔が熱くなる。
「う~ん、ジークの言う通りレイのこと好きだよ。でも、レイは魔族の王子で私は普通の人間だよ。種族も身分も違うから好きだとしても、上手くいかないって思っちゃうんだ。」
「複雑なんですね。両想いなのに一緒になれないってなんだか悲しいです。」
「まあ、レイなら何とかするだろ。それまでセシルも待ってやってくれや。」
「うん・・・。」
今の暮らしのままでも満足はしてるけど、その先に行けるのなら・・・。ジークの言う通り待っていよう、それが叶わなくとも。




