あなたの町の検索屋さん
街の中をふと歩いていると、ひとつの建物がなくなっていた。
それに気づいたのは、ある秋の日の夕暮れ時。
自分には全く無関係な建物だったもので、毎日目にはしていた筈なのに、そこにどんな建物が有ったのかも思い出せない。だけどまぁ、思い出せたところで何の意味もない訳で、僕はすぐに視線をバスの中の電光掲示板へと移した。
次は、終点、みどりが丘です。
機械的な女性のアナウンスがバス内に響き、数少ない乗客たちはぼちぼちと財布や定期入れをカバンから取り出し始める。
終点に辿り着いたバスは乗客をすべて吐き出し終えると、ホコリを巻き上げながらそそくさと去っていった。
(はぁ、今日も疲れたな……)
そんなつきなみな言葉が頭に思い浮かんだ。
右手にぶら下げたビジネスバッグがやけに重たい。財布はなかなか軽いんだけど。
突然だけど、僕は近頃ずっと仕事を辞めたいと思っている。
なんで?ってきかれても一つ一つ挙げ始めると枚挙に暇がないので、総合的にだよ、と答えるようにしている。
その中の幾つかを代表として挙げるなら、そうだな、給料が上がらない。これが一つ。
大学の同級生達の昇進昇給の話を聞く度に自分が情けなくてたまらない。
あとは、気の合う仲間がいないのもそう。周りは年寄りだらけで、なにかと威張ってばかり。無理矢理連れて行かれる飲み会では「君のために言うけどな」との大義名分を掲げて自慢話に終止する。
作り笑い浮かべて「凄いですね、流石です」なんて何回繰り返しただろう。僕の中でその2つの言葉は随分とすり減って薄っぺらくなってしまった。
はぁ、仕事辞めたいな。重たい鞄なんて放り出して。
出来ないけど。
せめて、週末に心を癒やしてくれる彼女が出来たらいいのにな。
出来ないけど。
うだうだと考えるのを止めて、自宅への道のりを歩き始める。
「……んん?」
つい声が出てしまった。周りに人がいなかったかキョロキョロ見回して確かめる。
大丈夫だ、問題ない。
そもそも僕がなんでそんなうめき声を出してしまったのかと言うと、帰り道に見知らぬ建物が建っていたから。
人間ってのは、消えていくものは気づきにくいのに、新しいものにはよく気づくもんだ。
そして建物が建ったくらいでいちいちうめき声をあげる奴なんじゃなくて、その建物が掲げていた看板に問題があって。
(あなたの街のけんさく屋さん……?なんだそりゃ)
こじんまりした建物に、普通なら見過ごしてしまいそうな小さな看板。中の様子は一切見えないし、説明文なんて書いていない。
だけどなぜか僕の足はその「けんさく屋さん」に向かっていた。
軽い扉をそっと押して開けると、中には一つ、試着室のようなブースがあった。カーテンは開いていて、中にパソコン端末がある。
中に入って、そっと扉を閉める。
『いらっしゃいませ!けんさく屋へようこそ!』
「うおっ」
突然流れた元気の良いアナウンスについ驚いて声を出してしまう。店員さんもいないし、どうなってんだよこのお店。困惑している僕に構わず、元気な声が続いて鳴り響く。
『どうぞ、ブースの中にお入りください!』
まさか、けんさく屋って、こんなスマホ全盛時代に、何か調べたいことがあったらここで検索しろって店を作ったってことなのか?
そんなバカなと思ったが、それ以外に考えようもない。
「ぷっ、あははは」
あまりの馬鹿らしさと無謀さに、無性に笑いがこみ上げてきて、その衝動のまま少し笑ってしまった。
まぁ、話の種にはなるかとにやける顔をそのままにブースに入ってカーテンを閉じた。
『こんにちは。検索したいことはなんですか?』
端末が僕に問いかけてくる。
キーボードが無いってことは、話しかけたら良いのかな?ブースの意味あるのかこれ。まぁでも、客は僕しか居ないわけだしまぁいいや。
「転職したいんだけど」
『転職サイトを表示します』
モニターにはずらりと転職サイトの名前が表示される。
『ご満足いく結果を提示できたでしょうか』
「これくらいなら、スマホがあればいつでも調べられるよ」
思わず僕はけんさく屋さんに苦笑を交じえつつそう言ってしまった。機械に言ったって仕方ないのにな。しかしたかが機械と思っていた僕は少し甘かったと思い知る。
『転職をお考えなのですか?』
「……。まぁね。今の職場ではやっていける気がしなくて。この会社に人生捧げてもいいものなのかなーって、近頃ね」
『一日の半分近くを、会社で過ごしますものね』
「そうなんだよ。毎日同じ場所、同じ空間で過ごすんだから、せめて気の合う人とやりがいのある仕事が出来たらいいんだけどね」
『人間関係でお悩みですか』
「うーん、そこが大きいかなぁ」
このけんさく屋と会話していて、ふと思う。あまりに自然に会話に入ったため気に留めていなかったが、この会話の相手はAIだ。投げかけられた言葉に対して、一定の返答を提示する。それだけの存在の筈なのに、やけに会話パターンが豊富な物だなと感心してしまった。
『人間関係を円滑にするための書籍を検索しました』
モニターには沢山の書籍の写真が並んでいる。
愛される人になるための魔法の習慣だとか、気持ちをしっかりと伝えるための話し方講座だとか、うん、全く興味が無いわけじゃないけど……こういう自己啓発の本はなんだか視界が狭くなりそうで苦手なんだよなぁ。結構真に受けちゃうタイプだし。
