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顔面蒼白の若いのをヒャッハー達の手で簀巻きにして、お侍方には事の次第を綴った手紙を持たせて返した。若いのは牛小屋に置いといた。
それはさておき、村長と俺はただいまお手紙を書いている。近所の村の皆様へのご挨拶だ。
別名一揆のお誘いともいう。
うちの村にいるヒャッハーの総数は112名。これはヒャッハー予備軍とヒャッハー退役者を含めた数なので、これ以上は出ない。そしてこの数だけでは侍には勝てない。そこでお手紙作戦だ。
親父曰く
「戦場での兵はほとんどが農民で、侍はそれを指揮するだけのことが多い」
とのことなので先に兵を抑えさせてもらう。村長に頼んで、同じ侍の領地の方々に今回の事を伝えたお手紙を配送する。配送先は姉が嫁いだ村長と親父の血縁があるとこを中心に、戦の時に一緒に戦った村々に声をかけている。
さて話ががらりと変わるが、うちの話をしておこう。
ザックリ言うと近江の武家で、主君が負けたので領地を失い、この村に落ちのびて土着したのだというらしい。
詳しく言うとこうなる。
うちの家、(木下とかいうらしい)は元々近江国坂田郡の国人領主だった。それが土地を失ったのは文明2年(何時だよ)にまで遡ることになる。
当時近江国守護職だった京極大膳大夫が亡くなりその跡目を誰が継ぐかで大戦になったのだ。この時問題になったのが跡継ぎを正室の生んだ次男にするか、側室の生んだ長男にするかだった。
この次男が継ぐかそれとも長男が継ぐかの争いに、曾祖父木下高泰は長男側に立って挙兵。この時次男側に着いた六角政堯の首を挙げるという大功を挙げたという。
敗れた次男側は文明7年に逃亡先の出雲の国から上洛。幕府からの許可を得て再度近江国へ攻め込んできた。この時の戦いで長男側は南近江を失陥し、高泰は討ち死に。跡目は入り婿である、、祖父国吉が継いだ。同年10月になると隣国からの援軍を得た3男側が逆侵攻し嫡孫側を山城国まで押し返す。以後一進一退の攻防が続き、事態が動いたのは文明18年だった。
長男側の重臣多賀宗直が返り忠を行い、長男を甲賀に追いやったのだ。しかしこれは同年10月に長男が押し返し、逆に宗直を近江国からたたきだすことになる。
その後も多くの合戦が起きた。そして祖父国吉の堪忍袋が切れたのは長享2年の事だった。度重なる戦功に対して報奨が少なすぎると長男側に返り忠をし、近隣領主と共に長男を追い出したのだ。
しかし明応2年に長男が帰国し、祖父は領土を失った。その後家臣の伝手でここ尾張国中村に落ちのび村長(今の長老)の娘を貰った。翌年には父弥助を授かりこの地に根を張ることになったんだとさ。
とっぴらぷぅ。
改稿点
その1
曾祖父の名前を高泰に変更。
その2
祖父の名前を国吉に変更。また国吉の姓は中村とあるが木下高泰の娘との婚姻で婿に来たので姓は木下デス。(本作の妄想デス)
家系図は曾祖父木下高泰、祖父国吉、父吉高、兄弥右衛門デス。
指摘してくださったマハマンさん感謝です。