「ありがとう、今度本屋に行ったらこれ検討してみるよ」
『お役に立てましたか』
「ちょっとはね」
『それは良かったです。他に検索したいものはございますか?』
「そうだなぁ……。そういえば、ここの料金ってどうなってんの?まさか一検索でいくらとか言わないよね」
『本日はお試しキャンペーン中ですので無料です』
「へぇ、お試しって……まぁねぇ……」
割と楽しんでいる自分がいるが、しかしこの程度のサービスにお金を払いたくない気もする。さっきも言ったけど財布が軽いから。
『お金にお困りですか?』
「失礼だなおい」
あんな質問をしたからだろうか、今度はけんさく屋がそんな事を問いかけてきた。
『お金にはお困りではないのですね』
「……困っていないと言ったら嘘になるけどさ」
『お金のある場所を表示します』
そしてモニターに映し出されたのは、近所の銀行が片っ端から記載された検索結果だった。
「いや、お金はあるにはあるけど、僕のじゃないし」
冷静にツッコミを入れる。と、けんさく屋は次の検索結果を表示し始めた。
『強盗で逮捕された場合の量刑の判例を表示します』
「そこまでのレベルで金に困ってないからっ!!」
『メリケンジョークですよ』
「なんなんだよこのAI」
『ノリが悪いですね』
「うるさいなっ、AI相手に乗っても仕方ないだろっ」
『そんなんだから彼女ができないんですよ』
「なんで知ってるんだよっ」
『カマかけてみました』
「…………はぁ……」
だんだん馴れ馴れしくなっていくAIに少々ため息を吐きながらも、しかしここまでバカな会話に付き合ってくれるコンピューターは実は凄いのではないかと考え始めてしまった。
もっと良くするべき部分あると思うんだけどなぁ。
『何はともあれ、銀行に行ってみる事をおすすめしますよ』
「なんで」
『資産運用ですよ。昨今の金融事情で、普通に銀行にお金を預けているだけでは利息なんて雀の涙です。株式投資をすれば配当だけでなく株主優待儲けられて一石二鳥。それなりのリスクもありますが、人生にはリスクはつきものですからね』
「……成程ね、ま、考えてみるよ。いい加減腹も減ったし、帰るよ。相手してくれてありがと」
『またのお越しをお待ちしております』
結局生身の人間に会う事は無く、僕はけんさく屋さんを後にした。
・・・
翌日、僕は仕事の用事で不本意ながら銀行に来ていた。仕事中なので資産運用の相談などする訳もないのだが……。
「あれ、久しぶりだね」
なんと、銀行のロビーで昔付き合っていた彼女に会った。もう別れたのは何年前だったかすらも覚えていないけど、とにかく昔の彼女。
「あ、あぁ、久しぶり」
我ながら情けないくらいに動揺しながら挨拶を交わす。
久しぶりに昔の彼女に会って、あの時の気持ちがよみがえった二人は――。
……なんて事にはなる筈も無かった。なぜなら、彼女の両手は小さな子供がそれぞれ占拠していたから。
「私ね、結婚したんだ。この子たちは双子なの。もう手間が二倍かかって大変」
「へ、へぇ、そうなんだ……」
「旦那さんはね、ヨツビシ商事に勤めているんだけど……。世間じゃ給料が良いって言われてるけど、やっぱりその分忙しくて帰って来るのが遅くて育児は参加してくれないし、ほんと参っちゃう」
そう言ってくたびれた風に笑う彼女は、しかしやはり幸せそうだった。僕なんかよりよっぽどいい男つかまえて、幸せになってたんだな。はぁ。
「おかあさんこのひとだあれぇ?」
「んー?おかあさんのむかしのともだちだよ」
子供相手に元彼だよーなんて言うはずもないが、その一言でなんだか僕はすごく沈んでしまった。
「仕事中だから、そろそろ失礼するよ」
「あ、うん、頑張ってね」
「それは旦那さんに言ってあげて」
そして僕は、逃げるように銀行を後にした。あのけんさく屋め、なにが銀行に行け、だ。すごく惨めな気持ちになっただけだ。
しかしけんさく屋はけんさく屋であって、占い屋ではないのだ。あんなAIの言葉に期待を持っていたって方がお笑いだ。
くそぅ、何がヨツビシだ、大手商社がなんぼのもんじゃ、中小には中小のいいところが……。
もうよそう。あの子に未練なんて無かった筈だろ。
僕は自分にそう言い聞かせ、会社に戻る。それから仕事は捗らず、僕は沈んだ気分のまま家路についた。
今夜はカツ丼にしよう。カツ買って、玉ねぎかって、卵買って。ダシとお米は確かまだあったから大丈夫。
僕はけんさく屋の前は通らず、ふらりとスーパーに寄って必要なものを買って家に帰った。
早速カツ丼を作るために、玉ねぎを切って、カツをオーブンに入れて、そして卵をお椀に割って入れる。
「おっ」
なんと割った卵は双子だったのだ。
「ザマァ見ろ、僕だって双子を産んだぞ」
実際には産んだのは鶏だけど。そんな何の意味もない虚しい独り言を呟いて、さっさと調理にとりかかる。
出来上がったカツ丼をかきこみながら、僕は考える。
転職もいいが、起業してみるのはどうだろう。
時代はITの進歩を求めている。
システム開発の会社が良い。
そうだ。あんな訳のわからない検索エンジンよりも、ユーザーが求めてくれている物がぱっと出てくる素敵で便利な検索エンジンを開発するのだ。
検索エンジンの名前は、そうだなぁ、執事くん、なんてどうだろうか。